夢中人

sura@cosmic_a

感激

2008年10月25日 | Weblog
最近、テレビをすっかり観なくなってしまった。。。
というか、必要以外のものは観ない様にしているので、観ることはないかなぁと思っていたら、
なんと今日、通勤途中に大型ビジョンがあるんですが、そこで。。。そこで観てしまった
萬斎様のコーヒーのコマーシャル
朝から大画面で観る萬斎様もステキだった。
くぅ~感激っ
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経済

2008年10月22日 | Weblog
経済ってさぁ、いったいどうやったら上がるの?
意識的に上げようと思って上げられるのも?いや、それができるんだったらやってるよね。
うんうん。どうやったら売り上げあげられるかなぁと考えるのと近いかな?
たぶん、答えがないのかな。時代とか地域によってもやり方が違うだろうし。
でもさぁ、何のために経済を上げるの?
経済が上がると、仕事があってみんなにお金がいきわたり、そのお金で生きていけるから?
お金があれば、お腹がすいたら何か食べれるし、病気をしたら病院へ行けるし、
勉強がしたければそれもできるから?
もっといろいろ理由がありそうなんだけどそんなとこかな?
でさぁ、経済って誰が上げるの?
やっぱり経済を上げるのは、その国の国民じゃないかな。
その国の国民が一生懸命に働いて経済を上げるんだよね?
理想とか目標をもって一生懸命に働くのかな。
国民の一人一人が経済にかかわっているんだね。
ちょっと前までは自分には関係ないことだと思っていたけど,
そうじゃないんだね。

先日の国会で、与謝野経済財政担当大臣が「お金を使わずに経済を上げる」と
言われていたような気がするんです(なぜ「そんな気がするんです」なのかとういうと、
ここの所で、ちょっと他のことをやっていてはっきりと聞いていなかったんです。でも、そう言われていたと思う)。
「お金を使わずに経済を上げる」ってなんか「わらしべ長者」みたいなお話みたいだなぁと思いました。
今までの常識だと経済を上げるにはお金が必要だったのかな?
その辺よくわかんないだけど、これって国民の「意識」ってことかな?
「意識」によって経済を上げる?
・・・もしかして、私?きゃははははは~まさかね~。
って、少しでもそれができるのならば自分なりなんですが、がんばらさせていただきます。

でもだよ、もしもだよ、経済があのバブルのころのように上がったらだよ
単純にあの頃に逆戻り?
だとしたらあまりよくないと思う。
それは何かといったらホラホラ、あの「ジュリアナ」とか。。。あんまりよろしくなかったですよね。
あとですよ、確かあの頃だったと思うんですけど、駅のホームで電車を待っていたら、
中学生くらいの男の子が向こう側のホームにいる友達に何かピーンと親指で飛ばしているんですよ。
で、向こう側のホームのお友達もなにかピーンと飛ばしているんですよ。
その飛ばした物が線路内に落ちたからなんだろうと思って見てみたらお金だったんですよ。
500円玉だった。。。
あの中学生くらいの子達は今いったいどうなっているんだろうかとたまに思うんですよ。
経済が上がってですよ、こんな風になっちゃいけませんよね。
。。。なんていうかぁ。。。経済が上がるにつれて、やっぱり「文化力」も上がらなきゃいけないかなぁって。
日本には、すばらしい文化という宝があるわけですよ。
経済とともにその「文化力」もぐんぐんと上げればあの頃とは少しは違ってくると感じるんですけど。

とりあえず、経済がなんなのかあんまりよくわかっていないので、図書館にて本を借りてみました。
「コーヒー一杯からわかる経済」というやつです。ちなみに、同じようなタイトルで2冊ありました。
どっちにしようかなと迷いましたが、わからなかったのでどちらも借りてみました。
どこまで理解できるかわかりませんがまじめに読んでみたいと思います。
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「食」への行動

