生きることを楽しまなきゃ。
辛気くさい顔をして苦しんで生きて、何が楽しいの?
辛気くさい顔をして苦しんで生きなきゃ神様が喜ばないとしたら、それはどんな神様?
一体自分の子に「おまえは辛気くさい顔して苦しんで生きろ。」って教えて実行させる親がいたら、それはどんな変態おじさんや変態おばさん?
きょうび継父や継母だって、そんな変態狂育をしたら、周りから児童虐待で通報されますがな。
「辛気くさい顔をして苦しんで生きなければ生きられない。」
そう思って生きる人がいかに多いか。
お釈迦様だって言っている。
曰く「苦行は悟りの因にあらず。」と、
そんなに辛気くさい顔をして苦しんでいきたければ、そんな生き方が大好きな人たちでコミュニティーを作って生きてくれ。
中世のヨーロッパには、鞭打ち苦行団なる変態集団がいて、なんか流行病を鎮めるために自ら鉄片がついた鞭で自分や仲間を鞭打ちして町を練り歩いた変態集団があったそうですが、そんなことをしても流行病は全然静まらなかった。
それどころか、この連中が町を練り歩いたせいで、かえって病が蔓延したとかしないとか。
閑話休題。
そんなわけで、祈ったり苦しんだりしなければ幸せになれないというのは謬見です。
その証拠に、経にも安楽行品(あんらくぎょうぼん)なる巻がありますから、興味がある方はググってみてくださいな。
そ~んな、わっけ~。
以上、滝野川区でικμτ。