太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。
ある日、道灌は鷹狩りに出掛けて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。
道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、
思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。
そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。
花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、
「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに
【七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき】という歌があります。
その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。
逸話だと推測されますが、切なくて素敵なお話です。
落語にもなっていて、若手が鍛錬のために演じる、いわゆる「前座噺」のひとつです。
まだ日本が「恥」を知っていた時代。。