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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧東海道編(40)

2013-03-22 | 旧東海道run!!

せっかくのGW、1日ぐらい街道ランに使いたいよ。
てなわけで、今日もまた、小田原駅で東海道本線に乗換、藤沢駅下車。
さらに小田急江ノ島線に乗換、前回のゴール地点、「藤沢本町」駅まで1駅。

と、文字にすれば簡単なんだけど、ここまで来ると移動だけでもかなりの稼働で、すでに12時半を過ぎている。

駅前散策もそこそこに、さっそく本日のトレーニングを開始する。
線路に沿って50mほど駆け上がると、県道43号。
これが旧東海道ね。

東に向かって走るとすぐ、「白旗」の交差点に出た。
いきなりだけど、寄り道したい。
交差点を左折し、北へ300mほど進むと、「白旗神社」がある。

名前からして源氏に関係することは容易に推測できるけど、ここは悲運の名将、源義経を祀っているらしい。

奥州で最期を遂げたとされる義経だけど、その首がここまで運ばれ、葬られているという。
まぁ、真偽のほどは不明だけど、この辺りではそう信じられているらしい。
ということは、当然、義経は、奥州であっさり討たれたという前提なわけだよね。

そもそも義経は奥州では死んでいない!って話も有名だけどね。
多くの諸説や文献もあって、かなりのボリュームだから、詳細は省くけれど、俗に言う「義経北行伝説」ってやつだ。

秘かに奥州藤原氏の本拠、平泉を抜け出した義経一党は、ひたすら北を目指し、逃避行。
津軽海峡を越え、蝦夷地(北海道)に入る。

ここでアイヌ人たちに受け入れられ、彼らを統率しながら余生を送ったとか。

いやいや、そんなケチ?な話どころか、さらにそこから北に向かい、ついには大陸に上陸。
そこでジンギスカンになった、という説まであるしね。

どの説もそれぞれ頷ける部分もあって楽しいし、単なる伝説では片づけられない部分が多々あることも確かだ。

実際、平泉以北に、義経や弁慶に由来する地名や名字が残ってたりして、彼らが平泉であっさり?死んだとすると、これらは説明できないらしい。

一行を風呂に入れ、その際に「風呂」の苗字を義経から直々に賜ったとされる風呂家は、今も続いている。
(時折、TV番組等で、珍名として紹介されている)

弁慶岩とか判官神社とかも東北や北海道各所に残ってるらしいし。
義経は正確には、源九郎判官義経(みなもとのくろうはんがんよしつね)、だからね。
弁慶はもっとも有名な家来やね。

地名として例を挙げるとすれば、青森県の黒石市。
鉄チャン的には、弘南鉄道弘南線の終着駅なんだけどね。
その語源は、九郎→黒に転訛したとする説もある。

鉄チャン目線で、もう1つ。
名前の通り、津軽半島を走るJR津軽線の終着駅、三厩(みんまや)駅。
江戸時代には、松前街道(または広義の奥州街道)の三厩宿として栄えた集落だけど、その語源は、義経一行がここに滞在し、その期間、3つの厩(うまや:馬小屋のこと)を設けたことによるとするのが通説だ。

こんな感じで、あちこちに義経や弁慶にまつわる地名や史跡が残っているという事実があるけれど…。

それなら平泉での最後、義経が自害のために立てこもったお堂の前で、弁慶が立ちふさがり、矢があちこち刺さっても、立ったまま死んでいく、あの有名なシーンは、何だったのか~って話になっちゃうんだけどね。
個人的には大好きなシーンなんだけど。

あの名作「さらば宇宙戦艦ヤマト」での都市帝国爆破作戦にも流用?されてるからなぁ。
爆破装置をセットする真田技師長。
それを仁王立ちで敵兵から守る斉藤始空間騎兵隊長。
銃弾を何発も受けながらの「技師長、あわてず急いで正確にな!」の名セリフ、カッコ良いねぇ!

