CUYC活動報告 帆走日記

千葉大学体育会ヨット部ディンギー班公式ブログ

引退ブログ 伊東 ーBrand New Worldー

2023年10月18日 | 活動記録

お世話になっております。

4年クルーの伊東です。

 

メーリスなどでもお伝えしました通り、先日行われました秋インカレ決勝をもって私たち4年生3名は引退となりました。

少し時間が経ちましたが私が1発目の引退ブログを書きます。どうぞお付き合いください。

 

 

まずは先述した秋インカレ決勝の結果をお伝えします。以下、リザルトになります。

 

4841 北井克典③・伊東雄ノ介④ 36-14-45(STP)-31-21 147点

4687 関根啓太④・浅見魁生③  28-34-40-40-37 179点

4512 藤原晨太郎②・畔柳優生④ 37-43-33-34-42 189点

合計515点(14位/15校中)

 

全日本出場ラインである8位までは139点差と、目標には遠く及ばない結果となってしまいました。

詳細は千葉大学体育会ヨット部HP(こちら)をご覧ください。

 

 

そして本編に入る前に、これまで私たち千葉大学ヨット部を応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

毎週のように練習に足を運び指導してくださった熊田監督・小岩井さん、合宿中差し入れをしてくださったり応援に駆けつけてくださったOB・OGや保護者の方々、皆様の支えなしにここまで活動してくることはできませんでした。ありがとうございました。

また、私の考えを尊重し、週末にもかかわらず一緒に早起きしたり、金銭的な支援をしてくれた両親、本当にありがとう。

同期や現役のみんな、学連で関わってくれた他大学の方々を含め、関わったすべての人に感謝いたします。

改めてありがとうございました。

 

 

 

あっという間の4年間でした。

もう自分が引退ブログを書く番なのかと、正直いまだに受け入れられないでいます。

そんなこんなしているうちに1か月たってしまいそうなので、なるべく時系列に沿って思い出や当時考えていたことなど、思いのままに書き連ねたいと思います。

軽い気持ちで飛ばし飛ばし読んでくれれば嬉しいです。

 

 

 

目次

1,おもひでたち

1-1,きっかけ

1-2,ミチヲユケ

1-3,揺れる

1-4,2023年、夏、葉山

2,みんなへ

2-1,同期へ

2-2,先輩方へ

2-3,現役へ

3,さいごに

 

 

1,おもひでたち

1-1,きっかけ

私が入学したのはコロナが流行りだした2020年です。

正直言うと千葉大は第一志望の大学ではなかったので、入学後なにをしたいかといったイメージが全くありませんでした。

コロナの影響で入学式がなかったり、そもそも授業の開始が遅れたり、授業が始まってもオンライン授業でほとんど大学にもいかず(当然新歓なんてありませんでした)、受験が終わった解放感のままゴロゴロと怠惰な生活をしていたら、いつの間にか最初の夏休みを迎えていました。

夏休みに入ると対面での新歓が始まり、試乗会に2回ほど行って気づいたらヨット部に入っていました笑

 

小学校から高校までずっとサッカーをやっていた私ですが、高校で主力になれなかったこともあり大学(の部活)でサッカーを続けるつもりは全くありませんでした。

それでも大学の4年間で新しいスポーツを始め、これまでと同じように仲間と一つの目標に向けて挑戦したいという思いがあったため、ヨット部ディンギー班に入る決断をしました。

数年前まで3年連続で全日本に出場していたことも知り、世間的にメジャーなスポーツではないけれども、高いレベルで自分の思いを実現できるのでは、となんとなく感じました。シンプルに普通の大学生ではできないことがしたい、っていうのもヨットにした決め手です。

よく「なんでヨット??」みたいに言われてたんで、理由はこんな感じです。直感の部分も結構大きいですね。

 

こんな熱い気持ち(?)をもって始めたヨットですが、全日本に出るために避けて通ることはできない関東インカレに私が初めて出場したのは3年の春になってからのことです。1・2年の時はコロナで大会が中止になったり、大学からの許可が下りなかったりで出場できませんでした。

当時は全日本という目標はなんとなくあるものの、それがどれだけ大変なものなのか知らずにただ漠然と与えられた練習をこなしていた記憶があります。当然モチベーションはあまり高くなかったです。

 

 

1-2、ミチヲユケ

先ほども触れたよう、私が初めて選手としてインカレに出たのは3年の春です。

ただ、2年生の時(佐野さんの代)の秋インカレでは学連として大会の運営に参加し、マークボートやセーフティボートに乗って初めてインカレというものを生で見ました。まさに未知の世界ってやつですね。

