ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

情死の思想-男の論理として

2008-01-25 23:56:28 | Weblog
○情死の思想-男の論理として

情死とはこの世で結ばれぬものならば、せめてあの世で結ばれて幸せになりたい、という訳あり男女の切ない命を懸けた最期の抗いである。しかし、あの世のことなど信じてもいなかったであろう男たちも死の道連れを、愛を交わした女性に求めて命を絶つ、という行為は一体どのように説明できることなのだろうか?

僕の頭の中にまずイメージとして登場するのは太宰 治の情死である。玉川上水で何度目かの失敗の後についに太宰は女を道連れにしてこの世を去った。太宰は敢えて、身の上切ない女給との死を選んだ。太宰があの世の存在を信じていたとは到底思えないし、情死の失敗の度に相手を変えているのはどうしたことなのだろうか? 太宰が己れの死を一人で受けとめられなかったとも思えない。何が太宰を情死へと導いたのだろう、とこの頃フト思うことがある。青年の頃にのめり込んで、太宰を卒業した、という人たちもいるようだが、それでは一体、太宰の何から卒業したのだろう? そもそも太宰という作家は青年がいっときのめり込んで、なにほどかのイニシエーションを得て後に、彼から離れていくような便利な存在なのだろうか?

この凡庸極まりない僕でさえ、もう自分の未来が立ち行かぬと悟ったとき、一人で死のうとした。つまらぬことで生き残ってしまったが、誰かを道連れにしたい、とは決して思わなかったし、またこんなつまらない男の死に付き合ってくれる異性もいなかったというのが現実である。あの頃の心境を思い起こせば、ただひっそりとこの世界から去りたい、あの世などなくてよいし、ただ、自分の存在を消してしまいたい、という渇望のような感覚が自分の全てを支配していたような気がする。頓死とはあくまで、そういうものではなかろうか?

自分の死に他者を巻き込むにはそれなりの理由がある、と思う。情死に付き合った女性も巻き込まれたのではなく、自分も死にたかったのではないか、と思う。太宰は、そういう女性を鋭く見抜いた、のだと思う。太宰は何を死の瞬間に見たかったのだろうか? 敢えて体を重ねた女との情死に何故最期までこだわったのだろう? 生と死の狭間で垣間見ることの出来る女の、死への瞬時に見せる、恐怖とも悦びとも諦めとも決めつけ難いその横顔を見つつ死にたかったのではなかろうか? 自分の死に付き添う女の、粉飾のない、死への墜落の瞬間の能動的な行為と死に抗おうとする複雑極まりない人間の本質的な要素を彼らを通して、自らの諒解事項として受け入れようとしたのではなのだろうか?

全くの見当外れなのかも知れないし、太宰を素材にして自分の裡なる情死への願望を書こうとしたのではないか、とも思う。今日、書いたことにあまり根拠はない。読み流して頂きたい。

○推薦図書「女生徒」 太宰 治著。新潮文庫。女性の独白形式による書き出しではじまる作品を収めています。昭和十二年から二十三年まで、作者の作家活動のほぼ全盛期にわたるいろいろな時期の心の投影色濃き女の物語集ですが、そこはかとなく哀しく切ない女生徒の心境を通して太宰自身の切ないほどの尖った感性が読み取れる短編集です。太宰の作品の中では他の作品の方が記憶に残っていると思いますが、この作品集は隠れた名作集だと思います。

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長野安晃

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