夢中人

sura@cosmic_a

未完成

2009年04月22日 | Weblog
「未完成」という言葉がひっかかりました。

どこでひっかかったかというと、東京ディズニーランドに新しいアトラクションが
出来たということで、その宣伝だったんですけど「ディズニーランドは永遠に完成しない」とあったんですよ。
この言葉を聞いた時、非常に目の前に広大な広がり感を感じました。

この「未完成」からいろいろなことを思いました。
「完成」というのはある意味終わりなんだなぁ。。。とか、
「完成」を求めるんじゃなく、その時に合ったものを求めていくんだなぁなどなど。。。

生きている限り「完成」することはありえないですよね。
ということは、常に目に前に広大なものが広がっているということなんですね。



最近、衆議院議員の前原誠司さんのホームページをちょくちょくのぞかせてもらっています。
この前原さんをどこで興味を持ったかと言うと、国会を見始めるようになってからです。
前原さんのお話を聴いていると、熱意を感じてくるんですよ。
何かを感じてくるんです。すごく研究熱心で、すごく勉強をされているんだろうなぁと感じるわけです。
この前原さんのホームページの中で、どこが一番おもしろいかというと、
この「前原誠司の直球勝負」のところです。
これからの日本に対してのことなどももちろん書かれていますが、いろいろ読んでみると、
前原さんは義理人情がある方のようで、なにかこう、侍ってこうだったのかなぁと感じたり、
はたまた、サザンオールスターズのファンという今風なところもあられるようです。

そんな前原さんの直球勝負を読んでいてひっかかった言葉があります。
それは「フロンティア」という言葉です。
フロンティア・・・1、国境地方。辺境。特に、米国開拓時代の開拓地と未開拓地との境界地域。
         2、未開拓の分野。新分野。また、学問・技術の最先端。最先端の業績。
                             。。。だそうです。
      
「フロンティア」って、「未来」とか「最先端」みたいなイメージがあったけど、
やっぱりそんな感じだよな。前向きな感じ。
でも、その反面、「開拓していく」ということだから、環境破壊などの犠牲もあったりするわけですよね。
人間の「フロンティア精神」って尽きることがないのでしょうね。
いままでもそうだった。これからもそうだと思う。
今までは、「最先端」を求めることによって犠牲にしてきたものがあって、今それに気が付いて、
エコ活動が盛んになってきている。
今現在、そしてこれからのフロンティアはエコじゃないかな。
地球にどう負担をかけないかが「フロンティア」。そこって未開拓の場所ですよね。
これからは、そこに技術の最先端が集まるんですね。

前原さんは「広大なフロンティア」の開拓と書かれています。
目の前に広大な未来を感じます。
でも、その未開拓地というのは、気付いていかなければなんですね。
開拓者は先を読んでいかなければいけない。見えないものを見えるようにならなきゃいけないんだ。
これからは、地球に負担をかけない開拓。地球にやさしい開拓。
これって、政治家さんがとかじゃなく、国一丸となって開拓していかなければいけないんですね。



メキシコの地下300m下の洞窟に「結晶の洞窟」が発見されたみたいですね。
先日、その様子がテレビ放送されていていたんですが、釘付けになってしまいました。
水晶の大きい柱がいくつも横倒しになっていて、まるで別の惑星かのようでした。
その水晶の洞窟を研究者の方々が探査に行かれるのですけど、マグマが近いこともあって、
その洞窟の温度は45℃で湿度は100%ということでした。
なので特殊な冷却スーツを着ていないとその中に入れないという命がけの探査だったみたいです。
その冷却スーツを着ていても1時間が限度だそうです。

この「結晶の洞窟」は、たまたまみつかったみたいですね。
この洞窟付近は、鉱山だったみたいで、穴を掘って掘って堀りまくって鉱物を取っていたみたいで、
その堀まくっていた最中に作業員の方達がたまたま発見したと言っていました。
でも、この発見は偶然かなぁ。。。と思ってしまいます。
なにかここに地球からのメッセージがありそうな気もするけどな。。。

