夢中人

sura@cosmic_a

ぶっ壊す!!

2008年09月28日 | Weblog
・・・で、日教組ってナンですか?
中山国交相の発言は、さわぎになる覚悟での発言のような気がしますが。
政治家としての熱き使命感のようなものを感じます。
・・・で、日教組?日本教職員組合とな。
学校の先生達の組合ということですかね。。。教育関係ですね。
『日本の教育の「ガン」である日教組をぶっ壊すために、
私が頭になるんだという決意を示した」。。。ここまで言っちゃう中山国交相。
そうなんですね。
私も、その日教組とやらを知ってみたいと思います。
知るには、テレビ、マスコミ意外がよさそうな気がします。
なんかそう思うんですよ。

中山国交相は、日教組をぶっ壊す!!
私は、テレビをぶっ壊す!!
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見知らぬ街

2008年09月28日 | Weblog
見知らぬ街の拠点から、ちょっと離れた住宅街の一軒に行くのと、
拠点からちょっと先の公共の場所に行くのってどっちが困難?






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独り占め

2008年09月27日 | Weblog
救世観音。。。いつもお目にかかれるというわけじゃなかった。
お目にかかれる時期があったんです。
春の季節の頃の4月11日~5月18日
秋の季節の頃の10月22日~11月22日。。。の期間だけだったんです。

その期間ってどんな感じかな?
ちょっと一目見て終わりって感じかな。
もしそうだったら嫌だな。絶対に嫌。
・・・・。
もし、もしもだよ。私のわがままが通る状況だったら、この救世観音を2時間でいいから独り占めさせてもらう。
国宝である救世観音の2時間を、私の為だけの2時間にしてもらう。
そしてまた、中宮寺のお堂もそうさせて欲しい。これも2時間でいいんです。
これまた国宝である菩薩様の前にジ~っと2時間座っています。
さらに、今回、京都のお寺で龍安寺というところに行ったんですが、そこに枯山水があったんですよ。
驚きました。枯山水の力に驚きました。
だからして、あの龍安寺も独り占めしたい。
開館前か閉館後でいいから2時間独り占めしたい。
私だけの為の枯山水であってほしい。2時間だけでも。。。
。。。どうかなぁ。。。私のわがままは、かなえられるかなぁ。。。どうですか?
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変化

2008年09月24日 | Weblog
沢山の外国文化を取り入れた飛鳥時代。
取り入れられた文化は、日本の中でだんだんと変化していったんだよね。
だからして思ったの。
奈良から京都のお寺を見た時に、京都にあるこれって、奈良にあったあれが変化したものかなぁってね。
それは、飛鳥にあった「亀形遺跡」は「つくばい」もしくは、神社やお寺にある「手水場」に変化しちゃったんじゃないかと。
亀形遺跡
   ↓
   ↓時代と共に変化
   ↓
    
手水場                  つくばい  
                       などなどに変化?? かな??これは私の妄想です。
もう1つ気になる記録があって、612年(推古20年)に「百済の味摩之(みまし)を桜井に住まわせ、
少年に伎楽(呉学)の舞を習わせる」とある。
奈良時代には盛んに上演されたが、鎌倉時代に衰退したとのこと。
。。。でもだよ、「聖徳太子絵伝」にその様子が残っているんですが、
よく見てみれば、笙をふいているような人がいるんだよね。それにあの太鼓って。。。
鎌倉時代に衰退したとかじゃなくて、「雅楽」に変わっちゃったとかじゃなくて??
そうじゃなかったら、他のに変化して残っていそうな気がするんですが。

↑。。。これって「雅楽」だよなぁ。。。うん。これと同じ太鼓が画かれているけど。
笙って東儀秀樹さんが演奏しているよね。
なんで衰退しちゃったってなってるんだろう?
衰退じゃないと思うんだけど。。。。まっ、いいか。
でも、まぁ、日本で最初に舞を習ったのは、女の子じゃなくて男の子なんですね。
そうなんですねぇ。。。
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中宮寺

2008年09月24日 | Weblog
私は、今まで、お仏像というものにあまり興味がありませんでした。
しかし、今回、飛鳥時代というものに気がついてから、お仏像に興味津々になってしまいました。
それはなぜか。。。まず一つにお美しい。お仏像がこんなにお美しいとは思いませんでした。
見とれちゃうくらいにお美しい。
そして、実際にお見かけすると、なにか、安心感をもたらしてくれるようです。
お仏像の前で何時間もジ~っとしていたい気分になります。
そのお仏像の中でも、ひときわそんな気分にさせてくれるお仏像がありました。
それは、中宮寺にある弥勒菩薩半跏像です。

国際美術史学問者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少ない「古典的微笑」の典型として、高く評価され、
エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれているそうです。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を左ひざの上に置き、右手を曲げてその指先をほのかに頬に触れんばかりの
その考えるお姿は、なぜか心を奪われてしまう。
確かに、考えてる姿とはいいものですよね。その姿に影響されるようです。

中宮寺は、法隆寺のそばのあるお寺。
現在のお堂は、昭和43年に出来上がったのもで、実際にはちょっとずれた位置にあったみたいです
法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画があったとか。
それって、男子校、女子校みたいなものなのかな?とおもってみたりしました。
でも、この中宮寺が女性の為のお寺というのが雰囲気からわかるんですよ。
いい感じの雰囲気なんです。靴を脱いでお堂に上がり、お仏像の前に座っているだけで
安らかな気持ちになれるようなんです。

お堂の周りは池。なんとも知れず、優しい風がお堂の中に吹いてくれました。
この弥勒菩薩半跏像は1300年あまりもこの斑鳩の地にいらして、いろんな方に
いろんな影響を与えられてこられたんでしょうね。
「・・・じゃぁ、考えてみようか」ってね。
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2008年09月18日 | Weblog
旅に出かける前に、それなりに飛鳥に関する本を見ていたんですよ。
そしたらその中に、飛鳥の食膳の再限写真があったんです。
その当時の貴族の食膳は(私からみて)そーとーなおごちそうですよ。
現代からみても、かなりいい物だと思います。
で、その中に気になる物があったんですよ。
それは「蘇(そ)」という食べ物。
蘇は、チーズみたいなもので、仏教と共に日本へ入ってきたと思われる
牛乳でできいるそうです。
搾りたての牛乳を焦げ付かせないように7~8時間火にかけ、水分をとると
赤みを帯びたベージュ色の塊ができるそうです。
それを型枠に入れて形をととのえて食べやすい大きさにして食べるそうです。
この蘇は当時は、超高級食材だったみたいです。そして、美容の滋味でもあり、
また、薬みたいな役割もあったみたいです。
貴族の人々の中でも、一部の人しかくちにできなかったみたいですね。

チーズおいしいもんね。今やいろんな種類のチーズがある。
そんなこんな記憶を残しながら飛鳥へいってみたら、なんと飛鳥寺の売店で蘇が売られていました。
早速購入してみていただいてみました。
 
。。。うん。牛乳。チーズよりちょっぴり苦さがあるというか、甘みが少ないかな。
そっか、薬でもあったんだもんねぇ。
なんというか、牛乳との付き合いがこんなに長かったなんて知りませんでした。
ちなみに、その当時の庶民の食事は、現代でいうところの朝ごはんみたいなもんです。
ヘルシーと言えばヘルシーです。
そうそう、あと、お箸なんですが、貴族は使っていたみたいなんですが、
庶民は小さいスプーンサイズのしゃもじみたいなのを使っていたみたいです。

貴族の方がはあのお食事を全部いただいていたのかなぁ。
いくら私がよく食べると言っても、あの量は毎日いただけません。
日頃は庶民のお食事量で、たまに宴の時などにあんなお食事だといいと思うんですが。
どうだったんだろうか。。。
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法隆寺

2008年09月18日 | Weblog
法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築。
訪れたのは2回目。前回は高校生の時の修学旅行で一度行きました。

 
 
 
603年(推古13年)聖徳太子は飛鳥を離れてこの斑鳩にある法隆寺に引越ししちゃうんです。
聖徳太子はなぜ都を離れ、この斑鳩にきちゃったんだんでしょう?
ん~。。。と考えてみて、もしかしたら、蘇我一族の一員としてこの世に生まれてきちゃって、
しかも賢かったばっかりに国政のお仕事をせざるおえないことになっていて、しかも重要なポスト。。。
でも、太子は、一生懸命に国政のお仕事に力を注いだはず。
そんなある時、太子はもっと仏教のことを研究してみたいと思ったんじゃないかな。
それで、飛鳥周辺に引越ししちゃっても同じ状況になるだろうし、それだったら飛鳥を出て、でも遠すぎずの距離
(飛鳥から斑鳩につながる太子道をつかって徒歩で3時間くらいの距離)にあるこの土地を撰んだのかなぁと思いました。
その当時のお寺は学校みたいなところだったんですよね。
そうすると太子はそこで、仏教を研究する学者さんということになるのかな?
法隆寺の中には、東室や妻室という、僧侶が生活していた住居があるんですよ。
 
それって、今言う学生寮みたいなんものなのかなぁと思ったです。
太子は仏教の研究にも、そして教育にもちからをそそいでいたのかなぁ。。。

お寺の建築の目的は教育だったのかな。人間力を高めるお勉強を広めて、それを国の力にしていきたかったのかもしれないな。
それは、太子はもちろん、蘇我馬子さんも推古天皇も同じ気持ちだったんだろうな。
学び続けるには生きていかなければならないよね。生きていくことで学べることも沢山ある。
多くの人々が、生きていって学んでいけるようにと、お寺にはそんな願いもこめられているのかもしれないな。
お寺ってそうなのかなぁ。。。と思っていて、法隆寺にて文字を書く機会にあったんですよ。
その時にかいた文字です。

「生きていくこと」「学んでいくこと」と書いてみました。
日本には書道という道がありながら、私は文字を書くのはイマイチです。
筆を持つのも随分と久しぶり。
。。。でも、書道っていいかもと思いました。一文字書くだけで何かが違いますね。

  
  
こちらは、太子が瞑想にふけったという夢殿。太子はどんな瞑想をしたのかな。。。
法隆寺は、その当時の国を司る方々の願いや希望がこめられた所なのかな。
日本に繁栄をもたらし、そしてずっと学び続けていけるようにと。

法隆寺では沢山の写真を撮ったけど、この写真が一番のお気に入りとなりました。

五重塔の屋根と空しかなんですけど、なにかいいんです。

法隆寺にもうそろそろ紅葉の季節が訪れようとしています。
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十五夜狂言の夕べ

2008年09月18日 | 狂言
今回の旅の不思議がもう1つあるんですよ。
それは、今回の旅は「法隆寺」が目的て行こうと思った旅なんです。
この法隆寺にさえ行けば、飛鳥文化はわかるだろうぐらいに思っていたんです。
よしっ、法隆寺に行こうと思って、ネットでいろいろ検索していたら、
なぜかリニューアルしたばかりの「万作の会」の公演スケジュールをチェックしたくなったんです。
で、よくよくみてみたら、16日の夜に橿原文化会館にて「十五夜狂言の夕べ9」で萬斎様が出演されるとのこと。

へ~と思って、でもこの橿原というのがどこにある街だかわかんなくて、それよりも、なんと読むのかもわかりませんでした。
でも、よくよくホームページなどを読んでいると、橿原市は奈良県にあって、まさにそこ辺りが飛鳥文化の発祥の地だったんです。
法隆寺は、飛鳥時代を代表するお寺なのかもしれませんが、そこは聖徳太子の研究所みたいなところで、
そこが政治の中心地ではなかったんですよね。
飛鳥文化を知りたければ、この橿原市に行かねばならなかったんです。
この萬斎様の狂言がなかったらこの橿原市には足を運んでいなかったような気がします。
。。。そう思うんですよ。


この「十五夜狂言の夕べ9」ですが、初めて観させていただく大蔵流狂言と和泉流狂言がありました。
そして、トーク&ワークショップは茂山宗彦さん。あのNHK朝の連続テレビ小説に出演されていた方ですね。
おしゃべりはとっても快調な感じでお上手でした。
その中で、何人かの方の物まねをされていたんですよ。その中に、萬斎様がいらっしゃいました。
「遠いと思っていたけど意外に近いね・・・」とか「橿原文化会館なのに橿原じゃないというフェイント的な・・・」などと
宗彦さんの物まねはとってもお上手でした。
もう一回観たいかも。。。

この旅は台風が近づいているということで、天気が心配されたんですが、そんな心配はなんのその、良い天気に恵まれたと思います。
この狂言が終わって、会場を出たら夜空に真ん丸い月が。
あの月ではウサギが餅つきをしているんですよね。
その考えは、すでに飛鳥時代にはあったらしく、聖徳太子がお亡くなりになられた時に、
お妃様の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の往生した天寿国の情景を見たいといってつくらせた
天寿国繍帳というのがあるんです。
その天寿国繍帳の左上に月があるんですが、そこにはウサギが餅つきをしているんです。
お月見の習慣は縄文時代からあったらしく、すでに飛鳥時代には確立されていたのかもですね。
すごいですねぇ。。。飛鳥時代はだいたい今から1400年前。。。だからぁ、縄文時代はさらにその何百年前?
とにかく、その時からの習慣がまだ残っているんですよ。
いろんな意味や形がその時代によって異なるかもしれませんが、みんなで、知らない土地の人々も、遠くにいる人も、
同じ月を見上げるという習慣が。
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飛鳥への旅

2008年09月18日 | Weblog
京都・奈良まで、ちょっと出掛けてきました。
1泊2日と短い滞在だったんですが、いろんな所を駆けずり回り、
そしてまた、萬斎様の狂言も鑑賞してしまうという有意義な旅となりました。

今回に移動は新幹線を使いました。
飛行機や高速道路など、いろんな移動手段がある中、この新幹線の利用は久しぶり。
何十年ぶりといっていいです。そんな何十年の間に新幹線も進化していたんですね。。。
 
利用させていただいたのは「N700系」という新型モデル。
新幹線ってこんなに広かったけ?と思わせるような明るくて広々とした空間。
これっていいかもと思った車内の電光掲示板。文字が大きく読みやすい。
ちなみに行きの電車では、経済のニュースが中心だったように思えます。
博多~京都間はこのN700系で約2時間40分。
京都って意外に近かったんだなと思った。新幹線いい感じです。
また乗らなきゃ。

最初に訪れた場所は、飛鳥文化発祥の地大和飛鳥。
推古天皇や蘇我馬子、そして聖徳太子らにより、政治、そして文化の発信が行われた場所。
その当時の都だったんですね。飛鳥は広々とした田園風景が広がる場所でした。
そして、黄金色の稲の中に紅い花が。。。そう、彼岸花が今から咲きほころうとしているところでした。
 
 
 

この飛鳥では、蘇我馬子が建築したという日本で初めてのお寺「飛鳥寺」や
蘇我氏のお墓と言われている「石舞台古墳」、そして飛鳥に関しての本に書かれてあった
「亀形石造物」などを観ることができました。
 
「亀形石造物」は2000年に発見されたものです。
そこからは、亀形石造物を含む導水施設や石垣・石敷もみつかったみたいで、
導水施設は湧き水施設から水を流し、木樋によって小判形石造物へと水を流し、
水槽に溜まった上澄みだけが側面の小穴から亀形石造物の鼻に流れ込んで、背中の水槽に溜まる構造になっているみたいです。
この水を聖水として使用していたのではないかということです。
 
↑これが「亀形石造物」。そのとなりが遺跡全景。
きれいにのこっているんですよね。すごいなとは思うんですけど、でも、なんで亀?
飛鳥時代に創られたものを観ていると、ちらほらと亀が登場してくるんです。
そりゃぁ、鶴は千年、亀は万年といってめでたい感じはするんですが、
飛鳥時代では、結構ポジションが高いような気がするんです。
なんでかなぁ。。。と思っていて、まぁ、その時代の価値観かなぁなどと思っていたら、
あるお寺の池に、亀が泳いでいたんですよ。
あぁ。。。亀だぁ。亀ってこんな感じだよなぁ。。。と思ってなにげなく写真を写したら、こんな写真がとれました。

亀の甲羅のところに男性のような模様が見えません?まさに飛鳥時代の人を思わせるかのような風貌。
目をカッと見開き、冠をかぶられて、口ひげとあごひげがあって、立て襟のような飛鳥時代のお衣装を身にまとっていらっしゃるようじゃないですか。
私はこれを見て思いました。
飛鳥時代の方々は、亀を神か仏の化身か、もしくは、その方々の使いと思っていたのではないかと。
だから「亀形石造物」はまさに聖なるもので、亀の甲羅の部分に水を溜め、そこになにかを映し出していたんじゃないかと感じました。
これは、あくまでも私の妄想ですけどね。
でもですよ、「浦島太郎」は神話の部類みたいですよね。
浦島太郎」と言えば、亀が登場してきますよね。結構、重要な役割です。
亀ねぇ。。。亀。
ちなみに、この亀は法隆寺のそばにある中宮寺のお池にいらっしゃった亀です。
中宮寺のことは、また後で書きたいと思います。

ちょっぴり不思議で冷静さと情熱がからみあったロマンあふれる古代日本の旅はまだまだ続きます。。。
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2008年09月06日 | Weblog
「和」ってさ、ナニかな。
辞書を引いてもピンとくる答えは載っていない。
「和」ってさ、「全体の美」とか「宇宙」じゃないかなぁと思うんだけど。
でさぁ、「和」を表現してるものってなんだろうと思ったら、「枯山水」がやってきたワケ。
これがすぐに自分の頭の中にやってきた。
これって、学校の授業で習ったと思うんだけど、こんなにすぐに自分にやってきたというのが
不思議に思える。
で、「枯山水」をネットで検索してみたら、「推古天皇28年(620年)頃、
蘇我馬子が飛鳥川畔につくった「島」が日本庭園の最も古い記録」とあった。
。。。推古天皇ですか。。。ほほ~う。
またもや飛鳥時代。今、にょ~にはまっている飛鳥時代。

京都・奈良ですね。斑鳩の法隆寺。
。。。どうせなら行ってみますか。
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和を以て貴とせよ

2008年09月03日 | Weblog
救世(ぐぜ)観音。聖徳太子の生前の姿を写しているといわれている観音像。
救世主の救世と書いて「ぐぜ」。聖徳太子は救世主なのか。

この観音像ステキ。バランスがいいというかスタイルがいいというか
この見とれちゃう感じはナニ?
この像が創られたのは飛鳥時代。今から千年以上前のこと。
この頃の時代が日本のベースとなり今へと繋がっているんだ。
この時代にできた言葉が「和を以て貴しとせよ」。
歴史上の人物が実際にいたとかいないとかはわかりませんが、
この言葉は、はっきりとあるんですね。

福田首相の突然の辞任。驚きました。なぜだろという気持ちもありました。
でも、だんだんとわかってきました。
福田首相は「和」を選ばれたんじゃないかと。
今、辞任されるのは福田首相にとって、よい影響はないはずです。
それに、これからの国創りに向けて進まれていた。それなのにそうされた。
それは、いろいろなことがあって、それで「和」を選ばれたのではないかと
感じているところです。
首相になられた頃のインタビューを聴いていて、日本的な感覚を
大事にされている方なのかなと感じていました。
福田首相のお声は、とても穏やかで聞き心地のよいお声です。
そんなところにも「和」の影響がでていらっしゃるのでしょうね。

日本は世界に影響している。そして、世界は日本に影響している。
日々の生活からそんなことを感じるこの頃。
世界中でいろんな出来事が起きている。いいことばかりじゃない。
悲しいで出来事もある。
そんな出来事には「和」が光をさしてくれるのではないかと感じた。
そんな「和」は、守っていかなければいけないことの1つなんだ。

「和を以て貴しとせよ」。
そんな「和」の影響を受けた方々によって、この国は守られている。
日本に生まれてきてよかった。
そう思っている私がいます。
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