夢中人

sura@cosmic_a

社会

2016年09月01日 | Weblog
「社会って何かなと考えてみた。

行動や意識ってことかな。そこにあるモラルというか、常識的なものか。。。」

と、前の記事で書いたが、社会を支えているものは何かなとなった。

それは「気」かなと。つまり経済。

だから、国家の事について書いてある本棚の同じ枠内に、

マルクスの資本論の事について書いてある本があったのはそういうことなのかと思った。

資本主義になって、それまでの農業生産より生産性の高い社会になった?事により、

経済の層?。。。幅?が大きくなり、国家の力が増したということか?

資本主義が強い国家をつくったってことか。


ふと思ったのですが、フランス革命はなんだったのかと思ったワケです。

社会の経済がうまく回っていなかった。

で、それが怒りとして国家にむけられたということか。

てことは、社会の安定は、国家の安定。

ということは、国家と社会は別だけれども、切り離せないということか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国境

2016年09月01日 | Weblog
国境を考えていた。

フッとした時に国境を考えていて、

そしたら、国境は単に「国境」というものだけでは考えられないものではないかと思ってきた。

なにかこぅ、いろんな要素があっての「なぜ国境を守るのか」があるように感じる。

たしかに海洋資源などもあるとは思うのだが、それだけではないのではないか。。。

国境だけで考えていても、なにかこぅ、話が進まないというか、なにかこぅ、足踏み状態な感じ。

そんな感じで国境を考えていたら、最近ちらつく文字があるなと気付く。

それは「国家」。

国家。国家ですか。。。

国家と書いてある本を読むと(全部は読んでないが)共同体とかネイションとかの文字が出てくる。

あと、「国家と社会」という言葉もでてくる。

「国家と社会は別。でも、切り離せない。」

社会って何かなと考えてみた。

行動や意識ってことかな。そこにあるモラルというか、常識的なものか。。。

社会が国境を守るということもありなのかな?でも、それは、直接ではなく、なんらかの形かな。

最終的には国家が国境を守るのだろうなぁ。。。

「国家と社会」からの「なぜ国境も守るのか」に繋がっていき、そこからさらに何かに繋がっていくのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武器

2016年06月15日 | Weblog
戦いに勝つためには、頭を使うというか、

経験とか知恵とか気合とかが必要なのかなと思うのですが、

核兵器を作り出すのに頭は必要なのかなと思うのですが、

あれを飛ばすのには頭は使わないのかな?は、どうかはわからないのですが、

これまでの戦いが、今の電化製品や医療機器など多方面に影響を与えているということで、

考えて考え抜いたものというのは、何かしら残したいとう気持?

もしかしたら本能?が働くのかもしれませんが、

核兵器を飛ばすことで、後世に残るものってあるのかな?と思うのです。

核兵器を維持するのに、すごいお金がかかるらしいし、

もしかしたら核兵器はなくなるのかなと思ったりもします。

銃は、

銃の前の武器は弓矢とか剣だったと思うのですが、

剣の前の武器は石?だったのかな。

新しい武器の出現が銃を無くしていくのかも?

でも今のところそんなのなさそうですよね。

なんというか、こぅ、サイバーなんちゃら的でメガネみたいなので操作、

もしくはゲームのコントローラーみたいなので操作みたいな。

市民が武器を持つ場合、 どこかで管理できればですね。

それが武器をもった人やその家族の為になればですね。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛する人よ 

2016年03月11日 | Weblog
東日本大震災×愛する人よ 秋川雅史
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶

2016年02月17日 | Weblog
YOSHIKIMONO(ヨシキモノ)FIRST COLLECTION 欧州も狙う| Fashon Week TOKYO

ショーを観ていると、夢の中にいるような気分になりますが、こちらのYOSHIKIMONO FIRST COLLECTIONも
まさに夢の中の様です。
それと同時に、YOSHIKIさんのピアノと斬新なきもの達が、遠い遠い古の記憶を探ってるかのような気分にさせてくれるのはなぜでしょうか。
きものは、日本の民族衣装で、いろんな記憶が刻まれていて、人生の節目だったり、喜びだったり、悲しみだったり・・・そんな記憶をショーの中の斬新なきものが呼び起こしてくれそうな感じです。
なぜそんな気分になるのでしょうか。
もしかしたら、新しい形が、そのルーツを辿っていきたくなるような気持にさせてくれるのかもしれませんね。
最近では、短歌を詠むということをしているのですが、自分でも、なぜそうなっているのかがわからないんです。
YOSHIKIさんを見ていると、なんというましょうか、自然と情緒的になるというかそんな感じでしょうか。
しかもそれが日本的な形になってしまうというところが、なんとも不思議なところです。
歌を詠みふけっていたいというか、そう思ってしまう。。。なぜでしょうか。碧の君。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YOSHIKI

