cry&smile

海外ドラマの感想、子育て、結婚時代のいろいろなど、ありふれていると思ってるのは自分だけらしく、怒涛の日常を綴っています。

hitorigoto

2013-09-25 17:03:41 | ひとりごと・詩
かなり、negativeな記事です。スルーしてね。
ちょっと書いて整理したいだけ。
離婚・不登校関係の記事なので、その方面の人に意見をお聞きしたいなあと思いますが…












以下、9月10日に書いたものです。
それから半月経ちますが、やはりずっとこんな気持ちのままなので、一度ブログに投下して手放してみようと思います。読んでいて気分が悪くなったらすぐに画面を替えてくださいね。
本当に愚痴しか言ってないので。





最近、復縁オーラをすごく感じてうんざりしている。
この間の日曜は子どもとの面会だったのですが、
その2週間前から、生霊が飛んできてるのが分かって、
私の過去のこだわっている部分に反応して、首と肩、背中がものすごい痛んでいる。
想念の強い人なので、なんかたくらんでるとすぐにくる。
うあーーーどーにかならんかな。

このタイミングで、娘だけじゃなく息子も不登校に突入したことが知れてしまい、
今回は穏便にすんだものの、
次回はどんな手に打って出るか分からないと思い、
ものすごい不安感と焦燥と嫌悪感でいっぱいになってる。
親権は私が持っているものの、
今回、子どもに「結婚時の姓」に戻る気はないか、と尋ねたらしい。
この不登校になってることが、親権を持つ親として親の役目を果たしていないって言われちゃったら、もう、どうもならない。腕のいい弁護士の手にかかったら、私はバンザイするしかない。

これまでの私の頑張りや、私がしてきたことをいいところだけさらっととっていっちゃうのは結婚時からそうだったので、今回もそんな悪夢がよみがえる。
杞憂で終わることを望むが、これで娘が受験できなかったりしたら、もう、覚悟決めないといけないなって思う。
なんでも自分の都合悪いこと、うまくいかないことは私のせいにしてきた人なので、
今も私のせいだって思っていることだろう。

私の実家、実の母でさえ、もう子供は手放せ、というのだ。あなたの手には負えないと。
身近な家族でさえ私の味方はいない。どういうことだ。

私に母としての技量のないことはその周りからの対応でそうなんだろうなあと思うしかない。
でも、少なくとも子どもたちは私を母だと慕ってくれ、
私は子どもたちの型破りの才能を感じている。
型にはまれない子どもたちだってことを私のほかに誰が認めてあげるというのか。
繊細で、いろんなことに気が付いて、間違ってるよって思うからこそ、学校の枠に戻れない、
知らない顔をするのが苦痛だってことを誰も知ろうとはしない。

学校の型にはまればそれで安心か?
確かに勉強することは大事だと思う。
知ることが楽しいって思える子どもたちなので、学ぶことはしている。
違った生き方をしていると叩かれる世の中なんだよな。

でも私がすべてを教えられるとは思っていないので、学校に戻った方がいいと思う。
ただ、無理をして型にはまる必要はないと思う。
高校に行けば、多少そういうスキルも使えるかと思うが、中学は一番きついなあ。

そんな中で、親権を取り上げられる事態になったら、と思うと…ぞっとする。
でもそれをやりかねないのが奴なんだよなあ。

昨日は不安でぼろぼろ泣いた。
子どもたちにもこれから想定されることを話した。
少し、これじゃいかんかも、って思ったようだが、行動が伴うのはたぶんまだ先。
子どもたちが幸せでいられるなら、親権を父方に譲ることも考える。お金もしっかり持って行ってるし。
しかし、あまりに理不尽だ。
神仏はまだどんな試練を用意しているんだ?
私が存在する意味はあるのか?
むしろ、そこに関する試練なのか?

私の悪い癖で考えすぎなのですが、
今日はちょっと吐き出しとかないと、死ぬな、って思ったので。

ひとりごと、おわり。




スターシード

2013-09-20 16:59:46 | ひとりごと・詩
ちょっと、トンでも話なので、
見えないものは信じられないわ、ってかたはご遠慮くださいね。
当方、いたって普通の人間ですので。
これを見て、引くわーとか思わないでねー。















スターシード

直訳すると星の種、なんですが、
COCONA一家はみんなスターシードのような気がするんですよね。
あの、宇宙から転生してきた魂の事なんですけど。

子どもたちがそうだなあって思うのは、
二人とも、「帰りたい」って思うんだって。
家にいても、ここが本当に自分が帰る場所ではなく、居心地の悪さをかんじるらしい。
そして。「あー帰りたいなー」「帰りたいねー」って会話が繰り広げられている。

私がそうだなあって思うのは、
昨日の中秋の名月を見ていたり、星を眺めていたりする時。夕景の空を見ているとき。
空に堕ちていく感覚があって(表現するのが難しいなあ。)
極め付けは、先日プラネタリウムに行って、初めの天の川あたりから泣いていたんですが、銀河系の外にも宇宙が広がっています、って最後のクライマックスのところで号泣しちゃったこと。
魂がなんか言ってるよ。って感じでした。
たぶん、そういうことなので、銀河系以外のどこか知らない馬の骨ともわからないところにある、おちゃらけたことが好きな生命体から、ですね。察するに。
私も小さなころから居心地の悪さをすごく感じている子で家族の中でけっこう異質でしたから…。

なんでこんな話になっちゃったのかというと、
先日書いた、名月によせてにつながるのですが、自分を見直す時期に来た!と思っているからで。

だからどうするよ、ってことなんですが、
制限を外す練習をしようと思っています。
常識にとらわれずに思考することで、無理だって思ってることを乗り越えられる。今だ!って気分なんです。

たとえば、今年のベネ来日騒動の時も、無意識に制限をかけていたんだなあ。ってすごく後悔していて、(いや、それが学びで、ツイッターのお友達がいっぱい増えたんだから結果オーライなんですが)きっと無理なんだよって気持ちを解放してやりたいなあと思っています。
英語を話すことも「どうせ今から英語の勉強したって、海外旅行に行ける金もないくせに」とかいう思いがふつふつと沸き上がってくるので、そいつも解放してあげられたら…。
SERLOCK3を英語で見られたらどんなに素敵だろう、と思いますね。

そして、より自分らしくなれる気がしています。
そのためには自分のことを知っておきたいなあと思ったところ、
「スターシード」
が私の心の検索に引っかかったってことでした。

最近トンでも話ばっかりですみません。


十五夜の日に寄せて

2013-09-19 11:55:48 | ひとりごと・詩
最近、「今ここの瞬間を生きよ」とメッセージがくる。
本当に何を見ても必ずそのメッセージが入っている。

確かに、過去に良くも悪くもこだわっていた部分がある。
そして、未来を思い描く中にもエゴがいっぱい入っちゃってたのかなあ。

会社で働く自分と、母である自分、娘である自分、姉である自分、
役割分担はきっちりできているかもしれないけど、お互いの整合性がない。
これって、私が自分自身を生きていないからってことだよね。
これも最近のメッセージとして来る。
自分がしたいこと、なにが一番楽しいの?って。
いい人でいたいとか、褒められたいとかそういうことじゃなくて、
私の魂が何を求めているのか。

今迄がいわゆる常識といわれる壁に囲まれて生きてきたので、まずはそれをぶち壊すことが始まっている。
これが十数年前から。
心が求める自由を得るため、見えない鎖をどんどんぶっちぎってる
これは数年前から。
そして今、どうするの?
って言われてる。

今は見つからない。見つかってるけど見ないふりなのかもしれない。


大好きな俳優さんとか歌手とか、自分が好きだなあという人を挙げていくと、
本当に魂がすべきことを選んでるんだなあって思う。

わたしも、今更だけれど本当に魂が喜ぶ、選んだことをしていきたい。
しっかりこの目で見据えたい。

みつかるといいなあ。
十五夜の日によせて…。



愚痴です。

2013-09-13 12:19:24 | ひとりごと・詩
ちょっと愚痴入っちゃってるので、追記に載せました。
ベネディクトの記事では全くないので、それでいらっしゃった方はスルー推奨です。

























