○池井戸潤の「下町ロケット」
池井戸潤の作品の特徴は、昨今めずらしいほどに、読者をすぐに彼の世界の中に誘う才能に溢れているところだ。一般に、こういう作家をストーリー・テラーと呼んでいるが、その意味においても、日本の内外を問わず池井戸の創作のレベルは非常に高いと僕は思う。
池井戸が、「鉄の骨」という作品で直木賞候補になったことを知って、当然その年の直木賞は池井戸のものだろうと信じて疑わなかった。が、結果は白石一文の「ほかならぬ人へ」に直木賞をさらわれた。いったい、直木賞の選定基準はどうなっているのか、信じられぬ思いで事の成り行きを見守った覚えがある。というのも、白石一文も以前から僕の中では、高い評価を下している作家として認識されている。が、初期作品にみられたような、環境に翻弄されながらも、閉塞した自己を解放していくような白石独自のイニシエーションを狙いにした作風が弱くなっていた。とりわけ、「ほかならぬ人へ」は、読了し得なかったくらいに退屈な作品だったので、「鉄の骨」を抑えての直木賞受賞作品などと聞いても、まったく選考委員のバカさ加減を疑うばかりの印象しか残っていない。池井戸の「鉄の骨」は、NHKの5回連続のテレビドラマになったが、あのドラマは出来が悪かった。主人公の青年が、大手ゼネコン相手に、無力感を抱きつつも自社に誇りを持って生き抜いていくプロセスが、まるでドラマの中では単なる添え物のごとき扱いで、「鉄の骨」という作品から骨を抜いたような、作品の支柱を取り違えた作品に仕上がっていた。あれでは、池井戸が気の毒だなあ、と思いつつ、出来の悪いレプリカを目にしているような気分だった。
さて、それでも池井戸は腐らずに「空飛ぶタイヤ」を書き、それも直木賞候補作品となり、たぶん、渾身の力を傾注して、勝負に出たのが第145回直木賞受賞を我がものとした「下町ロケット」だ。作品のベースは、「空飛ぶタイヤ」から「鉄の骨」のテーマに立ちもどったものだ。一流の研究者が、国家プロジェクトとしての宇宙船打ち上げの失敗の責任をかぶって、研究者から稼業の中堅企業の社長に転身してからの、大企業相手のしたたかな闘いの記録。闘いの末に、自社製品が世界ベースで通用することを証明した経緯が、この作品のモチーフである。
池井戸潤の作品の魅力は、権力に守られた、権力に胡坐をかいた人間たちよりも、市井の人間の知恵の集積の力の方が、時として国をも動かすような強靭な知性と実践力を持ち得ることを描き切るところにある。さらに言うなら、池井戸作品の主人公や主人公をとりまく人間たちが、ひとりひとりの思惑を超えて、自信と確信を持ち、団結することで、自分たちの力量をさらに高めていく、という筋立てに徹している。ある意味、すでに失われてしまった感のある、人間の大切な価値観を思い起こさせてくれるファクターを常に作品の中心に据えることで、作風を斬新さとは対極の位置に置く危険性を孕んだチャレンジングな創作姿勢に徹している。「鉄の骨」といい、「下町ロケット」といい、作品の題名すら、この平成の世にかすかに残っているかも知れない上質の価値観を、作品の中で再構築しているかのようなのである。人間が、これまでの価値観をかなぐり捨てて、他者の英知につき動かされる動機を描くことが池井戸の狙い目だ。人の信念の強さや、人情の厚さや、価値観の違う人間どうしが、同じ高き目標に向けて一致団結することの意味と、そこから生み出される爽やかさな人間の生きざまを、屈折することなく実直に描き続けている作家。それが池井戸潤である。池井戸の作品を未読の方は、少なくとも「鉄の骨」と「下町ロケット」を読むことをお勧めします。どうぞ楽しんでください。
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池井戸潤の作品の特徴は、昨今めずらしいほどに、読者をすぐに彼の世界の中に誘う才能に溢れているところだ。一般に、こういう作家をストーリー・テラーと呼んでいるが、その意味においても、日本の内外を問わず池井戸の創作のレベルは非常に高いと僕は思う。
池井戸が、「鉄の骨」という作品で直木賞候補になったことを知って、当然その年の直木賞は池井戸のものだろうと信じて疑わなかった。が、結果は白石一文の「ほかならぬ人へ」に直木賞をさらわれた。いったい、直木賞の選定基準はどうなっているのか、信じられぬ思いで事の成り行きを見守った覚えがある。というのも、白石一文も以前から僕の中では、高い評価を下している作家として認識されている。が、初期作品にみられたような、環境に翻弄されながらも、閉塞した自己を解放していくような白石独自のイニシエーションを狙いにした作風が弱くなっていた。とりわけ、「ほかならぬ人へ」は、読了し得なかったくらいに退屈な作品だったので、「鉄の骨」を抑えての直木賞受賞作品などと聞いても、まったく選考委員のバカさ加減を疑うばかりの印象しか残っていない。池井戸の「鉄の骨」は、NHKの5回連続のテレビドラマになったが、あのドラマは出来が悪かった。主人公の青年が、大手ゼネコン相手に、無力感を抱きつつも自社に誇りを持って生き抜いていくプロセスが、まるでドラマの中では単なる添え物のごとき扱いで、「鉄の骨」という作品から骨を抜いたような、作品の支柱を取り違えた作品に仕上がっていた。あれでは、池井戸が気の毒だなあ、と思いつつ、出来の悪いレプリカを目にしているような気分だった。
さて、それでも池井戸は腐らずに「空飛ぶタイヤ」を書き、それも直木賞候補作品となり、たぶん、渾身の力を傾注して、勝負に出たのが第145回直木賞受賞を我がものとした「下町ロケット」だ。作品のベースは、「空飛ぶタイヤ」から「鉄の骨」のテーマに立ちもどったものだ。一流の研究者が、国家プロジェクトとしての宇宙船打ち上げの失敗の責任をかぶって、研究者から稼業の中堅企業の社長に転身してからの、大企業相手のしたたかな闘いの記録。闘いの末に、自社製品が世界ベースで通用することを証明した経緯が、この作品のモチーフである。
池井戸潤の作品の魅力は、権力に守られた、権力に胡坐をかいた人間たちよりも、市井の人間の知恵の集積の力の方が、時として国をも動かすような強靭な知性と実践力を持ち得ることを描き切るところにある。さらに言うなら、池井戸作品の主人公や主人公をとりまく人間たちが、ひとりひとりの思惑を超えて、自信と確信を持ち、団結することで、自分たちの力量をさらに高めていく、という筋立てに徹している。ある意味、すでに失われてしまった感のある、人間の大切な価値観を思い起こさせてくれるファクターを常に作品の中心に据えることで、作風を斬新さとは対極の位置に置く危険性を孕んだチャレンジングな創作姿勢に徹している。「鉄の骨」といい、「下町ロケット」といい、作品の題名すら、この平成の世にかすかに残っているかも知れない上質の価値観を、作品の中で再構築しているかのようなのである。人間が、これまでの価値観をかなぐり捨てて、他者の英知につき動かされる動機を描くことが池井戸の狙い目だ。人の信念の強さや、人情の厚さや、価値観の違う人間どうしが、同じ高き目標に向けて一致団結することの意味と、そこから生み出される爽やかさな人間の生きざまを、屈折することなく実直に描き続けている作家。それが池井戸潤である。池井戸の作品を未読の方は、少なくとも「鉄の骨」と「下町ロケット」を読むことをお勧めします。どうぞ楽しんでください。
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