さあ、この道をとりあえず南下。
やっとまじめ?なトレーニング、と思いきや、すぐ左手に児童公園。
「北大江公園」。
本能寺の変の直後、一説には、ここにあったお屋敷に細川ガラシャ夫人は匿われたとされる。(※細川ガラシャ夫人については、西国街道編1後編を参照)
信号は多いけど、とにかくこの道を南下。
今度は左側に「中大江公園」があり、本町通、中央本通を越えれば、南大江小学校。
この小学校の敷地を間借り?するように存在するのが、太閤下水(背割下水)。(冒頭写真)
文字通り、太閤豊臣秀吉が建造した下水路であり、現在も現役の下水路として機能している。
南大江公園を過ぎ、200mほどで突然道が狭くなり、階段になる。
ここにあるのが「榎木大明神」。
名前とは異なり、この樹木は「槐(えんじゅ)」という種類らしく、楠木正成手植えと伝わっている。
古から、貴重な道しるべになっていたんだね。
階段を少し下りれば、この辺り(大阪市中央区安堂寺町)出身の作家、直木三十五氏の記念碑も建っている。
詳しくは知らないけれど、あの「直木賞」の由来となった方だよね。
で、奈良街道(熊野街道)は、ここ榎木大明神手前の十字路を左折し、東へ向かう。
谷町筋、上町筋を続けて渡ってさらに直進。
升形かな?
少しだけ南へズレる形でさらに東へ直進。
この辺は少し窪んだ地形になっているらしく、少しばかりの起伏を感じられる。
清水谷、という地名なんだね。
あとは平凡な事務所街の中を行く。
南側に寄り添う国308(本町通)を越えた辺りが、かの有名な真田山なわけで、真田幸村のファンなら垂涎の場所なわけだが、今は我慢して先に進む。
玉造筋に出た。
ここで奈良街道はいったん消失。
国308に出て、国道南(右)側の歩道を走るのがペストな選択らしい。
右手にJR玉造駅を見つつ、大阪環状線高架下を通る。
2本目の角にあるのが、二軒茶屋跡の石碑。
名前の通り、ここに茶屋があって、行き交う人の喉を潤していたんだね。
大阪市民には「長堀通」と呼ばれるこの国308が奈良街道の旅のお伴になるわけなんだけど、ここでいったん国道から離れる。
右斜めの路地裏に迷い込むような細道がそれだ。
道標も設置され、地面がレンガ状に舗装されている。
すぐ右手に矢田地蔵なんてのがあったりして、大阪市のど真ん中とは思えない雰囲気にほっこり。
行き止まったところで長堀通に再会し、「玉津1」の交差点。
「慣れ」でね。
地図見て一時的な消失であることは明白。
道路反対側へ渡り、長堀通を50mほど走れば、左に分岐する道が奈良街道とすぐに分かる。
「玉津橋」を過ぎてすぐの信号。
ここを右折らしい。
ここからは旧街道らしい雰囲気が残っている。
約300m。
ちょっとややこしい変則交差点だが、ここに古い道標と説明版が並んでいる。
変則ではあるものの、道標に従って右斜め道なりに進む。
左へカーブしながらの1本道。
広い幹線道路に出た。
今里筋。
右手には、地下鉄今里駅の出入口が口を開けている。
信号を渡って4このまま進むわけだが、そこにあるのが追分尼辻の碑。
今も昔も交通の要衝ってことだよね。
ここからさらにくねくねと街道らしい町並みが続く。
やがて左側、小さな鳥居。
でも名前は大きな熊野大神宮を通り過ぎる。
大阪市内とは思えない道筋をさらに走ること約150m。
国308に再び交わる。
ここから約1kmは、国308がそのまま旧街道らしい。
この国308も、この辺では千日前通と名を変えているようだ。
新深江の交差点に出た。
308は左折するが、奈良街道はこのまま直進(府道702)となる。
200m少々で、府道は左斜めに折れるけれど、ここで直進する細道が分岐。
これが奈良街道ね。
ここからしばらくは、、左手(北側)が大阪市東成区、右手が東大阪市、いわゆる市境を走る状況が続く。
平成の世になっても(2018年ね!)旧街道が境界線、という状態は全国各地にあり、街道好きとしては嬉しいことである。
さらに200mほどで、アーケードのある道が横切る。
屋根には「えべっさんのまち布施」なんて書いてあるけど。
ここを左折、アーケードの商店街の中を走る。
市境も左折してるから、左手が大阪市で右が東大阪市の状況は変わらず。
府道702に再び出たところは変則6叉路。
右折してそのまま府道702(というよりここから府道24になるらしい)へと進む。
さぁ、大阪市に別れを告げ、ここからは東大阪市だ。
夏の暑い日差しの中とはいえ、まだゴールするには早すぎる。
コスモタイガーの足は先へ先へと進んでいる。
(後編へ続く)
総理大臣も輩出しましたし。
そういえばその総理大臣になられたかだが先日久々にTV出演されていて、ご先祖に当たる明智光秀を語っており、楽しく拝見させていただきました。
大阪で生活してますと、今も秀吉時代の街づくりが生きているんだな、と実感します。
そこに少し住みにくさ、も感じたりするんですけどね。
嫁も同じこと言ってましたが、東京(江戸)と名古屋は何となく同じ匂いがする。
(もちろん規模は全然違いますが)
きっと「徳川が作った街」だからかな?
例示いただいた「筋」も、南北に広がってるから、大阪の街は南北の移動が主になってますよね。
名古屋は「広小路通」(かつての高針街道)、「錦通」「桜通」(国道19号)、若宮大通、など、どちらかというと東西がメインなので、頭の中を90度反転させるイメージなんですよね。
これは地下鉄の路線図見ても、同様のことが言えます。
それに茶屋なんて全国あちこちにあったでしょう。
まぁ、現代なら喫茶店みたいなものですからね。
それを史跡として案内しているのも、よく考えれば不思議ですね。
東大阪市がモノづくりの街とは初めて知りました。
ありがとうございます。
愛知県人の自分としては、モノづくりと言えば、豊田市を連想します。
言わずと知れた、世界のトヨタの街です。
まさにその関連会社を含め、様々な工場が、豊田市だけでなく、隣接する刈谷市やみよし市にも広がっています。
どちらも、近くに大阪市・名古屋市といった大消費地・大港湾施設があったことがきっと背景にあるんだろうなぁと推測します。
秀吉の太閤下水ですか、秀吉は下水などのインフラを含めた街づくりに熱心だったんですね。
楠木正成手植えの榎木とは、この辺りの土地の歴史の古さを感じます。
長堀通、今里筋、玉造筋、皆懐かしい地名です。
峠の茶屋などは、日本中にありそうです。
暗峠にこだわる方は、たしかに歴史好きくらいでしょう・・・
東大阪市は、町工場が多くモノづくりのまちで有名ですね。
http://www.city.higashiosaka.lg.jp/category/21-13-0-0-0.html
相変わらず、 (コスモタイガー)さんの一篇は、長いです。