2016年01月27日 | Weblog
氷原の中に穴が開いています。
多くのペンギンは穴の周りに集まり、中に魚がいないか、自分達を食べてしまうような肉食獣はいないか、海の中の様子を氷上から窺います。大抵のペンギンは命の危険を考えて無謀に飛び込んだりはしません。
そこへスタスタとやって来たのが、大胆不敵な一匹のペンギン。周囲が顔を見合わせ飛び込むことを迷っている中で、ドッボ~ンと穴の中に飛び込んでしまいます。
それでも周囲のペンギン達はまだ海中に飛び込みません。目の前で飛び込んだ「ファーストペンギン」が血だらけになって浮き上がってくるのか、それとも大量の魚を取ってくるのか様子を窺って、確実に魚が穫れるとわかった時に残りのペンギン達が一斉に飛び込むのです。
ところが、一斉に沢山のペンギン達が飛び込んでしまったが為に、魚たちは音や衝撃に驚いて四方八方に逃げてしまい、結局多くのペンギン達は獲物を得ることができませんでした。
リスクを恐れずに新しいことに挑戦する「ファーストペンギン」は、大きな危険と引き換え、多大なる利益を手にしたのです。

連続テレビ小説「あさが来た」のなかで五代さんが、あさに話していた「ファーストペンギン」のお話し。
「ファーストペンギン」とは、ペンギンの習性から生まれた言葉で、ビジネス界隈でよく用いられるとか。




去年、年末の紅白歌合戦を観た後からでしょうか、気になる方がいるんですよね。それは、X JAPANのYOSHIKIさんです。
ずっと以前からX JAPANはご活躍されていて、その存在はもちろん知っていたのですが、なにかこぅ、そう、今キテしまっているのです。なぜ今なのかわからないのですが、当時、最初の頃でしょうか、Xと言ったら、ものすごいスピードの中にいらっしゃったような気がします。そう、異次元にいらっしゃるようなそんな感じだったかなぁ。。。
すごい奇抜なファッションで、ものすごくステキなメロディーをToshiさんの美しい声で歌っていらっしゃっていて、「あ、Xって。。。」と思って、そのXのいた所へ行くのだけれど、もうすでに何もなくて、誰もいなくて、「あれ?」って感じで、こぅ、掴みきれなかった感じかなぁ。それを自分が、波長が合わないのかもしれないと解釈していたのかもしれない。
でも、今はYOSHKIさんも「Songs」で言われてましたけど、当時なかったネットがあり、年明けくらいから動画を観たり、本を読んだり、もちろんアルバムを聴いたりして、完全にキテしまったというワケです。
YOSIKIさんと言ったら、完璧に美しいというか綺麗で、それこそ近づいては悪いのではないかと思っていましたが、今回、インスタグラムを見まして、そこには、すごいカッコイイ写真が並んであったのですが、ファンの方のコメントがそれを中和してくれるというか、いい感じに引き込んでくれた感じでした。確かに、スカイツリーをバックにYOSIKIさんが写っていると、東京とわかっていても、なぜか外国に見えるし、あの鍛え上げられた肉体に傷があったのですが、確かにライオンと戦ったのかな?という感じで、まさにファンの方々との連携といいましょうか、そういうのを感じまして、まさにそれに引き込まれた次第です。そしてまた、ファンの方々がYOSHIKIさんの宝物と言っていらっしゃった。。。あぁ、私もファンになって、ついていくしかない!と思った次第です。
YOSHIKI/佳樹
小松 成美
角川グループパブリッシング

