○俺はウソつき教師だったな
ひどい貧乏学生の生活からやっと抜け出して、英語の教師になって、これで食い詰めることもなくなると、まずは生活の糧を得たことの喜びに有頂天になって、その次に何が教師という仕事を選ばせたのか? という理由を無理矢理こじつけた。それはいかにも能天気で思想のない解答だった。人間という存在と接していたいし、人間の成長にとって何らかの役割を果たしたい、だって。たぶん記憶の底の方を辿っていくとこんなことを考えていたように思う。しかし、これは100パーセントウソだ。とってつけた理屈とは、こんなことを言うのだろう、と思う。学校という空間にはうんざりとするほどの馬鹿げた理屈がまかり通っていた。要するに教師という輩は、世間から隔離されて、自分の妄想を肥大させた、エセヒューマニストか、受験マニアさながら、生徒の成績をいじくり回して、どこの大学に入れるか? ということばかり考えているようなアホが多かった。いずれも長い間世の中と切れた空間で、食うに困らず、ときには扱いづらい生徒もいたりするが、概ね、先生、先生と呼んでもらっては、何となく偉くなったような錯覚を抱くようになってしまった、精神の怪物だな。生徒のためになどまるでなってはいない、無用の長物だ。はっきり言うが、教師という存在を定義すれば、僕の中では、そんなことになる。少なくとも自分はそれくらいの意味しか持ち合わせてはいなかった、と思う。まあ、自分の問題として語ろう。一般化できなくはないが、敢えてそれは避けよう、と思う。いまだに教師という存在の本質に気づいていないみなさんもたくさんいるはずだから。
僕が最も嫌だったのは、教師が、社会規範の模範でなければならない、と錯誤することだった。尤も、そんなことを目指しながらも、社会規範のカケラもなかった教師たちもたくさんいたから、うやむやにしておけばどうということもなかったが、何故か僕は無理をした。昔から無理ばかりしているような気がする。自分に出来もしないことをあたかもやれるかのように振る舞った。所詮エセものだ、ボロが出る。ボロボロとボロが出てくるので、僕は論理という刃を振りかざした。議論して完敗した、という記憶がない。大体が、教師という人々の殆どは驚くなかれ、本を読まない。これは信じられないほど読まないな。だからまとまった文章もまともに書けない。国語の教師だって例外ではない。だから、大概は感情論が先行する。感情論に理論は絶対に負けない。だから敗北した輩たちに出来ることは、憎悪することしかないわけだ。労働組合と言っても日本共産党の赤旗の論説をあたかも自分の考え方のように喋るのが精一杯の連中が殆どだったから、立花 隆の「日本共産党の研究」でも読んでいれば、難なく論破できた。かくして、組合でも僕は異端だった。別に組合員でなくてもよかったが、組合員でない者たちは、より質の悪い寺の坊主たちが、いっときの職を教師に求めて闊歩していたわけで、彼らと区別をつけるために、嫌々組合員に永年留まった。いろいろな取り組みに参加させられるのだが、そのバックに日本共産党と民主青年同盟がいるのは見え見えだったが、まあ、それもよし、と思って、労組の副委員長になった頃は、共産党員が喜ぶような演説を舌を出しながらやってやった。オレは新左翼上がりなんだ、お前らはかつての左翼運動における裏切り者だよ、と心の底で囁きながら、彼ら寄りの演説を結構うまくやっていたが、家に帰った後のアホらしさと言ったら、例えようもないほど凄まじかった。ジャズを聴き、官能的な小説を読んではウサを晴らしていたようだ。
確信を持って言うが、教師なんて、生徒のためになんかちっともならない。だって、模範にできるような人間存在としての教師など、殆ど学校という空間にはいなかったからだ。まあ、楽しく3年間を暮らすくらいが関の山だっただろう。少なくとも自分が何らかの影響を与え得た生徒など、皆無だった、と思う。学校に残っている頃は、卒業生も懐かしいのだろう、何度かは訪ねてくれるが、そんなことを喜んでいるのは、世間知らずの馬鹿丸出しだ。卒業生は別に教師に会いに来るのではない。自分の過去を懐かしむためにやってくるだけだ。教師などは、彼らの頭の中では、そこいらへんの花瓶と同じくらいの質量でしかない。
かくして、僕は無意味ということの意味を諒解した23年間の教師生活を送ったことになる。人生そのものが無意味なのだ、としたら、それは当然導き出される解答だろう。まずまずか、と思う。これが僕が学校という場でやり果せた後の、残骸だ。致し方ない、と受容するしかないではないか。
○推薦図書「青い犬の目」 ガルシア・マルケス著。福武文庫。マルケスの「百年の孤独」へと繋がる名作短編集です。死者の側から眺めた日常の光景などが描かれていて、腐った議論をやった後の虚しさをうめるには、なかなかの深みのある短編集でした。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
