東海道、続きをやりたい!
でも金ねぇし…!
家計苦しき折、2週続けてってのもねぇ…。
でもやっぱり行きたいし!
もじもじしながら、やっぱり現地に向かってしまうコスモタイガー…。
通い慣れた?乗継で、またしても小田原駅へ。
小休憩を兼ね、軽食をとるのもパターン化してきたぞ。
東海道本線に乗り換え、大磯駅に到着したのは12時過ぎ。
前回の終了地点、「鴫立沢」交差点まで歩き、本日の出発点とする。
目の前の国1を、東に向かってスタート。
国1はすぐに左にカーブするけど、分岐して真っすぐ進む狭い道が東海道やね。
でもこれまたすぐに行き止まり、直角に左折し、国1に合流。
「照ヶ崎海岸入口」という交差点らしい。
国1runに戻る。
資料によれば、この辺りから大磯宿なんだけど、残念ながら、かつての宿場の雰囲気はあまり残ってない。
途中、大磯本陣跡があるが、わずかに案内板を掲げるのみ。
「三沢橋東」の信号を直進、100mほどで、左斜めに分岐する道が。
はい、これ、東海道ね。
そしてここから松並木も再び始まる。
別世界のような静かな道になった。
しばらくして左手に
江戸見附跡。
ここまでが大磯宿ね。
ある種の規則性がわかってきてるから、説明書きも斜め読みになったりしている。
東海道本線を地下道で潜るけど、道は線路の向こうにもそのまま続いてるからね。
道なりに走り、やがて再び国1に合流だけど、合流地点の手前に「化粧坂(けわいざか)一里塚跡」。
すぐ隣には、「虎御前の化粧井戸」。
国1沿いなのに、この一角だけが旧道の雰囲気を残している。
何だか随分前の「日永の追分」の湧水を思い出すなぁ。(旧東海道編10参照)
そしてこの合流地点が「化粧坂」の交差点。
ここからまたまた国1runだけど、左手に小高いけどちょっと気になる山がある。
昔の人にとっても目立つ山だったようで、高麗山(こまやま)というらしく、広重の絵にも描かれているらしい。
ちょっと寄り道。
左折して、山裾の高来(たかく)神社を目指す。
高麗山に高来神社。
きっと元は「こうらい」だったんだろうね。
ってことは、朝鮮半島に存在した「高句麗(こうくり)国」と何か関係あるんだろうなぁ、と推測はできる。
それにしても何かイベントでもあったのかな?
結構な人だかりで、賑わってるねぇ。
この街道ラン、よく地域のイベントに出会うよね…。
神社の裏手から、高麗山のハイキングコースがあり、かなりの興味が湧くんだけど。
距離もそこそこありそうだし、起伏もあって、こりゃ、クロカン走にはもってこいだ!
でも…。
やっぱ、やめとこ!
道草し出すとキリないし、ここは時間取りそうだし。
後ろ髪引かれる思いで、国1に戻る。
「花水橋」を渡る。
文字にすると綺麗だけど、口にすると、風邪引きそうやね。
「古花水橋」の交差点には「東海道平塚宿」と書かれた大きな石碑がある。
ここが京方見附跡で、ここから平塚宿の始まりね。
ちなみに現代もここが大磯町と平塚市の境界になっているようだ。
さっき大磯宿出たばかりだけどね。
実は大磯宿~平塚宿間は、現代表記で2.9km、御油宿~赤坂宿(約1.7km)に次いで2番目に間隔が短い。
ランナー的には、本当に近い感覚だよ。
ここは三叉路になっていて、左の国1を選択。
最初の角に歯科医院があるからね、そこを右折するのが東海道。
気になる史跡があるようだから、またまた寄り道ね。
案内表示に従えば良いから、迷うことはないけれど、左折して北を目指すと右手に要法寺。
さらに奥の公園の一角に、こんもりとした塚がある。(写真)
その名も「平塚」。
桓武天皇の孫、高見王の子、平政子なる人物がここで亡くなり、その塚(墓)を地元では「平さんの塚」→「平塚」と呼ばれるようになったというのが通説だ。
だから平塚市なんだね。
東海道に戻ろう。
すぐに右からやってきた広い道に合流。
さっきの「古花水橋」で右の道を選ぶと、この道を来ることになる。
すぐに左手に「平塚宿本陣跡」。
しばらくはこの道をひたすら走るのみ。
脇本陣跡も石柱で示してあった。
平塚市民センターの前が「江戸見附跡」。
はい、平塚宿終了。
右手奥に平塚駅が見える。
しばらくは平塚市のド真ん中を走るだけで、東海道らしき見所、何にも無いよ。
まぁ、知らない街を走ってるゾクゾク感はあるけどさ。
「馬入」の交差点。
左から国1が合流してくる。
その手前に「馬入一里塚跡」の案内板があった。
そのまま国1run。
「馬入橋」で相模川を渡るのさ。
江戸時代は舟渡しだったとさ。
ここからまた、長~い国道runが続くんだよね。
箱根までの道中が変化に富んでいるのに比べると、大磯以東はちょっと単調感があるのは否めない。
途中で、新湘南バイパスを潜り、約10分ほどは、ただ漫然と国道1号を走る。
小出川という小さい川を渡ると、右手に「ニトリ」が見えてくる。
その手前に、ニョキニョキと、太い切り株みたいなものが
旧相模川の橋脚だ。
関東大震災の際、相模川流域が隆起した結果、鎌倉時代の橋脚が姿を現したとか。
小さな池(水たまり?)を作り、保存されている。
さらにそこから3kmほど走ると、茅ヶ崎駅前の交差点に出る。
本当にこれ、東海道なの?と不安に思ったりするんだけど、ちょっと進むと右手に「茅ヶ崎一里塚」の跡が、こんもりとした繁みになって残っている。
「道」に対する考え方の違いかな?
あるいは急激に東京のベッドタウンとして発展してきた結果なのか、この辺りは、旧東海道がほとんどまるまる国道1号として利用されている感がある。
「保存」だの「整備」だの言ってる間もなく、東海道を取り急ぎ?拡張して国道にし、そのままあれよあれよと発展してきた感じだ。
国1と東海道が付かず離れずなのは当たり前なんだけど、今まではところどころで分岐したり、全く離れたりして、それなりに変化はあったんだけどね。
現代でもメインストリートとして活躍してるから、かなりの交通量だ。
その中をまだしばらく国1とお付き合いしないといけないよ。
茅ヶ崎一里塚以降も、特にこれといったスポットもなく、国道1号を走り続ける。
微妙なうねりが、かつての街道であることをわずかに主張している。
途中、ほんの少しだけ松並木も残ってるんだけどね、なにせ交通量が多く、生活感ありすぎる状況で、興ざめ状態。
「大山街道入口」の信号までやってきた。
名前の通り、大山街道と交わっている。
先には鳥居も見える。
って、前回(旧東海道編38)にも「大山道」の道標、あったよね?
まぁ、関東では大山詣りは、江戸時代は盛んだったらしいから、参詣の道がいくつも存在してたということやね。
さらに進んでやっとこさ、「辻堂一里塚」。
左側にある。
成り行き上、右側走ってた上、しばらく見所もなかったからね、あやうく見落とすところだったけど。
あわててすぐ先の「羽鳥交番前」交差点を横断し、一里塚を近くで確認しておく。
国1run、「馬入一里塚」から10km以上続いたんじゃないの?
ここでやっとお別れだ。
次の「四ツ谷」の信号で、左右に分岐するけど、旧東海道は右の道。
(ちなみに国1は左で、そのまま藤沢バイパスとなる。)
といえば聞こえはいいけどさ、これ、旧国道1号だよね。
藤沢゛バイパスができたから、県道(44号)に格下げになっただけなんちゃうの?
というわけで、国道が県道になっただけで、似たような状況だけど。
右手に赤い屋根の小さなお地蔵さんを発見!
不思議なことに、顔には常に白い粉が付いているらしく、「おしゃれ地蔵」というらしい。
そしてここが東海道であることをやっと確認できる。
「引地橋」を渡る。
すぐに左の脇道に。
と思いきや、すぐに道なりに右折し、そのまま再び県道に合流。
ほんの100mほど分離しただけね。
それでも久しぶりの分離で、ちょっと嬉しかったりする。
で、そのまま走ってしばらく、電車の線路を高架で渡る。
左手50mほど降り立ったところに駅が見える。
「藤沢本町」駅。
はい、こうなりゃもうゴールにしたいよね、乗りたいし。
ちなみにこの駅は「小田急江ノ島線」
名前の通り、小田急本線(小田原線)の相模大野駅と、観光地として有名な江ノ島までを結ぶ路線だけど。
また「本町」という名前からして、この辺りがかつての藤沢宿の中心だったんたろうな~と推測できる。
まだ16時前だし、このまま江ノ島まで行ってしまいたい気持ちは山々だけど。
今日もなんだかんだと20kmちょっと走ってると思うし、意外に移動だけでも疲れるのさ。
東海道本線藤沢駅まではわずか1駅。
つまみ食いってやつね。
藤沢駅前を軽く見学。
ここから出てる江ノ島電鉄も魅力的なんだけどなぁ。
中学生のころに乗ったきりだもんな~。
まぁでも、今日は大人しく帰ろうっと。
東海道本線に乗り、小田原駅にまたしても再会。
もう何度目かの「こだま」の乗客となったコスモタイガーであった。
※(2016.5.26追記)ルート地図、作成しました。(ここをクリック)