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数学は何から作られているのでしょう?

2012-11-13 20:53:34 | 翻訳

少し「時間的」余裕があったので、「以前」に訳したいと思いつつ、ずっとできないでいたものを、「今」になって訳しました。
というのも、「今日」、幾つか「時間」や「空間」についてのツイートをしたので、それで思い出したからです。

・・と、まあ、

いま括弧書きしたように、以下の文は時間、及びそれと不分離の関係である空間についてのメッセージです。
出所は、なんと神様らしいです^^ 

なお、数学と銘打たれてますが、数学の内容ではなく、むしろ哲学です。

これを読んだ後、「時間や空間がないとか超えるって、どうゆうこと?」 とか考えて、眠れなくなっても僕は知りません(笑)


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http://www.heavenletters.org/what-can-mathematics-be-made-of.html

What Can Mathematics Be Made Of?
Heavenletter #4303 Published on: September 5, 2012


数学は何から作られているのでしょう?

ヘブンレター #4303 掲載:2012年9月5日


神は仰られました:

時間は存在しないと常々私は言っていますので、これから皆さんに言おうとしていることは矛盾(不両立)のように思えるかもしれません。ですが、いま私が皆さんに言いたいことは、時間は存在するという提案です。もちろん私は、皆さんにとって時間が存在していることは認めています。

私は、皆さんがよく「時間がない」と言っているのを聞きます。また、こうも聞きます。「全てを終えるだけの時間がない」と。また、私は耳にします。「しなくてはならないこと全てをするだけの時間がない」とも。

私は皆さんが次のように言っているのを聞きたいので、こう提案したいと思います。「私は、する必要のあること全てをやるだけの時間が、世界中、いつでもある」と。

さらに次のようにも聞きたいので提案します。「私には、私が『したい』こと全てをするだけの時間が、世界中、いつでもある。」と。

世界の言葉で、そのように皆さんが考えるとき、時間の不足ではなく、むしろ時間によって支えられると感じる以外に、他に何を望むでしょうか? 時間が皆さんの意志に従って曲がれば、皆さんは息苦しさを決して感じないでしょう。

言うまでもなく、永遠が時間を超えていることは真実です。もし永遠が測れるものだとしても、皆さんは絶対にそれを使い果たせないでしょう。ですから、実際には、時間は存在しません。そこに始まりはなく、それゆえに、終わりもまた存在しません。

永久(Forever)には、ネバー(never:かつてない・今後もない)はなく、それは全てエバー(Ever:古語での常・いつも = always)であり、エバーとは、その上に、またはそれを介して引かれたラインがなく、ねじれがなく、開始がなく、停止がなく、時計のチックタックがなく、時間の記録がなく、測定がなく、追想も予告もなく、そしてそれゆえに、過去もなく、未来もなく、ただ現在(present)のみであることを意味します。でも、そうであっても、現在というのは完全に正しい言葉ではありません。

過去も未来もない場合、そのどこに現在が収まるのでしょうか? どうやって現在が存在できるのでしょう? 今(Now)という代わりに、それを常(Everness)と言うこともできます。常とは永遠(Eternity)であると言えますが、それでも、今とは、いつも(Alwaysness)であるということを、本当に十分には表現することはできません。そこに跳ね返るような区切りがないのであれば、いつもとは何を意味するのでしょうか?

さて、この中のどこに空間が入り込めるのでしょうか? 時間がないのであれば、どうして距離(間隔)というものがあり得るでしょうか。時間と空間とは、一つの存在しないコインの両面なのです。従って、時間も空間も存在できません。知覚世界でのみ、それが可能なのです。

空間は世界中に存在していると考えられています。「どうして空間の概念なしに、何かによって囲まれるということがあり得るだろうか?」というのが、その理由です。空間の概念なくして、皆さんは友達や家族にさえ囲まれることはできず、友達や家族と離れることさえもできません。皆さんは孤立化しません。孤独にはなれません。一個人になることすらできません。

皆さんは分離(分割)されていないのに、自分は分離されていると思っています。皆さんは、一見すると個体に思える他の全てと分離されずに繋がっていますし、同様に私とも必然的に分離なく繋がっています。ですから、実際には、世界中で皆さんが経験する全ては、皆さんが求めている未だ見ぬものや受け入れていないものの一つの側面なのです。皆さんの経験がそのようでないと考えることは、“想像上での” 双方の合意というものです。

時間の感覚も、それから同時に起こるための空間も存在しないにも関わらず、全世界で一斉に演じ切られる全ての人生、というものを想像してみてください。同じ理由から、時間が実在しないとしたら、一体全体どうして「同時に」などと言うことができるでしょうか?

それに、だからこそ、愛しい子供達よ、私達は皆さんが自分自身に尋ねるように問いかけるのです。「私はどこにいるのか?」と。そしてまた、皆さんが自らに尋ねるよう、問いかけます。「私はここで何をしているのか?」と。さらに、とりわけ皆さんに突き付けるべく、大きな問いかけをします。「私は誰? ここ、空間と時間の中にいるように思える私とは誰なのか?」と。

では、最後に問いかけます。「数学は、何から作られているのでしょうか? 皆さんは分割されないのに、一体、何によって数学は作られているのでしょうか?」


- Translated by C.I.

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2 コメント

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数字は (ゆき@あむ禅)
2012-11-16 16:09:27
Ultimate universal language だとか何とか読んだことがあり、なんとなくそうだろうなーと思いますが、私には全然???の世界ですねー。辻麻理子さんの著書もちんぷんかんぷんだったし。。。

ただ集合意識=インターネットに激似してることと、コンピューター言語が全て0と1で出来ていることを非常に興味深く感じます。

マトリックスの世界にも何か通じるような。。。

勝手にお邪魔して独り言&つぶやきコメントすいません。それにしても、最近よく模様替えされていますねー。(^^) もう既に春の予感がw
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人生に春の予感 (C.I.)
2012-11-16 16:45:27
ゆきさん、こんにちは! 来て頂いて嬉しいです。

「神との対話」では、地球人類はCD-ROMみたいなものだ、って話がありますが(今ではDVDとかだろうけど)、

人体の神経ネットワークとか脳内ネットワークとかも似たようなものですし、僕らそのものも宇宙全体の構成要素(歯車・パズル)でしょうから、数の概念も、詰まる話、自分達のことを表現しているってことなんでしょうね。

Uteさんも(だけじゃないですが)、「宇宙は神という一つの身体で、僕らはその一つ一つの細胞だ」と述べてますし。

僕は、子供時分に空や星空を見上げては、今この瞬間に同じことをして、同じ時に生きている人が世界中にどれ位いるんだろう? と、よく思っていましたが、あの頃から共感とかシンクロとかが、すでに心に根付いていたんだなーと思います。

空や海は世界中すべてに繋がっていて(地球内のことだから当然なんですが)、勝手に人間が定めた境界線を除けば、誰とでも分かち合っている。

そこを流れて伝わる元素は、新陳代謝によって僕らの身体を構成しながら共有してますし、太陽の光も、そして夜の闇も、分け隔てなく与えられている。

暗闇がなければ煌く星々や銀河や星雲に感動することもできず、宇宙の広大さや神秘に憧れを持つこともなかったかもしれません。

そちらにお邪魔したときに話題になった「Divine」は、光と闇も、そして時間も空間も包含した超越的な概念――ちょうど今回の「永遠」とか「常」の概念と核心は一緒なんだろと思います。

無限に広がるということは、つまり、そこに境界はなく、遮るものもない。始まりもなければ終わりもない。有限と無限、生と死などの両面を併せ持ち、必要ならばそのどちらでも自由に選び、経験することができる。

超越するというのは、それがどんなことであれ、マスターキーとかフリーパスを持って好きに出入りできるということに近いのかな、と思ったりもします。

マトリックスのマスターが実は、私達自身だと気がつけば、そこからは新しい認識の中で、どんな経験のドアでも開けていけるんじゃないでしょうか。

「どこでもドア」ですね^^
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