ひどい貧乏学生の生活からやっと抜け出して、英語の教師になって、これで食い詰めることもなくなると、まずは生活の糧を得たことの喜びに有頂天になって、その次に何が教師という仕事を選ばせたのか? という理由を無理矢理こじつけた。それはいかにも能天気で思想のない解答だった。人間という存在と接していたいし、人間の成長にとって何らかの役割を果たしたい、だって。たぶん記憶の底の方を辿っていくとこんなことを考えていたように思う。しかし、これは100パーセントウソだ。とってつけた理屈とは、こんなことを言うのだろう、と思う。学校という空間にはうんざりとするほどの馬鹿げた理屈がまかり通っていた。要するに教師という輩は、世間から隔離されて、自分の妄想を肥大させた、エセヒューマニストか、受験マニアさながら、生徒の成績をいじくり回して、どこの大学に入れるか? ということばかり考えているようなアホが多かった。いずれも長い間世の中と切れた空間で、食うに困らず、ときには扱いづらい生徒もいたりするが、概ね、先生、先生と呼んでもらっては、何となく偉くなったような錯覚を抱くようになってしまった、精神の怪物だな。生徒のためになどまるでなってはいない、無用の長物だ。はっきり言うが、教師という存在を定義すれば、僕の中では、そんなことになる。少なくとも自分はそれくらいの意味しか持ち合わせてはいなかった、と思う。まあ、自分の問題として語ろう。一般化できなくはないが、敢えてそれは避けよう、と思う。いまだに教師という存在の本質に気づいていないみなさんもたくさんいるはずだから。
僕が最も嫌だったのは、教師が、社会規範の模範でなければならない、と錯誤することだった。尤も、そんなことを目指しながらも、社会規範のカケラもなかった教師たちもたくさんいたから、うやむやにしておけばどうということもなかったが、何故か僕は無理をした。昔から無理ばかりしているような気がする。自分に出来もしないことをあたかもやれるかのように振る舞った。所詮エセものだ、ボロが出る。ボロボロとボロが出てくるので、僕は論理という刃を振りかざした。議論して完敗した、という記憶がない。大体が、教師という人々の殆どは驚くなかれ、本を読まない。これは信じられないほど読まないな。だからまとまった文章もまともに書けない。国語の教師だって例外ではない。だから、大概は感情論が先行する。感情論に理論は絶対に負けない。だから敗北した輩たちに出来ることは、憎悪することしかないわけだ。労働組合と言っても日本共産党の赤旗の論説をあたかも自分の考え方のように喋るのが精一杯の連中が殆どだったから、立花 隆の「日本共産党の研究」でも読んでいれば、難なく論破できた。かくして、組合でも僕は異端だった。別に組合員でなくてもよかったが、組合員でない者たちは、より質の悪い寺の坊主たちが、いっときの職を教師に求めて闊歩していたわけで、彼らと区別をつけるために、嫌々組合員に永年留まった。いろいろな取り組みに参加させられるのだが、そのバックに日本共産党と民主青年同盟がいるのは見え見えだったが、まあ、それもよし、と思って、労組の副委員長になった頃は、共産党員が喜ぶような演説を舌を出しながらやってやった。オレは新左翼上がりなんだ、お前らはかつての左翼運動における裏切り者だよ、と心の底で囁きながら、彼ら寄りの演説を結構うまくやっていたが、家に帰った後のアホらしさと言ったら、例えようもないほど凄まじかった。ジャズを聴き、官能的な小説を読んではウサを晴らしていたようだ。
確信を持って言うが、教師なんて、生徒のためになんかちっともならない。だって、模範にできるような人間存在としての教師など、殆ど学校という空間にはいなかったからだ。まあ、楽しく3年間を暮らすくらいが関の山だっただろう。少なくとも自分が何らかの影響を与え得た生徒など、皆無だった、と思う。学校に残っている頃は、卒業生も懐かしいのだろう、何度かは訪ねてくれるが、そんなことを喜んでいるのは、世間知らずの馬鹿丸出しだ。卒業生は別に教師に会いに来るのではない。自分の過去を懐かしむためにやってくるだけだ。教師などは、彼らの頭の中では、そこいらへんの花瓶と同じくらいの質量でしかない。
かくして、僕は無意味ということの意味を諒解した23年間の教師生活を送ったことになる。人生そのものが無意味なのだ、としたら、それは当然導き出される解答だろう。まずまずか、と思う。これが僕が学校という場でやり果せた後の、残骸だ。致し方ない、と受容するしかないではないか。
○推薦図書「青い犬の目」 ガルシア・マルケス著。福武文庫。マルケスの「百年の孤独」へと繋がる名作短編集です。死者の側から眺めた日常の光景などが描かれていて、腐った議論をやった後の虚しさをうめるには、なかなかの深みのある短編集でした。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