そこで衝撃を受けモチベーションが高まったというエピソードは、これまでのブログでもよく書いている通りです。

畔柳がよく言っているいわゆる「マック会談」もこの大会の直後ですね笑 たぶん彼の引退ブログでも登場する話だと思うので詳しい話は彼に譲ります。

2年の秋~3年の春にかけて、ヨットに対するモチベーションが最も高かったといっても過言ではないです。

 

そして3年の春、伝説の合宿を迎えました笑

同期の間ではよくこの合宿が話題になり、当時を思い出しては懐かしさに浸っています笑

部員は4年1人(残りの二人は就活や教職試験で不在)、3年3人(私たち)、2年生2人の計6人(しかも全員男!)という少数での合宿でした。

コロナの影響でこれまで合宿を行ったことがなく、何もかも手探りの中で合宿は始まりました。

特に、ただでさえ人数が少ないのに陸送をほぼ3年の3人だけで行ったときは、積み下ろしのために向かったハーバーでたまたまお会いしたOBOGの佐藤さんご夫妻にびっくりされたのを今でも覚えています笑

それ以降も、人数の少ない私たちを心配して毎日のように合宿所やハーバーに来て夕飯などの差し入れをしてくださり、本当にうれしかったですし心強かったです。その節はお世話になりました。

当時はレーメンの6人ぴったりしかいなかったので、普段の練習では2艇を出し、残ったペア2人でレスキュー艇に乗るという形で回していました。

これまでこんな毎日のように練習をしたことがなかったので、練習すればするほどうまくなっていく実感がありました。今までで一番練習が楽しかった時期かもしれません。

 

そうして迎えた初めてのインカレ。決勝進出(予選7位以内)を目指していたものの、8位で敗退してしまいました。

それでも、このころから北井と(引退まで)ペアを組みはじめ、5レース中2レースでシングルをとれてめちゃくちゃ嬉しかったし、でも全然ダメダメだったのでもっと練習頑張ろうってなった記憶があります(伸びしろしかないってやつですね)。

 

 

1-3,揺れる

部としては「今度こそ決勝へ!」となっており、個人的にもモチベーションが上がっていたのも束の間、また停滞期に入っていきます。3年の夏~4年の春にかけてです。

 

というのも、(これも何度かブログに書いたかと思いますが)卒業のために必須となった留学が秋インカレと重なり、出場できなくなったためです。

この秋インカレで千葉大は決勝進出という目標を達成する一方、決勝では最下位と惨敗を喫するわけですが、この大会に当事者として参加していたら、個人的により高い危機感の中でその後の練習に取り組むことができていたはずです。

この後迎える就活中の部活との向き合い方ももっと変わっていたのではないかと今振り返ると思います。甘えてしまっていました。

 

そのまま年を越し、いよいよ最終年に突入しました。そして就活が本格化していきました。

前年の4年生を見ていて、春インカレに出るためには就活で完全に部を離れてはいけないと感じていたので、少なくとも週末の活動には参加しました。しかし、それだけでは練習量が足りず、課題は解消されないまま。就活もなかなかうまく進めていくことができず(最終的に内定がないまま6月の半ばまでいってしまいました笑)、どちらも中途半端な状態で最後の春インカレを迎えました。

結果は予選6位・決勝14位でした。

ペアとしては、新艇に乗せていただいたにもかかわらず昨年の春インカレよりも個人成績を落とすという結果になりました。全然練習量が足りてなかったので当然っちゃ当然ですが、同乗した北井をはじめチームのみんなに迷惑をかけてしまいました。

このころは余裕のなさから自信を無くしてしまい、本当につらい時期でした。

 

 

1-4、2023年、夏、葉山

2023年に突入してからは本当にあっという間でした。

春インカレを終えてからは北井と畔柳がペアを組んで個選やオリンピックウィークに参加し、その間私は就活や学連として個選の運営に参加していました。

つまりペアを組んでの練習はおろか、そもそも練習自体それほどできなかったということです。

 

そんなこんなしているうちに最後の夏休みに突入し、1週間の部バイト(畔柳と1年の佐柄の3人で参加)を挟んで葉山に乗り込みました。

就活は終わっていたので、学連の仕事はあったもののしっかりと練習量を確保することができました。

小岩井さんからは、「就活が終わった安心感からか春より動きがかなり良くなった」と何度か褒めていただけて嬉しかったです(「~からか」の部分は毎回否定しています笑)。

最後の大会前ということもあり当然モチベーションは高かったし、ヨットに乗るのが楽しかったです。

 

そうして最後のインカレ(ちなみに秋に限るとこれが最初で最後の秋インカレでした笑)を迎えました。

予選では全レースシングルをとろうとペアで話していましたが、1度だけ11位をとってしまいました。それでも他のレースではすべてシングルフィニッシュと、安定した走りをすることができました。

予選に限った話ですが、1上で失敗してもダウンウィンドで挽回できる自信があったし、そんな心の余裕があったことも含め、過去2大会からの成長をしみじみと感じました。

チームとしても予選を4位で危なげなく通過しました。

ちなみに、予選通過はまだスタートラインだということは十分理解していたものの、予選を通過できた安堵感からどうしても気が緩んでしまい、決勝までの過ごし方が難しかったです。ぜひ来年以降はあくまでも決勝に照準を合わせたスケジュール感・練習(量)を考えてほしいと思います(とはいえそれで予選敗退してしまっては意味がないので難しいですよね…)。

 

そして迎えた決勝。結果は冒頭で触れたとおりです。

スタートが決まらず後手に回り、焦ってさらに離される悪循環に陥りました。

特に初日と2日目は1度だけコースが当たって上位でフィニッシュできましたが、それ以外は悲惨な結果でした。途中でノーレースになったのが3回ほどあったので、それが成立していたらもっと成績を落としていたはずです。

スタートが決まってもその直後の滑りでおいていかれたり、リーチングやランニングでぶち抜かれたりして、今までの練習は何だったのかとかなり落ち込みました。

それでも2日間の反省からペアで修正を試み、最終日の最終5レース目ではスタートからフィニッシュまで自分たちの納得のいくレースを展開し、実力通りの結果を出せたと思っています。

3日間を通じて自分たちの実力不足を露呈し、目標の全日本には遠く及ばない結果となってしまいましたが、最後の最後に納得のレースをして終われたのはよかったです。

 

 

2、みんなへ

ここからは同じチームで1~4年間ともに過ごしてきたみんなへ感謝を伝えたいと思います。

周りの仲間に恵まれ、最高な環境で最高な4年間を過ごせました。

直接だとすこし恥ずかしくて言えないかもしれないのでこの場を貸してください。

 

 

2-1、同期へ

まずは4年間最後まで一緒にやってこれてよかった。

本当にありがとう。

結構好き勝手にいろんなことをやってしまって、気を遣わせているんじゃないかっていつも思ってた。

実際、くろに関しては一時期毎日のように家に住み着いてたり、啓太に関しては本当だったら俺がやらなきゃいけない仕事を任せっきりにしたりしてごめん。

もし俺がこんな奴と接してたら、「なんだよこいつ」ってなって関わりたくなかったと思う笑

 

さっきまでつらつらと書いてたように俺はモチベーションが常に不安定で、辞めたいって思うときが何度もあったけど、二人の練習に取り組む姿勢や向上心をみて「俺も頑張らなきゃ」って思いなおすことができてた。4年間本当にありがとう。

今後はみんなそれぞれの道を歩むことになるんだろうけど、これからもよろしくね。

みわねぇも短い間だったけどお世話になりました。ありがとう。

 

 

 

2-2、先輩方へ

私が現役のころ関わってくださった先輩の皆さん、お世話になりました。

上級生になるにつれて先輩方が味わってきたであろう苦労を感じるようになりました。

特に皆さんは、コロナという理不尽のせいで大会に出れなかったり練習が制限されたりし、満足に活動ができなかった代でした。そんな中でも後輩にこの部を受け継いでいこうと苦心されたのを思うと、尊敬の念しかありません。

皆さんのおかげでこうして引退を迎えることができました。

また、引退された後も私たちの練習や大会に足を運び、指導・応援してくださりありがとうございました。これからはみなさんがこれまでされてきたように私も現役に返していきたいです。

これからは同じOBOGという立場で宜しくお願いします。

 

 

2-3、現役へ

よく分からない先輩だったと思うけど(笑)、これまでありがとう。

モチベーションを失いかけたときは、みんなが努力する姿を見てパワーをもらってました。

特に1・2年生は下級生のうちからしっかり練習して、大会を間近で見たりなんならすでに大会に出たりしていて羨ましいな〜なんて思っています。

 

何度も言っているように、自分は4年生の時に全日本に出場するという目標を持ってこれまでやってきました。

途中で見失いかけて道に迷うことはたくさんあったけど、この目標だけはブレることなく持ち続けてきました。だから苦しくて逃げ出したくなったときも、思い出してまた戻ってくることができました。

なのでみんなには、まずこれだけは譲れないっていう大きな目標をひとつ持ってほしいと思います。

 

あとは成功体験をたくさんしましょう。これはただ漠然と練習しているだけでは得ることができません。たくさん考えながら挑戦と失敗を繰り返し、小さなことでもできることを少しずつ増やしていきましょう。きっとその積み重ねがレース本番での自信につながっていくはずです。

 

そして最後に、たくさん仲間を頼ってください。先輩だろうが後輩だろうが、ヨットのことだろうがなかろうが、分からないことはとにかく知ってる人に聞きましょう。これでもか、ってくらい聞いてください。きっと嫌な顔ひとつせずに教えてくれると思います。自分も同じように頼りまくってきたので笑 (とはいえ自分で解決しようとする努力も必要です)。

もし自分でよければ聞いてください。いつでも相談に乗ります。飲みに行こう。

 

ここまで偉そうに書いてきましたが、自分もすべて完璧にできていたわけではありません。これができていたらなあ、なんて思うことは山ほどあります。なので参考程度に、共感してくれる部分がひとつでもあれば嬉しいです。

 

 

ここからは個別に言いたかったことを書いてこうかなーと思います。

 

かっつー

3年春からずっと一緒に乗らせてもらいました。

くろとかかいせいとかと乗ってたらもっといい順位とってたんだろうなって思うことは何度もあったけど、とりあえずこんな俺と2年間ペアを組んでくれてありがとう。

最後のレースが終わって曳航でハーバーバックしたときにも言ったけど、かっつーと乗ってなかったらきっと途中で辞めてたんじゃないかなって思ってる。そのくらい初めてペアを組んだ3年春のインカレはターニングポイントだった。あそこでいい景色を見れたからこそもっとできるって思えたし、全日本という目標だって夢じゃないかもって思えた。だから本当に感謝してる。新しい景色を見せてくれてありがとう。

あとこれはこれまで直接言えなかったことだけど、レース中あんまりクルーに対して怒りすぎないでね。笑 まあ下手くそな俺だったからこんなに怒られたんだろうけど笑

これからは主将としてチームを引っ張っていくことになるんだろうけど、ひとりで背負い込まず周りを頼りながらがんばれ。

 

かいせい

学年1つ下なのに、同じタイミングで初めてインカレに出たって考えると成長速度えぐいよな。かいせいに負けないように、っていうのも一つのモチベーションでした。ほんとに周りがよく見えてるなーって思うから、それを活かしてかっつーをうまくサポートしながら部を引っ張っていってね。ただパンツ一丁のまま合宿所を歩き回らないように。

 

ふじしん

学年2つ下だけどヨットの知識が豊富で、些細なことからたくさん頼らせてもらいました。今年の春インは48がなかなか振るわない中、12のシングルフィニッシュに何度も助けられた。だからふじしんならできる!自信もってがんばれ!

 

チェリー・ゆきみちゃん

冷静に2年春から同期ペアで女子イン出れてるってすごいと思う。くろはよく二人に対して厳しいこと言ってると思うけど、まあ期待の裏返しなんだと思うよ。来年はぜひ全女を目標にがんばってね。あと3年生のフォローもよろしく!

 

1年生ズ

合宿中はあまり練習できなくて退屈だったと思うけど、そんな中でもほたての準備してくれたり備品運んでくれたり本当にありがとう。誰かも言ってたけど、みんながいなかったらこの合宿は成り立ってなかったと思う。

なんか一部からはなめられてる感じがしたけど(笑)、なんだかんだ合宿中は1年生のおかげでみんな明るくいれてたんじゃないかな。

来年みんながインカレに出て活躍してるのを見たらおじさん泣いちゃうかもなー笑

とにかくこれからもみんなで仲良く楽しくがんばってね。

 

 

 

3、さいごに

気づいたらWordの字数カウントが7000字に達していました。こんなに長くなるなんて自分でも思っていませんでした。とても読みづらい文章だったかと思いますが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

ヨット部に入り、楽しいことばかりではなくむしろ辛いことのほうが多かったように感じますが、誰にも真似できない最高な4年間を送ることができました。そしてヨットというスポーツに出会えてよかったです。これからも何らかの形でヨットに関われたらなと思っています。

 

改めて、4年間にわたる私のヨット部生活に何らかの形で関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。目標としていた全日本インカレには届きませんでしたが、この目標は後輩に託します。

新生・千葉大学ヨット部もどうぞよろしくお願いします。

 

千葉大学体育会ヨット部4年 クルー

伊東雄ノ介


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