YOSHKIさんは、林 佳樹さん。
この本を読んでみると、アーティストとしてはもちろんですが、起業家というか経営者でもあるのですね。
ご自身の中の、しっかりとした軸を元に、やっていらっしゃるのだなと思いました。
特別独占インタビュー: YOSHIKI(アーティスト/プロデューサー)

こちらのお話しにも軸なるものを感じられて、すごく良いなと思いました。
もう、ついていく行く以外ない、です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未来記

2016年01月07日 | Weblog
新年あけましておめでとうございます今年もどうぞよろしくお願いいたします。

未来記は予言書。
海外での予言の噂は耳にしていたが、日本にもあったのだなと思った。
予言とは何だろう事態の結果があって予言とされるものなのか、それとも方向指針的なものなのかなと思ってみた。
中世日本の予言書―“未来記”を読む (岩波新書)
小峯 和明
岩波書店

未来記に関する本は少なそうで、図書館や本屋に行ってそう思った。でも、何冊かはあって、その本を除いてみたら、未来記にもいろいろな種類があるとあった。また、未来記はこう書いてあるとあって読んでみると、解釈的なのだなと思った。その本には、解説がついていたから、あぁ、そうなのだな、そんな意味なのだと思うけど、解説がなかったら、何のことが書かれてあるのかわからない感じであった。しかし、ずっとその未来記の解説を眺めていたら、諺っぽいなと思った。
いろんな諺があるけれど、あれらも、事態の結果がって、諺通りになったと言えることもあるし(無い時もある)、また、迷った時の方向指針になることもあるかと思う。そして、戒め的なものもあるかと思う。
本の中に、「下剋上」や「栄枯盛衰」「盛者必減」などの言葉が書かれてあったのですが、古代からこんなことが書かれてあるということは、人間にしてもそうだし、他の物事にしても、生きている限り上り下がりというのはあるということなのでしょうね。
この上り下がりを考えていたら、以前テレビで見たエジプトのピラミッドの中にある大回廊を蛇の動をしてエネルギーを蓄えるというのを思い出しました。
蛇というのは、通常、地面をはいつくばって波打って動くことが多いかと思うのですが、はいつくばらずに縦にというか、グラフのような動きをすることがあるみたいなのです。というか、一度そのような動きをしている蛇をみたことがあるのです。その時は、蛇ってこんな動きをするの?!と少々驚きましたが、あの動きによって前に進んでいる。ということは、多少の上がり下がりがなければ前に進めないということかなと思いました。だから「下剋上」や「栄枯盛衰」というのは、個としてみると、きついイメージがありますが、全体でみると、そこにエネルギーが生じているということなのですね。前に進んでいるということだ。ただ、おそらくですが、その運動も均等なイメージでというか、同じような間隔でということかなと思います。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人もひさしからず。たた春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語の冒頭。学校で習った時には、このフレーズを覚えるのに一生懸命だったような気がしますが、今改めて読んでみると、何かこう、そう、宇宙を感じるなぁ。なぜだろう。


諺の話に戻りますが、風習などが諺などをつくっていくとしたら、現代にも新たな諺などができてもよさそうだなと思うのですが。もしかしたら、生活の変化のリズムが早くて、そこから生まれる言葉が出てこないというか定着しないのかな。
Cargo | Finalist of Tropfest Australia 2013

このショートフィルムを観て、菩薩までの感情は抱かなくとも、どんな状況になっても子に対する深い愛情が感じられる。
「ゾンビの前に生肉、背中に赤ん坊」とか「ゾンビになっても親」なんてどうかな。
                                       イヒッ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平記

2015年11月26日 | Weblog
太平記を読んでみた。感想を一言でいうと、「日本の誇り」と思った。
太平記は、全40巻ということは私が読んだ太平記はダイジェスト版ということでしょうか。
太平記―南北朝動乱の人間模様を読む (ビジュアル版 日本の古典に親しむ6)
山崎 正和
世界文化社

