7/23 報特から 障碍者が死んだ方がいいと言うのは
障碍者を知らないからだと思う。
津久井やまゆり学園の非人道的な殺人。
信じられなかった。
でも、この大量殺人に賛同したという人たちが日本人の中にいると
知ってさらに驚いた。
彼らは自分の身近に障害を持った人たちを知らないからだと思う。
医学的には障害が本当にひどいときは生まれてこないと聞いたことがある。
生まれたからには生きよと神も言っているのだ。
それに脳性麻痺なんて生後に起こったことだ。
私は脳性麻痺の人を知っている。
車椅子で生活し、自分ひとりでは何もできない。
でも、ちゃんと物を考えることができて、
並みの人なんかよりはるかに知識がある。
医学がもっと発達すれば、きっといつか肉体的条件がもっと軽くなるように
助けられると思う。
報特を見て知らなかったことを知った。
1970年、脳性麻痺の子を殺害した母親の減刑を求める運動が起こった。
私はもうこの時は日本にいなかったので、初めてこの事件について知った。
今ならこの母親は2重に罪を負っていると思う。
ひとつは障害の子供を殺害したこと。
もう一つは障害を思っている人への人道的な罪。
私はフランスに行ってまもなく、車椅子の人が普通に外出しているのを見て
日本と違うととても暖かいものを感じた。
日本はホリエモンのTシャツ問題やなんとか48がナチスを思い出させる衣装を着たり
何かが決定的に欠けている。
障碍者に対して、生きていないほうがいいなんてまさにその欠乏の表れだ。
されに77年にバスが車椅子の乗車拒否をした。
理由は何よ?
あれは1970年、ノルウェーのオスロで日本では見たこともないほど
大きい乳母車が乗ろうとした。
バスのドアがあくと、乗客が当然のように降りて母親を手伝った。
日本人に足りないものはなんだろう?
7月22日の報特はあの植松の殺人事件以来起こっている運動を見せてくれた。
それは次回に書く。