年の暮れだから、という理由は変だけど、運命論について考えてみようと思います。
生きとし生けるもの全てが等しく有する“運命”なるもの。
日々刻々と変化し続ける状況の中で、あらゆる生命がその固有の有様を呈してゆく。
それはその生命の生きる形であり、また証でもある。
僕らは、銘々に備わった運命の下で毎日を生きています。
占い(運命学)を学んでいる人間だけでなく、たぶん多くの人が自分自身の運命について思い巡らしているはずです。
良き星の下に生まれたかどうか。
望む人生を送れるかどうか。
生涯に亘って付き合える友人ができるかどうか。
不慮の事故や病気にならずに天寿を全うできるかどうか。
今度の試験に合格できるかどうか。
素敵な恋愛をしたり、好きな人と結婚できるかどうか。
社会的な成功を収めたり、お金持ちになれるかどうか。
有名人や著名人になれるかどうか。
子宝に恵まれるかどうか。
不自由ない老後を送れるかどうか。
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・・・
細かなことを書けばキリがないほど、人間の欲求というものは様々です。
そして、それらの欲求が叶うか否かを自身の運命に問う。
多くの場合、運の良い時は誰もそのことを不平に思ったりはしないけれど、当然、人生にはそうでない時もあるわけで、時には意に反する事柄に苛まれて苦しむこともある。そこで人は「運命を変えよう」とします。いわゆる開運という自己改革です。
けれど、それでも大概は「分かっててもダメだった。どうにもならなかった」ということが多いのではないでしょうか。
運命や宿命というのは、それが相当に定まりあるものとして認められるからこそ、そう呼ばれるのであって、巷に言うように簡単に運を変えたり開運などできるものでもありません。そうした甘い言葉に安易に釣られないように気をつけて、と言いたいくらいです。
もちろん、客観的な視点に立ち、占術的知見と良識と常識的思考とを持って改善のためのアドバイスをしてくれる占い師さんも大勢いることでしょう。つまり、きちんとプロの仕事をしてお客さんの役に立ちたいと望んでいる人達のことです。
しかし、どんなに優れたアドバイスも相談者自身が実践できなければ、今の状況を好転させることには繋がりません。全ての問題は、結局は当事者の中にあるからです。
それでも何も善処しようとしないでいるのと、諦め状態や慢心状態でいるのとでは意味合いが全然違います。その上で、どんな出来事も結果は結果として受け取らなくてはならないわけですが、先にも書いたように、多くの努力や対抗策が通じないことも、ままあります。易では通るという意味で亨という表現が使われますが、思うように行かなかったり、周りと調和できずに逆に跳ね返されてしまう場合です。
ただ、運命の視点から見ると、それがその時点でのその人の定めということ。言い換えればブレイクスルーとして機能していて、一種の試練、または今後のための経験の意味で、どうしても実感として理解しなければならなかった、というもの。
仏教で自業自得や因果応報というように、過去に自分がしてきたことに起因する事柄の行き着く先は、よほど事情が変化しない限り、ほぼ100%に近いレベルで反作用します。
占いを研究してきた者として述べますが、少なく見積もっても9割程度はあると思います。それが直接的であるか間接的であるかは、その人の置かれた状況や立場、個性(性情)などによって異なりますが、誰しもがそうした過程を経ます。
多くの場合、原因を作ったとしてもそれが結果に結びつくまでの期間が長かったり、まちまちだったりで認識しづらいために、日常の生活の中であまり気に留めることはないかもしれません。
しかし、一度生じた因(シード:種)は、その開花を得るまでは常に自分の運命に影響力を持っています。現実的には、どのような発動条件が必要かは様々ですので一概には言えませんが、とりあえず個々の特性に応じるとだけ理解しておけばいいと思います。まあ、この辺りは四柱推命の根・地支蔵干と天干、そして行運の関係にも似ているかもしれません。
そしてそれは、結果として表出すると過去の遺物となって効力を失っていき、別の新しい素材の一部分として転化されていきます。ただし影響力が残っている間は、まだ顕現していない何かがあるということなので、その良し悪しに関わらず形になった時点で順次、自然消滅していくことになります。それは人間関係での縁であったり、個人的な興味の対象だったり、仕事などの事柄だったりと様々です。
そして、ここからが重要ですが、この因から果に至るプロセスの中で培養された内容こそが、未来の自分の礎石となるということです。これはおそらく、因果を結ぶ条件(時間軸に基づく縦構造の系)とは別の、空間軸に基づくシンクロ的な横構造の共鳴関係です。
因果の渦中にある時の努力、あるいは運命を変えようとする奮闘や足掻きが功を成さず、儚くも徒労に終わったように感じることがあります。でも、それは決して裏切られたわけでも無駄なことでもありません。