太平記の時代は、「上は天皇が君主の徳からはずれ、下は武家どもが臣下の礼を失っており、そのため、天下は大いに乱れ、一日とて安穏な日はなかった。民は一人として長寿を許されず、安心して暮らしを立てる場所もないありさまだった。武家は諸国に守護を設置、荘園には地頭を配置して日本全国を支配したのである。」これをそのまま読んでいると、やる気がなくなってしまったが権力だけは欲しいと思われる朝廷と傲慢な感じの武家が、対立して内政が乱れているように思われるのですが、この時代、外国からの襲来があるような状況だったみたいです。
それで武家は「世を治め民を安んずる器量のある貴族一人に鎌倉に下っていただき、この方を征夷大将軍と仰いで、武家一統は家臣の礼をとることとなった。また、京都へ北条一族の者2名を派して、西国の行政を担当させ、あわせて京都の治安警護にあたらせた。さらに、九州に探題をひとり下して、九州の政治を司らせ、外敵襲来の備えを固めた。それゆえ、日本国中北条氏の命令に従わないところとてなく、海外までもその権勢にしたがわない者はなかったのである」とありました。
これからすると武家の勢力は、すざまじい勢いで日本を支配していったようなのですが、武家だけの勢力でそんなことができるものなのでしょうか。というか、武家の勢力をのばしていくのに、朝廷も協力しているような感じも見受けられると思うけど。もし、そうだとすると、この時代の戦乱の状況は、現代でいうところのリストラチックなことが原因なのかなと思いました。つまり、朝廷が行政を依頼していた方々、まぁ、貴族の方々と思うのですが、その方々が海外からの状況に応じる感じがなくて、その状況に朝廷も頭を悩ませ、日本を絶対に守るために武家に力を与えた状況なのではないのでしょうか。
その後、後醍醐天皇が島流しにあうみたいなのですが、島流しというよりは、「保護」のような感じもしますが。天皇というのは都にいるものなのですが、あきらかに居場所がわかるよりかは、島流しの状況にあるほうが安全だったのかも。というか、本当は島に行ってないのかもなぐらいの感じだったのかも。後醍醐天皇が島流しにあった時に、代わりの天皇が立ったみたいなのですが、その後、後醍醐天皇は都に戻ってきて再び政治をやるワケですよ。ということは、代わりにつかれていた天皇はどうされたのだろうかという疑問もありますが、とにかく後醍醐天皇は都に戻ってきたのです。で、年号も、代わりの天皇がつたときの年号は廃止されて、後醍醐天皇がついていた時の元の年号にもどされたのです。これは、もともと作られたシナリオだったのでしょうか。
ここにある全てが世間の目をあざむきながら、書かれてある文章も何かの目をあざむきながらの感じがするのです。
真実はどこにあるのか?この巨大な渦の中に真実はあるのか?の状況っぽいのですが、真実はただ一つ。それを守るため。

また、太平記を読んでいると、国というのは良くも悪くも外国からの影響があって、そして、それにちゃんと対応してこそ存続できるものなのですね。だから、江戸時代におこった鎖国というのは国にとってよくない事だったのだと思います。どうしてこの時に鎖国したのかなと思ったのですが、太平記の時代に朝廷が武家に力を与えたとしても、自分達の存在はゆるがされることはないだろうと思ったのではないかと思いました。しかし、江戸幕府の方々は、自分達の立場があやういと思ったのではないのかなと思いました。それを食い止めてくれたのが、吉田松陰さんをはじめ松下村塾の方々だったということでしょうか。大河ドラマ「花燃ゆ」を観ていたら、吉田松陰さんは黒船に無断で乗り込んでいるではありませんかっ!!やる?ああいうこと。いくら興味があるからってさ。。。吉田松陰さんのイメージは机に向かっているもの静かなものだったのに、ドラマを見てからは、「ぶっ飛んだ人」になりました。吉田松陰さんは、かなりぶっ飛んでいらっしゃるお方。で、その乗り込んだ船で、当たり前にとらえられるのですが、それをペリーさんは勘弁してくれたのですね。わぁ。。。懐大きい、ありがたいと思っている反面、勘弁しなかったのが日本側という、なんという小ささ(ちっちゃっ)な感じでした。。。あ、いや、これはあくまでもテレビドラマの話であって、その時の方々も必死に国を守らなければという意思の元だったと思うのですが、時代の変化というか波というか、それは避けられないのかも。特に日本国はそうなのかもです。

