夢中人

sura@cosmic_a

飛鳥時代

2008年08月28日 | Weblog
読めるがどうかもわからず、なんとなく図書館にて借りて読んでみた「聖徳太子の仏法」。
これがおもしろい。意外にもおもしろい。時代は飛鳥時代。
この本を読んでいると、(神話をちょっとかじっていたせいもあるのか)
聞いたことのあるような名前が出でくる。
ヤマトタケルノミコトはこの時代の方なんですね。日本武尊と書いてヤマトタケルノミコト。
すごい名前だなぁと思いつつ、そのヤマトタケルノミコトの叔母が倭姫の命(ヤマトヒメノミコト)。
倭姫と言ったら、伊勢神宮にアマテラスを祀ったお方。
へ~。。。叔母さんなんだぁと思いつつ、そういえば、推古天皇の甥にあたるのが
聖徳太子だったよなぁと思って、もしかしたらその時代の貴族社会というか、
「朝廷」というところは人間関係が狭かったのかなぁと思った。

あと、四天王というのも出てくる。
「四天王とは、東の持国天・南の増長天・西の広目天・北の多聞天の4人の仏法の
〈たま〉神をいう。釈迦仏を従者として、釈迦仏および釈迦仏を尊崇する
生きとし生けるものを守護する仏法の〈たま〉神である」ということです。
この四天王のお名前をじっくりみてみれば、みなさんそれぞれに意味があるんですね。

そしてまた、この中には「『日本書紀』の記述によれば、推古天皇十年(602)、
百済からの観勒が渡来した。観勒は、暦法や天文・地理の書物や陰陽道、道教の医療や
卜占にかかわる書物を携えていた。観勒を師として、陽胡玉陳(コヤノタマフル)・
大友高聡・山背日立らの官人が暦法や天文、陰陽道、道教などを学んだ、という」とあった。
へ~。。。陰陽道といえば、あの陰陽師の陰陽道ですね。この時代に日本に入ってきたんだ。
とすると、安倍清明のころには、もう確立されていたのかな。。。
などなど、自分がなんとなく知っていることと繋がりを持ちながら読んでみる。

そういえばだよ、聖徳太子というお方は、どうも、醒めた感じの人だったみたいですね。
そして、この中には、「呪的」という言葉がでてくる。「呪的な力」とか「呪的な知」など。
それって「霊能力」ってことかな。よくよく読んでみるとそれっぽいんですけど。
太子の有名な話で、10人の人が同時に話したことに対して、太子はきちんと
一人一人に答えたというのがあるじゃないですか。
それって、つまり無意識の部分で聞いて、それに答えてるということじゃないのかな。
今でもそうことが出来る方はいらしゃるし。
あの辺りの時代は、霊能力を持っている人が多かったと聞いたことがある。
そのなかでも聖徳太子は飛びぬけてすごかったということだろうなぁ。
で、思ったんですけど、聖徳太子は安倍清明みたいな感じの人だったのかなぁって。
勝手に想像してるんですけど、そんな感じがするんです。
霊能力があって、それで、なんか醒めていて。。。
でも、聖徳太子にはお妃様が4人。。。しかもお子様14人。
そうすると、聖徳太子は安倍清明と光源氏をたして2で割ったような人??
(安倍清明+光源氏)÷2=聖徳太子
。。。わからんが、なんとなくなんとなく。。。。
って、どうでもいいんですけど、とにかく聖徳太子は推古天皇にイチ押しされていたんでよ。
そういう人だったんです。
それでですよ、この推古天皇にも興味ひかれる感じです。
いろんなことに興味があった人なんだろうなぁって感じ。。。なんかいい感じなんです。

日本にはいろんな時代があるけど、この飛鳥時代は非常に興味がひかれました。
戦国時代とかいろんな有名な人が出てるけど、正直あんまり興味なかった。。。
あんまりにも「オトコオトコ」してるというか、なんというか「華」がない感じ。
それに引き換えこの飛鳥時代には「華」がある。っていうか「華」を感じる。
この時代を知るということは、仏教も知るということになってくるのかなぁ。
お釈迦様のこととか、あと「絶対知」なんて言葉もよくでてくる。

この本の中で、不思議と何度も読み返しているところがあるんですよ。
それは「仏舎利」を祀る意味が書かれてあるところなんですが、この「舎利」と言う言葉は、
萬斎様つながりで言葉だけは知ってはいた。
この本を読んでいたら「舎利」と言う言葉が何度もでてきて、その意味が書いてあった。
「仏舎利を祀ること、つまり〈たま〉神としての釈迦仏を祀ることは、
国家の構成者である人々の日常の安穏を祈ることである。
それとともにひとびとがいつの日か絶対知を体得することを祈ることでもある。
生きとし生けるものは、さまざまな他界を含む広大な空間である六道四生と数多くの
前世を含遠な時間である過去七世とから成る世界に生き死にしている存在として観念されていたのである」
。。。なんかここを何度も読み返しているんですよ。
非常にすばらしいなとはわかるんですが、なんでこんなに気になるのかはわかりません。
なんでかなぁ。。。

わからないといえば他にもあって、それは「漢字」。
本当にいろんな漢字、そして読み方があるもんだなぁと思いました。
わからないこともありましたが、非常に興味がひかれた飛鳥時代。
もうちょっと掘り下げて行きたいなと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホテル・ルワンダ

2008年08月28日 | 映画
ホテル・ルワンダを観た。
1994年、アフリカのルワンダで長年続いていた民族間の諍いが大虐殺に発展し、
100日で100万もの罪なき人々が惨殺された。
アメリカ、ヨーロッパ、そして国連までもが「第三国の出来事」としてこの悲劇を黙殺するなか、
ひとりの男性の良心と勇気が殺されゆく運命にあった1200人もの命を救う。

・・・1994年。今から14年前の話だ。
何百年も昔の話ではない。つい最近の話。事実あった話だ。
正直、全然知らなかった。知らずに今まですごしてきた。
民族間での紛争。
今は、そのことについてはなにも言えない。わからない。

映画の中で、アメリカやヨーロッパがこの紛争から身を引くのですが、
その時に「この国に価値がないからだ」なんて言っていたけど、
それ以前の紛争の手助けでアメリカは大変なめにあっていたみたいですね。
それはそれで攻められない部分もあるんじゃないかと思いました。
この時思ったんですけど、こういう時、日本は手助けできないんですね。
憲法によってそれはできないことになっているんだ。
本来ならば、自分達で和解したり、近隣諸国が抑えたりするのが一番いい解決方法なんだろうけど、
そうじゃなくて、どんどんふくれ上がり罪のない市民達の命が落とされていくんだ。
もし、命があったとしても、難民となってしまって、生活を奪われてしまう。

映画の中で争っている兵隊達を観ていると「信念のために戦う」とかそんな風な雰囲気ではなく、
強奪をしたり、賄賂をもらったり、女性を痛めつけたりで、ただ有利に立つために存在するようでした。
兵隊じゃなくとも、その兵隊の上に立つ人もそんな感じでした。
これじゃ、何の目的に争っているのかと思ってしまう。
戦争という状況はどんな人の心も蝕んでしまうものだ。
兵隊達は病んでしまう。そして、人じゃなくなってしまう。
指揮を取る人までもがそうなってしまうと、その争いは本当に意味がなくなってしまう。
そして、大変な被害にあうのは一般市民なんだ。

ここのところ、2冊の本を持ち歩いていて時間があったらちょこちょこと読んでいました。
1冊は「難民キャンプの子どもたち」という本。写真がたくさん載っています。
今回観た映画の舞台となったルワンダのことも書かれてありました。
もう1冊は「聖徳太子の仏法」。
この2冊がセットでした。
最近では、すべての出来事は偶然ではなく、すべて必然というのを強く感じるこの頃。
この2冊はなにか繋がりがあるのかなぁ?と思っていたけど、自分の中で繋がる部分がありました。
聖徳太子が作ったといわれる「憲法十七条」。1千年以上も前に作られた憲法。
読む前は、難しくて読めないかもと思っていたんですが、そんなことは全然なく、
非常に興味深く読むことができました。
本全体を読んでいても、面白く読むことができ、なんというか。。。意外に固くないなと思いました。
この「憲法十七条」は「和」なんですね。
ちょっと前に聖徳太子は実在しないとかなんとか言われてましてが、この「憲法十七条」は実際にあるんです。
今回映画で観た出来事とこと、この「憲法十七条」が、私の中で関係あることのように思えました。
そしてまた、聖徳太子が首相みたいな(と言っていいのでしょうか?)お仕事をしている時の天皇は、
推古天皇という女性の天皇。
ここでも思ったんですけど、いろんな国で女性の政治家さんが活躍していますが、
アフリカこそ、女性の政治家さんが国をまとめるということができればなと思いました。
いろいろな状況があるのかもしれませんが、女性の要素が入ってもいいような気がするんです。
男性だけでまとめていくと、かたよりがあるんじゃないかな。
権力者の影の女でそこで政治を動かすとかじゃなくて、ちゃんと前に出て、国創りをされていかれる方。
そんな女性はすでにどこかにいるんじゃないかな。。。
そんなことを思いながら、この2冊の本の繋がりを感じていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法十七条

2008年08月28日 | Weblog
聖徳太子が、今から千年以上前にお創りになられた「憲法十七条」。
すでに知っておられる方もいらっしゃるかと思いますが、自分の為に書いてみました。



一の曰く、和を似ちて貴しとし、忤うこと無きを宗とせよ。
「為政にかかわる事柄をめぐる議論において、官人は、自身より下の者に対して和らぎ、
打ちとは、自身より上にたつ者に対しては逆らい、背むくことのないように心がけよ」
世人は、為政にかかわる事柄をめぐる論議において、自己と見解を同じくするものと党類を組んで事態に対応しようとする。事物や事象の真にして実なる在りようを知る世人は稀である。そのために君主や家父にそむき、近隣のひとと争うなどのいささかを起こす。為政にかかわる事柄をめぐる論議において、上に立つ者が下の者の論議に和やかに対し、下の者が上に立つ者の論議に親しみを似て対するならば、事物や事象の真にして実なる在りょうはおのずからあきらなになり、事柄への対応は十全になるであろう。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。
「官人は、もっぱら仏法を尊崇せよ」
仏法は、仏宝・法宝・僧宝の三宝から成る。仏法は、一切の生きとし生けるものの究極の拠りどころであり、すべての国家の根拠である。どのような時代であれ、どのような人であれ、仏法を尊崇しない時代も人もない。悪ばかりのひとは世俗世界には少ない。時間をかけて丁寧に教えるのならば、人は善に従うであろう。仏法をよりどころとしないのであれば、何を拠りどころとして悪を善に変えることができようか。

三に曰く、詔を承りては必ず謹め。
「官人はつつしんで天皇の詔に耳を傾け、間違いなく詔に従え」
国家の統括者である天皇は天であり、皇臣である官人は地である。天が地を覆い、地は天を載せるとき、四季は正しくめぐり、もろもろの生成力はあまねくゆきたわる。地が天を覆おうとするとき、四季の運行は不順となり、生成力ははたらきを失う。天皇が命令を発するとき、皇臣はつつしんで耳を傾け、天皇が行うとき、皇臣は従う。詔に耳を傾けず、
詔に従わないならば、為政にかかわる事柄への対応は不適切になるであろう。

四に曰く、郡卿百寮、礼を似ちとて本とせよ。
「官人はすべて、朝廷儀礼をはじめ儀礼の実修を基本とせよ」
民を整序し、導く基本は、朝廷礼儀をはじめとするさまざまな儀礼の実修にある。上に立つ者が儀礼の実修に欠けるところがあれば、下の者の足並みが乱れ、下の者が儀礼の実修に欠けるところがあれば、為政にかかわる事柄に対応すに乱れが生ずる。官人のよる儀礼の実修に欠けるところがなければ、官位の序列は整い、民による儀礼への参与に欠けるところがなければ、国家はおのずから整序されるであろう」


五に曰く、餮を絶ち、欲を棄てて、明に訴訟を弁めよ。

「飲食を貧らず、物品への欲を棄てて、民の訴えを偏頗なくみわけよ」
「民の訴えは1日に千件ある。1日でもこの多さであるから、月日を重ねると手に負えない多さになる。近頃、民の訴えを裁く官人は、利益を得るのがあたりまえになり、賄賂を手にしてから申し立てを聞いている。財ある民の訴えは、石を水に投げ込むようにたやすく受け入れられるが、貧しい民の訴えは、水をいしに投げかけるようなものものであって、ほとんど受け入れられない。貧しい民は為すすべがない。これな皇臣として失格である。


六に曰く、懲悪勧善は古の良典なり。是を似ちて、人の善を匿すこと无く、悪を見ては悪をみては必ず匡せ。

「為政にかかわる事柄に対する不適切な対応を戒め、適切な対応を励まし、すすめることは、手本とすべき旧くからのやりかたである。他の官人の適切な対応をば称場し、不適切な対応をみたならば必ず正せ」
おもねり偽る官人は、国家を覆し、民を滅ぼす鋭い鋒や件のような存在である。またこびへつらう官人は、上に立つ者に向かっては好んで下の者の過失を告げ、下の者に向かっては上に立つ者の失策を誹謗する。このような官人は、天皇に対する誠実さに欠け、民の福利に対する思いやりがなく国家の大乱の原因となる。


七に曰く、人各任有り、挙ること濫れざるべし。

「為政にかかわる事柄をめぐって、官人にはそれぞれ為すべき職務がある。為すべき職務を過不足なく、間違いなく遂行しなければならない」
官人が為政にかかわる事柄についての知をもつときには称賛の声がおこるが、知をもたない時には災いや混乱が頻繁に起こる。しかし生まれつき事物や事象についての十分な知をもっている人はすくない。


八に曰く、郡卿百寮、早く朝りて晏く退でよ。

「官人は朝早く朝廷に出し、遅く退出せよ」
権能の行使は、ゆるがせにできず、終日実対応しても終わらない
遅い出仕は緊急の事柄に対応できないし、早い退出は対応すべき事柄を残すことになるからである。


九に曰く、信は是義の本なり。事毎に信有べし。

「官人相互の信頼は、官人共同体の秩序を支える根本である。職務の遂行にあたっては、すべての事柄について官人相互の信頼がなければならない」
為政にかかわる事柄に対する対応が適切であるか否かは、官人相互の信頼の奴何にかかわっている。官人に相互の信頼があるならば、遂行されない事柄はないであろう。官人に相互の信頼が欠けているならば、対応は不十分なままに終わるであろう。


十に曰く、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違うところを怒らざかれ。

「為政にかかわる事柄をめぐる論議において、対手の会見が自己の解見と違っていても怒ってはならない」
世人はみな、自己の見解にこだわる心をもっている。そのために、対手の見解が正しければ自己の見解は誤っており、自己の見解が五正しければ対手の見解は誤っていると論断しがちである。しかし、自己が事柄についての知をもっているのではないし、また、対手がもっているものでもない。自己も対手もともに絶対知をもたない凡常な存在である。事物や事象の真にして実なる在りょうは、自己も対手も捉えることはできない。事物や事象について十全な知をもっているか否かの区別は凡常な存在にはつけられない。為政にかかわる事柄をめぐる論議においては、対手が怒ったときも、自己の知の不十分さを省みよ、また自己の見解が正しいとおもうときも、対手が怒ったときも、さしあたっては多くのひとびとの見解に従って事態に対処せよ。


