ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○忘れてはならないこと。

2011-07-21 17:12:11 | Weblog
○忘れてはならないこと。

いまや、よほど特別で濃密な関係性がない限り、菅直人という人間を認める人は殆どいない、と云っても過言ではないだろう。また、同時に菅直人を認めないということに加えて、なぜこのような状況のもとで、首相という座に居座り続けられるのだろうか、という慨嘆の声が途絶えることもない。無論、現状の自分自身への信頼喪失、民主党へのそれを政治的に判断して、衆議院解散を断行すれば、まずは自分自身が落選する可能性大だし、民主党そのものの解体にまで行き着かざるを得ないのではないか、というような、政治家としての計算が現在の居座りを自己正当化している、という見方もあるのだろう。けれど、僕は違うと思う。菅直人のスタンドプレーも、政治的サボタージュも政治家としての無能性も、それらすべての負の評価は、菅直人という政治家としての力量の次元では推し量れないものがある。もしも、菅直人個人の人格が破綻しているのだ、という視点を組み入れれば、現在の不可思議極まりない彼の言動の意味が理解出来るような気がするのである。それを認識するには、彼のこれまでの数多くの失策をすべて書き連ねる必要はない。過去の一つか、二つくらいの出来事を思い出せば、すべてが胸に落ちるような気がするのである。さて、忘れてはならぬこととして、ここに書きとめる。

15,6年も前のこと。当時菅直人は厚生大臣だった。世は、O157というウィルスの氾濫で、騒然としていたときのこと。O157の発生源の特定が進まなかった。さまざまな要因の分析が厚生省でも検討されていた最中に、菅直人は聞きかじりのデータ―をもとに官僚の忠告を無視して、唐突にカイワレ大根が、O157の発生源だとマスコミに垂れ流した。市場からカイワレ大根が姿を消した。風評被害というなら、これこそが風評被害だろうに。カイワレ農家の多くが破産、離散し、自殺者が出る。大騒動だ。菅直人は、ここで人を殺しているのである。その後O157の発生源は、カイワレ大根ではなさそうだ、と云うことになり、カイワレ農家をまとめていた当時の組合が、政府ではなく、菅直人個人に対して損害賠償請求を起こすことになった。菅のいじましさが働いてのパフォ-マンスは、テレビの前で、満面の笑みを浮かべて、カイワレ大根を食らって見せることだった。しかし、裏ネタとして知るべきことは、当時関東圏には、菅のパフォ-マンスのためのカイワレ大根ですら手に入らない状態だった。菅はノンキャリアの官僚を密かに使って、関西圏にまで、結構な額の税金を使って買いに走らせたのである。あのときのテレビで、笑顔で食っていたカイワレ大根は、そんなふうにして手に入れたものだ。己れのためのスタンドプレー、己の保身のためのパフォ-マンス、人殺しさえ合理化してしまう犯罪者を、日本は総理大臣にしてしまったのである。東日本大震災と、それによる福島原発の事故、その後の被災地復旧の遅れ、原発再開の指示とストレステスト導入というどんでん返し、等々。これらは、菅直人が首相としては失格者だというような認識では説明がつかない。また、同じ種のスタンドプレーはすでに起こしている。そうであれば、彼に政治家としての才覚のなさを云々する前に、人格の壊れをその主因と考える方ことのほうが、よほど理にかなった解釈ではなかろうか?

菅直人の手がらのように言われることが多いのが、薬害エイズ訴訟に関わって、厚生省に眠っていた、国側にとって不利な資料を公表し、患者側に陳謝したという事件。しかし、これも週刊誌にスッパ抜かれている。この資料はすでに厚生省の官僚が患者側との和解について、内密裡に和解資料として患者側に伝えていたものを、マスコミに公にしたというのが、そもそもの下りだ。すばらしきかな、小賢しきスタンドプレーヤ―、菅直人!非情なるかな、菅直人!薬害エイズ問題は、国の敗訴が決定的であることを内部的に知ったゆえの、ええとこどりだ。それに比して、同時に厚生省が抱えていた、薬害B型肝炎訴訟に対しては、彼はまったく関心すら持たなかった。政治的サボタージュの典型例だ。忘れるべきではないね、僕はそう思う。

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