セット完了と同時にバタッと倒れた斉藤、駆け寄る真田技師長。
「隊長、ありがとう。」
あ~、思い出すだけで涙が出る~。

って、何の話してんだ?俺。
脱線しまくりだ。
いい加減、話を戻さなきゃ。

「白旗」の交差点に戻り、東に進む。
ちなみにここから、今までの県道43号から、国道467になるらしい。

と、またすぐの道を左折し、奥まった小公園に、義経の首塚。
そしてその首を洗ったとされる、首洗井戸がある。
さっきの白旗神社の関連史跡的な感じやね。

国道467に戻る。
やがて左手に「蒔田本陣跡」。
要するに、藤沢宿の本陣跡。

藤沢本町駅からこの辺りまでが、藤沢宿の中心だったのかな?

しばらくはそのまま国道を走る。
「藤沢橋」の交差点に出たら行き過ぎ。
その1本手前の道を左折するのが東海道さ。

すぐに橋を渡り、そのまま直進。
正面に大きな寺院が現れる。

藤沢宿の象徴、遊行寺(ゆうぎょうじ)だ。(写真)
正式名称は「清浄光寺」。

せっかくだから寄ってくことにしよう。
樹齢700年超のイチョウの木もあり、ひとときの癒し空間だ。

来た道を戻る。
橋の手前を左折する。
すると県道30号に出る。

かなりの交通量だ。
関東地区に入っていることを実感するよなぁ。

ここは上り坂になっている。
資料によれば「道場坂」というらしい。

左手に「遊行寺一里塚跡」の説明板。

残念ながら、ここを過ぎるとしばらく見所もなく、ひたすら県道ラン。
知らない街を走る楽しさはあるけどさ、街道らしさはほとんどない。

ついに横浜市に入った。
前後駅スタートで気楽に始めた東海道ラン。
あの時点でまさか横浜を走ることになるとは思ってなかったよ~。

やがて左からやってきた国1(藤沢バイ゜パス)と合流、そのまま自然と国1を走る。
片側2車線(だったかな?)の大幹線だからね、情緒も何もないよ。

「原宿」の交差点もそのまま直進。
500~600mほどのところに「原宿一里塚跡」があるはずなんだけど、右側を走ってたせいか、完全に見落としたらしい。

まぁ、「跡」だからね、説明板があるだけらしいから、そのまま進むとしよう。
でも先のことを考えると、ここは右側を走ってた方が絶対無難なんだけどね。

「吹上」の信号を越すと、上り車線と下り車線が少し離れた感じになる。
東海道は下り車線、つまり今走ってる右側だからね、そのまま走ってれば良いのさ。

1kmほど走ると、国1とパイパスが分岐して、インターチェンジみたいになってるから、ややこしいけどさ、とにかく右の歩道を道なりに走ってれば迷うことはない。
要するに、(バイパスではない方の)国道1号が旧東海道ってことさ。

やがてサイゼリアが見えてくると、そこに「戸塚宿見附跡(上方見附)」の細長い表示柱が。
戸塚宿京側の入口ってことだけやね。

わずかに石垣を残す、と資料にはあるんだけど、本当に「わずか」だよ。
完全に花壇?扱いされ、その上には土を入れて盆栽?のような木が植えられている。

200mほど進む。
「戸塚町」の交差点、道路反対側の左手にはこんもりとした森がある。
交差点を渡り、森の前に行くと、そこは「富塚八幡宮」。

この辺りではそれなりに有名な神社で、後方の森(小山?)は、「塚」の名が示す通り、古墳ということらしい。
この「富塚」の「み」が抜けて、「戸塚」に転訛したとする説もあるようだ。

そのまま国1左側を進む。
興味がなければ、普通に国道を走ってるだけの感覚なんだけど、こんなメインストリートにも、神社や史跡が散見するから、かろうじて東海道の匂いを感じ取れるんだね。
左手に八坂神社があるのもその1つだ。

戸塚消防署を超えたところに、戸塚宿澤邊本陣跡の木柱。
現在も、澤邊さんがお住まいになっているらしい。

何やら大きなビルが目立ち出し、明らかに都会の雰囲気。
戸塚駅がすぐ右手にある。

両側は工事中で、近い将来、大きなショッピンクセンターになるようだ。
街道らしさはまったく無く、不安になるけど、とにかく国1を行くのが正解らしい。
「清源院入口」の交差点名がかすかにそれを伝える。

その清源院は、左手奥まったところにあるらしいけど、こんな都会の中、ウロウロする気になれないから、先を急ぐことにする。

東海道本線を踏切で渡る。
さらに進んで吉田大橋を渡る。

渡ってすぐに「戸塚一里塚跡」の案内板を目にする。
ついに東海道も残り40kmを切ってしまったよ!

ちょっと進んで、右にカーブする国1。
そのカーブが終わると、左手にダイエーがあるけど、そのわずか手前が「戸塚宿見附跡(江戸方見附)」。
はい、戸塚宿、終了。

コスモタイガー、国1を気持ち良く走ってたから通り過ぎ、あわてて戻ってきたけれど、この先、小さな橋を渡ってすぐの「舞岡入口」の信号を右折するのが東海道。
左手に大きな工場があるから、それが目印かな?
久々に国1を外れるから、逆に調子狂っちゃったよ。

200mほどて、道が右と左に分岐するけどさ、これはもう、確信持って左を選択。
いかにもって感じの曲がり方してるしね。

この辺りの東海道はちょっとややこしいけど、逆にそれが新鮮だったりする。

「不動坂」の信号脇で、再び国1に合流、そのまましばらく国1を進む。
2kmぐらいかな?
左から来る道と立体交差するけれど、そこから右に分岐する別の道があるから、これが東海道ね。

ちょっとだけ街道らしさを感じたと思ったら、またすぐに「赤関橋」で国1に合流。
で、またすぐの道を右に入る。

そうすると「東戸塚駅入口」の信号に出るんだよ。
そのまま国1を横切り、直進する。

のどかな住宅街の中、小川(水路?)沿いの道を走る。
ちょっと街道らしからぬ状況だから、不安だけど、資料を再確認すると、やっぱり間違い無いようだ。

でも路線バスの停留所を発見!!
これ、意外と重要な目印なんだよ。

バス路線も基本は鉄道と同じ、集落と集落を結び、人を運ぶところから始まってるからね。
むしろ鉄道以上にきめ細かく東海道上の集落を結んでるケースも多い。

こんな狭い住宅街の道でも、あえてこの道にバスが走るということは、何かこの道自体に意味がある。
そんなことに気付きだすと、街道ランも楽しいね。

水路?を離れたところで、分かりにくい5叉路に出るけど、道なりに斜め右を選択。
街道特有のうねりも出てきて、久々に「らしさ」を感じられるね。

でもさ、時計を見ると15時半。
せっかくノッてきたところだから、もっと先にも行きたい気持ちもあるけど、利便性も考えて、この辺にしておこう。

「坂下」のバス停があるから、ここをゴールにする。
「神奈川中央交通」。
いや~、興味ありありなんだけど。

残念ながら?ここを左折して、北西へ5分も歩けば、JR東戸塚駅。
バス乗るまでも無いからさ。

今日は最近ではちょっと少なめ、東海道だけで14~15kmぐらい?
実走距離、16~17kmというところかな?

東戸塚駅前は、大型百貨店が建ち並び、予想外の賑やかさだ。
あまり散歩する雰囲気じゃないね。

ここから小田原まではJR東海道本線、そして「こだま」に乗換、いつものルートで帰宅。
それでも自宅到着は20時過ぎなのさ。

コメント (2)
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