夢中人

sura@cosmic_a

10年前。。。

2010年04月29日 | Weblog
「裁判官と司法改革を考えよう!」という本を読んでみました。
この本は10年前の2001年2月に出版された本なのですけどね、司法制度改革審議会が
その前の年の、2000年7月に設置されたみたいで、現職の裁判官や弁護士、そして国民が意見交換をする
シンポジウムの内容が書かれてある本です。

司法というのに興味を持ったのは、本当につい最近。
この本を読んでみても、10年前と今では、どのように司法の現状がかわっているかということはわかりません。
ただ、陪審制度というのが、10年前にはなかったけど、今はあるというのはわかります。

この本の中には、裁判を傍聴していて、司法制度改革審議会に三つ提案をしたとありました。
1、裁判のテレビ放映を 2、小額訴訟の充実 3、陪審裁判の導入    です。
3は導入されていますね。2は、どうなのでしょうか。やはり裁判とはお金がかかるものというのは、
今でも常識的な感じだと思うのですが。
そして、1の、裁判のテレビ放映をというのは、裁判の始まる前の法廷内の様子は写してもいいのですよね。
でも、法廷中は放送していない。
私は、この法廷中のテレビ放送ってどうなのだろうと思います。。。その裁判を傍聴できる人数はわずかなのですよね。
でもテレビ放送ってどうなのだろう。
せめて、裁判所のロビーとか待合室などで裁判の様子が見られるくらいからがよさそうな感じもするのですが。。。
あと、今、取調べの可視化とも言われてますよね。確か、全面可視化だったような気がす
る。
それって、自白に絡んでの事だと思うのですが、全ての裁判をということかな。
そういう時って、その裁判の裁判官の許可が必要そうなのですが、本人達の許可は取らないのかな。
また、捜査段階では、弁護士が被告人の傍にいつもいるわけではないのですよね。
調書を作成する時は、弁護士も立ち会ってとあったような気もする。

こうやって(一部かもしれないけど)いろいろ知っていくと、なんていうのですか、
もっと裁判を、オープンにしようと言ってるわけなのでしょうか。
この「裁判官と司法改革を考えよう!」では、市民に司法というのをもっと身近に感じて欲しいという感じでした。
もっと司法というものに参加して欲しい。
この司法の市民参加と聞いたら、陪審制度のことかなと思いがちなのですが、
そうではなくて、内容にもよると思うのですが、裁判という形に持ち込む前に、
市民の中で、解決する方法もあるみたいで、それも司法に参加する一環なのだよと受け取りました。
それは、市民相談窓口という駆け込み寺的な存在がそうみたいです。
そこには弁護士もいるみたいなのですが、そういう窓口が日本には、
まだまだ少ないと10年前には言ってる感じだったのですが、それから10年後の今はどうなっているのだろうか。
ちょっと聞いた話なのですが、例えば市役所などには、たくさんの方が相談にいらっしゃるのだけれど、
対応する人が少ないと聞いたような感じがする。
ていうか、対応する人で忙しい人は決まっていて、そうでない人はそうでないと聞いたような。。。
ま、周囲に相談できる人がいればいいけど、そういう人がいない時は、そういう気軽に相談できる窓口があると気持ち的には安心かもですね。
そしてまた、その相談の聞き役が必要ということですよね。
市民の間で解決できない時は、国に頼って解決するということで、その流れがあれば、
もっと市民が司法というのに触れやすくなるということなのですね。

あと、最近のニュースを聞いていて、検察審査会というのがあると知りました。
これは、起訴する前の、市民の司法参加なのですね。
10年前のこの本に、「数日前の新聞報道によりますと、この検察審査会の議決に対して、法的拘束力が持たれるようになるそうです」とあったのですが、
それから10年の間、その新聞報道のような感じだったのかなぁ。
ここ最近のニュースで大きく取り上げられていたような気もしない。まぁ、私が司法に興味を持ったのは、つい最近ですからね。。。
陪審制度というのは大きく取り上げられていて知ってはいたけど、この検察審査会という存在は知らなかった。
これは、市民参加の起訴を陪審するところでいいのでしょうか。
もう少し市民が、その件に関して知りたい(知らなければいけない)時に作用するのかな。
これも、陪審員と同じで、結構重要な感じがしますね。