十一に曰く、功過を明察して、賞罰は必ず当てよ。

「為政にかかわる事柄に対する官人の対応の適切、不適切を明確に見分けて、適切な対応を賞し、また不適切な対応を罰せよ」
近頃、適切な対応が賞されず、不適切な対応が罰せられていない。官人は、為政にかかわる事柄に対する対応の適・不適への賞罰を明確におこなわなけらばならない。


一二に曰く、国司・国造、百姓に歛ること勿れ。

「国司や国造らの官人は、民からむやみに租税を取り立ててはならない」
「国家に二人の天皇はなく、民に二人の支配者はいない。全ての民にとって天皇のみが支配者である。官人は皇臣である。朝廷に仕えていながら、民からむやみに租税を取り立ててよいのであろうか」


十三に曰く、諸の官に任る者、同じく職挙を知れ。

「官人ひはそれぞれに職務がある。しかし、職務が異なっていても、官人であるかぎり、だれもが同じく為すすべき職務についての知をもたねばならない」
当事者である官人が病気であるために、または使者となって出ていてその場にいないために職務が果たせないことがある。
しかし、代わりの官人がその職務についての知をもっているならば、当事者である官人が不在であっても、職務は和らぎをもって遂行されるであろう。その職務に関与するところではないとして、職務の遂行を遅滞させてはならない。


十四に曰く、群居百寮、嫉妬有ること無かれ。

「官人は対手に嫉妬してはならない」
自己が対手に嫉妬するならば、対手もまた自己を嫉妬するであろう。為政にかかわる事柄をめぐる議論において、嫉妬のもたらす災いは際限がない。世人は、対手の知が自己より優っているならば、嫉妬せずにはいらればい。そのために五百年にようやく一人の賢者が出現し千年に一人の聖者が辛うじて出現する、という不幸な事態になる。だが、賢者や聖者なしでは、為政は行えない。



十五に曰く、私を背むきて、公に向くは、是臣の道なり。

「為政にかかわる事柄については、自己の見解に固執せず、他の多くの官人の見解に従う
ことが、皇臣である官人の踏むべき道筋である」
自己の見解に固執するならば、必ず他の官人への恨みを抱くことになろう。恨みをだくならば、他の官人と和らぎ、親しむことがない。他の官人と和らぎ、親しむことがないならば、自己の不十分な見解だけによって、為政についての事柄に対応することになる。恨みを抱くならば、官人共同体の模範を破ることになろう。第一条において『上に立つ者は和らぎ、下の者は逆らうな』と説いたのも同様の意味合いであろ。


十六に曰く、民を使ふに時を似ちてするは、古の良典なり。故、冬の月には間有りて、民を使ふべし。春より秋に至りては、農桑の節なり。民を使ふべからず。

「民を使役するに際し、時節を撰ぶことは、手本とすべき旧くからのやりかたである。冬は、時間の余裕があり、民を使役するによい時節である。春から秋にかけては、農耕や養蚕の季節であるから、民を使役してはならない」
「農耕がなされなかったならば、何を食べればよいのか、養蚕がされなくなったならば、何を着ればよいのは。食物も衣服も手にはいらないであろう」


十七に曰く、夫れ事は独断すべからず、必ず衆と論ふべし。

「為政にかかわる事柄の議論においては、自己の見解によってのみ事を定めてはならない。
必ず他の多くの官人とよく議論すべきである」
些末な事柄であればともかく、為政の重要な事柄をめぐる論議に際しては、自己の見解に誤りがないか、落度がないか、くりかえし吟味しなければならない。事物や事象についての自己の知は不十分である。他の多くの官人の見解に耳を傾け、論議を重ねるならば、事柄への十全な対応を見出すことができるであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テイクアウト

2008年08月21日 | Weblog
そうそう、アメリカでの生活が書いてある本を読んでいて、1つだけいいと思うのがありました。
それは、レストランで食事をしていて、その残り物をテイクアウトできるということ。
どんな高級レストランでも、食べ物が残っていると、
ウエイトレスさんが「お持ち帰りされますか?」ときくみたいですね。
それでほとんどの方がお持ち帰りされるとか。
これっていいことですよね。食べ物が無駄にならない。
日本ではあまりないことだと思う。
本来ならば出された物はその場で全部いただくがいいと思うんですけど、
どうしても食べきれない時とかありますもんね。
それって、残った物を持って帰って次の日にいただけばいい話じゃないですか。
芸術的なお料理というのは、食事をする空間もあるだろうし、
またその器によって出来上がっているんだろうけど、残してしまうのはよくないこと。
それはまだ食べられるのに捨ててしまうんですよ。
折角、料理人さんがつくってくれたものなのに、それをいただかないなんてもったいないこと。
まぁ、持って帰った後に家で食べてお腹をこわしちゃったりしたらどうするんだとかいろいろあるんだろうけど、
アメリカの場合そこのところどうしてるんだろう?
私はこの「残り物を持ち帰る」というアメリカの習慣をまねしてもいいのではないかと思います。
いろいろ思われることがある方もいらっしゃるかと思いますがいかがでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合理的

2008年08月21日 | Weblog
最近では、通勤バスの中で本が読めるようになりました。
以前は、乗り物の中で本を読むなんて頭がクラクラしちゃってとんでもなかったんですけど、
慣れるもんなんですね。
本は図書館から借りた物が中心です。
その借りた本の中に、アメリカで長く生活された方が書かれたのがありました。
アメリカでの生活が書いてあり、アメリカで生活するにはこんな常識があるんですよって感じの内容。
ナニナニと読んでいて、お金の取り扱いなどなど日本とは違いがあるものなんですね。
その中で、読んでいて同じだなと思ったのが、「(自宅の)電話をぶっきらぼうにでる」ということ。
私が子供の頃は、電話がなれば感じよく「はい、○○です」と元気に電話にでたものですが、
最近では「はい、もしもし」しかいいません。
それは、勧誘がおおかったり、数回ですが怪しい人からの電話もあったからです。
1、2回あったかなぁ。。。受話器をとると「オレ、オレ」というんですよ。
「はぁ?」と思って、聴きなれない声だなぐらいわかるじゃないですか。
でもずっと「オレ」というんです。きっと間違い電話だろうと思い、「こちらは○○です」といったら、
「○○さんでしょう。オレです」というんです。
この電話以降、電話でへたに名前を言っちゃいけないんだなと思ってそうしています。
その電話があったころからなんとなく聴いていた「オレオレ詐欺」。
今ではご老人が狙われるケースが深刻みたいですね。
なんとかそんなのをふせがなきゃいけないとか、そんな情報が入るたびに
無意識に防御策を考えるんですね。
それが、手っ取り早いのが「ぶっきらぼうに電話にでる」になっちゃうんでしょうね。
これはあまりいい状況をあらわしていない。
できれば電話に出るときはいい感じがいいにきまってるんですけど。。。

このアメリカでの生活が書かれている本を読んでいていろいろ思うこともありましたが、
1つ気になる言葉があったんですよ。それは「合理的」という言葉。
その本には、著者のお子様が幼稚園に行くのに日本でやっていたように
腕によりをかけた手作りお弁当をもたせたそうです。
そして、お子様が幼稚園から帰ってきて「お弁当どうだった?」と聴くと、
「明日からお弁当箱でお弁当を持っていくのはいやだ。お友達にからかわれた」と
泣き出しそうな感じでいっていたそうです。
それで著者の方は、いったいアメリカではどんなお昼をもたせるのだろうと、
知り合いの方にきいたところ、パンにマヨネーズを塗り、ハムとチーズをはさみ、
ジッパー付きのビニール袋にいれる。別のビニール袋に小型にんじんと四つ切のセロリを入れる。
これらを小さな茶袋に入れ、名前を書いて出来上がり。。。だそうです。
製作時間は3分で終了とのこと。
ふむふむ、たしかにこれだとさっさと終わって簡単そうなどと思って読んでいて、そこまではよかったんですけど、
そのあと、「食べ終わったら捨ててこられる」とあったんです。
食べたら(包んだビニールだと思う)捨ててこられる。。。なるほど、合理的にできています。。。とありました。
えっ・・・・・
合理的かな。。。?なんでこれが合理的??なんか違う感じがするんですけど。。。
「合理的」ってなにかなと考えて、そしたら自然界の生態系が浮かんできた。
生態系って合理的じゃない?だって無駄がないんだよ。
このお昼の件だと、絶えずビニール袋がゴミになるんだよ。ただ、お弁当箱を洗う手間隙がはぶけるだけじゃない。
それが合理的。。。かな?
「合理的」とは、
1道理や倫理にかなっているさま。「~な自然界の法則」
2むだなく能率的であるさま。「~な処置」

ちなみに「道理」とは
物事の正しい筋道。また、人としておこなうべき正しい道。ことわり。
「~をわきまえる」「~にはずれた行為」

さらに「倫理」とは、
1人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な基準とのまる。

これだとさ、お弁当箱のほうが合理的じゃない?洗ってまた使うんだよ。
この「合理的」の解釈は世界共通?
アメリカと日本ではちょっとこの辺の解釈が違うような気がするんですけど。。。
ここが違ったら暮らし方が違ってくるよね。
自然と共に生活するって大事だよね。
どうしてもアメリカの生活で気になるのが「お天気がいいのに乾燥機で洗濯物を乾かす」ということ。
まぁ、日本にもありますよそういうところ。こないだちょっとモデルルームに行く機会があったのですが、
そういうところでも洗濯物が隠れて見えないように干せるようになっていました。
洗濯物を干すと外観が悪くなるなどなどの理由でしょうが、それって生活感があるとよくないってこと?
それだとアメリカの方はお日様の香りを知らないってこと?
これって、自然と共に生活をしてきた民族だから違和感を感じるのかな?

神様は人々が生活していく姿が好きなんだと思う。
自然と共に生活していって、その中から生まれる「知恵」が好きなんだと思う。
生活すること、生活感からすごい力が発揮されるんだと思う。
そう感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つながり

