本職?のレースを楽しんだり、大風邪をひいたりして、しばし中山道から遠ざかってしまい、いつしかすっかり冬になってしまった。
野球では、落合政権では最低の3位と低迷し、何となく盛り上がりに欠けたドラゴンズ。
あまり良いことなかった2008年も、師走半ばを迎えた。
窓からはやわらかな冬の日差しが差し込む。
さぁ、久々に中山道runに出掛けよう!
いつものように大高駅に車を置き、これまた久々に「青空フリー切符」(2,500円)を購入。
米原駅で近江鉄道に乗り換える。
懐かしい「S・S切符」(550円)を購入し、本線で八日市駅へ。
さらに支線の八日市線に乗換、武佐駅に降り立った。
旧東海道runで利用した、あの切符、再び使うことになろうとは。(旧東海道編19&24参照)
そして予定通りなら、今日の(交通費としての)出費はこれだけ。
前回、武佐駅から郡上八幡に出てしまったことを逆手に取り、こうして八日市線も全線乗車!
まぁ、目的は「中山道」、じゃなかった、まじめなトレーニングなんだけど。
中山道といっても、近江路は全体的に穏やかで、交通の便も、部分的な「空白地帯」もあるけれど、それなりに利便性は整っている。
ところで、我々東海地区の人間にとって、中山道は、現代の国道19号、電車なら中央本線(西線)に並行するイメージが強い。
まぁ、「中山道駅伝」(または東濃駅伝:中津川駅前~多治見市役所間)なんてのもあるからね。
「中山道駅伝」と中山道との関わりについては、また別の機会に触れることにして、実は中山道のルート、そんなに単純ではない。
だからこそ、旧東海道以上に、事前に念入りなルート確認や交通アクセスのリサーチが必要なのだ。
詳細は長くなってしまうため、その都度触れるつもりだけど、近江路では概ね、鉄道なら近江鉄道&東海道本線、車なら国道8号が現代版中山道ということになるかな。
「何で中山道なのに『東海道』本線なの?」という疑問が残るけど。
もともと東海道本線は、敷設時の構想として、鈴鹿山脈を越え、文字通り旧東海道に沿う形で想定されていたらしいけれど、当時の時代背景や利便性等の様々な事情が絡み、名古屋(正確には熱田駅)から急遽北に向きを変え、中山道ルートに変更になったことが大きな理由だ。
さて、前回、夕暮れ状態だった武佐駅、今日は明るい日差しの中、再度写真におさめ、本日のトレーニング、スタート!
と思ったら50mぐらい?
ほんとにスタート直後、高札場跡がある。
周囲の町並みも静かで雰囲気あって、いきなり武佐宿に入り、旧街道オーラ全開だ!
この武佐宿周辺の説明板は、地元小学生の手作りとかで、何だか温もりを感じさせる。
その上、地味ながらも宿場の雰囲気もよく残っている。
すぐに常夜燈があり、だて続けに「松平周防守陣屋跡」。
小さな武佐宿だけに、濃縮された感じで目白押しだ。
「本陣跡」。
さらにすぐ隣といっても良いところに、旅籠「中村屋」の建物が当時のまま残る。
正面の郵便局が「伝馬所跡」。
かつての商家「大橋家」も昔のままの姿らしい。
何やら忙しいけれど、いかにも旧街道らしい微妙なうねりが雰囲気を出している。
信号を渡ってさらに進むと「武佐町会館」。
ここが脇本陣の跡やね。
さらにちょっと進むと、左手に牟佐神社。
右手には武佐小学校。
ここの小学生たちが、説明板を作ってくれたんだね、どうもありがとう。
そしてこの神社が、武佐宿東側の入り口ということだったらしい。
つまり、東に向かうコスモタイガーとしては、武佐宿はここまでね。
当分は道なりに走る。
途中で県道を渡って、近江八幡市から安土町に変わったらしい。(2008年現在。ちなみに2010年3月、合併により、(新)近江八幡市となりました)