あと、裁判官の過酷な勤務状況ですか、転勤なども含めていろいろと書いてありました。
一人の裁判官が、何百件の裁判を担当しているみたいです。
私はこの本を読んでいて思ったのですが、裁判官の仕事ってどちらかというとアナログな感じかなぁって。
決してデジタルな感じにはならないよなぁ。医療とかは、医療機器や薬の技術が進んでいくけど、裁判官はアナログな感じかなぁと思って。
いや、悪い意味じゃないですよ。ただそうかなと思って。
捜査においては、ドラマによると科学捜査みたいなのがあって進化しているっぽいのですが、でも、裁判自体はアナログというか、ずっと昔から同じっぽい。
あと、裁判官は転勤も多いみたいで、映画「それボク」でもあったのですが、一つの裁判に対して、裁判官が何人か代わっても問題がないみたいですね。
10年前の裁判官の人事のあり方は、裁判官の独立、特に内面の独立、裁判官の精神の自由を侵害しかねないものですとありました。
人の人権を考える裁判官なのに、裁判官の人権は大丈夫なのでしょうか。裁判官はこういう時、誰に訴えればいいのだろう。

あとこの本には、法曹人口問題などなど他にもいろいろと書いてありました。
10年前の状況が書かれてある本なのですが、その状況が変わってるところもあるみたいだし、そうでもないのかなぁと思う所もありました。
いろいろなことが書いてあって、どこを気にしていけばいいのかなぁという感じです。
とりあえず、市民の司法参加なのかなぁと。
思ったのですが、市民の司法参加ということで、マスコミ報道によって地検が動くというのは、
その報道を見ていることで、市民が司法に参加しているということになっているのかなぁ。
もしそうだとしたら、それは違うよなぁ。ただ眺めていただけですよ。
でも、これからは、ちょっとそれとは違わなきゃですね。
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ネタ

2010年04月24日 | Weblog
なんか、最近のニュースを騒がしているのは、離党とか、新党立ち上げのような気がします。
あれって、自民党の力が弱まっているということになるのかな。
そしたらですよ、二大政党制にならないのではないのかなと思うのですけど。いいのかな。
野党になってから離党していくって。。。なんかいい感じではないなぁ。
自民党も、若手議員の方々にがんばってほしいですね。

もうすぐ選挙がありますよね。
選挙はいいのですけど、選挙のたびにいろいろありますよね。。。あれって、よくないと思うのですけど。
見ていて、ウンザリというか、嫌気がさす感じ。
ていうか、政治家の方は、嫌じゃないのかな。ものすごく疑問なのですけど。
そんな選挙戦に、民間人を巻き込むのは、いけないと思う。ゼッ。。。。ッタイにいけない。
それが、日本経済の損失なんて事になるのだったら、いったい政治ってナニ?となるではないですか。
そんなこんなで勝ち得た政権なんて、結局は無くなってるではないですか。

党首討論を見ました。テレビ放送ではみれなかったので、ネットで見ました。
言われていたのは、普天間の事と、政治とカネの問題。そして、デフレの事もありました。

まず、普天間の事なのですけど、自民党の谷垣総裁が、
「普天間は2014年には、返還される予定になっていた」と言われていたのですよ。
それってですよ、他に移設するということでの、普天間返還だったのかな。
それがよくわからない。その中身は、今は言えない感じなのかなぁ。
2014年と言ったら、4年後ではないですか。

次に、政治とカネの問題なのですが、この件に関しては、実は、あまり興味がなかったのですが、
この事が、マスコミの恰好のネタとなって、それに巻き込まれる人々がいるみたいで、
興味ないなんて言っている場合ではないということがわかりました。

今回、鳩山総理の元秘書の方が、裁判を受けられていたみたいですが、
その判決が出るのが、立件から早かったみたいですね。
なんか、選挙が近いから、そうされたみたいな記事を読みました。
この件ですよ、どう思っていいのかなぁという感じです。
だってですよ、この事って、マスコミが騒いだことから始まってませんでしたっけ?
そして、立件して裁判。
このマスコミが騒いで、そして裁判という流れって、ずっと以前からあるということなのですね。
ということは、「マスコミ被害者」という方々が、少なくないということか。
そんな中には、自ら命を絶たれた方もいる。