太平記の中に「俊基ふたたび関東へおくられる」というのがあるのですが、ここの文章が、ものすごく情緒豊かな感じで書かれてあると思うのです。美しい言葉を並べて、美しい情景が浮かんでくるようなのです。なぜかなと思って読み進めていると、俊基さんというお方は首を切られたということなのですが、その頃、怪異的な出来事が多かったということで、それらの魂を鎮めるために書かれたのかなと思いました。ある意味、お経的なものかなと。というか、お経とは、この文章に書かれてあるような意味合いがるのかなとも思いました。
あと宴もあったりで、その宴の様子は、見聞する世間の人を驚かせているらしく、きわどいファッションの若い女子達が宴に登場していたみたいです。このあたりの時代、女子は情報網となっていたみたいで、あっちの宴こっちの宴に登場して情報のやりとりをしていたと源氏物語でもありました。具体的なハニートラップの話も書かれてありました。女房という女性達もそういう役割もあったみたいで、当時の女性の一つの姿だったみたいですね。

そんな「何を信じていいのか」という状況だったのかはわかりませんが、神に問いかけている場面や、仏教や儒教、道教などの宗教というか学問が登場したりしていて、迷いつつも「生きている」当時の人々の姿。まさに、「強く、やさしく、美しい感性」を感じました。

読み物としても非常によいと思われる「太平記」ですが、一つ気になるところがありました。
それは、太平記のあちらこちらにちりばめられているという「未来記」という書物。
解説によると、聖徳太子が未来を予言して書いたとされる書物であるが、偽書という説もある謎の書物だとか。
聖徳太子が書いているにしろ、書いていないにしろとても気になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BASARA

2015年11月19日 | Weblog
【公式】TSUKEMEN - BASARA PV

最近よく聴いているTSUKEMEN。ジャンルにとらわれていないような所がいいと思います。
Op.1~FRONTIER~
TSUKEMEN
キングレコード

こちらの楽曲のタイトルは「BASARA」。
楽曲の感じもすごく好きなのですが、タイトルにもひかれます。

「ばさら」
語源は、梵語(サンスクリット語)で「vajra(伐折羅、バジャラ)=金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。平安時代には雅楽・舞楽の分野で、伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏を婆娑羅と称するようになった。これは、「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。更に鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振る舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する。

身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。

「太平記」は「ばさら」に対して否定的な記述をしており、ばさらが原因で国が乱れると断じている。その一方で太平記が描くばさらの情報は、ばさら大名達の豪奢な生活、傍若無人な振る舞いが詳らかに描かれている。

Wikipediaでは、このようにありました。
「続・悩む力」のお話しと重なるところもあり、本の中の言葉を持ってくると「自意識」かなと思いました。
しかし、現代と違うのは、元気があるところでしょうか。おそらく元気がある。なにかこぅ、そう、ギラギラとみなぎっているような感じです。
それに対しての現代。自意識はあるものの、なにかこぅ、やる気がない感じっぽいですよね。やる気どころか生きる気力さえない場合もあり。
いつの時代も自意識というのはあるのかもしれないけど、それを向ける所が今は無いということかな。

「太平記」ってタイトルは聞いたことはあるが、ふれたことがないなぁ。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意味の山

2015年11月12日 | Weblog

これ、何かな。。。?山?かな。
何の山かな。。。そうだ、もしかしたら「意味の山」かもしれない。
お話しでは、焼かれた「意味の山」。こちらの山は、錆だらけ。
錆だらけの山とは無関係のような青空。
もの悲しさを感じつつも、気をひかれるのは何故だろう。
続・悩む力 (集英社新書)
姜尚中
集英社

姜尚中さんの「続・悩む力」。
ゲンコツをくらったようだった。

ある夏の日、私は、この街の一番の繁華街の脇を通る道路に立ちすくみ、その道路の向こう側にある場所を見上げていた。
無関係じゃないはず。「シアワセノカタチ」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲盛和夫

2015年09月02日 | Weblog
うどんはおいしい。
体調がイマイチだなと感じた時に食べたりすると、幾分か良くなったような気がする。
最近、街に新しく食堂ができた。こじんまりとした今風な感じのシンプルな食堂。線路の下にあるから、電車が通るとゴトンゴトンと音が響き渡る。
うどんメニューが多い。だしに、いりこが使われている風。そんな新しい店のうどんを食べながら思った。「びっくりうどん」ってどんな感じだったのかなぁって。
稲盛和夫の哲学―人は何のために生きるのか
稲盛 和夫
PHP研究所

