目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

元来私は神経質な男だから、脳天気な生き方に憧れる。

2021-10-25 09:14:55 | いけてつ独り言
元来私は神経質な男だから、脳天気な生き方に憧れる。
脳天気な人はいい。
神経質な人と違って、人に絡むことはないから。

神経質な人は、人の生き方に絡んで、人の生き方を変えようとする。

この手の人は、言っていることは正しい。
その正しさで人に絡んでくるのだからたまらない。
絡まれた方は、逃げ道がないからだ。

が、逆にこの手の人たちは何か間違っているのだ。

鳥には鳥の生き方がある。
鳥に向かって、魚が「何でおまえは木に止まって生きているのだ。俺みたいに水の中で生きろ!」と絡んで、「相済みません、そうします。」と、鳥が水の中に入ったら、水に溺れて死んでしまう。

魚は魚でつかの間の同類ができて満足だろうが、無茶を言われて溺れ死んだ鳥にしてみればたまらない。

神経質に人に絡む人というのは、この魚みたいな人なのだ。

もっとも神経質な人にも美点があって、エラー探しには向いている。

私のようながさつな人間がこんな作業をしたら、エラー探しなんて仕事は勤まらないし、探される方も、「お前に言われたくはない。」とキレることだろう。

まあ、魚には魚の生き方があるし、鳥には鳥の生き方があると言うことで閉めておく。

以上、いけもと。


グランローヴァのような生き方。

2021-10-24 15:39:01 | いけてつ独り言
そろそろいけもとの人生も、晩年に入ってきた。
それで考えることは、どうやって残りの人生を愉快に過ごしてあの世に行くかである。

娑婆世界。
別な言い方をすれば忍土の人生は、つらく悲しいことが多い。

そしてその総決算としての死がある。
これは誰も避け得ないことだ。

つらく悲しい忍土や涙の谷の人生の彼岸に、ヤマやエホバの裁きがあり、八大地獄やゲヘナの火責めが待っているという。

なんと慈悲がないことか。

そんな邪教や邪師の戯言など捨て置き、紫堂恭子さんの漫画、グランローヴァに出てくる放浪の賢者のように、人生という道行きを放浪して、脳天気に生きようではないか。

そう、放浪の賢者のように、残りの余生を、脳天気に楽しく生きるのだ。

今までつらく悲しい人生を生きてきた。
師団長決心変更とばかりに、今日から残りの人生を脳天気に生きるのだ。

そんなことを思ったいけもとだった。


日本教と受苦礼賛。

2021-10-23 09:16:08 | 日本教徒のエトス
今日は十月二十三日。
秋篠宮眞子様のお誕生日であり、蠍座最初の日。
眞子様。お誕生日おめでとうございます。

さて、太陽は蠍座に入ったであろうか?
入ったかどうかはわからないが、いずれにせよ、太陽は天秤座と蠍座のカスプをうろうろしているに違いない。

最近いけもとは快感原則に従って生きることを覚えた。

そうしたら「誕生から死に至るまでの有限の時間の中で、後で報酬を得られるわけでもないのに、なにゆえ無意味な苦痛を我慢していたんだろう?」と、過去の自分を愚かしいものだと思う。

もちろん会社勤めなどで時間を拘束されるのは別である。
苦痛の報酬として、賃金や賞与などという報酬を得られるから。

これは余談だが、私を含めて日本人には、受苦礼賛の心理があるのではないだろうか?

受苦礼賛。
こう書くと、いかにも何か仰々しいものを連想するかと思うが、別な言い方をすればマゾヒズムである。

外人だったら、およげたいやきくんとかピグミン愛の歌などの歌を聴いたら激怒するのだが、日本人はこれを大いに喜び、レコードやCDを買いあさる。

そう考えると私も日本人なんだろう。
苦しみを受け、心身ともに故障するまで耐える。そして他人にも同調圧力などで受苦を強制させ、最後には泣きわめくかキレまくる。

まさにこの心理は、
常に何かを我慢して、辛気くさく悲しむ有様を自己宣伝し、最後には怒り狂って、快楽というパラダイスに誰一人として入らせないようにする、「偽善なるなんとか人」の心理だわ。

福音書には、こんな類いの人はたくさん出てきますね。

さて、今日は性と死を司る蠍座の第一日目。
快楽をとるか、死をとるか。
あなたはどっちを選びますか?

そんなわけでございます。
以上、いけもと。

米はいい。米はうまい。

2021-10-22 11:47:59 | いけてつ独り言
いつもは食パンにスライスチーズをのせて、オーブントースターで焼いたのが、いけもと家の朝食だったのだが、最近は、残りご飯をおにぎりにして、オーブントースターで焼き固め、それに醤油をつけたのが、いけもと家の朝食だ。

やっぱり米はいい。
米はうまい。

それになんといっても、私の小さい頃は、それは母親がしてくれたことなのだが、最近はいけもとがそれをして、いけもとの焼き醤油おにぎりを老母や妹が食べてくれるのがすごくうれしい。

やっぱり家族はいい。
家族は優しい。

最近急に寒くなり、体調を崩しがちな気候ですが、読者の皆様もご自愛くださいね。


わがままと気ままの違い。

2021-10-21 20:53:48 | いけてつ独り言
わがままと気ままの違い。
わがままの人は、馬は好きだが牛は嫌いな人。
そのわれのままに生き物に接する。
言動に一貫性があってよいではないか。
そういう人には、馬は喜んで近づけばいいし、牛は近寄らなければいい。

ところが気ままな人はこうだ。
あるときは馬をかわいがり、あるときは牛をかわいがる。
それはそれでいい。
が、一番困るのは、
機嫌がいいときは、馬をなで、たてがみで三つ編みを編むぐらいに馬をかわいがるが、あるときは、馬を虐待して殺してしまう。
牛にしたって、あるときは、牛の好きな塩をあげるが、あるときは、牛が嫌がる肉の類いを食べさせて殺してしまう。
(牛は坊主の師匠というぐらい、牛は肉の類いを嫌う)。

こんな人は言動に一貫性がないので、相手にしようにも、当てにならない人なのだ。

私がわがままはいいが、気ままはよくないというのは、そういうことである。