政治には、お金が必要なのですよね。
アメリカでは、オバマ大統領が、すごい政治献金を集めたと話題になってました。
これってですよ、献金を公表しているということですよね。使い道も公表してるのかな?
日本もですよ、その献金を公表したらどうかなと思うのですが。
で、その献金が、ちゃんと政治に使われているのならばいいわけですよね。
まぁ、素人考えなのですが、そういうことではなくてなのかなぁ。
「政治とカネの問題」なんて言われているけど、これって、まさにマスコミが付けたタイトルという感じっぽい。
いつまでも、恰好のネタを与えるワケにはいかないと思うのですけど。
あと、選挙というのに問題があるのかな。
選挙の度に、改革しようとする度にテレビは大騒ぎになっていて、いったい何が目的なのだという感じの
事が起きている。
先にも書きましたが、そんな中で、自ら命を絶たれている方もいる。
国会議員の方々は、いつ何時、自分がそうなるかわからない状態で政治をされているのかなぁ。。。
いったいなんてことなのだろう。。。
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三権分立

2010年04月17日 | Weblog
この世の中には、いろいろな疑問があるわけで、その中の一つに世論というのがある。
世論はいいのですが、それがマスコミ報道と一致してしているかな?

(゜▽゜)メッチャ、ギモン

だってさ、小泉内閣の時に、マスコミは、めちゃくちゃに言ってなかったっけ。
それなのに、支持率は高かったよね。

(゜▽゜)ウン

それに、田母神さんの時だって、マスコミはワーワー言っていたけど、
ある議論番組では、視聴者の田母神支持が高かったみたいだし。

(゜▽゜)ソウソウ

そういえば思い出したけど、小泉内閣の支持がずっと高かったから、
「みなさん、いったいどうしたのですか~」なんてテレビから呼びかけいたんだよぉ。
あんなことしていいのぉ?

(゜▽゜)サァ。。。

世論形成かぁ。。。マスコミは、指示されてやっているのだろうけど、
それってやっぱり官僚さん達が絡んでいることもあると思うワケで、
この両者の関係ってさぁ。。。

(゜▽゜)モチツモタレツッポイ

たまにテレビで、「国民の怒り爆発!」なんて言っている時があるのだけど、
はぁ?と思うよ。いったいなんのことぉ?って感じ。
そんなこと全然思ってないしぃと思ってみてることが多い。
たまに鳥が飛んでるよ。鳥が。

(゜▽゜)シラケドリ~

そうそう、「権力」ってさ、三つに分けられているよね。
「立法」「行政」「司法」にね。

(゜▽゜)サンケンブンリツ

でもね、マスコミを含めての、四権分立と言う言葉があるらしい。

(゜▽゜)アリエナイシ!マジ、アリエナイシ!

ま、それは置いといて、三権分立の「司法」なのだけど、
最高裁判所は、人権保障の最後の砦としての「憲法の番人」があるべき姿なんだって。
でも、日本国の三権分立は、司法権が行政権に支配を受けやすい状態みたいで、
なんと、このような最高裁判所の実態は「憲法の番人」ならぬ「権力の番犬」と揶揄されることもあるらしい。

(゜▽゜)バンケン。。。イワレタモンダナァ

うん。でさぁ、たまに「司法の壁は厚い」なんて聞くじゃない。

(゜▽゜)ブアツイ

あれってさぁ、なんの壁が分厚いの?よくわからない。
てかさぁ、「司法」があるべき姿ではないということだよね。

(゜▽゜)「バンニン」ジャナクテ「バンケン」ダッテ

これって、あるべき姿になってもらえばいいということかな。

(゜▽゜)タブンネ

じゃあ、「司法」のあるべき姿ってどんなの?時代によって違うということはないよね。
司法の基本形って?

(゜▽゜)ワカンナイ

うん。だね。それじゃ、ネット検索して、司法のあるべき姿を探しに行こう!
こうなれば、三権分立をまとめて検索してしまえ!

