相変わらず曇天が続いている。
街道らしい雰囲気と、右に左に点在する小さな地蔵尊が楽しませてくれる。
しばらくは堺市と大阪狭山市の境界runだ。
はい、しばらくすると一里塚代わりの「女人堂十一里道標石」。
さらに南下すると、「岩室」の交差点。
ここは歩道橋で渡ることになる。
歩道橋の上から、ここから走る道を眺められる、というより確認できる。(冒頭写真)
歩道橋降りて、今確認した道をひたすら南下。
約300mで、Yの字に分岐している。
ここは天野街道追分というらしく、名前の通り、右の道がその天野街道ということのようだ。
その天野街道もどうやら散策路として整備されているらしく、魅力的な演出をされてはいるけれど、今は西高野街道love!!
ということで迷わず左の道へ。
左に緩やかにカーブしながら、民家の間を縫うように道は続く。
2分ほど走ると、道も若干広くなる。
前方、急な下り坂になり、一気に視界が広がる。
今ではマンションやビルなんかに若干遮られているものの、かつては絶景だったに違いない。
おわり坂という名前がついているらしい。
思わず写メを切る。
坂を下り切ったところがその名も「おわり坂」交差点で、そのまま目の前の歩道橋を渡る。
そういえばコスモタイガーは名古屋人だから、「尾張」と何か関係あるのか?とも思ったりもするが、おそらく関係ない。
ここからしばらくは大きな葉服もないから、文字通りここでひとまず終わり、という意味なんだろう。
現代では車がメインの変則5叉路になっているので、旧街道はいったん焼失し、ぱっと見、わかりにくいが、反対に目を向けると、案内板と道標も設置されており、安心できる。
小さな川を渡る。
渡ってすぐ右折し、川沿いに南下。
約100mで右斜めへ分岐する小道。
ここで旧街道は復活だ。
何やら両側竹藪になり、不安になるが、すぐに途絶えて視界が広がり、新興住宅街。
その住宅街にポツンと忘れ去られたように祠が残る。
「三津屋地蔵尊」。
約400m。
路地同士が重なるような変則の十字路を右折し、すぐに左へカーブ(南下)する旧街道。
突き当れば左へ。
100mほどの十字路を右折するけれど、その角にあるのが「茱萸木(ぐみのき)大師堂」
ここから再び南下。
両側、大きなお屋敷が多いのが旧街道らしさを伝えてくれる。
とにかく道なりに。
信号もそのまま直進すると、やがて右手に「酒かけ地蔵尊」。
正式には「玄唱法師地蔵」というらしい。
その隣は立派な運動広場で、テニスコートも設置されている。
南青少年運動広場で、もちろん歴史的には何もないけれど、良い目印にはなる。
十里道標石を過ぎると、信号があって道は2手に分岐。
案内板は右斜めを指しているけれど、ここは地図見る限り直進が正解。
そして川に遮られて行き止まり。
だから現代の案内板は右に行けとしているんだね。
仕方なくいったん信号まで戻り、案内板に従って進む。
「く」の字型になって天野橋を渡った先で、いよいよ最後の市町村、河内長野市となり、そこには西高野街道の詳しい案内板があり、ホッとする。
この辺りで直進してきた西高野街道と合流するんだろうね。
再び道なりに。
またまた緩やかに2手に分岐があり、ここも迷うところながら、雰囲気的に右側の道。
まぁどっちみちすぐに合流するんだけど。
その合流地点にあるのが松林寺という立派なお寺。
本堂は江戸時代後期のものとか。
さらに約400mほど走れば、変則十字路となり、これまた雰囲気ある道が左後方から合流、そこに立派な地蔵堂と常夜灯が安置されている。
合流してきた道は中高野街道で、ここはその追分となるわけで、反対側の角に丁寧な案内板も設置されている。
この中高野街道も、京街道(東海道)守口宿を起点にして、ここで西高野街道と合流する、結構気になる街道ではある。
道なりに直進。
やがて片側1車線の広い道路との信号交差点で、この道は千代田あいあい通りなどという愛称が付いているようだ。
名前の通り、ここを左折すれば、南海電鉄高野線の千代田駅がある。
千代田駅の次は河内長野駅。
…ということは、西高野街道のゴールももう少しなんだ!
旧街道はもちろんこのまま直進だ。
しばらくは所々にいかにも歴史ありそうなお屋敷があり、くねくねと旧街道の雰囲気を残す1本道。
自然とペースも上がる。
約1km。
右側に石塔を発見。
晴明塚。
明らかに陰陽師安倍晴明にまつわるものであることは想像できる。
きっとこの道を晴明さんも歩いたってことなんだろう。
さあ、足を進める。
国170バイパス(大阪外環状線)の効果をくぐり、道なりに。
すぐに常夜灯のある十字路で、ここを左折するようだ。
いったん、国310に出るわけね。
ドラッグストア過ぎた辺りで左斜めに分岐する「らしき道」を行くわけだが、恐らくさっきの常夜灯付近で本来の街道は消失してて、ここで復活してるんだろうな。
あとは道なりにまっすぐ走る。
いよいよ街並みが密になり、河内長野市中心街が近いことを感じさせる。
またここで左手、常夜灯に出会う。
隣接するのが「延命子育地蔵尊」。
ここで旧街道は道なりに右へ90度転進し、商店街へと入っていく。
そしてつい先日見たばかりの懐かしさ感じるショッピングモールが視野に入る。
「ノバティながの」という通称があるらしい。
そのノバティながの前の十字路。
確実に見覚えある十字路!
そう、ここが東高野街道との交点!
前回は左の道からやってきてここに出たんだね。
はい、ここからはほんの100mほど前回と重複。
東西両高野街道重複道を走れば、はい、これまた高野街道モニュメントに再会!
はい、これにて西高野街道完全走破!
そして本日のトレーニング終了。
多少の迷走?寄り道含めて走行距離20kmちょっとというところかな?
良いトレーニングになりました。
そして前回と変わらぬ静かな駅前ロータリーの向こうには、河内長野駅が佇んでいる。
時計はまだ14時半を過ぎたところで、これまた前回の東高野街道ゴール時と似たような時間帯だ。
近鉄長野線と南海高野線、どちらでも大阪市内には帰れるから、趣向を変えて近鉄で帰ろうか、と思ってたんだけどね。
いざ改札まで行くと、やっぱり大阪市内に入ってから社宅までの乗換のスムーズさを思い、南海高野線を選択してしまった。
天下茶屋駅で大阪メトロ堺筋線に乗り換えるだけだもんな。
さて、ここから先。
迷うなぁ。
大阪周辺~河内長野間には、他にも中高野街道や下高野街道なんてのもあるらしいからさ。
もちろん気にはなるけど、同じエリアをチョコチョコ動くばかりってのも何だかね。
それよりここから先、1本になった「高野街道」を進みたい気持ちも強い。
でも確実に高度を上げつつ山深くなる。
…などと車中でいろいろ思い悩み、社宅に戻るコスモタイガーであった。
西高野街道は、道標も詳しい案内板もしっかりしていて良いですね。
コメントありがとうございます。
十一里道標石については、特に手元の資料にも復刻という案内はないので、原物だと勝手に信じてましたが、おっしゃるようにハッキリ残っているので復刻かもしれませんね。
西高野街道は案内板も比較的整備されており、距離も約20km。
頑張れば1日(1回)で制覇できます!
スタート・ゴールとも駅前で便利ですし、街道run(またはwalk)入門編ということになるかな、と思います。
知らぬ間に、旧西高野街道編が最終回てした。それも、後編であったとは・・・
読売ジャイアンツの大勢(たいせい)投手は、いつも大勢(たいせい)が決まってからの登板なのですね。納得。
https://www.giants.jp/players/detail/2022059/
街道runそのものの更新速度も遅くなってますけどね。
業務の方でも部下が増えたり、年齢とともに体力的にも気持ち的にも衰えたのかな?
一日費やして走るぞ!というモチベーションが減っている気がします。
といいつつ、またそのうち走りに行くでしょうけど(笑)
巨人の大勢投手も我がドラゴンズのライデル・マルチネス投手もクローザーですからね。
今年は(も?)出番少ないまま、まもなくシーズンは終わろうとしてますね。