「結晶の洞窟」は50万年かけてできたものたとか。
。。。50万年とはすごい年月ですね。
もともとこの洞窟は、地下水に浸っていたみたいで、その中で結晶が巨大化していったみたいなんですよ。
たまたま発見できたのは、鉱物を採取するために地下水をくみ上げていていたからだそうです。
でも、その鉱物も最近では取りつくしたみたいで、その地下水のくみ上げ作業をやめるそうです。
と、いうことは、あの「結晶の洞窟」も再び水に浸かっちゃって、もう人間の目にふれることはなくなっちゃうんですね。
私的には、そっちの方がいいかもと思いました。
夢をありがとう。「結晶の洞窟」って感じですね。

でもですよ、再び水に浸かるということは、再び成長するということかなぁと思いました。
今の姿が「完成」ではないんですね。
あれは「未完成」の姿。それって「生きてる」証拠なんでしょうね。
あの「結晶の洞窟」は生きている。

この地球という星に生きている限り「完成」するということはないんですね。
それは、人も地球も生きている生命体なので同じなのかもしれないなと感じる。

「未完成」とは、たぶん「生きること」。
「未完成」がいろんなものを「生み出す」。
そして、それは「無限」に広がっている。

「未完成」とは、ある力が宿っている言葉かもしれませんね。
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仁王

2009年04月15日 | 狂言
「仁王」


博奕打 野村萬斎

何某 野村万之助

参詣人 月崎晴夫 高野和憲 竹山悠樹 時田光洋 岡 聡史 

男 深田博治

後見 野村万作 



博奕で負け続けて、財産もつきてしまった博奕打の男がおりました。
そのは博奕打困って、ある知人に相談すると、その博奕打を仁王の格好にさせ、
仁王が天下ったと触れ回って信心深い人々から供え物を騙し取ろうと提案するんです。
早速仁王の格好をし待っていたところ、期待通り参拝人が次から次へとやってきて、
さまざまな願い事をしては供え物を置いていったんです。
味をしめた博奕打が次ぎの参拝人を待っていました。
参拝人がやってきました。その参拝人はどうやら足が悪い様子。
少しでも自分の足が良くなるようにと、仁王の身体を触りまくるんです。
(どうやら中世では、仏像などに触ってよかったみたいですね。
今じゃ仁王様に触るなんてありえないのにね。この仁王の身体を触りまくるというのは、
自分の身体の悪い部分を治してくれると信じられていたんでしょうね)
偽仁王に触りまくる参拝人。触りに触りまくる。触りに触りまくる。あっちこっち触る。さらに触る。
仁王に扮した博奕打はくすぐったいくすぐったい。あぁ~くすぐったい。たまんないっ。
とうとう、くすぐったさに我慢できなくなった博奕打は動いてしまって、
正体をあかしてしまうんです。
驚く参拝人。まずいとばかりに博奕打は逃げていっちゃいました。
。。。と、こういうお話でした。

私はこのお話に「姿勢」を感じました。
この博奕打はお話の最初から「姿勢」が悪かったんです。それは自分でも感じていたのではないでしょうか。
この博奕打はある知人に相談にいくのですが、この時、どんな気持ちで相談にいったのかなと思ったんです。
本当は、自分の姿勢を正したくて相談に乗って欲しかったかもしれない。
でも、その相談相手は、さらに姿勢の悪い方向へと導いてしまったのです。
どんどんどん姿勢が悪く醜くなっていく博奕打。そうなっているところに現れた足の悪い参拝人。
その参拝人はその偽仁王を本物のの仁王と扱うことで化けの皮をはいであげたんです。
最初はうまくいったけど、そのあとはひどい目にあったと博奕打は思ったんじゃないかな。
もう、仁王になんてならない。。。と、同時にこのままじゃいけない、
自分は姿勢を正さなきゃなと思ってくれればいいなと思うんですけど。。。
でも、少しは反省してくれたかもしれませんね。きっとそうだと思う。
そう思わせてくれたのは、あの足の悪い参拝人のおかげですね。
参拝人がそう思わせた。
私が思うに、あの足の悪い参拝人は本当の仁王様なんですよ。
仁王様は博奕打のことを見ていたんですね。
博奕打の姿勢の悪さが目に付いてしまった。
だから、ちょっと痛い目にあわせて姿勢を正してあげようと思われたんです。

「姿勢」というのは、見た目の姿勢だけではないんですね。
生き方の「姿勢」というのもあるようです。
姿勢の正しい人は美しいといいますが、それは見た目の美しさでだけではなく、
生き方も含まれて言うんですね。

本物のの仁王様に姿勢を正しなさいと言われた博奕打。
そのことに気付けたのならば、姿勢を正していったはず。
そして、そのことがまわりの人々によい影響をあたえ、それらの人々から、真に心のこもった品物が贈られたはず。
きっとそう思うんです。

今回の狂言を見てわかったことは、
多方面の知性や教養を磨くことによって「豊かさ」は生まれるかもしれないし、
「美しさ」は、外見の美しさだけではなく、自分自身の中身の姿勢からも強く感じ取れるものなのかもしれない。
そしてまた、「豊かさ」と「美しさ」はひとくくりになるのかな?
たまたま観たお話が自分が最近気になっていたことと合ったのか、
それとも自分がお話にうつしだされたのかわかりませんが、いろいろ感じとれることができました。
「豊かさ」とはなにか「美しさ」とはなにか、もうちょっと感じていきたいと思います。
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萩大名

2009年04月15日 | 狂言
狂言を観に行ってきました。ああ。。。久しぶりだった。。。

「萩大名」

大名 野村万作

太郎冠者 竹山悠樹   茶屋  深田博治

後見 岡 聡史


長らく在京していた田舎大名がお国に帰る途中で、萩の花が美しいという庭園に
太郎冠者の案内で出かけるんですよ。
で、太郎冠者は、そこの庭主は来客者には、必ず一首所望するということを知っていて、
田舎大名にそのことを教え、さらに、その時に詠む歌まで教えるんです。
しかし、大名は歌に慣れていないのか、その歌をなかなか覚えられず、
太郎冠者は、このジェスチャーをしたらこの部分を詠んでというような感じで
なんとか大名に歌を詠ませようとしたんです。
そして、二人は庭園に入り、庭主に会いました。
そこで、庭主と大名が会話をするんですけど、ぜんぜんかみ合っていない。。。
で、庭主から歌を詠んでくれませんかと依頼があるわけです。
太郎冠者から教えてもらった歌がでてこない田舎大名。
打ち合わせしたようにジェスチャーで教えようとする太郎冠者。
でも、大名の口からはチンプンカンプンな言葉が出てきて、太郎冠者は
あきれて、大名が歌を詠み終える前にどこかに行っちゃったんです。
歌を詠んでくれと迫る庭主。
あせりながらもなんとか思い出し歌を詠み終えた大名。
そして、大名はその場から逃げるように立ち去っていくんです。
。。。と、こんなお話でした。

このお話を観て私は思いました。
この田舎大名は非常にもったいないことをしていると。
だって、大名に歌を詠む知識があったり、また、そこの庭は日本各地の名産品の
砂や岩などなどで創り上げられみたいなんですが、それらの知識も多少でもあれば
その庭主と話がはずんだことでしょう。
そうすれば、もしかしたらその庭主から、その名産品の入手ルートを教えてもらったり、
それらを扱っている人を紹介してもらえたかもしれない。
それをきっかけに自分の領土にもりっぱな庭を創り上げることができたかもしれないんですよ。
このお話の田舎大名は非常にもったいないことをしています。。。
そう、私が最近読ませたいただいた本「竹中式マトリクス勉強法」でいうところの
「人間力を鍛えるための人と人を結ぶ勉強」が足りなかったんです。
この田舎大名は、裁判に勝訴して国に帰ることになったみたいなので、
「人生を戦うための武器としての勉強」は身についていたのかもしれませんね。
でも、それだけでは人生は豊かにはならないんでしょうね。
やはり、勉強をする、教養を身につけるということは、人と人を結びつける潤滑油になるんですね。
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ブラッシュアップ

2009年04月08日 | Weblog
ブラッシュアップと言う言葉が目に留まりました。

ブラッシュアップ。。。みがき上げること。学問などの再勉強や鈍った腕や技のみがき直し。
また、一定のレベルに達した状態からさらにみがきをかけること。
。。。だそうです。
このブラッシュアップと言う言葉をどこで目に留めたかというと、
2007年ミスユニバースの森理世さんのインタビュー記事からです
理世さんの今の目標は、英会話力をさらにブラッシュアップすることだとか。
彼女のこの姿勢はとてもステキですね。
ミスユニバースとなってそれに満足することなく、さらに自分自身に磨きをかけていこうとする姿勢。
もしかしたら、そこに「美しさ」の原点があるのかもしれませんね。
また、その記事を読みすすめていくと、理世さんは「とても厳しい家で育った」とありました。
私はちょくちょく感じるのですけど、美しさを感じる人を知っていくと「厳しい家だった」と言う方が多いように思えます。
きっと躾などに厳しかったのでしょうね。
この「厳しさ」という環境も「美しさ」の原点なんでしょうね。
そしてさらに理世さんは、食生活は和食が中心だとか。
「炊きたての白いご飯、旬のお野菜、お魚があれば十分!」とありました。
。。。もしかして、和食も「美しさ」の原点かな。。。というよりも、バランスのよい食事なんでしょうね。

理世さんのブログがあったので読ませいただきました。
ミスユニバースの活動が書かれてあったりでとても楽しく読めました。
でもこの楽しく感じたのは、理世さんの元気でしょうね。
ブログの中の理世さんはめっちゃ元気。ブログから元気をいただいたような気がします。
よく聞きますが、美しさの秘訣は「健康であること」だと。
理世さんのブログは健康感が溢れていたような気がします。

そしてさらにブログを観ていると、彼女が創り上げられたと言う感じはしないんですね。
なにかこう自然なんですよ。
彼女のよさがさらに引き出されたという感じでしょうか。
そこはやはり、マスコミでもなんどかお目にかかったことがあるイネス・リグロンさんという存在なんでしょうね。
彼女からのメッセージを読んでいると、本当にありがたいかぎりです。
いろんなアドバイスをいただいています。
「日本のトレンドは内面ではなく、外見の美しさに重点が置かれているようです」とありました。
そしてまた、「40代が人生で最も美しく輝ける年代だと信じています」とも。
Arounnd40の私としては、とても心強いものを感じました。
というか、このイネスさんのメッセージを読んでいるだけで心が動かされます。

2007年の世界で最も美しい女性として選ばれたのは日本人女性。
ミスユニバースコンテストにはあまり興味がなかったけど、理世さんを通してみてみると
そこにはやはり意味があるようですね。
ちゃんとしたメッセージがあるように思えます。
「美しさ」とは何か。
このミスユニバース達からのメッセージを少しでも感じれればなと思います。

そして、もうお一人、ミス・ユニバースということで知花くららさんというお方がいらしゃいますよね。
くららさんは、2006年ミス・ユニバース世界大会で第2位に輝かれました。
テレビや雑誌を見ていると、感じのよさを感じるというか、それもやっぱり「健康的」な
ところから感じるものなんでしょうか。
くららさんのブログを読ませていただきました。
そしたらなんと、くららさんはこの4月から短大に通われるとか。
くららさんもさらにブラッシュアップされているんですね。

私ですね、くららさんみたいに社会人が再び学校に行って学ぶということが
すてきなことのように思えるんですよ。
私の大好きな「ベルサイユのばら」を描かれた池田理代子さんは45歳にして音楽大学に行かれた。
そしてまた、プロ野球巨人のエースとして活躍された桑田真澄さんも、早稲田大学のスポーツ科学研究科の
修士課程1年制コースでスポーツビジネスを学ばれるとか。
すばらしいですね。
みなさん、さらにブラッシュアップされているんですね。

ブラッシュアップされている方は輝いている。当然ですよね。
そんな方々を見ていると、いろんなことを思ったり考えたりします。
ブラッシュアップとは、自分の意思で自分自身を磨き上げることなんでしょうね。

「ブラッシュアップ」とてもステキな言葉をみつけたように思えます。
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