努力や奮闘も、そして足掻きも全て行為ですから、それはまた新たな因となります。ただ残念なことに、今関わっている因が示す結果に影響を与えることができない状態にあるというだけのことです。言い換えれば、今培っている資質が将来のどこかで役立つ可能性は十分にあるわけです。
もう少し書くと、因果の軸を揺す振って結果を変えるということは、例えばチューリップとして成長してきた植物をどうにかしてヒマワリにでもしようとすることと同じで、生来の性質を変えることは困難なことなのです。
つまり、すでに具現化に動き出した因縁を何とかしようとしている段階での努力は、いままさに咲こうとしている花の脇に新規の種を蒔き、土を被せて水をやり、光を当てて・・・といったことに等しいからです。
ある因の元、時の流れに沿って運命が展開されると9割以上は確定状態として具現化の道を進んでいきます。しかし具体化して固まっていくその一方で、別の系からまだ見ぬ不確定要素がアクセスしてくることもあるのではないかとも考えています。それが僕の言う「空間軸」的な働きかけです。
その影響によって、当初の目的や予定とは微妙に違ったものになったり、スケールが変わったり、何段階か上下にシフトしてしまったりするのではないかと思っています。
ただ、因果律において元来生じるはずだった結果が変わって“変種”が生じる可能性があるといっても、それで運命が好転するかどうかを予測するのは困難です。運よく復調することもあれば、変動したことで余計に右往左往しなくてはならなくなるかもしれません。
さらに、そうした行為に際しての心構えも、開運を成そうとする上では欠かせない大事な要因の一つだろうと思います。つまり、どのような意識で物事に取り組むのか、ということ。性格が運命の主要因とは一般に言われていますが、現実に「性格を変えなさい」と言われて実行するのは難しいし、それには時期的な影響もあって、やろうにもできない時もあるでしょう。
でも、どんな状態にあっても、気の持ちようを変えることくらいなら、できる。
これは必ずしもポジティブである必要はなくて、むしろニュートラルに近い方がいい時もあります。気分的に負の感情が大きい時に、それを相殺しようと誇張した正(肯定思考)の感情を植え込もうとしても、位相が違いすぎるとギャップに面食らって上手く行かないことがあります。そういう場合は、まずは土を均すのと同じように、ニュートラルに持っていくようにするといい。
平易に言えば、これは普通の考え方をする、ということです。一般論に従う。
負であれ、正であれ、それは本人にとっての認識に偏りがちなので、実は普通から逸れた特殊な考え方をしていることが多いものです。そしてそれが原因で周囲との調和を失っていたり、行き過ぎた言動をして、却って自分の首を絞めてしまってたりするわけです。
なので、性格を変えようとまで大それた考えをしなくても、少し、あるいは幾らか軌道修正できれば、10%でも20%でも改善できるんじゃないでしょうか。もちろん、好転というからには最低50%、できれば大どんでん返しを望むこともあるでしょうが、急激な変化は、逆に負担にもなることもあるので、人によっては忌避ができなくとも、せめて「軽減」させるという手法でよしとするのもありかな、とは思います。
・・・あれ? 因果律に対する共振律みたいな話を展開していく予定だったんだけどなー。
すみません、眠くなってしまって、何が書きたかったのか分からなくなってしまったようです。
一応、今日の分は今日の分として、また日を改めて続きを考えようと思います。
一文を綴ってくださりありがとうございました。
少し前に、結局、リカバリーしました^^;
という記事を拝見したときは、
今は休息の時間というメッセージなのかもと書こうと思ったのですが、
CIさんは仕上げてきました(^-^)。普通なら、とほほと一旦
コーヒーブレークとなりそうな感じなのですが、
それはあくなき探究心から沸々と出てくるエネルギーなのか、
CIさんの精神の強さを感じるここ何回かのブログの記事でした。
これからネットとのお付き合いをどのようにされるのかは、
解らないですが、現実でもあらゆることを考察しながら
日々過ごされることと思います。
どうぞよいお年を。。
メールやコメントを読むことが僕の活力源になっています。だからこそ、kotokotoさんをはじめ、送られる意見を謙虚に聞く姿勢を常にもっていなければ、と肝に銘じています。
来年のいつまでネット活動を続けられるか、まだ未定状態ですが、おそらく半年が限度かと思っています。
(思えば去年の暮れもそんなことを書いて、結局事情が変わって1年延びましたが(笑)、もう1年はさすがに無理かも)
とにかく、「日々自分のやれることで誰かに貢献したい」という志だけは忘れないようにしようと考えています。
ではでは、今年は大変お世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください^o^/