goo blog サービス終了のお知らせ 

ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

食器無し生活

2021年02月22日 | 介護
ここ数日食器無し生活を続けている。
不便と言えば不便だが、何とかなるものである。
ガラガラの食器棚にお茶碗とお椀と湯呑とマグカップが並ぶ。
小皿も取り皿も小鉢も大皿もどんぶりも無い。
まるで戦後の焼け野原に立てたバラックでの食事のような日々が続く。
どうせ中途半端なちぐはぐな食器など無くて良かったよ。
みたいな生活をしている。
物の抱負でなかった時代を思えば食器が無いだけなのでまだましだ。
母は他の物を処分してほしいらしいので、そのうち布団やら家電製品を処分してしまったらどうなることかと思う。
以前鍋が多いと言うので処分したら「鍋が無い」と、言いだして小鍋を買った。
フライパンも多いと言いだして処分したらさすがに困ってフライパンを買った。
私の洋服も多いらしい?
数枚の服を着回ししている。
箪笥に入ら無くなれば処分している。
それすら処分したら着て行く服さえ無くなるのだ。
母は日がなどこにも行かずにベットに横になりテレビを見ている。
見ていると言うより付けている。
食器棚に最低限の好みの食器を並べて食卓を囲みたい。
温かな家庭の温かな食卓を望みたい。
私が心を込めて作った料理も母にとっては不味いようです。
私が娘だからいいものを、嫁ならどうするつもりだろう?
認知症は人それぞれです。
アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症ではまた違います。
若年性認知症もまた違います。
単なる物忘れもまた違います。
もはや情けないを通り越して言葉もありませんね。
外出は5分だと言われてお使いにも行けない旨を伝えると「1時間でも2時間でも行ってこい!」と、言われました。
たった5分の外出でも心配するのにね。
これじゃあ病院もどこにも行かれませんね。
とりあえず私は死ぬ気は無いのでしぶとく生きたいと思います。
母が亡くなったら本当の自由が来るので、日本中旦那と行きますよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

器の無い生活

2021年02月22日 | 介護
器の無い生活が続いている。
フライパンのまま出す。
鍋のまま出す。
揚げ物はバットのまま出した。
取り皿も小皿も無い。
がらがらの食器棚は悲しい。
ついには冷蔵庫の食材も少なくなってきた。
米びつの米も底をついてきた。
なるようになるさ!
なんとかなるさ!
別に金が無いわけではない。
ささやかな抵抗だ。
ストライキだ。
どうせちぐはぐな食器ばかりだった。
新しい食器を買えば怒られるから、ちぐはぐな食器ばかり使っていた。
食卓にちぐはぐな食器が並んでいた。
カレー皿もスープ皿も無かった。
トンカツもコロッケもハンバーグも天ぷらもちぐはぐなお皿だった。
新しい食器を買えば怒られるので、そのまま使う。
粗品の皿も使う。
引き出物の器も使う。
申し訳無さそうに隠れて好みのご飯茶碗だけを買う。
お箸とて相当ひどくなるまで使う。
塗りが剥げない限り使う。
五客揃いがあるのが珍しかった。
一つ欠け二つ欠け、まあ、家族3人だから3つあればいいかと…。
ばらばらの食器が並ぶ食卓に楽しいことは無いのだ。
せっかくの料理も台無しだ。
誰も器のことは言わない。
ちぐはぐな食器が並ぶ食卓に文句は言わない。
食事中の夫婦の会話に母が答える。
母に向かって話はしていないのだ。
そこには楽しい食卓など無いのだ。
母と同居して20年もこんな生活が続いている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする