また書きはじめます。休筆宣言しましたが、とりわけて理由があったわけではないのです。単なる私というか弱き脳髄を持った人間に特有の、脳味噌の蓄積疲労というところが、最も妥当な理由だろうと思います。かと言って、いつまでも考えることを放棄していては、思考すること自体が面倒になってもきます。そのことをはっきりと自覚したいま、私はまた某かのことを書き始めようと思います。しかし、これまでのように肩肘張ったものは書きません。もっとリラックスして書くことにします。推薦図書などという、押しつけがましいこともやめようと思います。書くべきことも自ずとこれまでとは微妙に変化していくものとご理解ください。どうぞよろしくお願いします。さて、復活の第一回目のブログは次のようなことから書き始めます。
昨夜(11/13)のテレビ報道で、大阪府立高校生二人が学校のトイレでマリファナを吸っていて、警察沙汰になったことがわかった。違法ドラックがどれほど日本人に広まっているか、このような事実から捉え返すと、あまり明るい現実は見えてはこない。とはいえ、高校生が何も敢えて学校のトイレでマリファナを吸うことはなかろうに、とも思う。昔の高校生のいたずらなら、トイレでタバコを吹かすくらいのものだろう。それと同じような感覚で、マリファナやその他の薬物をわざわざ学校のトイレで吸うということは、タバコ程度の認識で違法麻薬を吸っているということだろう。若者たちに危険な薬物が浸透している現実は遺憾なことと認めた上で、僕がここで問題にしたいのは、二人が通う府立高校の校長のテレビインタビューの内容である。
その学校長が、インタビューで語ったことは、二人の生徒はワルではなかったことと、授業妨害することがなかったということの二つであった。それを聞いてとても奇異な感じを受けた。理由は、まず学校長ともあろうものが、まず心配すべきは、当該生徒の健康と今後のこと、また学校内に同じように薬物に手を染めている生徒がいるかどうかなのではないか。同じような状況に陥っている生徒がいるなら、全教職員で、それらの生徒を救うという表明なのではなかったか。こんな学校長がいる学校が、生徒を生き生きと教育している環境であるはずがない、と僕は思う。心貧しい指導者を持たざるを得なかった集団が、その根底から腐るのはどのような組織においても同じことなのである。
学校は生徒を管理し、閉じ込め、進学率、就職率を競うだけの場ではない。むしろ、学校空間こそ、生徒がこれからの長い生涯を生き抜くための土台となる広い意味における学習の場でなければ、その存在理由などない。現代の学校事情が悪過ぎるのである。今回話題にしたアホウな学校長は、珍しい存在では決してない。誠実に教育に取り組んでいる教師よりは、ヒラメのように上司の顔色ばかりを見るために、管理職の方にしか関心がない人間たちが、教務主任になり、教頭になり、校長になり、教育委員会の偉いさんに成り上がっていくのである。自民党の政治家連中の多くが利権ばかりを追うように、出世したがる教師たちは、まさにヒラメのように目は上ばかりを見ているというわけである。逆に、同僚とはっきりとした教育目標を持って、さらに愛を持って下を見る目を持ってこそ、生徒の持てる力を引き出すという教育の本質に触れ得るのである。このようなまともな教育活動を疎外しているのが、現代の学校における管理職者たち、またその上にいる教育委員会の指導者?たちである。かつて教育立国日本とのたもうた政治家は誰だったか?そんな人物はそもそも存在していなかったのか?よく思い出せないのが、現代の教育を取り巻く環境をよく説明している証左ではなかろうか。