2008年10月21日 | Weblog
先日、国会を観ていたら、石破農水大臣が、みんなが朝ごはんを食べるだけで経済というやつが少しは上がると言われていた。

そうなんだ。。。じゃぁ、朝ごはん食べなきゃ。
って、私は毎朝朝ごはんは食べています。朝ごはんを食べなきゃやってられません。
これってできればお米がいいということですよね。
コンビニのおにぎりでも同じことなのかな。
朝ごはんをみんなが食べれば経済が上がるってことは、やっぱり経済とは生活の中にあるんですね。
それはなんとなく理解できます。
ならば、朝ごはん食べよう運動をしなきゃなんですね。
他にも食べ物でいろいろ言われていたんですけど、「ご飯を一口多めに食べる」「国産小麦でできたうどんを一月に3玉多く食べる」
「国産大豆でできた豆腐を一月に(確か)3丁多めに食べる」と、経済が上がるということでした。
へ~と思って、ご飯にうどんに豆腐かぁ。。。そっか、だったら鍋だなぁと思いました。
そういえば、ちょっと前にも鍋は経済を上げるメニューといっていたような気がする。
でもこれって「国産」というのがポイントじゃないかな。
「国産」じゃないと意味ない?
などといろいろ考えてみながらスーパーへ行って、国産大豆でできた豆腐を買ってみました。

豆腐は大体おいしいからなんでもいいだろうと思っていて、いままで気にしていなかったけど、
この豆腐はおいしかった。まろやかな豆腐だった。
原材料を見てみれば、北海道十勝産丸大豆だとが。国産大豆って北海道でつくられているんだぁ。
へ~北海道といえば、酪農とかじゃがいもでしょう。蟹やシャケなどなどのイメージが強かったなぁ。
で、このお豆腐は、わが長崎県の西海の海水塩でふくらませ、にがりのみで造りあげましたとのこと。
そうですか。北海道産の大豆に長崎西海の海水塩使用なんですね。
でも、このお豆腐自体がつくられるのは広島県みたい。
日本のあっちこっちの要素が入っているわけなんですね。うんうん。
でもこのお豆腐本当においしかった。パッケージもかわいいし。
他の国産大豆使用の商品も試してみたいと思います。
でも、すっかり、私の中では今回買ったこのお豆腐がお気に入りとなってきています。

そうそう、そしてね、もう一つ石破農水大臣が気になることを言われていたんだよね。
それは、日本が捨てている食べ物の量の事。それがグラフにされていたんだよね。
そして、その下には、食べ物がいきわたらない国への援助されている食べ物の量が表されていた。
。。。びっくりしました。よくない。よくないよ。
食べ物のことさぁ、まじめに変わっていこう。いろんなことを含めてかわっていかなきゃいけないみたい。
このままの状態じゃ絶対いけないと思う。
あのグラフを見るとあせるよ。
食べ物がいきわたらない国への食べ物の援助もとても大事なことだと思う。
でも、その前に自分とこの国がどんな状況なのか確認してみようよ。
いまのままでいいはずないよ。

ずっと昔は、神様に対して、秋にちゃんと食べ物が実るようにとお祭りをしたり祈ったりりしたようだけど、
今はそれだけじゃないような気がする。
今は、それらと共に、食べ物が無駄にならないようにと祈らなければいけないような気がする。
そして、一番大事なのは、自分達が行動することだよね。

あともうひとつあった。
あともうひとつ石破農水大臣が気になることをいわれていたんですよ。
それは「自給率」の事。
最近、食べ物の国内自給率を高めようと言っているね。
で、自給率の出し方も単純じゃないみたいで、大臣がいろいろとご説明してくださっていたのだけれど、
家畜の餌が輸入品だと国内自給率としては加わらないみたい。
国産のお肉といってもその食べている餌は輸入品なんだね。
で、今、国内にある水田で、6割は使用しているんだけど、4割があいているんだって。
確かにそうだなぁ。どこへ行っても使っていない水田があるもんね。
その4割あいている水田を利用して家畜の餌となる作物をつくろうと思われているみたいなんだけど、
その餌となる作物は、高くで売れないらしく、そうすると、それをつくった農家の方へお金が入らないみたいなんですよ。
だからそのところは、生産者と消費者の連携をつくってなんとかしなきゃだなぁと思ってるとそんな風なことを言われていました。
(これは、私が聞いた感じの印象で書きました。)
生産者と消費者の連携ですか。これって今までなかった事だっていってたなぁ。。。
どういうことかなぁ。。。お買い物をする時に、今までとはちょっと意識を変化させればいいのかな。
私的には、国産品というのをちょっと意識してお買い物をしてみようかなぁなんて思っています。
。。。それだけでいいのかな??
どうなのかわかんないけど、とりあえず今すぐできる行動としてはそれだなぁと思って、行動にうつそうかなぁって感じです。
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正体

2008年10月20日 | Weblog
・・・実は、今の金融危機といわれることがよくわかっていないんです。
なんで株価が経済とやらに影響するのかわからない。
テレビからは、以前の世界大恐慌に近い状態とか言っていて。。。それって、
確か、映画「タイタニック」のローズのフィアンセがあの後、それにぶつかって
死んじゃったってやつだなという感じで、つまりお金持ちが困るってことかなと思ったけど、
いや、違うような気がする。それだけじゃない。。。ね。

世界経済とはなんぞや。。。
今考えてもわからないので他の話にします。
。。。どれくらい前だったかなぁ、こんな言葉を聞いたことがあります。
それは「借金も財産のうち」という言葉です。
この言葉を聞いたときに「へ~そうなんだぁ」と思ったんですよ。
でもだよ、よくよく考えてみたらなんか違わなくない?
もし、それが本当にそうだとしたら危険な香りが漂ってると思うけど。
なにか別の意味合いを含めて言ってるのかな。
借金するってさぁ、借りているお金であって、その物は自分の手元にあって実際に使っているんだけど、
正式には自分の物じゃないってことじゃない?
そのへんの感覚が麻痺してくると大変なめに会いそうな気がする。
例えばだよ、100万円のお買い物をする時どうする?
私の返済計画は、私のやりくりの才能で100万円近く溜めて、とりあえず80万円を払い
あとの20万円近くのお金をローンにしてもらいます。
それはそれぞれ一月1万円払いにしてもらう。そうすれば無理がない。
この100万円お買い物するのに全部ローンにするのは、そーとーな度胸が必要です。
100万円お支払い完了するまである程度の期間が必要になってくるわけでしょう。
それまでの間に自分になにもないとは限らないし、あんまり期間が長いと利息が沢山付いて損な感じだもん。

この金融危機の影響で、今月の28日にアルカス佐世保にて予定されていた
アイスランド国立交響楽団の初来日公演が急きょ中止になっちゃったんです。
理由は「楽団スポンサーの銀行や投資会社の経営が悪化し団員約100人の給料が払えず
来日できなくなった」とのこと。
この交響楽団は他にも東京や大阪など全国5箇所で公演を予定していたそうです。
このことからして、この金融危機って、急に勢いよく押し寄せてきた感じですかね。
じわじわじゃなく、津波のようにいきなりザバ~ッときちゃったのかな。
。。。ていうか、お金自体の性質がそんなもんなのかな。意外にもろい?
株ってさぁ、変動するんでしょう。株が上がるって、その本当の価値より上に見えてしまうということ?
その場合、架空の上がり具合ってありかな。
本当は、その株価の価値じゃないんだけど、そういう風にみせちゃうような。
例えば、なんでもない人が、ブランド品を身につけているだけで錯覚をしてしまうような感じ?
遠めに見ていたら、あの人お金持ちっぽそうと思うけど、近くによってみて、よくよく話してみたら、
身につけていたブランド品は、すべて借り物(借金)で、ただお金持ちっぽく錯覚していたという感じと同じかな。
もしそうだとしたら、その錯覚にたよって生きてる人たちがいるということ?
まぁ、自分を素早くよくみせるには、ブランド品や流行のものを身につけるのが手っ取り早いよね。
それを借り物(借金)でできちゃうわけだ。
でもでも、そこは、身につけてるブランド品が本当に自分の物だという方もいらっしゃるわけです。
全ての方がそういうわけじゃないと思う。
なんていうかぁ。。。「地に足をつけて」という言葉が適当かどうかはわかりませんが、
いきなりポーンと上がっちゃうんじゃなくて、一歩一歩地道に上がっていくのがいいということだよね。
その方が架空の体験じゃなく、実際の体験ということになるから、それは確実に自分のものというわけだよね。
ちゃんと自分のものだから、なにかあったらちゃんと対応できるわけだ。
ちょっとは外からの影響は受けるかもしれないけど、でも大丈夫。
。。。今ってさぁ、架空で成り立っている世界が多かったりするのかな?
もしそうだとしたら、手っ取り早いのを選ぶということだ。
スピードという表現じゃなく、手っ取り早さなんだ。
そういえば「実態経済が見えない」という言葉をきいたことがあるけど、そういうことなのかな?
架空の分があるから見えないということなのかな。。。

「借金も財産のうち」という言葉はやっぱり微妙だよね。
自分にその借金を返済できる確実な能力がある場合はどうかはわからない。
この言葉は、全ての人にはあてはまらいということだ。
まぁ、その借金を糧に一生懸命に働くという手もあると思うけど。
借金があって、返済するまでは気を抜いてはいけないから、がむしゃらに働いて、
返済が終わったら、いろんなものが確実に自分の物になる場合があるかも。
でも、できればそうじゃない方がいいよね。

なんていうか、このお金の話は深そうだよね。
もう少し考えてみようかな。なにか世界がありそうだよね。
正体がある?。。。いや、なにもその実態がなかったりして。。。
なんだろう。。。なんなんだろうね。
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最近読んだ本

2008年10月10日 | Weblog
最近読む本は、外国で生活をされている日本人の方が書かれた本をよく読んでいます。
別に意識してそうしているわけじゃないけど、なぜかそうなっているみたいです。
そのなかで、バサ~っと斬りまくっている本がありました。
とりあえず、作者の方のお名前は書かないでおきます。2002年に書かれたものです。
本のタイトルのわりに、内容的には重要な感じがしました。
なんというか、今まで読んだ本のなかで辛口というか、超辛口。
的を得ているのか、説得力があるというか、すごい。
ワイドショーのコメンテーターのことについてもバサ~っと気持ちいいくらいに斬ってくれています。
やぱりそう思う方っていいますよね。本当にそうですもん。

本の内容は、日本人としてあれやこれやまじめに考えなければと思うことばかりでした。
読んでいくうちに、自分はこう思うかなと考えもでてくるのもあって、自分の中でまとまったら、いつかここに書いてみようかなと思っています。
でも、その中でちょっとわからないかなと思うこともあって、それは「外務省」のことについてです。
そういえば、いろいろありましたよね。
そのころはあまり気にせずにぼ~っとテレビを眺めていただけですから、あまり気が付かなかったけど、すごい意味あることだったんですね。
。。。ですよね、特に意味の無い行動なんかしませんよね。
その本を読んでいて思ったんですけど、外務省の大使のお仕事というのは、家柄がよくて、頭が良くて、立ち居振る舞いが美しく、なんというか、優雅さをアピールするお仕事なのかなと感じました。
まぁ、外国の舞台に立った時に恥ずかしくないようになのかなとも思いますが、その中で
気になったのが、一族が占めているということ。
なんでかな。。。その一族が経営している会社じゃないんでしょう。家柄がつきまとうということ?
なんかそんなこんな読んでいくうちに、飛鳥時代の蘇我一族みたいだなぁと思った。
で、え?と思ったのが、天皇誕生日パーティーが大使館であるらしく、「お誕生日おめでとうございます」と大使夫妻に言うとか。
なんで?お誕生日を迎えられたのは天皇陛下なのに、なんで大使夫妻に言うの?
なんか違うような気がする。
大使は天皇陛下じゃないと思うけど。
。。。なんていうか、そんな伝統というか、そんなのを守っていきたいんですかね。
6年前に書かれた本だから、今はどうだかわかりませんがそこまで極端に変わっていないような気がする。
はっきりいってしまうと、今風じゃないよね。お高くとまっているのって今風じゃないと思うけど。
だってだよ、天皇家もだよ、確か昭和天皇までは一族内で結婚をしていたとききました。
でもだよ、現在の天皇陛下のお妃さまは、日本人女性のお手本である美智子様ですよ。
美智子様は、民間から選ばれたお妃様だし、それに、雅子様だって、紀子様だってそうじゃないですか。
皇室のほうが先にいってる感じですよ。
でも、なぜかその回りは時間が止まっているということなんですね。
で、思ったんですよ、こういう人達といざこざがあるのかなぁって。
きっと居心地はいいんでしょうね。そこで改革なんざやられたら、たまったもんじゃない。
今までとは変わっちゃうわけですよ。嫌なんですね。きっと。

よくテレビで官僚はこんなにひどいんですよ~と言ってるかと思えば、
官僚経験者の方がそうじゃないんだと言ってるをみかけたりして、
いったいどっちがどうなんだと思うことがあります。
ムム~、縁がない世界なのでよくわかりません。
じゃ、ちょっと見に行きましょうかといっても超場違いの世界。
やっぱり聞いたことで想像するしかないか。。。いや、もうちょっとその関連の本を読んで。。。
でも、一目見ればわかりそうな気もするなぁ。。。
って、思うところまだまだいっぱいありますが、今日はこの辺で終わります。
また続きを書きたいと思います。
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人柄

2008年10月08日 | Weblog
私は日本人であるため、テレビに出ている日本人のタレントさんたちを
なんとなくこんな感じの人かな。。。ぐらいには感じ取ることができます。
それは、社会人になって、人に多く接するようになってついてきた力だと思います。
でも、それは、日本人でしかわからないんですよ。
つまり、外国の方はあまりつかめないということなんです。
外国のタレントさんで、中身を感じている人って、実はあまりいないんです。
それはなぜかというと、ものすごく美しい女性がいるとするじゃないですか。
きれいだとはわかるんですけど、その美しい女性の写真の撮り方に疑問があるんですよ。
外国の方でよくにらみつけて写真をよく撮ってますよね。
あれが私には不思議に思えるんですよ。
ものすごくキレイにしているのに、なんでにらみつけているんだろって感じなんです。
そんなにらみつけるよりも、ちょっと自然な感じで微笑むほうがよくありません?
なにかにらみつけるってガードしていますよね。それって「素」を感じられないじゃないですか。
見た目の美しさもいいんですけど、その人の「素」を感じるって大事だと思うんですよ。
あと、お化粧もあると思います。
お化粧も濃すぎると「素」がわからない。あれもガードのうちにはいるんですね。
。。。でもそんな外国人タレントさんのなかでめずらしく中身を感じる方がいます。
それは、ケイト・ブランシェットさん。

なぜかこのブランシェットさんは、人柄を感じるんですよ。
なにか自然な感じを受けます。

こないだ、ブランシェットさん主演の「ギフト」を観ました。
ホラー映画の部類なんだろうけど、ちょっぴり胸キュンなんですよ。
ホラー映画には条件があると思うんですよね。
1つに意味がわかる。これあたりまえだと思うんですけど、たまに意味がわからないのがあるんですよ。
意味がわからないから、恐いシーンもなんでこうなったの?とチンプンカンプンの時があるんです。
2つに美しくなければいけません。見た目が美しいでもいいかもしれませんが、ストリーが美しくなければいけません。
3つに感動がある。たましいのお話ですからそこに感動がなければいけないんですよ。心に響くものじゃないといけません。
この条件が当てはまった映画はですよ、ホラーと言っちゃいけないような気かするんです。
ホラーじゃないんですよ。なにかいい言い方ないですかね。

ところでこのブランシェットさん主演の「ギフト」。
心に残る場面もあって、やさしかったおばあちゃんが出てきて、「おまえの感じることを信じなさい」といっていた。
そして、裁判のシーンだったんだけど、「このギフトは、自分の得の為に使っちゃいけない。
多くの人々の為に使わなくちゃいけないんです」といっていた。
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2008年10月08日 | Weblog
「塔」ってナニかな。
「塔」ってさぁ、深い意味がありそうだよね。
歴史上の中でも、上の方に高い高い塔(建築物)というのがある。
日本では、「五重塔」というのがあるよね。
五重塔って、どんな意味があってできたんだろうと、なにげなく思っていて、
そして、ある日、なにげなく携帯電話の電波塔が目に入ったんですよ。
私は思いました。きっと、これと同じ意味合いじゃないかなって。

五重塔のことをネットで調べてみたら、「塔が高層化したのは、境内に入れない一般の人々が
離れた場所から参拝できるようにしたため」とあった。
それもあるかもしれない。
でも、私は、「塔」の一番の目的は、電波を発信することだと思うんですよ。
法隆寺なら法隆寺で築き上げられた思いを五重塔から発信しているんです。
法隆寺の周りに住んでいない遠くの人にも、その電波が届くように塔を高く高くして
より多くの人々がその思いをキャッチできるようにしたんだと思います。
キャッチするのはきっとハートですね。「心」でキャッチするんです。
日本にはいろんなところに三重塔、五重塔がありますが、今現在もその電波は発信されているのかもしれませんね。

「塔」ってよくよく考えてみたら、生活を守ってくれるものなんですね。
電波塔にしてもそうなんですが、鉄塔にしても重い電線を担いでくれて私達の生活を守ってくれています。
「塔」ってある意味守り神かな。。。
 

法隆寺の五重塔はどんな思いを発信していたのかな。
みんながちゃんと暮らせていって生きていき、学んでいけるようにかな。
一歩でも「絶対知」に近づけるようにとかな。。。

