〈社説〉悲劇を繰り返さぬために
2018年1月25日 聖教新聞
「彼は無関心な様子でそこに立ち……(人さし指を右か左に動かして)指示を与えるのであった……それは最初の選抜だったのだ! すなわち存在と非存在、生と死の最初の決定であったのである」(V・E・フランクル著『夜と霧』霜山徳爾訳、みすず書房)
第2次世界大戦下のホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)を生き延びた著者が、アウシュビッツ強制収容所での体験をとどめた記録である。
列車で運ばれた人々を、「彼=ナチス将校」は、ガス室のある「右側」に送る――。指1本で軽々しく人の死を決定するという狂気が、この地上に存在したことを忘れてはならない。
明後27日は、国連が2005年に制定した「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」。ナチスがユダヤ人を“劣等民族”と位置付け、約600万人の命を奪った歴史は、言うまでもなく、人類が引き起こした最も残虐な出来事の一つである。戦後70年以上がたち、その記憶を語り継ぐ重要性は増している。
悲劇を繰り返さないために、現代に当てはまる教訓として受け止める必要もある。物事の「根」を見つめる作業なくして、本質は分からないからである。
その点、ホロコーストの生存者である作家エリー・ヴィーゼルは「私たちは、ナチス・ドイツの犠牲となっただけではない。国際社会の沈黙と無関心の犠牲者でもあったのだ」と語った。ホロコーストは、ナチスだけによる組織的企てだったのではなく、その扇動によってユダヤ人を蔑視し、悪を見過ごした人たちも、一面では、大犯罪に加担してしまったことになろう。
相手を軽視する心、他者との「違い」を恐れる心は、現代の私たちにも共通するものだ。その“魔性”にどう打ち勝つか。移民排斥、ヘイトスピーチ(憎悪表現)など、世界で差別の事例が絶えない今日だからこそ、改めて自身に問いたい。
全ての人に平等に仏性があると説く仏法は、心にある“差別の根”を取り除くためのものといえよう。私たちは日々、相手の仏性に語り掛けるように目の前の人を励まし、どこまでも信じて祈り続ける。その実践を通して、生命尊厳の思想を生き方の根底に据えているのである。
学会でも、「勇気の証言――ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」の巡回など、人権意識を高める草の根の活動を展開している。人間主義の連帯を広げ、平和と共生の社会を開いていきたい。
ホロコースト…自分が興味のあるテーマ
人はなぜ、そこまで残虐になれるのだろうか