(゜▽゜)ワァ~、タノシソウ。ソーシヨウ、ソーシヨウ
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リクルート

2010年04月15日 | Weblog
映画「それでもボクはやっていない」(以後「それボク」)をみて以後、
ネットを検索したり、本を読んだりしているのですが、
なんていうのですか。。。こぅ、迷路に入ってしまったような感じです。

「起訴したからには、絶対に有罪をとる」その場合の有罪率は、99,9%。
この数字って、検事さん達にとっても危険な数字ではないのかなと感じるのですけど。
いろんな内容で、起訴までの流れがあると思うのですが、
「それボク」のように、無実を訴えながらも起訴される人もいるワケですよね。
起訴する前の状態を「立件」というのですよね。それが勾留期間となるのかな?
あの勾留期間の状況というのは、検事さん達が、絶対に白状させる状況なワケですよね。
そんな中でも、無実を訴える人がいるワケで、それに対して、疑問をもたないのかな。
どんな人でも参ってしまう状況なのですよ。そんな中でも無実を訴える。
いわゆるドラマ風にいうと「こいつはシロかもしれない」という疑問。
もし、疑問をもったとしても、もう後には引けない状況なのかな。
もしそうだとしたら、「起訴したからには有罪を取る」ではなくて、「立件したからには有罪を取る」ということ?
「立件」の前を「申し立て」というみたいなのですが、この「申し立て」の時に、
誤解をはらすなり、和解をしておいた方がいいということなのですね。
99.9%の有罪率が検事さん達にとっても危険なのでは?というのは、冤罪もゼロではないですよね。
先日もあったばっかりで、さらにぶどう酒なんて言われている。
冤罪事件って、検事さん達にとって、恐怖ではないのかな。
というか、検察というのは、市民の信頼が欲しいというか、必要なワケですよね。
あの冤罪事件ってそれを低くするのではないのでしょうか。

「申し立て」の時に、なんとかしていればいいのだろうけど、でも、警察に申し立てしたのに、
動いてくれなくて、大きな事件に繋がってしまったのもあるみたいですよね。
「申し立て」って、例えば1日に、どれくらいの量があるのだろう?
テレビCMで、「あなたのモラル大丈夫ですか」なんて流れているのをみたことあるのですが、
あの内容が110番されてくるワケですよね。。。ムム~。。。迷路。

まぁ、手探り状態なのですけどね、「申し立て」→「立件」→「起訴」→「裁判」
というのが裁判までの流れなのかなぁ。
確実なところはわからないけど、多分、そうなのかなぁと。


最近、本を買いました。「リクルート事件・江副浩正の真実」という本。

リクルート事件・江副浩正の真実
江副浩正
中央公論新社

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リクルートというと、情報誌ですよね。
私自身がリクルートというのに気付いたときには、世の中になければいけない存在だったような気がします。
私にとっての、リクルートの入り口は、「とらばーゆ」だったような気がします。
あの「とらばーゆ」で、仕事を探したこともあったし、また、仕事を探すわけでもないのに、買っていたりしていました。
それはなぜかというと、世の中には、こんな職種があって、その職種はこれぐらいのお給料なんだぁとかをみているのが楽しかったのです。
特集記事もあったような気がするなぁ。あと、就職までのいろいろが書いてあったと思う。
履歴書もついていた。。。そういえば、表紙もよかったような気がする。

そんなこんな「とらばーゆ」をみていた頃あたりに「リクルート事件」というのはあったのですね。
そのことについては、あまり記憶がないです。
この「リクルート事件・江副浩正の真実」を読んでいると、今までみてきたいろいろな場面と重なるのです。
例えば、ライブドアや郵政の時のように、マスコミが必要以上に騒ぐとか、映画「それボク」の場面。
官僚とマスコミの関係。そして世論。
国会での、野党の政権を取るための攻めや動き、失言で審議が進まない状況。
政治献金の事などなどが、この本の中に、それらが一つになって書いてあるような気がする。

まず、マスコミが騒いでいるとあった時に思ったのですが、リクルート誌というのは、情報誌であって、
それって、新聞にとって不利な感じですよね。
だから、デジタル化において、最近みてきたマスコミと同じ状況なのだなと思いました。
あと、その当時、国会では、消費税を導入しようとしていたところだったみたいで、
当時、与党だった自民党議員、それも大物議員の名前が出ていたみたいで、そこで野党の動きがあったわけですね。

