夢中人

sura@cosmic_a

バベルの塔

2011年12月31日 | Weblog
前の記事で、私はアイデンティティーの事を書きましたが、その後、妙にアイデンティティーの事が気になりました。世界を動かしている一つにアイデンティティーがあると聞いたことがあります。アイデンティティーとは、自分とは何者であるかということだと思うんですけど、よくよく考えてみるとそれって「依存」なのかなと思ってみた。辞書によると「依存・・・他のものにたよって存在していること」とあったんですけど、もしアイデンティティーが依存だとすると、もともとアイデンティティーって無いのかなと思ってみた。私が日本人ですと言えるのは、国籍というのもあると思うのですが、日本国という環境で育ってきたというのが強い感じがするんですよね。日本人ですといえるのは、その日本の環境であるとか文化などに愛があってこそ言えることなのかなと思ってみた。でも、世界にはいろんな状況で生活をしている方々がいるみたいで、それがそうとはいえないみたいですよね。でもですね、アイデンティティーみたいなのを強く感じるのって「言葉」じゃないかと考えてい
る自分がいたりします。言葉というか「母国語」。で、「言葉」と考えていたら「バベルの塔」の話が浮かんできました。「バベルの塔」と言ったら、巨大な塔の建設に着手した傲慢な人間に対し、神が彼らの言語を通じなくさせ混乱を生むお話。なんとなくのお話は知ってはいたのですが、ちゃんとは読んだことがなかったので旧約聖書の創世記「バベルの塔」を読んでみました。「バベルの塔」は「ノアの箱舟」の後の話。

創世記「バベルの塔」
全地が一つの言語、同じ言葉であった時のこと、彼らは東から移動して、シンアルの地に平地を見つけ、そこに住み着いた。
彼らは互いに言った、「さあ、われらは煉瓦を作り、焼き上げよう。」彼らは石に代わり煉瓦を、漆喰に代わりアスファルトを得た。また言った、「さあ、全地の面に散ることがないように、われら自ら都市と頂が天に届く塔とを建て、われら自ら名を為そう」。
ヤハウェは降りて行き、人の子らが建てた都市と塔を見た。ヤハウェは言った、「みよ、彼らは皆一つの民、一つの言語である。そして、彼らのなし始めたことがこれなのだ。いまや、彼らがなそうと企てることで彼らに及ばないことは何もないであろう。さあ、われらは降りて行き、そこで、彼らの言語を混乱させてしまおう。そうすれば、彼らは互いの言語が聞き取れなくなるだろう」。
こうしてヤハウェは彼らをそこから全地の面に散らした。彼らはその都市を建てることを止めた。それゆえ、その名をバベルと呼ぶ。ヤハウェがそこで全地の言語を混乱させたからである。ヤハウェは、そこから彼らを全地の面に散らした。


この「バベルの塔」ですよ、なんとなく聞いていた話では人間の傲慢さに神が怒った悲劇っぽい感じで聞いていたんですが、ちゃんと知ってみるとそうではない気がするんですけど。建築物というのは、いつの時代にも発展の象徴というか、そんなものなんでしょうね。そんな当時ではありえないような最先端の建築物が建設されていたんですね。そこに、神が降りて行った。そこで言った言葉は、「いまや、彼らがなそうと企てていることで彼らに及ばないことはなにもないであろう」ですよ。これはですよ、「彼らが今やろうとしている事に、彼らが出来ないことはなにもないだろう」と言っているのだと思うのですが、これってすごく感心していることだと思うんですよ。神は人のやっている事に「すごいねっ!すごいよっ!」と言ってるんだと思うんですよ。感心しているワケです。で、神は思った。「みよ、彼らは皆一つの民、一つの言語である」と。それは「こんなすごい技術を持っているのは、この一つの民族だけ?」と。それはですよ、発展もするのかもしれないけど、ある程度の地点で止まってしまうのかもしれないですよね。それよりかは、神的には、もっと発展してほしいなと思ったのかもしれない。もっとすばらしい建築物を見たいと思ったのかもしれない。それには切磋琢磨が必要なのかなと思って、神は「さあ、われらは降りて行き、そこで、彼らの言語を混乱させてしまおう。そうすれば、彼らは互いの言語が聞き取れなくなるだろう」として、彼らをそこから全地の面に散らしたということですけど、これは、そのすばらしい建築物の建設に携わっていた人々を各地に分散させて、なおかつ言葉をも変えてしまって、なかなか元に戻れない状態にしたのですね。その分散させられたその土地で、それまで携わっていた技術を磨き上げるしかない状態にしたのではないのでしょうか。それが、各地に分散しているワケで、隣の国はどんなの造ってるのかなぁって気になって覗いてみたりして、ある意味競争心とかわいたりしてそんなことで発展してきたのではないのでしょうか。。。という解釈になったんですけど、そうすると「バベルの塔」というのは、それまでなんとなく聞いていた、人間に対する神の怒りの話ではなく、人間に対して発展を願う神の話なのではないのでしょうか。日本は戦後の混乱の中から発展してきたとよく耳にします。「混乱」の中から発展が生まれるのですね。バベルの意味は「混乱」。やはり「バベルの塔」は発展への願いの話なのではなかろうか。

 
「創世記」というお話は映画などで知ってはいましたが、聖書では読んだ事がなかったので読んでみました。「創世記」の第一部を読んでみて思ったのが、神は人に、いわゆる「ぬるさ」を与えないんですね。以前、旧約聖書の解説本を読んでみた思ったのは、聖書は大人になる為の本だと思ったんですけど、やはり、神は人間の成長であるとか発展を望んでいるんだろうなと感じました。改めて文章でそのお話を読んでみるといろんなことを思う。そしてまた疑問もいろいろ出てくる。
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端島炭坑

2011年12月02日 | Weblog
軍艦島の存在を知ったのは最近です。マスコミなどに登場するようになって知りました。その映像を見た時には「時代」というのを感じたのですが、現地に行ってガイドさんのお話を聞いていたらさらにいろいろなものを感じました。それは「時代」もありますが、さらに「国と企業と生活」というのを感じました。

端島の歴史は長く、1810年頃に石炭が発見され、佐賀藩が小規模な採炭を行っていましたが、1890年三菱合資会社の経営となり、本格的海底炭坑として創業が開始されたそうです。三菱という大企業の所有となって、それは10年前までそうだったと言われていたから2000年頃までそうだったんですね。三菱という企業の所有と言っても、その時代の貴重なエネルギー源だった石炭が、それも良質な石炭が採れた端島炭坑ですから、国も深く関わっていたようです。端島のビル群は鉄筋コンクリート造みたいなんですけど、その中の「30号アパート」は1916年(大正5)に建てられたみたいなんですが、それが日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートと言われているそうです。と言っても、最初は4階建てに造っていて、その上は増設したみたいですね。

(画像真ん中の建物が30号棟)
それが表れているのが、1階から4階までは出窓があるんだけど、その上は出窓がないところみたいです。最初の設計は外国の方がされたみたいですね。で、あとに日本人が設計したということで少々デザインが変わったみたいです。この30号棟は内庭があって吹き抜けの廊下と階段があったそうです。当時としては、とてもハイカラな建物だったんでしょうね。そんなハイカラなアパートの間取りは1Kだったそうです。一部屋にキッチンならぬ竈が付いていみたいで、アパートの上にちょっと突き出ているものがありますが、それは竈の煙突だそうです。そんな鉄筋コンクリート造の建物が立ち並んでいるんです。端島には長い歴史があっていろんな時代をくぐり抜けているんです。いろんな時代を。でも、端島には鉄筋という鉄がふんだんに使われていて、それがきれいに今でも残っている。それは、国が関わっていたということみたいですね。

端島には見学通路というのがあって、その通路に沿って見学して行きます。第一見学広場で目に付く物は第二堅坑坑口桟橋跡の「階段」。この状況の中で、よくあの階段が残ってるなぁと思いました。ガイドさんの説明でも同じ事を言われてました。この端島は台風などの影響がすごいらしく、その中であの階段が残っているというのは奇跡みたいなものだと言われていたと思う。
あの階段は、男達が仕事に入る前に必ず立ち寄った所みたいです。階段を上がった所の部屋で安全のための身体検査をして、そして地下に仕事へ行ったそうです。

この島には多くの人々が、多くの家族が住んでいたわけで、子供達もいたわけです。島の学校は7階建て。1階から4階までが小学校。5階と7階には中学校、6階には講堂、図書館、音楽室、7階には理科室などの特別教室が設けられていたそうです。またその隣の65号棟には幼稚園があったようです。1958(昭和33年)年にはプールができたとか。でも、台風で大破したみたいで移転したそうです。25mプールと幼児用プールが造られたみたいで、そのプールは海水が使われていたみたいです。しかし、65号棟屋上に幼稚園プールがあったみたいなんですが、こちらは水道水を使っていたみたいですね。。。建物の屋上にプールだなんて、まさに最近の設備みたいですよね。そのプールは1952(昭和27年)年に完成したそうです。
こうやって見てみると、子供達の生活にもすごく気が回っているように感じられるんです。それはなぜかなと思ってみたんですけど、それは島の奥様達は(おそらく)ほとんどが専業主婦だったと思うんですよ。で、婦人会というかそんなのが強くて、子供達に手厚い気が回ったのかなとそんな想像をしてみました。ま、それだけではないでしょうが、奥様達の意見も島の生活に反映されているのではないのでしょうか。そんな島の奥様達は、ガイドさんが言われていたんですけど、おしゃれだったそうです。というか、ちらっと聞いた話なんですが、炭坑で働く男達は、仕事の時に真っ黒になるということで、お休みの日はすごくおしゃれをされると聞きました。で、島には、当時長崎一の繁華街にもなかったバーがあったりとかしたそうです。また1927(昭和2年)年には映画館があったりしたそうなんですが、そんなところにおしゃれをして行かれたのかなぁと思って。またパチンコ屋もあったみたいです。。。そんな島の生活を想像していたら、なんだか古代エジプトの生活のようだなと
思いました。ピラミッド建設に関わる人々の生活がなぜか浮かびました。

第二見学広場では煉瓦造りの建物が目の前に現れます。これは総合事務所だったということですが、この中には炭坑マンの為の共同浴場があったそうです。仕事を終えた男達は真っ黒になった体をここで洗って家路に付いたとか。浴槽は3つあったそうです。1つめの浴槽では作業服のまま、そのままで浴槽に入り、作業服やヘルメットの汚れを落とし、それらを脱ぎ、そして二つめの浴槽に入り自分の体を洗ったそうです。この1つめ、2つめの浴槽は海水だったそうです。そして3つめの小さめの浴槽の真水をかぶり入浴の終了だったそうです。島の生活では水が大変貴重なものだったみたいです。飲料水は当初は海水を蒸留していたみたいなんですが、のちに給水船で運ばれるようになり、高台にある貯水槽に蓄えられ、数か所の共同水栓から配給されるようになったそうです。その後1957(昭和32年)年に対岸の三和町から6500mもの海底水管が敷かれ、送水されるよになり、島での給水制限はなくなったそうです。人が多く生活するということは、しっかりとしたライフラインが
必要ということですね。そこで電気が気になったんですけど、工場というのはかなりの消費電力を伴うじゃないですか。そしてまた多くの人々が生活しているということですが、昭和30年代、端島では県下一の電化製品普及率だったそうです。当時、三種の神器と言われた「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」の端島での普及率は100%だったと言われていました。ということは、かなりの消費電力があったということですよね。発電はどうしていたのかなと思っていたところ、当初は島の自家発電で供給されていたということですが、人口の増加にともない、やはり電力不足となったため、1918(大正7)年に高島から海底ケーブルが敷かれ送電されるようになったみたいです。あと、ガスに関しては、当初は竈を使っていたということですが、その後はプロパンガスが使われたみたいです。

ずっと以前みたいなんですが「緑なき島」といって端島が舞台になった映画があったそうです。今では草が生えわたっていましたが、これはもともとからあったものではなく、無人島になったあと鳥が運んできたものによって広がったそうです。この島で人々が生活している頃、木々を育てる場所がなかったため、PTAなどが協力しとあったんですけど、きっと奥様達でしょうね、その方達が協力してアパートの屋上に土を運び、今で言う空中庭園をつくったそうです。空中庭園が今風とかいうのではなく、そういう状況になったら人間というのは、時代を問わず同じようなことを考えるんだなぁと思いました。1916年には日本発の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には5300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度までに達したそうです。この人口密度なんですけど、現在の東京23区だけと比較するとどれくらいになるんだろうか。現在の東京23区では異常なほどに人口が集中しているようですよね。

(ベルトコンベアーの支柱)
端島は、エネルギーの需要が石炭から石油に移ったということで、島で生活する人々が減っていき、1974年1月に閉山し、同年4月に無人島になったということです。それから37年後の2011年11月に私は初めて端島を訪れることができました。そこは廃墟ではあったけれども、人間のすごさを知り、そして暖かささえ感じるものでした。ガイドさんが言われていたんですけど、この島で生活をしていた方々がツアーに参加されるそうです。その方々が言われたのは、島が今の状況になるのは想定できたみたいなんですが、唯一違うのが「音」だそうです。私が訪れた日は、波や風の音、そして鳥の声が聴こえるとても穏やかな日でした。当時の島の音はそうじゃなかったそうです。島には石炭を運ぶ24時間稼動の大きなベルトコンベアーがあったみたいで、その音が響き渡っていたみたいです。しかもそのベルトコンベアーが住宅街を突っ切っていたとか。そのベルトコンベアーの音があってこその生活だったんでしょうね。男達が採取した石炭を運ぶベルトコンベアーの音が島の心臓
音みたいなのもで、そこには「生」を感じ、そして「安全に」という祈りも込められていたのかもしれない。今はベルトコンベアーの音はしない。当時の心臓音はない。でも違うなにかが吹き込まれようとしている。

炭鉱という存在は知っていた。でも、自分の中ではその存在は小さなものだった。。。そうだ。。。そうだ。今の日本があるのは、今の生活があるのは、深い地下で危険と隣り合わせに働いていた男達の存在もあるんだ。炭鉱マンという方々だ。炭鉱の仕事ってどんな感じだったんだろう。例えば班に分かれていたのかしら?で、班長がいて班ごとに動いていたとかかな。自分があまり興味がなかったせいもあると思うけどその辺をあまり知らない。というかあまり出てないような気もする。なんかですよ、炭鉱マンの哲学ってありそうな気がするんですけど。や、あると思う。ないはずない。そこにある「炭鉱マン魂」とはどんなものなんだろう。エネルギーの需要が石炭から石油に移ったということで、炭鉱という仕事は日本ではないのかもしれないけど、その「魂」はまだあるのではないのでしょうか。

最近、フッと考えていることがあるんですけど、日本の支えになってきたのは「泥まみれの人」なんですね。あの岩崎弥太郎だって「竜馬伝」を観てみると泥まみれの男だったんですよ。そして多くの炭鉱マン達も泥まみれか石炭まみれか、真っ黒だったんですよ。
ちょっと話はそれますが、NHK朝の連続ドラマ「カーネーション」なんですが、主人公の糸子なんですけどね、無我夢中なんですよ。なりふり構わずといってもいい感じ。で、ネットをいろいろ見ていて思ったんですけど、糸子のこの時期って「モラトリアム」と言うのかなと思ったんですよ。モラトリアムというのはアイデンティティーが確立するまでの猶予期間だそうです。「自己同一性とは、自分は何者であり、何をすべきかという個人の心の中に保持される概念。
青年期は、「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」といった問いを通して自分自身を形成していく時期である。そして、「これこそが本当の自分だ」といった実感のことを自我同一性と呼ぶ。自我同一性を獲得するために社会的な義務や責任を猶予されている準備期間をモラトリアムと言う。これはアイデンティティが確立するまでの猶予という意味を表わしている」とあったんですけど、この糸子のように無我夢中でなりふり構わずというのも「泥まみれ」というのに入れていいのかなとも思うんですけど、どうかな。この「泥まみれ」というか無我夢中、なりふり構わずというのはある意味「自由」だと思うんですよね。
そんな泥まみれの人って、今の日本には少ないのかもしれない。けど、今どこかにそんな「泥まみれ」の人がいて、その人がこれからの日本をいい方向へ引っぱってくれるとよく考えている自分がいます。フッとした時に思っている。
その人は今「泥まみれ」みたいです。
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軍艦島

2011年12月02日 | Weblog
旅に出るといろんな施設に行きます。最近では、大阪の出来たばかりのビルなどに行きました。おそらく最先端の最新式の技術が集まって出来た建築物ではないでしょうか。先日、ある施設に行ってきました。そこは「廃墟」。その場所は、いろんなことを感じさせ、いろんなことを教えてくれるようです。その場所は「軍艦島」。軍艦島というのはその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったとか。正式名称は「端島(はしま)」です。


炭坑マン達は、この階段を登り、安全の為の身体検を受けで深い地下へ仕事に行ったそうです。その階段が残っていました。

地下道の落書き。

日本最古の鉄筋コンクリート造の30号アパート。

端島を離れて行く時、妙に気になる所があったんです。それが上の画像なんですけどね、すごい気になったんですよ。パンフレットを見てみたら、おそらく端島神社ではないかと思いました。原型ではなけど鳥居も写っているんじゃないかな。毎年4月3日の山神祭は全島を挙げて盛大に行われたそうです。

太陽の光がとても眩しい日でした。
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