〈名字の言〉
2018年1月13日 聖教新聞
その日にあった感謝すべきことを記す「感謝ノート」が5冊目になりましたと、青森の婦人から投稿をいただいた▼きっかけは自営業を営む夫の病だった。後遺症も残る。夫も家計も支えねばならず、妻として困り果てていた時だ。夫を亡くした体験を持つ同志から“そんな時こそ感謝できることを見つけてごらん”とアドバイスが。ノートに書き出すうち、どれほど多くを周囲に支えてもらっているかに気付いた▼八王子の婦人からの投稿には、以前に聖教で紹介された「一日3つの幸せ」を探す努力を、発達障がいのある長男と一緒に続けていますと。「給食がおいしかった」「風が気持ちよかった」。どんなことでもいい。五感を研ぎ澄ませてみる。小さな幸せに気付く力を鍛えることで、長男は和やかで明るい生き方に変わった▼ある年の正月、日蓮大聖人は「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)と手紙につづられた。ごつごつとした木の中からも、やがて美しい花が芽吹くではないかと。迫害の連続の人生にあって、森羅万象から希望を見いだされた▼「祈る」という行為は“気付きのアンテナ”を立てることでもあろう。わが心の大地を耕し、日々、感謝の種をまき、幸せの芽を伸ばしていきたい。(進)
自分としては、このブログもハッピーニュースで満載にしたいんだけど。
…はともかく、自分本来のポジティブシンキングでいきたいねぇ。