安土町といえば、何といっても、織田信長が建てた「安土城」が有名だけど、中山道のルートからも外れてるし、直接関係もないからね。
今回はパスする。
左手に「東光寺」。
この辺りを拠点にした「六角氏」ゆかりのお寺らしい。
老蘇(おいそ)小学校を右に見て、道は緩やかに左にカーブ。
「福生寺」。
ここも天正年間に遡る名刹らしいけど、キリないからね、そのまま進む。
すぐに左手に、大きな森が現われる。
「奥石(おいそ)神社」。
その背後に「老蘇の森」。
奥石神社の本殿は、天正年間に創建されたものらしく、重要文化財に指定されている。
その奥の森も一体となって、静かなパワースポットになっている。
いつしか中山道は北に進み、そのまま国道8号にぶつかってしまった。
ここからは仕方なく、しばらくの間、国8を走るしかない。
といっても1kmもない話で、右手にド゛ライブインが見えたら、そこから左に分岐する小道がある。
当然、これが中山道。
ホッとしたところで、行き止まりを今度は右へ。
冬とはいえ、今日は暖かい。
近江路ののどかさも、それを後押ししている。
いつのまにか東近江市になったらしい。
500mほどで、国8が右手に再び近づいてきたと思ったら、T字路で行き止まり。
その手前に井戸のような史跡が。
清水鼻名水と銘打った、かつての立場(休憩所)跡。(冒頭写真)
ここで中山道を行きかう人々の喉を潤したんだね。
今も現役?の湧水らしい。
再び国8。
でもまたすぐに右へ分岐するのが中山道。
見どころらしいところもなく、ひたすら進む。
左に郵便局があり、小さな川を渡ると、右斜めに行く道がある。
うっかりまっすぐ行ってしまいそうだけど、ここは斜めの道を行く。
この辺り、旧五個荘(ごかしょう)町に属し、近江商人発祥の地とされているけれど…。
かつての面影を残しているものの、これといった目玉もない感じもある。
まぁ、五個荘集落の中心は、中山道からはずれ、国8の反対側、西に約800mほどのところにある商人屋敷街だから、仕方ないけどね。
五個荘集落も、寄り道したい気持ちもあるけれど、まずは中山道走ることが先決だし、このまま先へ行く。
近江鉄道本線を渡り、やがて広い県道に出た。
ここに常夜燈が残っている。
そのまま左の方に進むと、再び線路を潜って「簗瀬北」の交差点で国8と交わる。
右折して「御幸橋」を渡るしかないね。
下を流れる大河は、「愛知(えち)川」。
我々愛知県人は、どうしても「あいち」と呼んでしまいそうだけど。
この橋はかつて、「無賃橋」とも呼ばれたらしい。
江戸の世では、橋はあっても有料が当たり前の時代。
貴重な「無料」の橋だったのだ。
ひたすら国8を走る。
この辺りはちょっと楽しくない区間だけど。
御幸橋から1km弱、道は大きく2手に分岐。
そのまま左に行くのが国8、右が旧国道かな?
で、中山道はその旧道の方だよね。
頭上に大きく「中山道愛知川宿」のアーチが掛かってるから、すぐ判るけど。
商店街のようになってしまっていて、ちょっと物足りない感じはするけれど、ところどころに宿場の面影を残す愛知川宿。
左手にいかにも古い佇まいの建物は、かつての旅籠跡らしい。
さらに進んで、脇本陣跡、高札場跡と、簡単な標柱のみ。
1本道で迷うところはないけれど、何となく盛り上がりを欠いたまま、愛知川宿を抜ける。
小さな川を渡る。
「歌詰橋」というらしい。
平将門を退治した、藤原秀郷。
その秀郷を、将門の「生首」が追ってきて、ここで秀郷を襲ったという話。
「歌を読んだら許したる」と言われ、秀郷さん、即興で和歌を作ったとか。
そんな話が由来になってるらしいけど、当然ながら、架空でしょうね~。
さぁ、豊郷町に入った。
今じゃ、あるネタですっかり有名になった町だ。
ある意味、今日はこれが一番の見どころかも?
やがて右側に立派な古い家が。
この堂々とした構えは「伊藤忠兵衛旧宅」。
続いて「伊藤長兵衛旧屋敷跡」が。
要するに伊藤忠&丸紅の創始者のことやね。
そういえば、西武グループの堤家も、この辺りの出身で、もともとは近江商人だ。
(東海道編19参照)
だから近江鉄道(西武系列)が、この辺りは親切すぎるぐらい、きめ細かく対応しているんだね。
いずれにせよ、近江商人侮りがたし!
大手企業を興す気風があるらしい。
豊郷町役場前に出る。
その少し手前に、小さく目立たない様に「一里塚跡」の碑があった。
さらにそこから進んで約300m。
小さな神社があり、今度はまたまた一里塚!
しかもこっちは文字通り「塚」として整備されてある!
説明書きを読むと「本物はもう少し南、役場近くにあった」みたいなことが書いてある。
あ~、さっきの小さい碑のあったところやね。
紛らわしいなぁ。
どうせなら、正規の場所で復元すれば良いのに。
この手の史跡は、その場所にあるからこそ、意味があると思うのだけど…。
で、ちょっと進むとすぐ右手に、目指すべき「豊郷小学校」があった!
まさについこの間まで、この小学校の旧校舎を残すべきか建て替えるべきかで、町ぐるみで揉めに揉め、町長さんの進退問題にまで発展し、一躍全国ニュースになった場所だ。
残念?なことに、敷地内は工事中のため、判然としない。
よそ者がとやかく言える立場にはないけれど、耐震などの安全面が解決できるなら、残してもらいたいものだ。
(2013年現在、結局、新校舎とは別に、旧校舎群として保存されたようです)
しばし、単調な道が続く。
両側には小さなお寺や工場があるものの、足を止めるほどの見どころはない。
正直、ちょっとこの辺り、ダレ気味のコスモタイガー。
淡々と走る。
やがて道の両側に欅並木がある、ってことらしいけど、季節がら、これも別にどうということはない。
いつのまにか彦根市に入ったようだ。
県道を渡ると今度は松並木。
距離も本数も少ないけれど、久々に目を楽しませてくれる。
左に了法寺、月通寺と、何気に歴史ありそうなお寺が続き、ここが中山道であることを教えてくれている。
微妙にカーブはしているものの、この辺りはひたすら1本道で、少々退屈ではある。
高宮橋で犬上川を渡る。
そしてこの橋も「無賃橋」だったらしい。
名前の通り、ここから一気に宿場町の雰囲気になった。
高宮宿だね。
イントネーションは、最初の「た」を強く言うらしい。
ちと、言いにくいけど。
すぐに目立つ寺院がある。
「円照寺」。
境内には徳川家康が座ったとされる「家康腰懸石」なるものがあった。
円照寺向かい側にあるのが、本陣跡。
立派な門だけが残っている。
さらにちょっと進んで左手、脇本陣跡。
東海道で散々見てきただけに、「跡」だけではなかなか心が動かないんだよね。
感動のハードルが高くなっちゃったかな?
街中なのに、右手に大きな鳥居が見えてきた。
多賀大社一の鳥居ということらしい。
中山道はこのまま鳥居をくぐらず直進だけど、この鳥居の下を通ってひたすら進むのは、多賀大社への参詣道ということになる。
次回の腹案との兼ね合いもあり、今日はここをゴールにする。
時計も15時半を過ぎてるからね。
この時期、日が短いから、この辺が潮時やね。
実走距離、20km弱かな?
ルール通り?といったところだよね。
さて、この鳥居から徒歩5分ぐらいで、近江鉄道「高宮駅」がある。
このまま中山道を進み、300mほど先の十字路で右に曲がれば、高宮駅だ。
近江鉄道高宮駅は、多賀線も分岐する、近江鉄道の主要駅の1つ。
ここから、往路で使った「S・S切符」が再び活躍し、米原着。
ちょっと米原駅周辺を散策したのち、東海道本線で大高まで戻ったコスモタイガー。
予定通り、「青空フリー」と、「S・S切符」の組み合わせだけ。
近江路は、懐にやさしい街道なのだ。