は?
何言ってるの?
旧東海道編、ゴールしたじゃん!(※旧東海道編42参照)
意味わかんねぇよ!
と、言われてしまいそう。
そう、確かにゴールしたんだよね、東海道。
でもさ!
いろいろ調べてると、東海道は57次だ!なんて資料も出てきてね。
学校では、確かに「東海道53次」って教えてるはずなんだけど。
実は、秀吉が大阪城を造営したのをきっかけに、大阪(当時は大坂)の街は大きく発展!
その大阪城と、それ以前に自身が築いた伏見城を結ぶ道として、「京街道」を整備したらしい。
江戸の時代となった1619(元和5)年、徳川幕府はその道をリニューアル整備し、4つの宿場(伏見、淀、枚方、守口)が設けられた。
そして実質的に、東海道の延長と位置づけられ、、江戸~京都間の53次と合わせて、「東海道57次」と称したとされる。
というわけで、正式には「京街道」と謳うべきなんだろうけど、通称として、当時から「東海道」と呼ばれていたことから、このブログも、「東海道」で統一することにしよう!
さて、再度東海道を走ることになったコスモタイガー。
7月のとある休日。
大高駅に車を置き、東海道本線を乗継、大津駅の北口に降り立った。
以前、社内駅伝の全国大会が皇子山陸上競技場であった際、降りた記憶がある。
とりあず立派な駅だ。
まぁね、一応、滋賀県の県庁所在地、大津市の玄関口だからね。
駅前から、北西に向かって、適当に静かそうな道を選び、のんびり散策。
今日のスタート地点として設定した、「京町1丁目」の交差点に着いたのは、ちょうど13時。
中山道に比べたら、近い上に、交通機関など、無限と言っても良いぐらいあるからね。
それはそれでのんびりしてしまうコスモタイガーなのだ。
路面電車と化している、京阪電鉄京津線も久々の再会で、何だか懐かしい。
東の方からやってきた東海道は、ここで左に折れ、南下する。
路面電車に沿って走るんだよね。
といっても、すでにここは3回目。(※旧東海道編30、旧中山道編1)
そうそう、ここは大津宿、札の辻だったよね。
記念のシャメだけ撮って、早々にrunをスタートする。
もう地図を見るまでもなく、淡々と走る。
途中の踏切で、めでたく?京阪電車が姿を現し、にわか撮り鉄になったりする。(冒頭写真)
逢坂の関、そして大谷駅周辺に忽然と残る街道らしい風景も、今日はあっけなく通過。
名神高速を潜ってすぐ、左に分岐した東海道。
京都府と滋賀県が混在する不思議な住宅街を300mほど彷徨うと・・・。
到着しました!
山科追分。(または髭茶屋追分とも)
右の直進する道が、すでに走破済の東海道。
そして、左に分岐するのが、京街道。
現代では、府道35号として、むしろ、こちらの方が「格上」になってるようだけど。
そう、旧東海道編30で、サラッと流した京街道。
ここからいよいよ、その京街道、もとい、東海道を大阪に向かって走ることに。
このスタート時のドキドキ感は、何回味わっても新鮮だなぁ。
特に今回は、いったん最終回としたはずの映画の続編を作ってるみたいで、某アニメを彷彿とさせる。
府道35号は、そのまま名神高速(京都東IC)を潜り、すぐに右手、大きな病院に。
ここも府道の標識に従い、左の道を選び、南下する。
住宅街の中、これといった見どころもないけれど、道そのものは独特のうねりがあり、明らかに他の道とは違うオーラを放っている。
国1を斜めに横断し(50mほど北に信号がある)、再び街道らしい雰囲気を辿ると、また国1にぶつかり、「山科大塚」の交差点に出る。
ここも直進し、すぐに東海道新幹線の下を潜る。
まぁ、早い話が、府道35号を辿るだけの1本道。
迷うことはないけどね。
小さな道標が現存し、「みぎうじみち」なんてあるけどさ。
初心者?の頃は、小さなお地蔵さんや、常夜灯・道標を見つけただけで感動してたんだけどね、東海道(53次)や中山道で鍛え上げられた?コスモタイガーは、いちいち立ち止まらなくなった。
感動のハードルが上がってしまったらしい。
周囲の看板を見ていると、この辺りが「大宅」という地名であることを認識できる。
ということは、リサーチの通りなら、まもなく一里塚があるはず。
あった!
右手に発見!
大宅一里塚。
本来は両側にあるはずだけど、この西側だけが現存している、貴重な一里塚。
京都市の指定文化財にもなっているらしい。
すぐに「大宅甲ノ辻町」という、何やら京都らしい名前の交差点があり、名神高速の下を再び潜る。
300mほど先で、府道35号は右に分岐する。
このまま直進は府道36号!
ここは要注意だね。
旧東海道は、あくまでも、府道35号。
というわけで、右折。
右手、山科警察署が見える位置関係なら、正解だ。
気持ちよく走ってたら「小野御霊町」の信号に出てしまった。
こりぁ、行き過ぎね。
少し戻って、1本手前の、小川(水路?)沿いの道を右折するのが正解。
これも府道35だから。
地下鉄東西線の小野駅前に出た。
地名が示す通り、小野小町にゆかりがあるらしく、この辺りで彼女は晩年を過ごしたらしい。
そのまま直進、橋を渡って約200m。
T字路となって、正面に「勧修寺」が現れた。
西暦900(昌泰3)年、醍醐天皇によって創建されたとされる、古刹とのことだけど、お寺めぐりが目的じゃないし、トレーニング中だし。
などと言い訳しつつ、パスして素通り。
何やら普通に都会の郊外の雰囲気だし、中山道で、山あいにひっそりと建つ静かな古寺をたくさん見てきたせいか、感覚がおかしくなってるかもしれないね。
ここも府道35号に従い、左折。
すぐの信号を右折。
登り坂になり、左側だけが小高い山になり、家並みが途絶える。
右から名神高速が近づいてきて、しばし、並走。
この辺り、高速に沿って妙に不自然に直線だったりして、旧街道らしくないから不安になる。
地図を確認すると、名神高速の反対側に、「唱玄院」「妙教寺」が見受けられるから、名神高速直下に本当の東海道が眠ってるのかもしれない。
高速道路建設に際し、おそらくこの府道が付け替えられた気がしないでもない。
府道35号は、1.5kmほど名神高速と並走した後、緩やかに左にカーブし、高速道路にお別れを告げる。
再びポツポツと、小さな事務所や民家が見えてきた。
右手にピアノの専門学校。
ここで右斜めに分岐する、狭い道がある。
間違いない!
これが東海道だ。
とはいえ、ホントに一瞬のことで、約500m、「深草谷口町」の交差点で、再び府道に合流。
このまま直進すると、JR奈良線の下を潜るけれど。
実はその1本手前、お寿司屋さんの手前を左に曲がるのが、東海道らしい。
本当に、何の変哲もない、住宅街に入っていく道だから、ここは、無茶苦茶わかりにくくて、気にしてないと間違いなく直進してしまいそうだ。
そして、これが、山科追分から続いた府道35号とのしばしの別れ。
半信半疑で、住宅街の中を走る。
突き当ったら右折。
今度はすぐに左折。
もしかして、枡形かな?
枡方(らしきところ)から、200mほどで、JR奈良線を跨いでいく狭い道が右斜めに分岐してるから、多分これが東海道。
さらに200mほど、JR奈良線に沿って、道なりに下ると、左手に、JR藤森駅の真ん前に出た。
やれやれ、どうやら正解だったらしい。
で、駅前を右折。
右側、何やら広大な敷地の建物。
京都教育大のキャンパスらしい。
隣り合うように、東海道からやや奥まった感じでこんもりした一角があり、これは藤森神社。
詳細不明ながら、少なくとも平安時代には存在していた、ということらしい。
寄り道して、手を合わせておく。
突き当たりには信号があり、ここは左折。
200mほどで、「墨染」の交差点。
右折して、今度は京阪本線を潜り、「墨染」駅の前を通る。
予定通りなら、多分帰路に、この線路を通って帰ることになるかな。
ここから約200m、何やら年代を感じさせる古き良き駅前の繁華街といった感じで、途中、明らかに、地名の由来となったであろう「墨染寺」(ぼくせんじ)があり、さらに右手に郵便局が現れたところで、左折。
この道は、府道35.
ってことで、めでたく再会。
でも信号渡ってすぐまた右に折れる東海道。
すぐにT字路になって突き当たるから、今度は左。
そしてこの道、府道35号の1本西ってことになるけれど、地元では、両替町通、なんて名前が付いているらしい。
すぐに近鉄京都線の高架を潜る。
町名からして、何やら江戸時代の匂いをプンプン感じるけれど。
「伏見」の街に入ったらしい。
豊臣秀吉が、伏見城を造営し、同時に整備した伏見の街。
江戸時代なると、東海道の伏見宿として、発展したとされる。
約600m、何の変哲もない、十字路。
左前には、個人経営の喫茶店。
はい、ここが今日のゴール!
実走距離、15~16kmかな?
とはいえ、大津駅前~山科追分の重複部分があるかなね。
「京街道」だけなら、12~13kmといったところか?
さて、こんな地味?な場所だけど、ゴールにした理由がある。
左手すぐの、府道沿いにコンビニがあり、右手に目をやると、京阪本線「丹波橋」駅がある。
道を隔てて、もう1つ駅舎があり、こちらは近鉄京都線「近鉄丹波橋」。
双方は連絡橋で結ばれ、接続駅として機能している。
どちらも特急停車の主要駅として扱われ、ここは次回スタートも想定すると、すこぶる便利なのさ!
もう一つは、このまま西に向かって、1km弱、10分少々歩けば、秀吉公で有名な、伏見桃山城がある。
今日は、今から行っても、閉館までそんなに時間もないけれど、次回、早めにここに到着して、お城見学なんてことも考えてたりする。
ただ、今日はとりあえず帰るとしよう。
京阪・近鉄、どっちに乗っても、行き先は京都市内には向かうんだけどね。
JRとの接続を考えれば、近鉄に分がある。
迷いつつ、選んだのは、京阪ね。
名古屋人だからさ、京阪なんて、めったに乗れないもん!
普通列車に乗車。
「東福寺」下車。
ここでJR京都線に乗換、1駅で、終着京都駅。
言うまでもなく、京都市の玄関口の、ターミナル駅。
さて、ここからは、鈍行乗継で、大高駅へ戻った。
19時過ぎには着いたんだけどね。
ここんとこ、体が中山道慣れ?してたから、何だか拍子抜け。
まぁ、わかってたことなんだけど。
むかし懐かしい路面電車路です。撮り鉄がうらやましがるショットです。
ふつうの人は撮らぬでしょうから、貴重です。
コスモタイガーさんは、そんな路面電車に沿って走ったのですね。
西野カナが、これほどの人気を投げ打つとは いまの時代の方ですね。
ただの旧街道ファンなら無視するでしょうね(笑)。
でもこの京津線は、この先京都市内の御陵駅まで、旧東海道に沿ってのんびり走っています。
途中から専用軌道になりますから、そんな変化も鉄道好きにはたまりません。