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昨日、プロゴルファー杉原輝雄さんが亡くなった
爺との個人的思い出は、自宅から車で10分位のゴルフ場で毎年開かれる、ツアー競技開幕に先立つ前哨戦、ローカルオープン競技に参加された朝のときの思い出。
これから練習開始と、クラブハウスからエスカレーターで降りてこられた杉原プロとばったり。
思わず「あっ杉原さん!おはようございます、頑張って下さい」と、声をかけるとニコッと「ありがとう」と応答された。
勿論予選・決勝と2日間杉原さんについて回った。
予選の1日目、このコースでは最も難しい12番425ヤード・ミドルホール、前の組が空くのを何かに腰掛けて待っておられた。そこへ一緒に見て回っていた友人と到着。
友人とこのホールが難度一かと話していたら、その会話が耳に入ったか杉原プロが「ボクの代わりに打って・・」と、ニコッとされた。「そんなぁー」と10数人のギャラリー一同と大笑いした。
本当にファンとの交流を大事にされる職人プロだった。勝負を諦めない「マムシ」とか「ドン」の異名があった。
アマチュアの名手中部銀次郎氏があるとき、杉原プロの練習風景を見た。200ヤード先くらいにキャディを座らせてショット練習。キャディが両手を伸ばす範囲にすべての球が納まり、この場面をみて中部氏はプロになることを諦めたと、読んだ事もある。
今日のニュースで「ボクは諦めが悪くて、夢を追って、夢を追って」と生涯現役だった。
この春、同一大会連続出場51年間の世界記録保持中、中日クラウンズに体調不良で欠場。かねて闘病中の前立腺がんが、リンパ節へ転移、更に肺に転移と、心配していたが仕事納めの今日になるとは・・。
今年はあのスペインの名手セベ・バレストレスも逝った。脳腫瘍だった。
杉原プロたくさんの思い出をありがとう。合掌