こんにちはこんちゃんです😌
高知市朝倉にきました😊
第99回こんちゃんのお城めぐりは「朝倉城跡」です😌
高知大学前、県道38号沿いに看板がありました😊
県指定史跡朝倉城跡登り口とあります😌
行ってみましょう😊
住宅街の中を歩いてゆきます😊
ちょうど桜が満開でした😌
途中看板がありました😊
竪堀、空堀、堀切、土塁などの遺構が示してあって期待が高まります😌
歩いてゆくと朝倉城跡西登り口の標柱を見つけました😊
標柱がなければここを入ってゆこうとは思えない道です😅
入ってゆくと今度は登り道の標柱です😊
迷子にならないように道案内がされていました😌
進んでゆくと段差がでてきました😊
これは空堀などの遺構なのでしょうか?😌
石積みたいです😌
いつの時代の物でしょう😌
詰ノ段へ向かう道です😊
切れてます😌
こちらはどうでしょう😌
登り道のために切ったものでしょうか?😌
平らな場所にきました😊
三ノ段辺りですね😌
そして詰ノ段に到着しました😊
高知県史跡朝倉城跡の石碑が建っています😌
ここが戦国時代の土佐の七雄のひとり本山氏の居城跡なんですね😌
標高は102mとのことです😌
土佐の七雄とは、本山氏、安芸氏、大平氏、津野氏、吉良氏、香宗我部氏(山田氏のときもあり)、長宗我部氏のことなんだそうです😌
別格として公家大名の一条氏がいたそうです😌
長宗我部氏の岡豊城、安芸氏の安芸城、公家大名一条氏の中村城とめぐっていますのでできれば七雄のお城は全部めぐりたいものです😊
ピースくん「え~こんちゃんがまたすごい野望を語ってるよ😓」
ぺろちゃん「うとうと😌💤」
詰ノ段には説明板もありました😊
ふむふむ…
本山城主の本山梅慶が天文年間土佐中央部に一大勢力を確立し、これを維持するため築城して天文9年(1540年)にここに移ったそうです😌
永禄3年(1560年)にはじまった長宗我部氏との激突は数度に及び、梅慶の後をついだ茂辰は永禄6年(1563年)城を焼いて本城本山に退去し廃城となったそうです😌
詰ノ段にはその他にも古い石碑がいくつもありました😊
昔から城跡を大事にされていたのですね😌
満開の桜と共に在りし日のお城の姿を思い浮かべましょう😌
帰りは、きた時と違う道から詰ノ段を下りてゆきました😊
下りてゆく途中に、空堀や竪堀などの敵をふせぐ施設の説明板がありました😊
詰ノ段にあった説明板には、「詰、西郭を囲むように大きな空堀が二重三重にはしり、竪堀も深く残っている県内随一の規模をほこる中世城跡」とありました😌
できることならば、せっかく残っている空堀や竪堀を見学しながらめぐれるルートがあったらいいなと思いました😊
もしかしたら登り道にも見れるところがあったのかも知れませんが、標柱などもなかったので、ワタシには残念ながら「これだ❗」と、ゆえるものを見つけることができませんでした😅
以上で朝倉城跡のお城めぐりはおしまいです😌
また次のお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