★関西ネタです。
【2018年11月某日】
大阪の単身赴任生活も5か月がたち、徐々に慣れてきた。
秋も深まれば、ランニングもトラックシーズンはほぼ終了し、マラソンやロードレースがメインとなる。
公認のトラックレースに出るための競技者登録を愛知で申請しているため、ここまで帰省のタイミングと絡めて出場していたところではあるが、明日は関西地区の某ロードレース(10km)に申込んであり、単身赴任後初の関西地区でのレースを控えているのだ。
というわけで、前日の今日は社宅で1人。
朝から布団や洗濯物を干し、部屋をササっと掃除…だけで終われる性じゃないんだよね(笑)
もはや何かに魅入られたかのように着替えて社宅を出発(笑)
地下鉄と南海電鉄高野線を乗継、正午前に河内長野駅に降り立った。
何しに来たかって?
結局いろいろ考えて、やっぱりこのまま「高野街道」を進もうと。
大阪市内からここ河内長野まで、ここまで走ってきた東高野や西高野以外にも、中高野とか下高野とか、いくつかのまだ未走の街道もあるけどね。
似たようなところを行ったり来たりも何だかね…、と思ってさ。
さて、1本にまとまった高野街道。
名前の通りで、ここを起点にして高野山を目指す信仰の道で、現代では並走する国道371号がそう呼ばれることもある。
見覚えのあるショッピングモール「ノバティながの」で軽くお腹を満たし、駅前跨線橋からスタート記念?の写メをとる。(冒頭写真)
そして前回ゴールの高野街道モニュメントへ移動し、本日のトレーニング、高野街道編スタート!
幸いにして道標が整備されている。
まずは見慣れた変則交差点で、跨線橋を左に見つつ、直進となる。
と、すぐにあるのが高野街道碑。
まだ汗もかいてないけど、一応写メしておく。
何やら道の左側には楠木があって、河内長野市の天然記念物となっているらしいが、街道runとしては特に感慨もない。
ただ良い目印にはなるよね。
で、旧街道はそこを右に折れる。
200m弱でT字路となって右折(西)となるが、その角にあるのが「西城蔵」(西城合資会社)だ。
創業は1718(享保3)年で、まさに江戸中期。
暴れん坊将軍吉宗さんが、「享保の改革」に邁進していたころ、ということやね。
この酒蔵付近には、もっとPRされてもいいのに…、と思うぐらいの素敵な街並みとなっている。
反対側(左手)も。
すぐに左折して、小さな水路を渡る。
やがて国371、現代の車版の高野街道に合流し、そのまま斜めに横切るようだ。
叢の中を駆け上がるかのような狭い道で、別久坂という名もついているようだ。
道なりに走ること数分。
右側に小高い山が見えてきた。
そこにある神社が烏帽子形八幡神社で、本殿までは結構な階段である。
それもそのはず、背後の山は烏帽子形山といい、北斜面は古墳らしいが、南半分はあの楠木正成が築城したお城の1つ、烏帽子形城の跡なのだ。
大好きな武将の1人だし、その人の城跡となれば、スルーするわけにもいくまい。
ってことで登ったところに城跡を示す案内板。
さあ、山を下り、元に戻って高野街道の続き。
この烏帽子形山の稜線にそって高野街道は南下する。
十字路を過ぎるとYの字のように分岐し、右は上り、左は下っている。
ここは右が正解。
で、この辺りからが三日市宿ということのようだ。
しばらく進むと、高札場が復元されている。
突き当りを左折し、国371を横断。
集会所の前のT字路を右折すると、古き面影を残す三日市宿の町並となる。
案内板も整備され、迷うこともない。
何より観光地化されておらず、ひっそりとした佇まいは素敵だ。
加賀田川を渡ってさらに進めば、左手にひときわ重厚な屋敷が現れた。
