私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

「小澤征爾 終わりなき道 〜無垢なる共感を求めて〜」(NHK-BS)

2018年04月05日 | クラシック
 現代を代表するクラシック界のマエストロ、小澤征爾。
 御年82歳。
 最近、健康面が気になります。
 先日、NHKの「あさいち」に登場しましたが、高齢による衰えを隠しきれない様子でした。

 さて、昔録画してあったものを試聴しました。
 制作・初回放送は2003年ですが、私が見たのは2014年の再放送。
 内容は2003年頃のお話で、小澤征爾さんが活動拠点をボストン交響楽団からウィーン国立歌劇場へ移すタイミングを捉えています。
 15年前なので、小沢さんも67歳とお若い。



 彼はボストン市民に愛され、29年もの長期間にわたりボストン交響楽団の音楽監督を務めました。
 それまでのボストン交響楽団は、フランス系の軽い音が特徴でした。
 私が中学生の頃、クラシック音楽を聴き始めた頃は、ボストン交響楽団の常任指揮者といえが、ピエール・モントューシャルル・ミンシュ、それからラインスドルフが有名でしたね。

 小沢さんはサラッとした音に満足せず、ドイツの曲ではより重厚な音を要求しました。
 楽団員もそれに共感し、取り組む一曲一曲に、そして一フレーズごとに、どんな音が一番合うのか意見を戦わせ、壮大な研究が始まったことを当時のコンサートマスターであるジョゼフ・シルバースタイン氏が明かしました。
 研鑽を重ね、小沢さんと楽団員はともに成長し、ボストン交響楽団にセイジあり、と世界に認めさせたのでした。

 小沢さんは「マエストロ」と呼ばれるレベルの人物ですが、市民からは親しみを込めて「セイジ」と呼ばれます。
 大リーグのボストン・レッドソックスの始球式にも呼ばれたり。
 ボストンポップス管弦楽団の指揮者は、映画音楽で有名なジョン・ウィリアム氏ですが、彼を呼んだのは小沢さんであることが明かされました。
 最後にスティーブン・スピルバーグとジョン・ウィリアム氏が小沢さんに音楽のプレゼントをしてくれた場面が印象的でした。

 小沢さんと音楽の出会いは、男兄弟4人で歌った「男性四重唱」だそうです。
 ハーモニーの美しさと楽しさに魅せられ、音楽の世界にのめり込んでいったと。

 ロシアの世界的チェロ奏者、ロストロポーヴィチさんとの音楽行脚「キャラバン」も魅力的です。
 日本の地方へ出かけていき、予告なしの“どこでも演奏会”。
 ふだんクラシック音楽に縁のない人たちが集まり、演奏に耳を傾け、どんな反応をするのかを体感することにより、音楽の本質と魅力を得ていく地道な作業です。
 参加する若手演奏家は、ここで培った技術と貴重な経験を一生忘れないと言います。

 ウィーン国立歌劇場ではオペラを演奏するのが楽しみと言ってました。
 元々好きだった人間の声、歌の世界に戻れて幸せだと。

 総支配人も期待を込めたコメントを披露。
 「セイジはオペラ歌手から実力以上のものを引き出す才能がある。それができたのは、他にカラヤンくらいだ」
 そう、小沢さんはカラヤンの弟子でもあります。
 それから、バーンスタインの弟子でもあります。
 これだけでもすごいですね。

 番組を見ていて、小沢さんが音楽を愛する心は“無垢”なんだなあ、とつくづく感じました。
 みんなそれを見て引き込まれ、ファンになり、協力せずにはいられなくなります。
 小沢さんの指揮する姿は常に全力投球で、まさに「一音入魂」と表現できそう。

 「一音入魂」という言葉が似合う演奏家は他にもたくさんいますね。
 すぐ頭に浮かぶのは・・・
五嶋みどり
ジャクリーヌ・デュ・プレ
アルフレッド・ブレンデル
グレン・グールド
 等々。
 楽器を奏でるというより、全身全霊で音楽を絞り出しているような演奏です。

★ 参考;
□ 音楽ドキュメンタリー 「小澤征爾 ~ボストン交響楽団と共に20年
小澤征爾 ベルリン・フィル定期 (1992.11.20)
Seiji Ozawa Conductor /Le Sacre du Printemps(春の祭典)

enya

2018年04月05日 | ヴォーカル
 enyaとの出会いは、1988年の「オリノコ・フロウ」でした。
 もう30年前のことなのですねえ。
 それまでの洋楽とは異なり、民族音楽のような、ファンタジック&メランコリックで、祈りの音楽にも聞こえる、不思議な音楽体験でした。
 1991年の「カリビアン・ブルー」は通勤の車の中でよく聴きました。

 BS-TBSの「SONGTO SOUL」でエンヤの特集をしていた番組を録画してあったのを、2年越しで視聴してみました。

 エンヤはアイルランドのドニゴール州出身。
 「ドニゴール・ツイード」で有名な土地ですね(ジャケットを数着持ってます)。
 いきなり脱線して済みません。

 音楽一家のブレナン家の9人兄弟の3番目だそうです。
 ブレナン家からはファミリーバンド「CLANNAD」を輩出しています(1973年)。
 クラシック音楽を勉強していたエンヤは、1982〜1984年にCLANNADに参加し、キーボードとヴォーカルを担当していたことがあります。
 作曲に興味があったエンヤは独立してソロとなり、プロデューサーであるニッキー・ライアンとその妻で作詞家のローマ・ライアンと出会い、そのユニットから繰り出した音楽で全世界を席巻することになります。
 ポイントとなるアイディアは「ヴォーカルを楽器のように使う手法」だったそうです。

 なるほど。

 エンヤは、
・ケルト音楽の持つメランコリー、パッション
・クラッシックの素養
・エンヤ自身の声
 の3要素からなる、唯一無二の音楽を作り出したのですね。



<番組内容>
 「オリノコ・フロウ」は世界の歌姫エンヤの最初のヒット曲。1988年の秋にリリースされるとイギリスでは3週連続No.1を獲得。その後、この曲の人気は各地に広がり、彼女の名は世界中に知れ渡った。
 エンヤはアイルランド生まれのアーティスト。ドニゴールと呼ばれる北西部が彼女の故郷だ。そこは荒々しい自然の中にケルトの文化が色濃く息づく土地。彼女の家はその地でパブを営み、家族は小さいころからパブの小さなステージで歌や楽器の演奏を披露していた。
 やがてこの家族からクラナドというファミリー・バンドが生まれた。クラナドはケルトのトラッドソングを自分たちなりのモダンなアレンジで奏で、アイルランドを代表するバンドのひとつとなった。リードヴォーカルの長女モイアは後にソロとしても活動、今では、「ケルト音楽のファーストレディ」と呼ばれるほどの人気を得ている。エンヤもかつてはクラナドのメンバーとして、兄や姉たち音楽活動を共にした。トラディッショナルな要素と他の要素を組み合わせることをこのバンドでの活動を通して学んだという。
 エンヤとクラナドのルーツであるケルト音楽とはどのようなものなのか。番組では、エンヤの故郷ドニゴール州グウィドーを訪ね、生家が営むパブや姉妹らが聖歌隊として歌っていた教会を回る。そして、エンヤ本人に音楽がどのように形づくられていったのかを聞く。
 そして、「オリノコ・フロウ」はどのように誕生したのか… エンヤを見出し、アルバム『ウォーターマーク』の制作を依頼、「オリノコ・フロウ」の歌詞にも登場するWEA UKの当時の会長ロブ・ディケンズにも話を聞きながら、探っていく。