。。。これってですよ、事件といわれているけど、何を指して「事件」と言ってるのかな?
この事の中心には何があったの?
私は、最近「マスコミ被害者」というのがいらっしゃるのだなというの感じます。
こうやってマスコミが騒ぐことで起きる裁判というのは、誰が申し立てをして、どうやって立件するのでしょうか?
以前から、すごい疑問なのですよ。

この事に関しては、「日本経済の損失」と言われていました。考えてみたらそうかもしれないと思った。
リクルートって、社員の方が会社を退職するのが、30代と聞きました。それで、起業される方が多いのですよね。
その話を聞いた時に、すごいと思いました。

雑誌というのは、いろんな人が携わってできていると思うのですが、リクルート誌もそうだと思うのです。
いろんな人が携わってできていると思うのです。。。というか、携わっているのですっ!!

このリクルート事件で、いろいろ検索していたら、なんか、なっとくいかないような、そんな事件と呼ばれるのが他にもあるということ知りました。
それは、国策捜査といわれているみたいですね。
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それでもボクはやってない

2010年04月08日 | Weblog
周防監督作品「それでもボクはやっていない」を観ました。

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内容は、裁判のお話。
主人公の男が、映画のタイトル通り「ボクはやっていない」と無実を訴え続けるのです。
その男には、痴漢の容疑がかけられているのです。

お話の流れ的には、自分はなにもやっていないと訴えながらも、刑事にいきなり攻められる男。「早く吐いちまえ!!」の状態。
なにがなんだかわかんない感じの男。
刑事は男に言うのです。「罪を認めたら、交通違反と同じで、罰金だけで釈放されるのだ」と。でも、「ボクはやっていない」と否認する男。
この後、どうなるのなか思いきや、なんと、男は留置所に入れられるのです。

その留置場でも同房者に「初めてなの?何もやってなかったら弁護士をよびな。当番弁護士」とすすめられる。
当番弁護士に合う男。その当番弁護士が男に言った台詞は
「痴漢での有罪率は99.9%。1000件に1件しか無罪はない。裁判に勝てる保障がない。
示談で済む犯罪で、裁判で戦ってもいいことがない。でも、これが日本の現状だ。
認めて示談にすれば誰にも知られず、明日か明後日には、ここを出られる。
否認していればここで3週間は取り調べを受ける。それで、起訴されれば裁判だ。
無罪を争えば1年はかかる。その上、本当に無実でも、無罪になる保障はない。
今、認めて示談にすれば、それでおしましだ」と、示談を進めるのです。
でも、男は「ボクはやっていない」と訴え続けるのです。

で、場面は変わり、男は副検事の取調べを受けるのですが、取調べになっていない状態。副検事が、全く男の話を聞いてくれないのです。
そして、拘留質問で、当番弁護士と同じことを言われるのです。
「無実を訴え続けると、ここから出られないよ。訴えると、10日間拘留と言われる。認めて、罰金を払ったらここから出られる」と。
せめ続けられる男なのですが、「ボクはやっていない」と無実を訴え続けるのです。
そして、副検事に起訴される男。ここで、拘留されてから3週間経っているのでした。

ここまでの流れを「人質司法」というと映画の中で言ってました。
確かに、本当に罪を犯してしまった人には、白状しやすい状況なのかもしれないけど、無実の人には、つらい状況ですよね。
映画を観ていて思いましたけど、こっちがくじけそうになりました。
よく、自白を強要されたとか、厳しい取調べで、自分が罪を本当い犯したのではないのかという錯覚にとらわれたなどと聞きますが、
映画を観ているだけでそんな感じだから、実際は、恐怖を感じるのではなかろうか。
この映画の中の取調べは、恐らく、ソフトな方だと思うのですよ。例えば、特捜とかの取調べは、長時間だと聞きました。
何度も言いますが、本当に罪を犯してしまった人には、ここで罪を認めてしまった方が楽になるのかもしれないけど、
無実の人には、つらいというか、恐怖でしょうね。

