「裁判官と司法改革を考えよう!」という本を読んでみました。
この本は10年前の2001年2月に出版された本なのですけどね、司法制度改革審議会が
その前の年の、2000年7月に設置されたみたいで、現職の裁判官や弁護士、そして国民が意見交換をする
シンポジウムの内容が書かれてある本です。
司法というのに興味を持ったのは、本当につい最近。
この本を読んでみても、10年前と今では、どのように司法の現状がかわっているかということはわかりません。
ただ、陪審制度というのが、10年前にはなかったけど、今はあるというのはわかります。
この本の中には、裁判を傍聴していて、司法制度改革審議会に三つ提案をしたとありました。
1、裁判のテレビ放映を 2、小額訴訟の充実 3、陪審裁判の導入 です。
3は導入されていますね。2は、どうなのでしょうか。やはり裁判とはお金がかかるものというのは、
今でも常識的な感じだと思うのですが。
そして、1の、裁判のテレビ放映をというのは、裁判の始まる前の法廷内の様子は写してもいいのですよね。
でも、法廷中は放送していない。
私は、この法廷中のテレビ放送ってどうなのだろうと思います。。。その裁判を傍聴できる人数はわずかなのですよね。
でもテレビ放送ってどうなのだろう。
せめて、裁判所のロビーとか待合室などで裁判の様子が見られるくらいからがよさそうな感じもするのですが。。。
あと、今、取調べの可視化とも言われてますよね。確か、全面可視化だったような気がす
る。
それって、自白に絡んでの事だと思うのですが、全ての裁判をということかな。
そういう時って、その裁判の裁判官の許可が必要そうなのですが、本人達の許可は取らないのかな。
また、捜査段階では、弁護士が被告人の傍にいつもいるわけではないのですよね。
調書を作成する時は、弁護士も立ち会ってとあったような気もする。
こうやって(一部かもしれないけど)いろいろ知っていくと、なんていうのですか、
もっと裁判を、オープンにしようと言ってるわけなのでしょうか。
この「裁判官と司法改革を考えよう!」では、市民に司法というのをもっと身近に感じて欲しいという感じでした。
もっと司法というものに参加して欲しい。
この司法の市民参加と聞いたら、陪審制度のことかなと思いがちなのですが、
そうではなくて、内容にもよると思うのですが、裁判という形に持ち込む前に、
市民の中で、解決する方法もあるみたいで、それも司法に参加する一環なのだよと受け取りました。
それは、市民相談窓口という駆け込み寺的な存在がそうみたいです。
そこには弁護士もいるみたいなのですが、そういう窓口が日本には、
まだまだ少ないと10年前には言ってる感じだったのですが、それから10年後の今はどうなっているのだろうか。
ちょっと聞いた話なのですが、例えば市役所などには、たくさんの方が相談にいらっしゃるのだけれど、
対応する人が少ないと聞いたような感じがする。
ていうか、対応する人で忙しい人は決まっていて、そうでない人はそうでないと聞いたような。。。
ま、周囲に相談できる人がいればいいけど、そういう人がいない時は、そういう気軽に相談できる窓口があると気持ち的には安心かもですね。
そしてまた、その相談の聞き役が必要ということですよね。
市民の間で解決できない時は、国に頼って解決するということで、その流れがあれば、
もっと市民が司法というのに触れやすくなるということなのですね。
あと、最近のニュースを聞いていて、検察審査会というのがあると知りました。
これは、起訴する前の、市民の司法参加なのですね。
10年前のこの本に、「数日前の新聞報道によりますと、この検察審査会の議決に対して、法的拘束力が持たれるようになるそうです」とあったのですが、
それから10年の間、その新聞報道のような感じだったのかなぁ。
ここ最近のニュースで大きく取り上げられていたような気もしない。まぁ、私が司法に興味を持ったのは、つい最近ですからね。。。
陪審制度というのは大きく取り上げられていて知ってはいたけど、この検察審査会という存在は知らなかった。
これは、市民参加の起訴を陪審するところでいいのでしょうか。
もう少し市民が、その件に関して知りたい(知らなければいけない)時に作用するのかな。
これも、陪審員と同じで、結構重要な感じがしますね。
あと、裁判官の過酷な勤務状況ですか、転勤なども含めていろいろと書いてありました。
一人の裁判官が、何百件の裁判を担当しているみたいです。
私はこの本を読んでいて思ったのですが、裁判官の仕事ってどちらかというとアナログな感じかなぁって。
決してデジタルな感じにはならないよなぁ。医療とかは、医療機器や薬の技術が進んでいくけど、裁判官はアナログな感じかなぁと思って。
いや、悪い意味じゃないですよ。ただそうかなと思って。
捜査においては、ドラマによると科学捜査みたいなのがあって進化しているっぽいのですが、でも、裁判自体はアナログというか、ずっと昔から同じっぽい。
あと、裁判官は転勤も多いみたいで、映画「それボク」でもあったのですが、一つの裁判に対して、裁判官が何人か代わっても問題がないみたいですね。
10年前の裁判官の人事のあり方は、裁判官の独立、特に内面の独立、裁判官の精神の自由を侵害しかねないものですとありました。
人の人権を考える裁判官なのに、裁判官の人権は大丈夫なのでしょうか。裁判官はこういう時、誰に訴えればいいのだろう。
あとこの本には、法曹人口問題などなど他にもいろいろと書いてありました。
10年前の状況が書かれてある本なのですが、その状況が変わってるところもあるみたいだし、そうでもないのかなぁと思う所もありました。
いろいろなことが書いてあって、どこを気にしていけばいいのかなぁという感じです。
とりあえず、市民の司法参加なのかなぁと。
思ったのですが、市民の司法参加ということで、マスコミ報道によって地検が動くというのは、
その報道を見ていることで、市民が司法に参加しているということになっているのかなぁ。
もしそうだとしたら、それは違うよなぁ。ただ眺めていただけですよ。
でも、これからは、ちょっとそれとは違わなきゃですね。
この本は10年前の2001年2月に出版された本なのですけどね、司法制度改革審議会が
その前の年の、2000年7月に設置されたみたいで、現職の裁判官や弁護士、そして国民が意見交換をする
シンポジウムの内容が書かれてある本です。
司法というのに興味を持ったのは、本当につい最近。
この本を読んでみても、10年前と今では、どのように司法の現状がかわっているかということはわかりません。
ただ、陪審制度というのが、10年前にはなかったけど、今はあるというのはわかります。
この本の中には、裁判を傍聴していて、司法制度改革審議会に三つ提案をしたとありました。
1、裁判のテレビ放映を 2、小額訴訟の充実 3、陪審裁判の導入 です。
3は導入されていますね。2は、どうなのでしょうか。やはり裁判とはお金がかかるものというのは、
今でも常識的な感じだと思うのですが。
そして、1の、裁判のテレビ放映をというのは、裁判の始まる前の法廷内の様子は写してもいいのですよね。
でも、法廷中は放送していない。
私は、この法廷中のテレビ放送ってどうなのだろうと思います。。。その裁判を傍聴できる人数はわずかなのですよね。
でもテレビ放送ってどうなのだろう。
せめて、裁判所のロビーとか待合室などで裁判の様子が見られるくらいからがよさそうな感じもするのですが。。。
あと、今、取調べの可視化とも言われてますよね。確か、全面可視化だったような気がす
る。
それって、自白に絡んでの事だと思うのですが、全ての裁判をということかな。
そういう時って、その裁判の裁判官の許可が必要そうなのですが、本人達の許可は取らないのかな。
また、捜査段階では、弁護士が被告人の傍にいつもいるわけではないのですよね。
調書を作成する時は、弁護士も立ち会ってとあったような気もする。
こうやって(一部かもしれないけど)いろいろ知っていくと、なんていうのですか、
もっと裁判を、オープンにしようと言ってるわけなのでしょうか。
この「裁判官と司法改革を考えよう!」では、市民に司法というのをもっと身近に感じて欲しいという感じでした。
もっと司法というものに参加して欲しい。
この司法の市民参加と聞いたら、陪審制度のことかなと思いがちなのですが、
そうではなくて、内容にもよると思うのですが、裁判という形に持ち込む前に、
市民の中で、解決する方法もあるみたいで、それも司法に参加する一環なのだよと受け取りました。
それは、市民相談窓口という駆け込み寺的な存在がそうみたいです。
そこには弁護士もいるみたいなのですが、そういう窓口が日本には、
まだまだ少ないと10年前には言ってる感じだったのですが、それから10年後の今はどうなっているのだろうか。
ちょっと聞いた話なのですが、例えば市役所などには、たくさんの方が相談にいらっしゃるのだけれど、
対応する人が少ないと聞いたような感じがする。
ていうか、対応する人で忙しい人は決まっていて、そうでない人はそうでないと聞いたような。。。
ま、周囲に相談できる人がいればいいけど、そういう人がいない時は、そういう気軽に相談できる窓口があると気持ち的には安心かもですね。
そしてまた、その相談の聞き役が必要ということですよね。
市民の間で解決できない時は、国に頼って解決するということで、その流れがあれば、
もっと市民が司法というのに触れやすくなるということなのですね。
あと、最近のニュースを聞いていて、検察審査会というのがあると知りました。
これは、起訴する前の、市民の司法参加なのですね。
10年前のこの本に、「数日前の新聞報道によりますと、この検察審査会の議決に対して、法的拘束力が持たれるようになるそうです」とあったのですが、
それから10年の間、その新聞報道のような感じだったのかなぁ。
ここ最近のニュースで大きく取り上げられていたような気もしない。まぁ、私が司法に興味を持ったのは、つい最近ですからね。。。
陪審制度というのは大きく取り上げられていて知ってはいたけど、この検察審査会という存在は知らなかった。
これは、市民参加の起訴を陪審するところでいいのでしょうか。
もう少し市民が、その件に関して知りたい(知らなければいけない)時に作用するのかな。
これも、陪審員と同じで、結構重要な感じがしますね。
あと、裁判官の過酷な勤務状況ですか、転勤なども含めていろいろと書いてありました。
一人の裁判官が、何百件の裁判を担当しているみたいです。
私はこの本を読んでいて思ったのですが、裁判官の仕事ってどちらかというとアナログな感じかなぁって。
決してデジタルな感じにはならないよなぁ。医療とかは、医療機器や薬の技術が進んでいくけど、裁判官はアナログな感じかなぁと思って。
いや、悪い意味じゃないですよ。ただそうかなと思って。
捜査においては、ドラマによると科学捜査みたいなのがあって進化しているっぽいのですが、でも、裁判自体はアナログというか、ずっと昔から同じっぽい。
あと、裁判官は転勤も多いみたいで、映画「それボク」でもあったのですが、一つの裁判に対して、裁判官が何人か代わっても問題がないみたいですね。
10年前の裁判官の人事のあり方は、裁判官の独立、特に内面の独立、裁判官の精神の自由を侵害しかねないものですとありました。
人の人権を考える裁判官なのに、裁判官の人権は大丈夫なのでしょうか。裁判官はこういう時、誰に訴えればいいのだろう。
あとこの本には、法曹人口問題などなど他にもいろいろと書いてありました。
10年前の状況が書かれてある本なのですが、その状況が変わってるところもあるみたいだし、そうでもないのかなぁと思う所もありました。
いろいろなことが書いてあって、どこを気にしていけばいいのかなぁという感じです。
とりあえず、市民の司法参加なのかなぁと。
思ったのですが、市民の司法参加ということで、マスコミ報道によって地検が動くというのは、
その報道を見ていることで、市民が司法に参加しているということになっているのかなぁ。
もしそうだとしたら、それは違うよなぁ。ただ眺めていただけですよ。
でも、これからは、ちょっとそれとは違わなきゃですね。