B&B&B

回り道を全力疾走

アクトログ1(よのなか科)

2010-01-24 21:27:46 | 未分類
先週、試験期間中ということもあり、授業もなかったので前々から知っていた「よのなか科」へ行ってみました。

よのなか科とは?
http://www.yononaka-net.com/mypage/traning/view_material.php

まぁうまく説明はできないですが、僕なりに簡単に表現すると、いわゆる学校のテストや受験のための勉強ではなく、よのなかで生きるために必要な勉強をグループワークやディスカッションを通して考えていく時間。

といった形です。

重要なのは、先生がただ単に答えを教えるのではなく、どうすれば社会がよりよくなるかを生徒と一緒に考えるところにあると思います。

もちろん、基礎情報としての知識は当然伝える必要はありますが、その中で自分だったらどうするか、どう生きていくべきかを考えるという授業です。

そのときの、内容は「おとなとこどもの境目」についてでした。


授業内容については連れて行ってもらったこの方のブログに書かれてあります。
http://ryosuke-akahoshi.blogspot.com/2010/01/blog-post_24.html


法的には
1、臓器ドナーとなれるのは         満15歳以上
2、衆議院議員の選挙に立候補できるのは   満25歳以上
3、保護者の承諾があれば結婚できるのは   満16/18歳以上
4、新聞配達などの軽労働ができるのは    満13歳以上
5、自動車の運転免許を取得できるのは    満18歳以上
6、就労してよいのは            満15歳以上
7、刑事的な責任を問われるのは       満14歳以上

など大人としての境目はいろいろあります。


個人的に中学生の意見で面白かったと思うのは、
「大人の境目は18歳だと思う」
「それはなんで?」
「アダルトビデオが買えないから」


これは、中学生らしいとても納得できる意見でした。


前もどこかで言ったかもしれませんが、

昔は人生50年と言われていました。
医療も発達しておらず、平均寿命は50歳前後。

それが今や人生80年と言われる世の中です。

寿命が延びた分、成人する時期も延びているのではないか?という疑問をいただきました。

人生50年といわれていた時期は15歳で元服。大人です。

寿命が1.6倍となった現代では単純計算でいくと24歳で成人となります。

15歳前後の若者が攘夷だ尊王だと言って幕府を揺るがしていた明治維新の時代

今は24歳の成人はそれほどの力、バイタリティーはあるでしょうか?


自分は一応、世間的には成人とされていますが、一人前といえるのは25歳からだと感じています。

社会に出て3年間は少なくとも修行。



今回のよのなか科の最終的な質問。

おとなとこどもの境目ってどこにあると思う?

に対して、僕は。精神的な境目だと感じました。


中学生でも自立していく覚悟と気概を持った人なら僕は大人だなぁと思いますし、

26歳となっても親のスネをかじってゴロゴロしているやつなんかは大人だとは認めたくないですからね。


男は黙ってシュークリーム

2010-01-22 19:40:11 | 未分類
今日の自分へのご褒美はこれだっ!

エクレアです。


どちらかというとシュークリーム派なんですが、帰りのコンビニではシュークリームを切らしていたので…。


別に甘いのが好きなわけではないのですが、乳製品に弱いんです。

チーズとかバターとかクリームとか…。

スパゲティ屋に行けば必ずアレを頼みます。

また、カルボナーラですかぁ。

と、かみさんによく言われます。


自分、カルボナーラとシュークリームには目がないんです。

マジあれ食べたら幸せやし

ってタメ口が出てしまうくらい好きです。

というか、好きを通り越して、一緒にいるのが当たり前な存在です。

誕生日ケーキはシュークリームにしてと母にお願いしたほどです。


もし、私にバレンタインに渡すことをお考えの方はシュークリームをお願いします。



という自分の嗜好品についての話でした

女房を質に入れても初鰹

2010-01-21 13:21:39 | 未分類
リア充の意味を理解している人とツイッターを利用している日本人と、どっちが多いだろう?

と、何の脈絡も関係性もない比較検討をやってみた。

ツイッターは2ちゃんねるほど荒れないし、mixiほど閉塞的じゃないコミュニティーサイト

って説明したことがあるが、捉え方は人それぞれだと思う。

出会い系サイトにもなると思うし

広告やビジネスにもなる。

新しいツール。

ナイフやライターと同じ。


今ツイッターにはまってるんだよね~

って言っている人は、

今、包丁にはまってるんだよね~

といっているようなものだろう。


この言葉は説教臭くて、ありがちな自己啓発っぽくて、あまりいいたくないんやけど…、

包丁を使って、ツイッターを使って、何をするかが大事。


ってこと。


大して何もやっていない自分がこの言葉を言っていることに腹が立つ。



新しいモノ、技術やシステムや考え方が次々と発生し入れ替わる世の中は、適応力のある若者中心の社会になりつつある。


昔は数十年、数百年単位でしか技術や思想が変化しなかったために、自然、長生きして世の中を知り尽くしている長寿者が敬われた。


しかし、現代、長寿者は国のお荷物と言わんばかりの対応を受けている。


世紀の大発明
世紀の大発見という言葉も今や発明や発見が多すぎて、死語になりつつあるのではないだろうか。


『女房を質に入れても初鰹』

これも昔、かみさんから教えてもらった言葉です。

初物、新しいものはそれほどに魅力があるんですよね。


きっと、流行に関心がなくなる、流行に追いつこうと思わなくなったときが年をとったと自覚するときでしょうね

と思うわけです

2010-01-20 08:19:37 | 未分類
このブログ、アクセス分析をしています。

B&B&Bの記事で一番アクセスが多い記事は「とさつ」の記事です。
「豚の屍を越えていけ」
http://blog.goo.ne.jp/clo_ol/e/b1e0f0d62f65e2bab3fda7fd22577d33
何故かは分かりませんが


そこに興味を示す人が多いのでしょうか?

もし、需要があるなら再度企画しようとも考えています。

『ピッグがポークになるところ-part2』

春休みなら平日でも人が集まるかな。

ここを見学出来るのが、平日の9時から17時までなので、少しやっかいです。

ちょうど、見学を依頼して実行したのが一年ちょっと前ですね。


人間が生まれながらに背負う罪が、この場所では見れると思います。


殺される直前の牛豚の悲痛な叫び。

死にきれず、苦しみもがく切り刻まれた肉の塊もときどきいる。

命がモノになる瞬間。

とさつ現場を見て肉を食べられなくなる位なら、最初から食べなきゃいい。


そう僕は思うわけです。


この世には、特に日本にはタブー視されているようなことが多いと感じる。


自殺や尊厳死、人工妊娠中絶といった生死に関わること

近現代史についてもそうだし

暗黙の了解。黙認の文化って考えてみると、なんだかキモチガワルイ。

名言、自己啓発に頼らない生き方

2010-01-19 08:43:19 | 未分類
約80時間あるアニメをWeb上で見ました。

リボーンというやつですが、合間合間を使って一週間ほどかかりました。

きっとレンタルDVDなんかだったら数千、数万円かかるんだろうなぁ


次はドラマの仁でも見ようかなと思案中です。



布団に横たわりながら見ていたので、すっかり体がナマってしまいました。


あれですね、
何もしなくてもお腹が減るように、
食べたら排泄欲がでるように
ぐうたらしてたら運動したくなります。


ということで、思い立ったら走りに出掛けています。


やはり10キロ前後が一番気持ちよく走れます。








今日のテーマは名言、自己啓発に頼らない生き方。


最近、書店なんかに行くと、腐るほど自己啓発系の本が並んでいます。


幸せになれる、○○の法則。
トップ営業マンの○○の習慣
○○と言うだけで世界が変わる

とかいうやつです。


この自分、大学時代はそんな本とかセミナーばかり見てきました。

小説やビジネス本、経済学の本なんかよりも、ずっと沢山読んでいると思います。


ただ、最近思うのは、そういった自己啓発系の思想本は、ありすぎると気持ちが悪い。

そもそも、現代はあまりにも効率化を求めすぎてすぐに「すぐに始める○○入門」とか「簡単に○○で億万長者になる方法」なんてものに手を出す傾向にあります。


面倒や手間というモノを悪と定め徹底的に排除しようとしています。

簡略化、効率化が正義だ、全てだと言わんばかりの世の中。


だから薄っぺらい人間が増えるんだよな。


どんないい言葉でも、いい先生に教えられたことでも、自身の経験に基づき悟ったモノにはかなわない。


素敵な名言も哲学も、自己啓発も、他人の経験から導き出された答えでしかないなら、それは自分のモノには出来ていない。


借り物はいつかは返さないといけないんだ。


言葉も経験も考え方も


借り物では、きっと理解はできても、モノには出来ていない


名言、自己啓発に頼らない生き方。


別に先人たちを否定するわけでも貶すわけでもない。
ただ、自分の言葉として語るには安っぽく軽く、薄っぺらいということだ。


言葉や思想はあくまでツール。
それに,呑まれるな。