まぁ、映画の中のお話ですが、ここまでが裁判までの流れなのでしょうね。

映画の中で、裁判官が、マスコミのインタビューかな?それに答えているのですが、
「事実認定は、あくまで検察官が合理的な疑いを入れないで、どの証明をしたかどうかを、判定する作業です。
証拠は無いけど、本当は被告人が真犯人だなんて悩む必要はない。検察官の証明を、吟味して有罪の確信が持てなかったら無罪」と言ってるのですが、
まぁ、これまた映画の中の台詞なんですけどね、これが裁判だぞと言ってるワケかなと思って。
裁判って、いろんな裁判があると思うのだけれど、この台詞からすると、検察側の証拠開示の場ってこと?
でも、映画の中で、弁護士が証拠を出してと言わなければ、検事は出さないと言っていたんだよなぁ。。。
ドラマとかの情報によると、弁護士は、被告人の弁護や、できるだけ刑を軽くする方へ促すなどの存在のような気がする。
裁判というのは、検察が起訴することによって始まるということかな。だからして、起訴したからには、絶対に有罪を取るということなのですね。

裁判の前の段階を拘留期間というのだっけ?なんというか、検事の取調べというのは、どんな人でも参ってしまうという話をききました。
その中でも、ずっと無実を訴えている人って、やっぱり何かありそうな気もするけど。。。
いろんな裁判があると思うのですが、無実を訴えるが為の裁判って。。。。。。。
この映画の男の場合、ちゃんとした証拠がないワケですよね。。。でも、起訴ってできるんだ。裁判という場に持っていけるんだ。
映画の中で言っていた「99,9%の有罪率というのが前提」って、つまりそれが常識になってるということでいいかな。

裁判に入ると、お金もかかるし、日数もかかるワケでしょう。
だから、無実を訴えている人は、その拘留期間中にちゃんとした証拠を見つけてあげなければいけないような感じがするなぁ。
自白と言っても、そのウラヅケというのが言うのが必要なワケでしょう。それもちゃんとしなければいけないような気がするけど。
最近、無罪になった冤罪の事件でも、その記事を読んだ時、自白の確認をしなかったみたいなことが書かれてあったと思う。
自白があったとしても、その確認?ウラヅケ?ですか、やった方がお互いの為のようですよね。

この映画のシナリオ本ですか、もっともわかりやすい解説付きで欲しいかも。日本の司法の現状ですよね。


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Q.E.D.

2010年04月03日 | Weblog
Acid Black Cherryの「Q.E.D.」には、一つのストーリーがあります。

そのお話は、ある殺人現場から始まっていくのです。
そこで遺体となって発見されたのは、女優志望の女性。
それを発見したのは、彼女の隣室に住む弁護士。
その事件の捜査をする、二人の捜査官。
マスコミと世論。
捜査官とマスコミの関係。
遺体で発見された女性の友人。その証言。
一人の新聞配達員の男。
無理やりな取調べ。検挙率。
マスコミと世論。捜査官とマスコミの関係。

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一人の私立探偵。
その彼に自分は無実だと訴える男。
一度は無理やりな取調べに、罪を認めた男だったが、
「わたしは無実です」と訴えかける。

そして、男の死。

事件から、16年後に起こったある夫妻が襲われた事件。

闇。

。。。などが登場するお話です。

「真実」とは?「正義」とは?と考えさせられるストーリーです。


いままで歌と言ったら、共感したり、自分の思い出の場面と重なったり、
また、自分が気に入ったドラマのストーリーの中の曲などで、
自分の中に刻まれていく所があったのですが、
アルバム自体にストーリーが付いているのは初めてでした。
お話の中に、歌詞の一部が入っているのですが、このお話を読んで曲を聴くと、
また違った印象で聴いてるのですよ。

強引な取調べに一度は罪を認めた男。
でも、「わたしは無実です」とずっと訴え続けた。
そんな男が、突然、自ら命を絶った。
それまでの、身の潔白を訴え続けてこれたのは、
ある人の存在があったからかもしれない。
あれは優しい嘘だったのだなと思った。

「存在する」って、一つの力に繋がるね。

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エイベックス・マーケティング

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↑今はまっているDVD。
お話のきっかけとなる殺人事件現場は、ジャケットのように、
幼子を抱えるマリア像のようだったのです。
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テンション

2010年04月01日 | Weblog
昨日の党首討論をみました。
普天間基地のことと郵政の事について話されていたと思います。

最近、沖縄の普天間基地の事がニュースに出てますが、あの話は13年前くらいから話されているみたいですね。
沖縄って、第二次世界大戦後、アメリカが統治していたのですよね。
普天間基地は、1945年の沖縄戦の最中にアメリカ軍がつくった。
そのアメリカ統治時代に琉球政府というのが存在していたみたいですね。
この琉球政府というのは、当時、沖縄の日本復帰要求など、米国民政府の意向に反する言動がしばしばあったため、
米国民政府が指揮できる政府ということでつくられたとか。
この琉球政府は、琉球住民が行政主席だったのだけれど、米国民政府が、琉球政府の決議を破棄できるような状態だったとありました。
でも、沖縄島民の本土復帰運動は盛んで、この運動が日本への返還への原動力となったとありました。
そして、1972年沖縄は日本に返還されたのですよね。

私は、この沖縄が日本に返還されたときのことをなんとなく憶えています。
テレビ報道で、「沖縄が日本に返還されました!人は右側通行、車は左側通行になりました!!」という感激の言葉に
市内の様子が写し出されたいる映像が記憶に残っています。

今、思うのですが、アメリカはよく沖縄を日本に返還してくれましたよね。
やっぱり、そこに多くの日本人が住んでいたというのがあるからかな。
日本全体がというよりも、沖縄島民の方々が日本に帰りたかった。それが、本土復帰運動に繋がったのだろうなぁ。
さらに思うのですが、米国民政府が指揮していた琉球政府というのがあったにもかかわらず、本土復帰運動ができたというのは、
米国民政府は、頭ごなしに沖縄島民を押さえつけていたというわけでもなかったのかなと思いました。
その辺りは、想像になってしまうので詳しいところはわかりませんが、戦後27年間くらい沖縄はアメリカだったのですね。

普天間基地のことは、鳩山総理が言われるように、やはり慎重に考えなければと思うのですが、
これは、沖縄の負担軽減ということで考えられているのですよね。
確かに、那覇に行った時には、戦闘機の音には驚かされたりしたり、あと、米軍の方の事件、事故があったりするのですよね。
私の住んでいる街にも、米軍基地があって、何度か事件、事故の話を聞いたりしたことがあります。
でもですよ、その反面、米軍の方とカップルで歩いていたり、そうじゃなくても結婚したりされているのもあるではないですか。
なんか、マイナス面ばかりを出していますけど、それだけではないと思うのですけど。
確かに、被害者のご家族やご友人の方々は胸を痛めていらっしゃるのかもしれませんが、決してマイナス面ばかりではないと思うのですが。

というかですよ、この米軍基地の話は、13年くらい前からあったということですが、今回、大きく取り上げられていますが、
それは、あの連立を組んでいらっしゃる少子化担当大臣ですか、あの方が振り回しているようにも見えなくはないのですが。。。
鳩山総理が、「こういう風に考えているところです」なんて発言したことに、「えぇ~、それじゃぁ。。。」って感じの不満なコメントをしたりして
なんていうのですか、チラリとテレビを見ていて、これっていいのかなって感じもしなくもない雰囲気に感じるのですけど。
なんかですね、がんばっていらっしゃるのはわかるのですが、こぅ、一人でがんばっていらっしゃるように見えるのですよ。
他の党を見ていると、党首の方がいらっしゃって、でも、他の党員のかたもちゃんと存在感があるように見えるのですが、
あの少子化担当大臣の党は、あの方だけのようにしか見えません。
まぁ、国会審議を見ていると、その党員の方を知ることができるのですが、国会審議を見ずに報道番組だけを見ているとしたら、
あの方だけがあの党の主人公だと思います。

普天間基地を、移設させなければいけない、ちゃんとした理由はなんなのでしょうか。それがわからない。
確かに、抑止力の観点というのもあるわけだし、国外へなんて言われているけど、核兵器をちらつかせている国も近くにあるワケじゃないですか。
お金もものすごくかかるのですよね。
というか、これは、沖縄の方々がどう思っているかですよね。
沖縄が返還されたのも、沖縄島民の方々の返還運動によってもたらされたものなんですよね。
だから、沖縄の方々がどう思っているかを知った方がいいのかもしれないなと思いました。
また、日本国としてもどうなんだろうかというのも大事なようにも感じます。



