![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/44/3905f3631b259b13e7d895c99d66f2e0.jpg)
2月の寒風の中、すでに時計は15時近く。
コスモタイガーは、名古屋市営地下鉄鶴舞線、浅間町駅(4番出口)の前に立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/d9/3fc6e06930f3e0a664f1a04e5f46a260.jpg)
もちろん旅行色0。
それどころか勤務先にも程近い。
え?何してんのかって?
そう、ここは中山道とはまったく関係がない。
中山道は、時間も金もかなり要してね~。
マラソンシーズン真っ只中の現在、本職?のレースや駅伝などもあって、丸1日空けるのは当分厳しそうだし、ぶっちゃけ、長旅連発で、財布の中もスッカラカン。
そういうわけで、いきなりローカルに戻り、岩倉街道(または犬山街道・柳街道とも)を走ってみようと思い立ったのさ!
これまた中山道の裏企画として、気軽にやってみよう!
名前の通り、名古屋城下を起点とし、岩倉を経由、尾張藩重臣成瀬氏の治める犬山城下を結ぶ街道で、それゆえ往来も多く、道沿いに「市(いち)」も盛んだったとされる。
何せ犬山だからさ!
愛知県どころか、尾張限定の超ローカル街道。
「裏企画」と称しつつ、2~3回で終わってしまいそうな気配だけどね(笑)
経路的にも大半が名鉄犬山線内を行ったり来たりするだけで、鉄チャン要素0、面白味はほとんどない。
浅間町の交差点を北上。
100m少々で最初の信号があり、ここが美濃路との接点。
名古屋城下と犬山城下を結ぶという趣旨からして、本来なら名古屋宿札の辻(伝馬町本町:旧美濃路編2参照)をスタートにするべきかと思ったりもしたけれど、この辺りの美濃路は過去に何度も走ってるし、「旧街道run」としても2回走破している。(旧美濃路編2、4)
そんなわけで、駅からすぐに旧街道に入れるこの浅間町駅をスタート地点にしたのさ。
そのまま美濃路を走る。
枇杷島橋までは、「重複区間」というやつ。
旧街道runだけてなく、若かりし一時期、西区民だったころには日常的に走ってたコースでもあり、見慣れた風景だ。
屋根神様も清音寺も立ち止まることなく素通りし、県道67号に合流し、あっけなく枇杷島橋を渡る。
「問屋町」の信号から左斜めに入るのが美濃路。
50m先がY字型になっていて、いわゆる追分。
鋭角に右折して、再度県道67号を渡り、「橋詰神社」の前を通るのが岩倉街道ってことになるのさ。
あとは右手に庄内川を見ながら、堤防下の道を走ることになった。
さぁ、いよいよ岩倉街道も本番!
とはいえ、脇街道も脇街道。
一里塚とか本陣跡とか、旧街道名物的な史跡は期待できそうにない。
ひたすら堤防に添って走る。
それでも注意しながら走ってると、小さな祠が、気休め程度に点在する。
下小田井の町並みを過ぎ、国道22号(名岐バイパス)の下を潜ると、今度は中小田井の街だ。
すぐの道を左折し、ちょっと寄り道したところにある、児童公園。
実はここがかつての小田井城址。
隅の方に、控えめに?それを示す標柱が建てられている。
そしてこの辺りは、2000(平成12)年9月の東海豪雨で、大きな被害を受けた地域でもある。(旧美濃路編3参照)
当時庄内川沿いに住み、日常的にこの周辺を走っていたコスモタイガーも、随分と心を痛めたことは、今も記憶に新しい。
やがて庄内川から少しづつ離れる形になり、堤防から徐々に離れていく。
左手約100mほど寄り道すると、西方寺。
平安時代から続く古刹だとか。
右手、庄内川の堤防沿いに大きな公園が出現した。
名古屋市民の憩いの場として利用されている、「庄内緑地公園」だ。
コスモタイガーも、西区在住時代、この緑地公園内の2.3kmのランニングコース、数え切れないぐらい走ったなぁ。
まさにかつての本拠地、といった感じで、感慨深く走りすぎる。
その緑地公園と岩倉街道に挟まれる感じで存在するのが、願王寺。
829(天長9)年建立という、地味ながらとても由緒ある寺だ。
明治に入ってから、信州善光寺より如来様のおすそ分けをいただいたとのことで、善光寺別院の別称もある。
ここを境に、中小田井の古い町並みが始まるのさ。
住宅街の一角にもかかわらず、名古屋市の町並み保存地区にも指定された、貴重な遺産なのだ。(冒頭写真)
名鉄犬山線中小田井駅の北側を斜めに横切る。
さらに進むと、東海交通事業城北線の高架下を潜る。
この城北線、JR東海の子会社、東海交通事業の運行だから、JRじゃないんだけど、JRの雰囲気が味わえる。
しかも気動車というのが嬉しい、何とも不思議な路線なのだ。
三菱東京UFJ銀行の横を通り、「大木曽」の交差点に出た。
正面少し奥には、「上小田井」の駅があり、街道を見失ってしまいそうだけど、左に目をやると、歩道橋があって、その横からひっそりと細い道が分岐している。
これが岩倉街道の続きやね。
マンションの間を縫うように走ると、国道302号と交差。
その先で、新川を渡る。
橋の名前は平田橋。
右に並行する名鉄犬山線には、かつて平田橋駅が存在していたけど、今は、先ほど目にした「上小田井駅」に取って代わられている。
ちなみに車社会の現在は、左手少し離れた、県道63号(通称:名草線)の新平田橋を通過する車が大半で、今走っている平田橋は、地元の人がたまに通る程度の、静かな橋となった。
住宅街を走る。
秋葉神社が左にあり、かすかにここが岩倉街道だと確信できる。
そこから約600mほど。
何の目印もない住宅地の中で、「いつの間に?」という感じで、行政区分が北名古屋市に変わるんだよね。
で、この辺りからが、かつての九之坪集落。
古くからの一軒家が多く、何となくだけど、街道らしさが残ってるんだよね。
両家天神社、なんてのも左にあったりして、結構楽しいrunだ。
右側にぴったりと名鉄が寄り添いながらのrunningが続く。
線路の向こう側に平田(へいでん)寺。
きっとこれが平田橋の名前とリンクしてるんだろうね。
アパート・マンションが増えてきて、少し賑やかになったと思ったら、「西春(にしはる)駅」前。
名鉄犬山線の主要駅の1つで、特急も停車する。
西春は合併前のかつての町名だ。
駅ビルがそのまま百貨店(パレマルシェ、かつての名鉄パレ百貨店)になっていて、便利なんだけどね。
お隣、西区民の頃は、「ちょっとまとまって大きな買い物に・・・」は、この名鉄パレが多かったからね。
久しく来てないだけに、中を覗いてみたい気持ちは大いにあるけれど、後ろ髪を引かれつつ、runに専念♪
また、西春駅は、県営名古屋空港(かつての名古屋空港)の最寄駅であり、現在のセントレア(中部国際空港)開港前は、空の玄関口でもあったんだけどね。
かつてコスモタイガーが西区に住んでいたのも、セントレア開港前。
全体的に、当時よりは寂れた感じがして、少しばかり悲しい。
道的には迷うところもなく、走りやすい。
とにかくまっすぐ進むだけ。
特に見るべきポイントもなく、西春の街中を抜ける。
相変わらず名鉄線が右に寄り添う。
また駅だ。
今度は「徳重・名古屋芸大前」。
単に徳重で良いんだけどね。
実際、コスモタイガーが西区民の頃はそう呼んでいた。
緑区にも同名の地名があってよく間違われるけれど、近くの名古屋芸大の契約により、2005年よりこの駅名となったんだね。
緑区の徳重の方は、まもなく地下鉄桜通線「野並~徳重間」延伸予定。(2011年3月27日開業予定/だから今は2011年2月です、はい!)
随分と便利になりそうだ。
そうなると、徳重発徳重行鉄道の旅、なんてのも可能。
「徳」が重なってなおかつ2つもある。
縁起良さそうで、レイルウェイライター、種村直樹氏が喜びそうなネタだけど、ちょっと近すぎるか?
ルート的にも全然面白くなさそうだけど。
300mほど先で五条川を渡ると、岩倉市だ。
1本道だから迷うことはない。
大山寺(たいさんじ)駅前の小さな信号。
そのまま直進し、しばらくして名鉄犬山線を横断。
字名が、下街道・中街道・上街道となってるから、ここが旧街道なのは間違いない!
「下本町下市場」の信号で、県道25号と出会うけれど、そのまま直進。
さぁ、今日の予定「岩倉駅」は近い。
300mほどで、左手に目的の「岩倉」駅。
そのままゴール!としたいところだけど、ちょっと寄り道。
右に目を向けると、「神明生田神社」。
結構立派な神社だ。
この一角に、「山内一豊公出生地」の碑が建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3e/6f0dd19f05c196d660d0cadac4cceb1c.jpg)
山内一豊といえば、「功名ヶ辻」でも有名な、のちの土佐藩初代藩主。
この岩倉市の出身なんだね。
お参りを済ませて、本日の旧街道runはこじんまりと終了。
岩倉駅をゴールとした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/42/006bc1f50b9dc7212315b3da39ad5218.jpg)
距離は短めで、実走13~14kmかな?