旧八木家住宅。
かつての木綿問屋ということらしいが、現在も個人宅として普通に生活してらっしゃるらしく、こうして外から拝見するだけである。
そのまま走って何やら突然視界が広くなり、駅前のようなロータリーに出る。
南海高野線の三日市駅だ。
予想していたより立派な駅前にちょっとびっくりする。
このロータリー、つまり駅の真ん前を突っ切れば、ちょうど180度反対側ら旧街道が復活。
いかにも街道らしい揺らぎの道だ。
そしていよいよこの辺りから、見た目にも明らかな登りとなる。
すぐに絵入りの可愛らしい案内地図が掲示されているが、それによれば、この道のもう少し西側を「く」の字型に迂回していて、現代では民家があって通行不可、としている。
ほんの数十mでまたこの道に戻るようだけどね。
どっちにしても道なりに進むこと約100m。
またまた高野詣で恒例?の「高野山女人堂八里道標石」。
文字通り、目指す高野山(女人堂)まで8里、約32kmということだね。
でもさっきの掲示されたルートだと、この八里道標石を通らないことになる。
うーん、ここはこの1本道を行くのが正解だとは思うけどなぁ。
あるいは八里道標石を後世に移動させた可能性もあるけれど、それならその旨の案内があっても良さそうなもの。
自分としてはこの道を素直に行くのが正しいと信じたい。
すぐに小さな川を渡り、左手に西片添公民館。
さっきの案内図によれば、この辺で迂回ルートと一緒になるわけね。
さあ、そしてしばらく道なりに走れば、やがて国371、現代版高野街道に吸収される。
そしてここから約2kmほどは国道run。
といっても交通量はそんなに多くない。
少し西に離れたところに、同じ国371でも綺麗で走りやすいバイパスが通ってるからね。
とはいえ、途中からは歩道もなくなるからそれなりに注意してのランとなる。
左手に南海高野線が寄り添ってくれるのが嬉しい。
時計はちょうど13時を指している。
高度を上げながら、ひたすら足を進めるコスモタイガーなのだ。
(※次回へ続く)
【2018年11月某日】
大阪の単身赴任生活も5か月がたち、徐々に慣れてきた。
秋も深まれば、ランニングもトラックシーズンはほぼ終了し、マラソンやロードレースがメインとなる。
公認のトラックレースに出るための競技者登録を愛知で申請しているため、ここまで帰省のタイミングと絡めて出場していたところではあるが、明日は関西地区の某ロードレース(10km)に申込んであり、単身赴任後初の関西地区でのレースを控えているのだ。
というわけで、前日の今日は社宅で1人。
朝から布団や洗濯物を干し、部屋をササっと掃除…だけで終われる性じゃないんだよね(笑)
もはや何かに魅入られたかのように着替えて社宅を出発(笑)
地下鉄と南海電鉄高野線を乗継、正午前に河内長野駅に降り立った。
何しに来たかって?
結局いろいろ考えて、やっぱりこのまま「高野街道」を進もうと。
大阪市内からここ河内長野まで、ここまで走ってきた東高野や西高野以外にも、中高野とか下高野とか、いくつかのまだ未走の街道もあるけどね。
似たようなところを行ったり来たりも何だかね…、と思ってさ。
さて、1本にまとまった高野街道。
名前の通りで、ここを起点にして高野山を目指す信仰の道で、現代では並走する国道371号がそう呼ばれることもある。
見覚えのあるショッピングモール「ノバティながの」で軽くお腹を満たし、駅前跨線橋からスタート記念?の写メをとる。(冒頭写真)
そして前回ゴールの高野街道モニュメントへ移動し、本日のトレーニング、高野街道編スタート!
幸いにして道標が整備されている。
まずは見慣れた変則交差点で、跨線橋を左に見つつ、直進となる。
と、すぐにあるのが高野街道碑。
まだ汗もかいてないけど、一応写メしておく。
何やら道の左側には楠木があって、河内長野市の天然記念物となっているらしいが、街道runとしては特に感慨もない。
ただ良い目印にはなるよね。
で、旧街道はそこを右に折れる。
200m弱でT字路となって右折(西)となるが、その角にあるのが「西城蔵」(西城合資会社)だ。
創業は1718(享保3)年で、まさに江戸中期。
暴れん坊将軍吉宗さんが、「享保の改革」に邁進していたころ、ということやね。
この酒蔵付近には、もっとPRされてもいいのに…、と思うぐらいの素敵な街並みとなっている。
反対側(左手)も。
すぐに左折して、小さな水路を渡る。
やがて国371、現代の車版の高野街道に合流し、そのまま斜めに横切るようだ。
叢の中を駆け上がるかのような狭い道で、別久坂という名もついているようだ。
道なりに走ること数分。
右側に小高い山が見えてきた。
そこにある神社が烏帽子形八幡神社で、本殿までは結構な階段である。
それもそのはず、背後の山は烏帽子形山といい、北斜面は古墳らしいが、南半分はあの楠木正成が築城したお城の1つ、烏帽子形城の跡なのだ。
大好きな武将の1人だし、その人の城跡となれば、スルーするわけにもいくまい。
ってことで登ったところに城跡を示す案内板。
さあ、山を下り、元に戻って高野街道の続き。
この烏帽子形山の稜線にそって高野街道は南下する。
十字路を過ぎるとYの字のように分岐し、右は上り、左は下っている。
ここは右が正解。
で、この辺りからが三日市宿ということのようだ。
しばらく進むと、高札場が復元されている。
突き当りを左折し、国371を横断。
集会所の前のT字路を右折すると、古き面影を残す三日市宿の町並となる。
案内板も整備され、迷うこともない。
何より観光地化されておらず、ひっそりとした佇まいは素敵だ。
加賀田川を渡ってさらに進めば、左手にひときわ重厚な屋敷が現れた。
旧八木家住宅。
かつての木綿問屋ということらしいが、現在も個人宅として普通に生活してらっしゃるらしく、こうして外から拝見するだけである。
そのまま走って何やら突然視界が広くなり、駅前のようなロータリーに出る。
南海高野線の三日市駅だ。
予想していたより立派な駅前にちょっとびっくりする。
このロータリー、つまり駅の真ん前を突っ切れば、ちょうど180度反対側ら旧街道が復活。
いかにも街道らしい揺らぎの道だ。
そしていよいよこの辺りから、見た目にも明らかな登りとなる。
すぐに絵入りの可愛らしい案内地図が掲示されているが、それによれば、この道のもう少し西側を「く」の字型に迂回していて、現代では民家があって通行不可、としている。
ほんの数十mでまたこの道に戻るようだけどね。
どっちにしても道なりに進むこと約100m。
またまた高野詣で恒例?の「高野山女人堂八里道標石」。
文字通り、目指す高野山(女人堂)まで8里、約32kmということだね。
でもさっきの掲示されたルートだと、この八里道標石を通らないことになる。
うーん、ここはこの1本道を行くのが正解だとは思うけどなぁ。
あるいは八里道標石を後世に移動させた可能性もあるけれど、それならその旨の案内があっても良さそうなもの。
自分としてはこの道を素直に行くのが正しいと信じたい。
すぐに小さな川を渡り、左手に西片添公民館。
さっきの案内図によれば、この辺で迂回ルートと一緒になるわけね。
さあ、そしてしばらく道なりに走れば、やがて国371、現代版高野街道に吸収される。
そしてここから約2kmほどは国道run。
といっても交通量はそんなに多くない。
少し西に離れたところに、同じ国371でも綺麗で走りやすいバイパスが通ってるからね。
とはいえ、途中からは歩道もなくなるからそれなりに注意してのランとなる。
左手に南海高野線が寄り添ってくれるのが嬉しい。
時計はちょうど13時を指している。
高度を上げながら、ひたすら足を進めるコスモタイガーなのだ。
(※次回へ続く)
初心者向け、と言えるのではないかと思います。
楠木正成は大好きな武将の1人ですので、時間あればじっくり見たいところですが、毎度のことながら旧街道を優先しました。
ウォーキングの方が小回り効くのは間違いありませんね(笑)
そうですか、楠木正成が築城した烏帽子形城の跡、何だかワクワクします。
かつての木綿問屋、立派なお家です。