京セラ名誉会長 稲盛和夫さんの本を読ませていただきました。
読んでいて、まず初めに思ったことは「シンプル」でした。シンプルですから、スルスルと読める。一つ一つのお話がとてもありがたい。
そして、もう一つ強く思った事があって、それは、「経済はスピリチュアル」ということ。宇宙と波長が合うとはこういうことなのかと思い、それはまるで、宇宙からの伝言のようでした。
稲盛本を読む前に、1冊本を読んだのですけど、それは、「さお竹やはなぜ潰れないのか?」です。以前から、そのタイトルは耳にしていたのですが、今回、初めて読むこととなり、会計を説明しているというその本も読んでみて、具体的にはそう書いてはないのですが、その本には「中心を持て」や「軸」の事が書かれてあるなと思い、会計というのはなんでしょうか、自分の立ち位置がわかるのでしょうか。
それを読んでの稲盛本でしたので、やはり経済とはスピリチュアルと密接なのだなと強く感じました。
霊と細胞が一つになった時、人となってこの世で生きていかなければならない。霊にも細胞にも栄養が必要で、さらに、どちらも磨き上げていかなければならない。このお話を、ご自身のお話も交えながら、ご説明して下さっているので、非常にわかりやすく、そして説得力も感じます。
私は、英語など得意ではなかったのですが、おそらくですが一番初めに学校で教えていただいた熟語だけは覚えていて、それは「each other」でした。「お互いに」ということですが、霊と細胞はeach otherの関係だと改めてそうなんだなと思いました。

稲盛本には、戦後、日本はこうやって経済成長してきたのですよとも書いてあるようだ。
ノミニケーションのお話もあったりする。日本型の会社といいましょうか、そんなスタイルをここ長いこと疎まれる風潮がありますが、稲盛本を読んでいると、その景色が新鮮に映るのはなぜなのでしょうか。
このような事を書くのは失礼にあたるのではないのかと思ったのですが、感じてしまったので書きますが、稲盛さんは立ち止まっている方ではないのですね。
ずっと進み続けていらっしゃるのだなと。今現在も現在進行形。それが「フレッシュ」さを感じさせるのですね。
稲盛本は「シンプル」で「フレッシュ」。輝き。原点。希望。
稲盛さんが影響を受けられた方々も気になります。
沢山ある稲盛本を、心からありがたく読ませていただきます。

いろいろなお話をありがとうございます。
京セラフィロソフィ
稲盛和夫
サンマーク出版
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

価値

2015年07月30日 | Weblog
「歴史は繰り返される」と聞いて、あまりピンとくるものがない。
「歴史は繰り返される」というよりも、人の行動というのは、古代から変わっていないということなのかなと思った。
資本論のさわりを読んでいて、ネットで少し検索していたら、学校で習ったことのある「東インド会社」というのが出てきて、あぁ、株式会社で貿易かぁと思ったのですが、貿易というか交流でしょうか、それだったら飛鳥時代からやってたんだよなぁと思ってみたのですが、商いとしての交流は初めてだったということかなと思ってみた。当時、お金の存在はあったかもしれないけれど、外国のお金をもらってもしょうがなかったろうし、物々交換して、自国で値をつけて売っていたのだろうなぁ。自国から遠ければ遠いほど価値あるのものとして売れたのじゃないかなぁ。現在では、外国の物をお金と交換はもちろん、お金同士の交換もできる。レート、外国為替ぐらいの言葉は聞いたことがある。ニュースでは、しょっちゅう1ドルいくらいくらと言っている。秒単位で変動しているような感じ。しかし、なぜ変動するのか?だいたい他国同士のお金が交換できるとはどういうことなのか?個人での買い物、個人輸入ができるということか。外貨を稼ぐという言葉もあるということは、お金は天下の回り物ということで、この地球上にお金の流れがあるみたいなのですが、それぞれにお金の価値というのがあるワケで、その価値というのは何で決まるの?
。。。それも生活なのかな?