2008年08月18日 | Weblog
内閣府が16日に発表した「国民生活に関する世論調査」によると、
日常生活に「悩みや不安を感じている」人は、70.8%で
1981年の調査以来、初めて7割を超えたというニュース。。。
これってだよ、日本国内のことだけを言ってるんじゃなくて、
世界の状況をみて言ってる人も多く含まれるよね。
日本は他の国々に影響を与えている。そして他の国々の影響を日本は受けているよね。
他の国々でいろんな事が起きていて、そして、そんな他の国々の影響を身近な生活の中で
感じることが多いこのごろ。
世界のどこかの国が不安定になると、それが日本にもつながっていると感じるこのごろ。
世界ではいろんなことが起きていて、それらを知るたびにこのままでいいのか?
と不安になることもある。
もしかしたら、それは日本は恵まれているだけにその不安感も大きいのかもしれない。
その不安感をバネにいい方向にむけなきゃいけないんだ。
不安感も全て悪いとはいいきれないと思う。
少々の不安感を抱いといた方がいい事もあると思う。
世界と日本はつながっている。
今、世界で起きていることは、見て見ぬふりはできないんだ。
世界を守ることは、自分達を守ることなんだ。
地球は1つ。
きっとそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済、そして環境と戦争

2008年08月17日 | Weblog
。。。う~ん。。。
経済というやつは、一言では言えないものときいたことがあるが
私の中の経済は今のところ「消費」。
経済というやつを上げちゃうと下げるわけにはいかないんだろうねぇ。。。そんな感じちゃう。
で、それを下げちゃうわけにはいかないから、たくさんのお金を手っ取り早く動かせる人達、
つまりお金持ちを作り上げるというか確保しといてその人達にお金を動かしてもらい
経済というやつをある程度安定させるのかな??
それが今でいう二極化ってやつでありグローバル化?
そのお金持ちにある程度お金が集まるような流れをつくるのかな?
クエスチョンマークばっかりで申し訳ないが、そうなのかなぁってぐらいにしか思っていなくって
だからしてクエスチョンマークなんです。
理想的にはみんなでお金を動かした方がいいんだろうなぁ。
そうだとしたら、ある程度流行に流されてもいいのかな。
そうしたほうがまとまったお金が動くよね。
でもだよ、その場合、いい感じの流行にながされたいよね。
つまり、いい感じの消費がいいってこと。
「経済」の反対言葉は「環境」かな?(って、わかんないし)
経済が上がれば環境が悪くなるんでしょう。だから、環境が悪くならない消費の仕方だよね。
夢のような話で、消費すればするほど地球環境が良くなるというのはないかな?
ほらほら、走れば走るほど空気をきれいにする自動車みたいな発想。
う~ん。。。今のところ思いつかない。

こないだフッと思ったんですけど、これから先、ゴミ処理施設がものすごく最先端になっていくんじゃないかと。
フッと思ったじゃなくて、そうなっていかなければなんだよね。ゴミ処理施設が科学研究所みたくなっていくの。
ありえそうじゃない?
世界に誇る日本のゴミ処理研究施設なんてね。
でも、もしそれが実行されるとしたら、ゴミをだす側の徹底的な分別が必要なんだよね。
みんなの意識が必要なんだな。

経済、そして環境と戦争。
それぞれいい方向へむかっていきたいよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費

2008年08月16日 | Weblog
。。。えっと。。。
石油を消費すればするほど経済というやつが上がるのか?
経済のニュースを言ってる時「消費動向指数」なんて言葉を聞くなぁ。
そうすると、石油がなければ経済というやつは上がらないってこと?
経済を上げるとは、消費が上がるということ??
。。。その辺まだよくわかってない。
経済を上げたければ、必要以上の消費つまり無駄使いをしなければならないのかな。
消費するってことは、環境汚染や二酸化炭素の排出につながるということでしょう。
そっか、だから嫌がるところがあるんだ。
経済を上げたければ石油が必要で、絶対必要で他には渡したくないということ?
ちょっと思ったんですけど、先進国で暮らすというのは、感化されやすい状況にあるのかなぁって。
流行や文化なんて風にも言われそうなんだけど、「これがいいんですよ~」と言っちゃったら、
みんなそうなんだと思っちゃって、非常識なことも常識となって定着するわけ?
例えばだよ、(たぶん定着はまだだと思うけど)天気がいいのに洗濯物を乾燥機で乾かしちゃうとかさ。
これってさ、人の道に反していない?
まぁ、手間がはぶけていいとか、別に使える時間ができるなどなど(それはそうかもしれないが)
そんな聞こえがいい価値観をあたえといて、どんどん消費させる。。。のか?
与えられた聞こえのいい価値観に感化されやすくて、どんどん消費してどんどん石油が必要で
その石油を奪わなければいけないくらいなんだ。
そこに人の命が関わっているんだ。。。
知らず知らずのうちに大変なことをしているのかもしれない。
っていうか、それが現実に起きているんだ。
いや、まだよくわかっていないんだけど、そうなんじゃないかなと思っているところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真

2008年08月12日 | Weblog

「橋の上でお手伝い」
この写真は、敗戦直後の1945年秋、東京で撮られたものだそうです。
撮影者はアメリカの兵隊さん。
映っている方もアメリカの兵隊さんだそうです。
この写真を観ていると、道端で困っていたアメリカのお兄ちゃんに
子供達が寄ってきて「どうしたの?」って声かけて、あれやこれやワイワイいいながら
コミュニケーションをとっているようにみえる。
笑い声が聞こえてきそう。
もしかしたらアメリカのお兄ちゃんはお菓子をくれたのかな?