ま~、近いからね、気楽だね。
何よりすでに夕刻の雰囲気。
また続きは今度ね♪
岩倉駅も特急停車駅。
急に近くなって、旅情も何もなく、名鉄・地下鉄を乗り継いであっさり帰宅。
原点回帰したような、近場の旧街道を久し振りに楽しんだ、コスモタイガーであった。
大河ドラマにまでなったのだから、銅像を建てたりとか、もう少し何か遺構があったらいいのにと思います。
石碑だけでは寂しいですね。
どうも愛知県は、この手の話に冷めてる気がします。
今年なら「真田丸」で、上田や九度山が盛り上がってますけど。
何となくわかる事情として、「いちいち盛り上がってたらキリがない」のかもしれません。
古くは源頼朝。
戦国期なら、織田信長、加藤清正、福島正則、豊臣秀吉、前田利家、徳川家康、蜂須賀小六、長束正家、etc・・・。
この人たちは、愛知県出身なんですね。
郷土自慢と言われればそれまでですが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる三英傑が、それぞれ子飼いの家臣(要するに幼馴染)を連れて出世したわけですから、当然といえば当然で、愛知県が特別な地、というわけじゃありませんけどね(笑)
しいて言うなら、京の都と、適度に近く、適度に遠く、「京に上る」のが現実的な目標になったのかもしれませんね。
・・・と、何かの本に書いてありました。
戦国武将たちが、愛知弁で喋っている姿が思い浮かぶようです。
岩倉街道(または犬山街道・柳街道とも)は、愛知のルートもあったのですね。
岩倉といえば、五百円の顔になった岩倉具視を連想します。
幕末の戦略構想案は、おもに中岡が立案し、坂本がそれへ展望を与え、岩倉みずからが書き上げたと申します。
その後の維新史はほとんどこの通りに動いてゆくのだそうです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5db6838a06d6c26dbff1af61606fffb9
五条川の桜並木は見事で、東海地区では毎年のようにTV・雑誌等で紹介されます。
この岩倉市とどういう関係があるのか、不勉強で私も知らないのですが、歴史上の人物で岩倉といえば、やっぱり岩倉具視ですよね!
ちょうど今、大河ドラマ「西郷どん」でも岩倉具視が当然出てますし(笑福亭鶴瓶)。
iinaさんの「明治維新の成立」の記事。
読みごたえあり、大変面白く読ませていただきました。
残念ながら鉄オタ出身の旧街道ファン?なので、入口が鉄道とその歴史から、なんですね。
そのせいか、司馬遼太郎の本はほとんど読んだことありませんけど。
どっちかっていうと、池波正太郎の方が好きだったりします。
高校時代にむさぼるようにして読んだ長編、「真田太平記」は、心底面白かったです。
「西郷どん」でも大村益次郎は出てきましたが、村田蔵六という方の存在は知りませんでした。
かなりの軍略家のようで、興味深いですね。
坂本龍馬も、ざっくばらんな気質から来るのか、かなりのファンがいるので彼らには失礼になってしまいますが、維新の歴史を知れば知るほど、彼の評価は私の中ではそれほど高くはありません。
何かを0から作ったというより、誰かが発想したものを大きくして商売ベースにしてるだけ。
いや、もちろんそれも立派なことなんでしょうけどね。
亀山社中という会社を作って商売したことは事実なんでしょうけど、その中身も怪しい。
「いろは丸事件」などは、数年前に海底に沈んだいろは丸を専門チームが探索したら、武器弾薬等の宝が積まれていた形跡はなかったらしいですし。
今でいう「あおり運転」で相手にぶつかって、ありもしない「宝」を積んでいたと言い張り、莫大な賠償金をせしめた、との見方が有力になってきているようです。
儒教との絡みは「なるほど」と思いました。
日本は多信教国家ですからね。
良く言えば良いとこ取り、悪く言えば無節操。
特定の物を盲信せず、良いものは良い、悪いものは悪い、と冷静に見極められる国民性なんでしょうか。
モノづくりでも絶えず「いいとこ取り」をしようと努力する。
某自動車メーカーの「カイゼン」活動もそんな延長にあるのかもしれませんね。
もちろん私はそんな日本人の気質は大好きです。