以前に訪れた吉野ヶ里遺跡。
堅穴式住居や土器などがあって、当時の生活が再現してあった。そして、とても印象的だったのが、その生活エリアを囲むようにしてあった防御網でしょうか。かなり、がっちりしてありました。はっきり言って驚きました。こんなテーマパークで、こんなしっかりした防御網を造るということは、発見された遺跡には、そうとうな面積で防御網があったのかなとも思ってみた。高いやぐらもあったし、どちらかというと、防衛の印象が強かった。生活を守っていくには、力強い防衛が必要ということが古代からあったということですよね。

国会を観ていたら、ホルムズ海峡と言う言葉がちょくちょく出てきていた。
説明を聞いていると、吉野ヶ里遺跡時代で言う所の、水場とか、狩場みたいなところかなと思ってみた。水場を、他の村と共同で守るということはあったのかなぁ。。。と想いながらホルムズ海峡の話を聞いていました。


歴史は繰り返されるにピンとこないと書きましたが、一つだけこれはそうなのかと思ったのがあります。
それは、時のリーダー達は、その時の状況や時代の変化に合わせて改革をしようとしているのですね。そこで、ものすごい反発があるのですね。身近な人達からの猛反発。
そこで、やり通せるのか、やり通せないかがあるようです。
フランス国王ルイ16世も改革をしようとしていたのだけれど、結局はできなかった。
イギリスの前首相サッチャーさんの映画を観て、かなりの反発があったのだなと思って、リーダーってゆるぎない信念なのだなと思いました。
それは想像の範疇外なのかなと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚醒

2015年04月13日 | Weblog
「商品」というのを考えてみる。
商品。形あるもの。商品とは物であって、物とは欲求から形として存在するものと思ってみて、欲求に気が行って、人が最初に欲求して、形にしてきたものとはなんだろうと考えてみた。それはおそらく「守る」ことかなと思ってみた。
まもる。守る。防御かなと。「守る」「防」「御」などを辞書で引いてみる。
そして行き着いたのが「禦」。
禦・意味①ふせぐ。同・衙 御。アこばみさえぎる。ふせぎまもる。類・距。
イとどめる。くいとめる。そなえる。類 禁・止。②匹敵する。相当する。また、匹敵するもの。類 当。③まもり。ふせぐもの。
(なりたち)形声。示(かみ)+音符御ギョ。

守るからいきついたとこころは示(かみ)・・・


                     
       


さぁっ!春歌ミュージックスタートっ!!!
空想委員会 / 春恋、覚醒 Music Video

「春恋、覚醒」。カーラジオでたまたま聞いて、いい、と思い、それからよく聴いている曲というかCDです。
空想片恋枕草子
クリエーター情報なし
King Records =music=

「空想片恋枕草子」。CDのタイトルに引かれたわけではないです。曲に引かれてCDを手にしたらこのタイトルでした。4曲入っていて、春夏秋冬の景色が歌になっている。そのそれぞれのタイトル、曲もいい感じです
学生さんくらいの景色が歌われているのですが、なにかこう、うきうきだけではなく、はかとなく感じるものもあり、なにかこういいかなと感じたのです。
「春恋、覚醒」では、恋する君の好きなバンドがイヤホンからながれているそうで、なんのバンドかなと想いつつ、「マフラー少女」では、自転車に乗っている女の子のマフラーがなびいていて、それが手を振っているようだと歌われていて、あぁそうなのだなと思う歌で、自分的にはやはり冬の歌が好きなのかなと思ってしまいました。
歌われているのは「空想委員会」というバンド。う~ん。。。なんともこの「空想委員会」というバンド名にもひかれるではありませんか。
いつかどこかで唄われているお姿が拝見できればと思います。

すっかり季節は春。花々が咲き乱れております。


ごぶさたしております。もうすっかり春時の流れの速さに驚いております。


そんな時の流れの早さに驚きつつ、1冊の本を手にしてみました。
ある方々にといってバイブルとなっているというマルクス「資本論」。分厚い本で存在するのだろうなと思っていたが、なんと単個本であった。
手にしたのは「資本論(一)」。さらりとさわりを読んでみる。
そして感想。それは、不思議感であった。不思議感があふれていた。
どんな不思議感かというと、一見、難しいことが書いてあるのかなと思いつつ、そうではなくて、文章に引き込まれていくというのもそうなのですが、それもそうなのですが、もっと不思議に感じるのが、ものすごくスピリチュアル感を感じるところでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天地創造