この写真が撮られたほんの数ヶ月前に戦争は終わったんだ。
これをみていると、いったい戦争ってなんだと思ってしまう。
何と何の争い?
終戦後、日本は物がなんにもなくて、本当につらい日々をおくったときいた。
今、戦争が起きている場所がある。
嫌だ。今すぐにやめてほしい。
。。。この気持ちだけじゃ伝わらないのかもしれない。。。
もしかしたら、戦争のことは表面的なところだけしか知らないのかもしれない。
争いに巻き込まれた人々の話はよくきく。
でも、当事者どうしのことはよくわからない。
戦争をさせない為には戦争のことを知らなければなのか?
戦争のはじまるきっかけはいったいなんだ。
私に理解できるだろうか。
いや、もしかして、日常生活とリンクできる部分も案外あるかもしれない。
やってみよう。自分の力を信じて。
世界平和。地球平和。願うたけじゃだめだ。
地球温暖化と同じく、一人一人の行動が大事なんだ。
きっとそうだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和月

2008年08月09日 | Weblog
8月。
暑い8月。
日本では8月は葉月ともいう。やっぱり観葉植物がよく育つもんね。
って、本当の由来は違うみたいなんだけど。
また別に「南風月(はえつき)」「穂張り月(ほはりつき)」などとも言われていたという説もあるらしい。
これはこれでステキだと思う。
そしてもう一つあると思う。それは「平和月」かもしれない。
日本は8月になると平和への問いかけが多くなる。
65年前の8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下された。
そして8月15日に戦争が終わった。
8月になると、戦争の映像や話にふれる機会が多くなる。
こないだはテレビで原爆を落としたパイロットの話をやっていた。
どうやら彼もそのあと苦しんだらしい。
血を流し合い戦うことによっていったいなにが生まれる?
勝った者も負けた者も傷が残るだけじゃないのか?
癒されることのない傷。
そんなことわかっているはずなのに、今日、戦争のニュースが入ってきた。
戦車の上に乗り、大きい機関銃を持った若者が映し出されていた。

地球環境については、都市を中心に活動が盛んになってきているとききました。
平和活動もこれと同じくらいに意識をもたなければいけませんね。
原爆投下直後、市内は炎に囲まれ、焼けただれた人々が水を求め苦しんでいたそうです。
そんな状況の中、やっと水をみつけたそうです。でも、油が浮かんでいたそうです。
・・・その水を飲んだとありました。
私、今日の平和記念式典を観ていて思ったんですけど、地球環境にしても平和にしても
「水」なのかなって。。。やっぱり自分の意識の中に「水」がいるんです。
清らかな水は平和の象徴?
水はなんでも知っている。水はずっと地球を観てきた。
なにかに気が付かなければいけないんだ。
なんだ?なんだろう。。。水はいったい何を訴えかけてきてるのだろう。
早く気付いた方がいい。そう感じているところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お話

2008年08月07日 | Weblog
子供の頃に聴いたお話は、大人になるにつれて
お伽の世界じゃなく、現実の世界となって理解するようになるんだ。
魔法の国は現実にあった。
そしてまた、そのお話は宝物を教えてくれるものでもあると思う。
キラキラ輝く宝のありかを教えてくれる。
やっぱり、ずっと語り継がれているものって意味があるんだ。
なるほど~子供の頃に沢山のお話を読んだり聴いたりしておくといいんだね。
それは、よき魔法使いになるための教科書になる。
                      。。。のかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝物

2008年08月06日 | Weblog
大人になるってどういうこと?
魔法使いになっていくということかな。

人生ってなにかな?
            宝探しかな。
         キラキラしたものを探す旅。またそれは、つくりだすこともできる。
                                   。。。かな。
宝物は目の前にはないけど、フッと気付いた時にたくさん持っているものかもしれないね。
そんな宝物が魔法の力となってくれるはず。
きっと。。。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の景色

2008年08月06日 | Weblog
夏になると海に行きたくなるよな~
        なんでかな~
風を求めに行ってるのかな
それとも 
                  さざ波の音がききたいのかな
                          
なんかこの建造物、海に沈んじゃったら謎の古代宮殿とか言われちゃいそう
そんな夏なんだなぁ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

24時間営業

2008年08月05日 | エコライフ
暑い。。。
まぁ、夏だししょうがないんだけど暑い。
誰かはやく熱が発生しない電球を発明して~。
夏ってさぁ、消費電力がもっとも高くなる季節なんでしょう?
電化製品をいっぱい使ってるってことは、そこから熱もいっぱい発生してるわけで。。ふぅ。。。