最近思うんですよ。人は学ぶためにこの世に生まれてくるんじゃないかと。
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吾唯足知

2008年10月07日 | Weblog
ガス屋さんが発行している生活情報誌がある。
ずっと以前から私的には気に入っているものです。なんかいいんですよ。
今回の表紙は「豊」と一文字。
こちらは、書道家の武田双雲さんが書かれたもの。
そして、武田さんのコメントもあって、それには「僕らは、どれだけの物質的な豊かさに囲まれれば満足できるいきものだろう。
先祖の努力によって積み上げてきた豊かさを想像し、確認し、感謝し、できるかぎり心もみたしていきたいと願う」とあった。
本当にその通りだと思う。

先日訪れた龍安寺に「つくばい」がありました。
 
そのつくばいには文字が刻まれてあり、中央の水穴を「ロ」の文字に見立て、周りの四文字と共有し「「吾唯足知」とのこと。
「ワレタダタルヲシル」。禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道だそうです。
意味は「禅の格言を謎解きに図案化された」とあるから、ある程度は自ら出した答えがそうなのかもしれないけど、
「知足」というのは、「満足することを知る」「分に安んずることを知る」の意味みたいです。
なので、おおまかな答えは「知足の者は貧しいといえども富めり、不知足の者は富めりといえども貧し」のようです。
でも、これは謎解きなんですよね。
自分なりの答えをだすんです。そこに自分が映し出されるんですね。
今、「禅」に興味を持ち始めている自分がいます。
「禅」ってなにかな?。。。今の感じからすると「鏡」かな?
「己を知る」ということかな。人を見る目も大事なことだけど、それよりも自分を見極める。
今回、京都・奈良に行って感じたことがありました。
それは、日本は「大人な国」ということ。
すごく大人な感じを受けました。

ステキですね。
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そうだ京都行こう

2008年10月07日 | Weblog
JR東海 そうだ京都行こう。 龍安寺


「ここには石と砂でできたクイズがあります」


「何百年も正解のでないクイズです」


「あ、わかった・・・かな」


「京都には1200年分の謎があります」
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稲穂

2008年10月04日 | Weblog


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
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玄武

2008年10月04日 | Weblog
先日、飛鳥時代では亀を神様と思っていたんじゃないかと書きましたが、
それはやっぱりそうだったらしく、亀の神様のことを「玄武」とお呼びするみたいです。

↑こちらが「玄武」です。
亀なんですけど、蛇と合体しておられるみたいです。
こちらの絵は、明日香村にあるキトラ古墳で発見されたみたいで、他にもあって、
東西南北の壁の中央の四神として、北に玄武、東に青龍、西に白虎、南に朱雀の絵が画かれてあったそうです。

へ~。。。と思っていて、それでこないだ「陰陽師」を観たんですよ。
そしたら、一番初めにこの四神が出ていた。
。。。この「陰陽師」にしろ「陰陽師2」しろ、なんか・・・なんかなんですよ。
じっくり観るといいのかな(・・・って、何度も観てるし)。
なんかね。。。なんか隠されている?
。。。って自分の願望もあるかもしれないけど、それだけじゃないような。。。でも願望?
。。。でもさぁ、違うかなぁ。。。どうかなぁ。。ムム~。。。
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宝の地図

2008年10月01日 | Weblog
京都では、龍安寺に行ってきました。
龍安寺には、「枯山水」がありました。「枯山水」。。。私は本当に驚きました。
庭なんですけどね、なんと言っていいか、ものすごく影響力のある庭なんです。
この庭は、ある意味、お仏像と同じ力があると言っていいかもしれません。
。。。いや、もしかしたら、お仏像よりすごいかも。

この枯山水を目の前にすると、時間がゆっくりと進むんですよ。
きっと、どんなにあせっている時でも、この枯山水を前にすると、スッと時間がゆるやかに流れるエリアに
はいるんじゃないかと思うくらいです。
そして、その庭の前に立ち尽くし、いつしか座り込んでいるんです。
座り込んでしばらくすると、いろんなことが見えてくるんです。
この庭は「哲学」を与えてくれる。そう感じました。