郵政のことですが、最近、ゆうちょ銀行と保険の限度額が上がったというニュースを聞きましたが、
あれは、改革前にもどりつつある状態だと聞きました。
で、いろいろ考えていたのですが、郵政って、そんなに一度民営化したのを、戻さなければいけないほど国がやらなければいけない
事業なのかなという疑問がでてきました。
確かに、医療とか教育とかは国がという感じで、あと戦争をすればするほど儲かる民間会社の存在とかは困ると思うのですが、
郵便事業が、そんなにそこまで国がやらなければいけないのかなと思うのです。
もし、最悪、郵便局が無くなったらですよ、宅急便とか佐川急便がなにかをやってくれそうな気もするのですが。
。。。っていうか、結局はお金なんですね。ゆうちょ銀行と保険のお金が必要というワケなのですね。
そして、そこに見え隠れする利権ですか。やはり官僚の存在があるのですね。
このことを今回の事ですごく感じました。

この郵政大臣もですよ連立を組んでいらっしゃる党の方ですよね。しかも、因縁がある方ですよね。
なぜこのポジションにという感じもするのですが。
まぁ、亀井さんなのですけどね、亀井さんって、本音をいう方なのだろうなぁとは思うのですよ。
先日の国会審議でも、鳩山総理が、「企業からの献金をやめていかなければいけませんね」という風に言われたそばから
「鳩山総理はお金持ちだからそれが出来るかもしれないけれど、自分のような者にはできるはずがない。
もし献金を禁止するとしたら、民主党だけにしてくれ」とはっきりと言われていたのですよ。
それを聞いていて、それが本音なんだろうなぁと思った。
で、今回の限度額の事を聞いて思ったのですが、やっぱり政治にはお金は必要なんだと、
そして、官僚も守らなければいけないんだと言ってるように感じたのです。
そんな風に感じて、それが今までの日本の政治のやり方だったのだろうなと思ったワケです。よく親方日の丸体質なんて言われてますよね。
それで、小泉内閣で改革を進めていって、少々、方向性を変えていこうとしていわワケだと思うのですが、
それを、元にもどすって悲しくないですか。
だって、今までのやり方ででしか政治はできないと言っているワケですよね。方法が一つだけって悲しくないかな。
改革によってもたらされたものによって、他のやり方も探っていいのではないかと感じるのですけど。

小泉内閣では、官から民へということだったと思うのですが、今回のことは、民よりも官という感じですよね。
それでいいのかなという疑問が出てきたワケで。。。その限度額を上げたり、元の政治姿勢に戻したりというのは
国がさらに繁栄するためにだと思うのですが、政治だけの要因が国の繁栄に繋がるのかなという疑問もでてきました。
確かに、土台は政治なのかもしれませんが、政治だけが国の繁栄をもたらすのかな?それだけではないように思えるのですけど。
今回の限度額を上げたというのは、政治だといってるように感じたワケで、なんというか、テンションが下がる感じです。
どうしてテンションが下がったのかなと考えてみたら、民営化ということで、不安もありつつも、どこか期待感もあったのでしょうね。
でも、元にもどりつつある政治姿勢に、テンションが下がったのだろうと思います。

あと、いろいろ考えていたら、教育って何のためにするのだろうと思ったのですよ。
自分でもなぜそんな事を思ったのかわわからないのですが、そう思った。
国の決め事の中で生きていくというのはそうなのですが、自立できるようにという目的もあるのではないのなかとふと思ったワケで。
そうすると、やはり、官だけではなく、民も大事ということに繋がっていくワケで。。。
優秀な方々が、みんな官だけにいくはずはないですよね。民の方にもいらっしゃるワケで。
国の繁栄の為に教育があるのだろうなぁとは感じるワケで。。。だとすると繁栄とはなんだろうと思ったしだいです。

今回の限度額が上がったことでいろいろ思うところがあって、もうちょっと考えたいところです。
。。。ちょっとテンション下がったけど、そうしてみます。
コメント
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