最近みょーに気になるのが看板。
電気をコウコウを光らせている看板が気になる。
目立たなきゃ意味ないのはわかるんだけど、あれから沢山の熱が発生していて
それがあっちにもこっちにもあると考えると、なんでそうなのと思ってしまう。
せめてあの電気を使っている看板は、ソーラーパネルをつけてもらい
自家発電にて光を放ってくれないかな。まぁ、熱が発生するのは同じなんだけど、そんなの無理なのかしら?
最近では、ソーラーパネルが付いている街灯やバス停もあるし、できないことも無いと思うんだけど。
あと気になるのはコンビニ。
やっぱりすごい。あの明るさ。看板にしても、店内の電気にしてもすごい明るさ。
コンビニ1件の消費電力は一般家庭の50倍くらいだとか。
クラクラする。。。考えただけでクラクラするよ。
コンビニは便利だよ。すごく便利。
だけどだよ、考えよ~。なにか考えよ~。
コンビニだけじゃなく、24時間営業のスーパーも一緒に考えよ~。
そういうところって、自家発電できないわけ?
せめてそのお店の消費電力の半分でも自家発電ができたら世の中助かるんじゃないの??
まぁこれも熱の発生は同じかもしれないけどさぁ。
そんなこんな思ってるけど、これって素人考えかしら。
どうかな。
でもやっぱり24時間営業のところはみんなでいい方向にいくように考えた方がいいと思う。
ココでこんな記事があった。
コンビニもすこしづつ考え始めてる。。。
そーだよねー。そうしていかなきゃだよねー。
いまさらコンビニがなくなっても困るし、かといって今の状況と同じだったらまずいだろうしねー。
24時間営業のお店は地球環境に影響のない経営をって感じにしてもらって。。。って、
そしたら夜中に営業しなきゃいいじゃんって感じなんですが、それはそれで困る方もいらしゃるかもしれないかなと。。。
なんだか、日焼けはしたくないんだけど海には行きたくて日焼け止めオイルをいっぱい体に塗って海に入り、
そんな日焼け止めオイルを塗っても多少は日焼けするわけで。。。
そんなこんなで海を汚してしまうことはわかってるんだけど、日焼けはしたくなくけど海には行きたい。。。
そりゃいったいなんなんだよって感じの事が浮かんでしまった。。。
いやいや私も海には行きます。
でも日焼け止めオイルは塗らないんだよなぁ。
日焼けをしすぎなきゃいいんじゃないのかな?太陽の光にも体に必要な成分もあるっていうし。
。。。いやここでは、コンビニの消費電力のことを言ってるわけで。。。
なんというか、どっちつかずはいけないんだろうね。
「二頭追う者は1頭も得ず」だよねぇ。
環境も便利さもどちらも手に入れるって無理っぽいのかな。
どうなんだろう。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星の誕生

2008年08月05日 | Weblog
先日、長崎港でひらかれた花火大会に行ってきました。
なんと、船に乗っての花火観覧。応募してくれたMちゃんに感謝。
長崎港での花火大会は始めてだったんですけど、
その花火大会の中で一番印象に残ったのは「音」でした。
長崎港は、山に囲まれているんですけど、花火がドド~ン!!と上がるたびに
その音が反射するんです。
前の方でドド~ンと花火が上がって、しばらくすると後ろの方からドド~ンと聞こえてくる。
その後ろからの音に圧倒される感じでした。
花火は本当にきれい。
さまざまな色や形の花火が夜空でステキにアレンジメントされていました。


そんな花火を観ていてフッと頭に浮かんだものがありました。
それは「星の誕生」です。
なんで花火を観て星の誕生かはわからないんですがそうだったんです。
確か星の誕生は、星が爆発してその時に発生したガスが関係するんじゃなかったかなぁ。。。
子供の頃に観ていた星の図鑑に書いてあったような気がする。。。とぼんやりと思っていて、
ネットで調べてみたら、星は銀河の中の恒星と恒星の間の特別な場所で生まれるとのこと。
この恒星と恒星の間には、特別に水素原子の密度の高い場所があって、星の誕生はそこらしい。
こういったところは星間雲と呼ばれているそうです。
そしてまたまた、この星間雲の中のさらに特別な場所で星は生まれるそうです。
長野県・八ヶ岳の山麓にある国立天文台野辺山の電波望遠鏡はいろいろ観測をしているらしく、
この電波望遠鏡を使うと星が生まれる場所や、星がどんな成分でできているのかがわかるんだって。
すごっ!!
で、宇宙の大海原に特に密度が高い2つの赤い点の部分があるんだって。
ここがまさに星が生まれる場所で分子雲とよぶそうです。
星は分子雲が縮んでいくことで生まれるとのこと。
ここでも雲なんですね。雲かぁ。
分子雲が縮むのは「非常に大きな星が爆発した時の力」や「銀河の渦巻き運動に関係する力」が考えられているそうです。
分子雲が縮み始めると、分子同士の距離が近くなるため、引力が働きお互いを引っ張り合い、さらに密度が高くなるそうです。
こうした現象が進むと、やがて温度が上がり、光だすとのこと。
これが星の誕生だとか。
生まれたての赤ちゃん星。これを原始星というそうです。
そしていつしかこの赤ちゃん星はちゃんと成長して一人前の星・主系列星になって、
長い間光続ける恒星(太陽のように自ら光を放つ星のこと)になるそうです。
へ~。。。星というのは、特別の中の特別な場所で生まれるんだ。
そして、他の星の放つエネルギーと渦巻き運動が作用するんだ。。。
渦巻きって、台風で地球の雲も渦巻くし海も渦巻くよな。
渦巻きってくるくる回るダンス?
そういえば、アメノウズメって「天の渦目」でもよさそうな感じ。
そこに宇宙の法則があったのかなぁ。。。あったんだろうなぁ。。。
。。。って、またもやどうだかわかりませんが、本当に宇宙にはひきつけられる魅力がある。

↑の花火の画像は、携帯電話のカメラで撮っているので、あまり映りがよくないので
別に画像を貼り付けておきます。
 
こちらは絵の花火。
あの「裸の大将」の山下清さんが書かれたものです。
そういえば、この絵みたいな、ダリアの花のように花びらがいっぱいつまったような花火も沢山上がっていたよな。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする