山とバイクと時々お遍路

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難攻不落の 信州上田城

2017年11月11日 | 城郭・城跡
2017年11月29日(日)雨

真田の郷から約10㎞南西の上田城跡に移動する。
上田城は言わずと知れた真田昌幸築城による真田氏の本拠である。この城において真田氏はその名を天下に示すことになる。



以下「信州上田市観光協会」による。
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。春は上田城千本桜まつり・秋には上田城けやき並木紅葉まつりが行われ、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。



【真田氏】
真田氏は平安時代から長野県東信地方に栄えていた滋野三家の中心的存在であった海野氏の一族で、真田信繁(幸村)の祖父・真田幸隆が武田信玄に仕えていた頃から頭角を現します。
幸隆が上野(群馬県)北部を攻略、砥石城を調略によって手に入れるなど戦績を残し、幸隆の子・真田昌幸ものちに「表裏比興の者」と呼ばれるほどの知将として名をはせます。
天正11年(1583)上田城を築城、第一次・第二次上田合戦では徳川軍の猛攻を二度にわたり退けます。
関ヶ原の合戦時には真田昌幸・真田信繁(幸村)は西軍に、昌幸の長男・信之が東軍につくことになり、西軍は敗戦。真田昌幸・信繁(幸村)は九度山に配流となり、信之が上田城主となります。大坂冬の陣・夏の陣では信繁(幸村)が大活躍しますが徳川家康の首まであと一歩のところで戦死。上田城主だった信之は松代へ移り、松代真田家の礎を築きました。

名称・・・・上田城(うえだじょう)別名・・尼ヶ淵城
所在・・・・長野県上田市二の丸6263番地イ
形態・・・・梯郭式平城
築城年・・・天正11年(1583年)
築城主・・・真田昌幸
主な城主・・真田昌幸、真田信之、仙石忠政三代、松平忠周七代
遺構・・・・櫓、石垣、土塁、堀
指定文化財・国指定史跡、長野県宝(南櫓、北櫓、西櫓)
駐車場・・・有り

東虎口櫓門


真田石


真田神社




真田井戸


西櫓



















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