目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

本日衆院選公示。

2021-10-20 12:19:39 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
あまり書くと公職選挙法に基づく自由選挙妨害になるから、あまり詳しいことはかけないが、不倫子殺し姥捨てが横行し、政治家がばらまき公約を垂れ流している。

道徳的退廃と為政者のばらまき行政。
官報をみれば、自己破産者と外国人の帰化家族の公示三昧。
そして動画配信をみれば、奇行者の群れ。

縁起でもないことを書いてはいけないとしかられそうだが、まるで末期の帝政ローマをみているようだ。
さらにギリシャを思わせる「高尚な愛」云々。

前にも書いたが、君主が腐敗すれば、君主一人を取り除けばいいが、民が腐敗すれば、その国は終わりだ。

その腐敗に乗じて、ゲルマンの傭兵隊長ならぬ在日米軍司令官が、我が国を滅ぼさなければいいが。

志のある人は、図書館で岩波文庫のローマ帝国興亡史と君主論を読むといい。まだ、書庫にあればいいが。

かなしいことに徳川幕府は朱子学、明治政府は教育勅語で民の腐敗を防いだが、今の時代はそれがない。

困ったものだ。


朝っぱらからお笑い陰謀論。

2021-10-20 07:35:44 | いけてつオタク話
その国の目的は、自国以外の王冠をすべてこぼつこと。

そのための外郭団体として、友愛を謳う秘密結社を作り、ターゲットとなった国で、民主化と称して王冠をこぼつ運動を始める。

確かに腐敗した君主国においては、王冠をこぼてばすべてよくなるだろう。

だが、国民自身が腐敗した国では、王冠をこぼつことは、自らよってたつ、アイデンティティをこぼつことに等しい。

さて、話は変わるがその国の王家こそ、中東の地から離散した某民族の王家なのではないだろうか?

それともその王家はヘンデルのオラトリオメサイアをヒントに、世界征服の野望でも持ったか?

なぜなら出エジプト記に、まさに侵略のバイブルとも言うべき事柄が書かれている。

そう、アロンにひきられたユダヤの民が、カナンの地を侵略するあの下りである。

後世の歴史家は、スペインが現代のラテンアメリカでやらかしたことを口を極めて罵るが、実はそのお手本が、出エジプト記にあることは誰も言わない。

かつて友人が、バイブルの聖絶について、副牧師に質問していたが、まさかバイブルに侵略戦争のお手本が書いてあるとは、牧師として教えられまい。

話が脱線したようだ。

何やら王家の権威を認めないものたちが、王家は我々の税金で養われているから生かすも殺すも我らの自由などと不遜なことを言っているが、この連中。実はその王家があることが、その民族のセルフアイデンティティであることがわからないのだから、面白い。

セルフアイデンティティの崩壊は、アノミーをもたらす。
アノミー。
別名、正気の集団統合失調症と呼ばれる社会病理。

思い返せば。コント五十五号やドリフターズなどが、家父長的権威をあざ笑うようなコントをテレビに垂れ流し、それによって不遜な子供たちが増えてきた。

さらに俺たちひょうきん族などで、仲間をいじるようになってから、いじめ以外で仲間が一致団結して何かをするということがなくなった。

批判されたカリスマは、もはやカリスマではなく、仲間を尊敬せずいじめていれば、そんな集団は自己崩壊する。

何やら話は脱線したが、その恐るべき国を警戒した方がいい。
その恐るべき国とは、英国である。

さてと、朝の頭の体操はこのぐらいにしておこう。

以上、いけもと。



最も親密な隣人としての三一の神。

2021-10-20 00:50:41 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
認めたくはないが、人は一人では生きていけない。
が、世の中には、配偶者や友達に恵まれない人もいる。

いけもとのように泣き言を家族や恋人、そして友人にいえるような贅沢な身分の人ならともかく、そうでない人もいる。

そのような人に、「あなたを憐れんでくれる神様がいる。人がいる。そしてそれをあなたに教えるためにあなたに宿るご聖霊さまがいる。」

うん。
地上の肉あるものはすべて移ろいゆく。
そんな中で、已今当変わりない愛で自分を愛する他者がいると言うことこそ、まさに福音ではないだろうか?

何やら日本の教会神学では、恵みとか罪のあがないとかを説教する。

私を教え諭してくださった、副牧師の先生の言うように、「実存的客観的他者」簡単に言えば、赤の他人だ。

その全くの赤の他人が自分が何であっても愛してくれると言うことに、私は福音に感じるのである。

友好的隣人としてのイエス。
そしてそれを私に教えしらす聖霊。

私にとっては、恵みや罪のあがないも大事だが、胸にしみる孤独を癒やす、「実存的客観的他者」としての三一の神こそありがたい。

そう、何があっても私の味方である、存在。

そのありがたみは、いじめられっ子しかわかるまい。

重ねて言うが、これこそ、集団つるし上げもどきに合い、孤立無援を味わったものでしかわからない、三一の神のありがたさであろう。

とはいえ、いけもとはクリスチャンではないのだが。

そんなわけである。
以上、いけもと。