龍安寺は、「もと徳大寺家の別荘を、宝徳2年(1450年)に細川勝元が譲り受け、
禅寺に改めたが、戦火で焼失し、明応8年(1499年)細川政元が再興した。
美しい鏡容池は藤原時代の由緒をとどめ、方丈前庭の枯山水庭園は俗に虎の子渡しと称されて有名である。
禅では、自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し、
その自覚を通して出てくるものは、山川草木ことごとく神、仏であるとするが、
この庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間、空間を越えて、
静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう」
。。。龍安寺の入場券の裏に書いてあった文章です。
「永遠に新しい庭」「静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭」
まさに、まさにその通りだと思います。
すごいっ!!本気ですごいと思います。

この龍安寺の枯山水の作者はわからないと聞きました。
ここに来る前に、ネットでここの画像を観ていたんですが、それとは全然印象が違いますよ。
目の前にしなければです。
それと、他の枯山水もちょっと拝見しましたが、そこのとこの龍安寺の枯山水は違いました。
外国の方も多くて、この枯山水の前でジ~っとされていました。
誰もがそうなるでしょうね。
。。。だからして、独り占めしたいんです。
もし、それが出来たら、贅沢ですでよね。超贅沢。そんな贅沢したいかも。
 
 
飛鳥から京都へ移動しましたが、飛鳥は外国の影響が色濃くありました。
そして、京都はすっかり日本でした。
日本は、外国から取り入れさせてもらった文化を上手に、そしてステキに自分達風に変えていったんですね。
今、グローバル化になりつつあるんですよね。
変化していくというのは、いろんな意見があって、不安もあると思うけど、
日本人には、日本風にかえる創造力(想像力)があるんですよ。
そして、いままで培ってきた「精神」を失わなければ、いい方向にいくんじゃないかと感じます。
変化していくには、いっぱいいっぱい話し合いをしなければなんですね。


今回、この飛鳥時代に気が付いたことで、「宝の地図」を手に入れたような気がします。
宝物はあっちこっちに眠っているようです。
眠りから目を覚ませなければ。
きっとうまくいく。
宝の地図はそうささやいているようです。
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遺言

2008年10月01日 | Weblog
602年(推古36年)に推古天皇は死去されたそうです。
その臨終に際し、後継者の田村皇子(舒明天皇)に対し、
「天下を治めることは大任だから、慎重に考え、軽々しいことは言ってはいけない」と遺言したそうです。

。。。これってですよ、私は思ったんですけど、推古天皇は今とか変わらない状況にあったんだろうなぁと。
言葉の解釈を、あーでもないこーでもないといわれたんじゃないかなぁってね。
これが遺言だったってことは、もしかしたら、ここの部分で結構苦労したのかも。
「あなたはその部分大丈夫かもしれないけど、でも、注意しといたほうがいいよ」ってね。
。。。と、思いつつ、
「でも、その部分注意しすぎちゃうと、あなたらしさがなくなっちゃうからそれも注意してね」
だったんじゃないかな。
そう思うんです。

天下を治めるって本当に大変なことでしょうね。想像を超えるものがあると感じます。
「慎重に考え、軽々しいことは言ってはいけない」。。。それはそうだと思います。
でも、政治は人が行うものでしょう。ロボットがやるわけじゃないんですよ。
ロボットは「失言」とやらをしないかもしれない。
もしかしたら、今の感じからすると、政治家さん達にロボット人間になれと言ってるのかな。
そんなの嫌だ。
それを強く求めているのがテレビだろうね。
一方では人の温かみ風を言っておいて、もう一方では完璧ロボットになれですか。
偽善だよね。
しかも、さんざん他の人のことを好き放題に言っておいて、ちょっと自分達が言われれば、
「報道の自由だ!!」とすぐに吠える。

私は、報道はボランティアであるべきじゃないかと思うんですよ。
そこに、売り上げとか視聴率などの数字が出てくるからゆがんでしまうんですよ。
きっと、推古天皇はどこかで今のテレビを観ているでしょうね。
そして「テレビ、いつか必ずぶっ壊しますから。覚えておきなさいよ」と思っているはず。
フフフ。。。マジで思ってますよ。。。
         フフフフ。。。。。
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ふたたびの奈良

2008年10月01日 | Weblog
JR東海 いま、ふたたびの奈良へ。 2006年 冬 法隆寺編



「一瞬にして、飛鳥の時代に引き戻されるようです」


「斑鳩 法隆寺」



「以和為貴」



「ここから生まれた日本人の心は、今の世の人にこそ大切なことなのかもしれません」



「今、ふたたびの奈良へ」

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