まったくこの、体調の悪さ、だるさはどこから来るんだろう、と思うくらいで、
週末はいろいろと掃除や身の回りを整理してみようと思っています。
なんだか体の居心地も心の居心地も悪いのです。

今週は、娘の睡眠障害についてもう一度医者にかかってきました。
かなり私にも負担が来ていて、娘が居間にずっと居座っているので、隣の部屋で寝る私が明るい状態で寝ないといけなかったり、娘の荷物がどっかり食卓に乗っていたり、一日に二回に分けて長期睡眠をとっているため、一緒に食事がとれないとか、塾に出かけられないとか、(もちろん学校へは行けないよ)
仕事から帰ってきてからの私の生活リズムもかなりきつくなってきて、本当に限界近い。

おまけに背中の痛みは取れないし。

健全な肉体ではないので健全な心も宿らなく、
なんというか、自傷ぎみですね。
自己否定感が強く出てしまって精神的に自分を傷つけてる。
いかん、こんなんじゃいかんよ。

今、たぶん底なのだと思う。もう少ししたら誰かに助けを求められるかも。
今、何か否定的なことを言われたら自分自身が壊れそうで、そっと身を潜めている感じ。
自分自身に向かって闘って行かなきゃいけないんだよね。
今私が越える壁なのだと思う。

息子の件にしろ、娘の件にしろ、
私のトラウマ&固定観念を解消するための試練だって思ってる。
「良い子じゃないと受け入れられない」で育ってきちゃって歪んだところを、
うちの子どもたちが「どんな子であっても最高なんだよ」って教えてくれているんだってそういうことだってわかるんだけどね。
最後の心の底の固い鍵が外れないからずっと悩んじゃうんだよね。

今でもやはり実の母からは、制限付きなところを感じてしまっていて、
だから愛されないんだって思ってしまう。面汚しなんだろうなあって思っちゃう。
やはりなにがあっても無条件に愛されているのは妹たちなんだなあと比べてしまっている。
頑張ればなんだってできる。今出来てないのはあなたの頑張りが足りないからだと。
金銭的にも人間的にも劣っているからだ、と自分を卑下してしまう。

それが個性なんだよってことを教えてくれるのがうちの子どもたち。
生きているだけで素晴らしい、って教えてくれる。

自分の気持ちを昇華しないといけないのだけど、
これがまた、なかなか…。

厳しい試練だなあ。


40過ぎればいい女?

2013-08-23 17:25:53 | ひとりごと・詩
アラフォーの私ですが、寂聴さんが、
女はほっといても40歳過ぎればいい女になるのよ、
っておっしゃった言葉を聞いて、もんのすごく心強くなっているこの頃です。

確かにいろいろありましたし、それが自分にとって試練だったのだと感じます。
無駄なことも、不毛なことも、世間から見て非道だと思うことを誰が信じてくれなくてもいい、自分は自分が信じるってやってきたときも、もう無理だって思うことが何度もあったけど、やってきた。
復活したときに失うものと得たものを並べてみると、
失ったものは、そうなるべきものだったし、同時に得たものは必ずあり、新しい世界に導いてくれたものだった。
そう考えると40ぐらいまで生きるとどんな阿呆でも懸命に生きるものにはそんな風にハクが付いてくるのかなあとか思った。いや、そうであってほしいなあって願望かも。

実は、私の6歳下の妹がようやく結婚をすることになったようで、
新しい人生をパートナーとともに生きるわけなんですけど、
本当に急なことでお盆はそれでわたわたして過ぎたって感もあるのですが、
同時に自分の人生振り返ると、はあ…って思ったりしていたんです。いわゆる評価を付けるなら「失敗の人生」だよなあって。私のように別れないためにここはしっかり相手さんを見極めないといかんやろ、って意見が身内から出たりね。はあ…ってなりますわ。
なんというか、親きょうだい的にはやはり古い言い方ですが家を穢したってことになる訳で…。
そういうネガな所から抜け出すべくいまは実家暮らしではなく自分で暮らしているんですけどね。

百戦錬磨なそんなかっこいい人生ではないですけど、ちょっとは人生の色気というかそんなものがにじみ出る大人の女でいたいなあと思った寂聴さんの御言葉でした。