2014年11月14日 | Weblog
初めに、神は天地を創造された。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた神は言われた。

「光あれ。」

こうして光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった第一の日である。

神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。

神は言われた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」
そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草とそれぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
夕べがあり朝があった。第三の日である。

神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さなほうに夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。

神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
夕べがあり朝があった。第五の日である。

神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を生みだせ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て良しとされた。




旧約聖書っていろんなことが書いてあるなと思って。
再び、歯医者の待合室で雑誌を読んでいたら、「有名企業を目指すならこの大学」という記事があって読んでみた。
大学生就職企業人気ランキングなど書いてあって、あぁそうか、ここに書いてある企業がグローバリゼーションのルールに持っていかれてしまう企業なんだろうなと思ってみた。グローバリゼーションって日本語にした場合に人によって違う感じなのかな。いろいろありそう。グローバリゼーションを考えなたくなった。
で、それらの企業に入っていく若者がハムなのかなと思ってみた。このグローバリゼーションのことについても旧約聖書のどこかも部分に書いてあるのかなと思った。

日本を支える大企業がグローバリゼーションのルールに持って行かれてしまうからこそ、国内での新しい産業や企業が必要になってくるのかなと思ってみた。それが地方創生なのかな。
新しい商品や企業を見つけるのって、なかなかできることではないな。ていうか、どういう動きになれば新い商品や企業を見つけれるのかなと、11月5日岸 博幸さんのお話を聴いて思ったことです。
岸さんのお話はあっという間に終わってしまって、もう少し聴いていたかった感じでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハム

2014年11月10日 | Weblog
本を読み返してみた。佐藤優さん「人間の叡智」。
以前に読んでいたのだが読み返してみる。ここのところ、旧約聖書のある部分が気になっていて、なぜだ、なぜだと思っていたところに再び読む。
人間の叡智 (文春新書 869)
佐藤 優
文藝春秋


佐藤さんの本を読んでいると、シンプルな感じで書かれてあるようなのですが、見たことがないような字や言葉、いろんな人物、そしてその人物の出来事などが書かれてあって、新しい世界が開けるような感じです。あと何と言っても、他のストーリーとリンクすることが多くて、また、こうなのだろうなと感じることが多い。

旧約聖書の気になる所というのは、創世記に書かれてあるノアと息子達のストーリーです。
創世記9-20『さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いから醒めると、末の息子がしたことを知り、こう言った。
「カナンは呪われよ
奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」』
このお話の意味は何なのだろうと、しばらく思っていたのです。旧約聖書のことだから、そのままストレートではなく、解釈であって、その裏にある愛のはずなのですよ。
お話のタイプ的には、黄泉の国で見てはいけないというのにイザナキがイザナミの姿を見てしまった話とか、また「鶴の恩返し」のように見てはいけない物を見てしまって話が動く系統なのかなと思ったりしていたのですが、それだけじゃないなとしっくりこなくて、そんな時に佐藤さんの「人間の叡智」を読んでみたところ、この話は「後継者選び」なんだなと感じました。
「カナンは呪われよ」の「呪い」は「願い」の意味。マイナス的な感じがするのですが、プラス思考で考えると「試練」の意味なのかなと思いました。ハムに試練の試練を与えよという感じでしょうか。いろんな試練、いろんな訓練が後継者には必要なのですね。

ノアは、エリート。つまり神にお願いされた人。神に魅入られた人だと思うのですが、ノア的には、この神に魅入られたことが辛いことで、なんといいましょうか、呪縛的な感じだったのかなとも思ったのです。そうなってしまったからには、もうそれからは逃れられない呪縛でしょうか。
ノア的には、実はそれが辛くて折れそうな時もあった。ノアには後継者が必要で、その後継者は引き継いでいかなければいけない。だからこそ「試練」を与えた。
エリートとは、いいことばかりではなくて、いろんな状況に陥るのだと思います。それは現代の状況をみていても思います。それで「脆さ」もあると思います。エリートであり続けるというのはリスクもあるのかなと思うワケで、それに打ち勝っていくには試練、訓練が必要なのかもしれませんね。
最近、本を読んだり、お話を聞いたりしていると「エリート」という言葉を目や耳にします。
今、このエリートが動いていないというか、動きにくい状況なのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする