目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

不意に肩の力が抜けました

2022-09-08 19:06:31 | いけてつ独り言
生真面目に生き過ぎていたようです。

本当に幼い頃から、大好きな母方の祖父を筆頭に、大好きな人たちとの死に別れがたくさんあったから、心の奥底で、どっか生き急いでいたようです。

それに私の場合、突発性紫斑病だなんて恐ろしい診断名を幼い頃に受けて、両親がテンパって育ててきましたから。

ついさっきまでポイ活をしてたんです。
それで「そんな短いスパンで稼がなくてもいいか。少し長い目でポイントためよう。」
そう思ったら、すーっと楽になったんです。

なんか自分で超短期に何かを達成しようと思って、焦っていたようです。

そして焦り心が消えたら、肩の荷が下り、重心が下がっておなかで床に座っています。

別にお酒を飲んだり、たばこ(母の狭心症の発作以来、吸っていません)を吸ったりしたわけではないのに。

今まで浮き足立っていたのですが、なんか体の重心が下がり、おなかで座っています。

そう、肝が座ったという感じ。

今はなんかほっとして、落ち着いています。
このままぐっすりと寝ちゃいそう。

こんな僕から皆さんにプレゼント。
皆さんの上に、安らぎがありますように。



己に背いていたのは、他ならぬ自分であった。

2022-09-08 13:00:51 | いけてつ独り言
己に背いていたのはほかならぬ自分であった。
内心したいことがあるのにもかかわらず、自分に言い訳をして、したいことを我慢していた。

そして相手の顔色をうかがってしたくないことをいやいややっていた。

内なる自分を押し殺し、周りの人々にとって都合のよい私になっていたのだ。

そんな人はずるくて図々しい人にはたまらない存在だろう!

が、実現されなかった要求や、いやなことを我慢してしていた怒りはエスカレートする。

それじゃあ、心身にガタが出るのが当たり前だ。

今から一週間、内なる自分に素直に生きてみよう。

それで生きるのが楽になれば、私は生き方を間違えていたのかもしれない。

よし、やってみよう。


会話のキャッチボール。PART3

2022-09-07 15:18:13 | いけてつ独り言
会話のキャッチボール。
普通の玉だからキャッチしやすい。
鉄球だったらやりにくい。

鉄球のキャッチボールを好きな人はいない。
受け損ねてもけがをするし、投げ損ねてもけがをさせる。

会話のキャッチボール。
相手のレベルと投げる玉にも気をつけないとね。

そんなことを思ったИКМТでした。


会話のキャッチボールと言葉のドッチボール。PART2

2022-09-07 12:28:23 | いけてつ独り言
会話のキャッチボールと言葉のドッチボール。

会話のキャッチボールはこれ以上楽しいものはないが、言葉のドッチボール。これは不愉快だ。

会話のキャッチボールをするためには、相手の話をよく聞くことだ。

枕草子に出てくる清少納言と中宮定子のような、当意即妙の会話など目指さなくていい。

人は自分の言うことをよく聞いてくれて、それできちんとしたりアクションを返してくれれば、望むリアクションでなくても満足するものなのだ。

会話のキャッチボールによる相互満足。
これこそ、雑談のアクメであろう。

そう、会話はセックスなのだ。

言葉のオナニズムや会話のサドマゾヒズムを楽しむ人々。
これが真の意味でのコミュニケーション障害の人々なのである。

言葉のオナニズムや会話のサドマゾヒズムは、いちいち例を挙げなくても、読者の皆様も体験したことだろう。

言葉のオナニストや言葉のサドマゾヒストたちと会話をすると、ぐたーっと疲れたり、腹が立ったりする。
それが人をして、自分から離れていく原因だと反省しないのが、言葉のオナニストであり、言葉のサドマゾヒストたちである。

そんなコミュニケーションを愛好する変質者もいるが、そんな手合いとは誰も話をしたくなくなるのだ。

会話のキャッチボールは楽しい。が、言葉のドッチボールはいやだ。
それが精神的に健康かどうかを示す、指標なのである。

以上、ИКМТ。

言葉のキャッチボールと言葉のドッチボール。

2022-09-06 21:16:03 | いけてつ独り言
昔は言葉のキャッチボールが主流だったのだが、最近は言葉のドッチボールが増えてきた。

昔はネチケットというもがあったが、常時接続が始まった頃から、誰彼かまわず失礼極まりない態度で接する、言葉のドッチボールプレイヤーが増えてきた。

最近はそれで自殺者も出ているようである。

さて、言葉のキャッチボールは楽しいが、言葉のドッチボールはしゃれにならない。

投げられた人にとっては、言葉だって飛んでくれば怖いし、当たった人にしてみれば、言葉だって当たればいたいのだ。

言葉のドッチボール。
仲間内でも度を超せば殴り合いの原因になる。
況んや赤の他人をや。

親しき仲にも礼儀ありである。

私は言葉のドッチボールは慎み、言葉のキャッチボールを楽しむことにしよう。

台風のせいか、変に頭が痛いので、今夜はこの辺で寝ます。
おやすみなさい。