はじめに
私がこの引退ブログにかける思いは強いです。
このブログを何年後かに見て「あんな楽しいことあったな、辛いことあったな」を見返して感傷に浸りたいです。し、私自身これまでしんどい時に先輩の引退ブログなどを見てまだ頑張ろうと思えたから、少しでも後輩たちに「辛いのは自分だけじゃない、それを乗り越えた人にしか見られない景色がある」ということを伝えられたら幸せだな、と思っています。
最近、オードリー若林著の小説、ナナメの夕暮れに感化されているのでここからの文章は短編エッセイ風で綴ります。
随分長いブログになりますが、私の備忘録が主なのでご了承あれです。
それから、先に言わなければいけないこと。
これまで、ヨット部としての活動を支えてくださった、監督、OB・OGの先輩方、現役の仲間たち、両親、元気をくれて相談に乗ってくれた学部の友達、マストを2本折っても保険を効かせてくださった学生支援課の皆様、合同練を引き受けてくれた他大学の皆様、その他関わってきた方々全員に対して両手に収まり切らないくらいの莫大な感謝をします。本当にありがとうございました。たくさんの迷惑をかけました。それでも許してくれて、励ましてくれて、人間としての成長につながりました。改めて、本当にありがとうございました。
本編に移ります。
目次
- 最後まで部活を続けられた理由
- 辛かったことランキング
- 楽しかったことランキング
- その他
4-1. 各船に対するポケモンのイメージの話
4-2. 絶対3年生に嫌われてただろって思う話
4-3. かいせいがこの世で一番乗ってて楽しいクルーだろって思う話
- 最後に
- 最後まで部活を続けられた理由
最初にこれを入れるのは、これは一番部活動を通じて体に染み付いた感情で、現役一同に伝えたいことだから。忘れたくないから。結論から入ります。
・ここで辞めたらその時点で100%の負けが確定するが、辞めずに続けたらいつか勝ちを手にすることができる日が来るかもしれないから
・前を走る、後ろに数多の船が混戦している景色を見て溢れ出る脳汁が堪らないから
・今の千葉大ヨット部にとって人の数は財産で、一人でも欠いたらそれは損失だし、周りには悲しむ人がいると思うから
以上の三点です。大した成果も出していない無能が何を大口叩いているんだと客観的に見ると思いますが、これがリアルな感情です。
もし部活を辞めていたら、
友達からの旅行の誘いを「ごめん部活あるから、、」と断わらずにもっと色々な景色を見に行けたかもしれないし、
長期休みや土日の自由な時間を使ってもっと勉強したり企業訪問をしたりして大企業への就職につながったかもしれないし、
たくさんバイトをして今欲しいものが全部買えたかもしれないし、
夏の大型フェスに心置きなく参加してたくさん楽しい時間が過ごせたかもしれないし、
18歳から21歳の時代を一般的な大学生みたいに、ただ「楽しむ」に注力できたかもしれないけれど、ヨットを辞めたら、途中で簡単に諦めてしまうような中身が空っぽなしょうもない大人になってしまう気がして怖かった。
気弱で無能な僕には、みんなみたいな「ただ強くなりたい」というプラスの気持ちだけをエンジンに動き続けることはできなかったから、人に迷惑をかけない、嫌な気持ちにさせたくないことばかり考えて続けてきました。(それでも無能だから、迷惑をかけ続けた自覚はあります。)
結果、部活を続けて人間として強くなれたし、1年生の頃より多少なりともヨット以外の人間としての能力も向上したと思うから、後悔は一切ありません。
同期、後輩(もはや同期)たちの優秀な管理能力、仕事の速さ、前向きな気持ちにキャリーされながら、運営してこられたことに関しては皆さんに感謝してもしきれません。みんながいなかったら、部活は回らず私もきっと早々にリタイアしてました。この場を借りて感謝します。ありがとう。みんな大好き♡
部活をやっていて、よく思うことがあります。
「なんでこんなことせなアカンねん」
です。いやー、弱い。弱すぎる。こういう発想が生まれてしまうこと自体、人間として弱すぎる。
去年の冬ごろ、畔柳に聞かれました。
「藤井ちゃんはモチベがなくなったり、辞めたいと思った瞬間はないの?」
私は答えました。
「そんなの四六時中思ってる」と。(流石にちょっと盛ってます)
今ここで逃げ出せば、あらゆる責任、重荷、辛さから逃げ出して楽しいこと、やりたいことだけして生きていける。
それでも辞めなかったのは、
「辞めたらその時点で負けが確定するから」
どれだけ負け続けても、辞めない限り、いつかどこかで勝てるようになる可能性はあるから
最後まで続けたら、最後まで続けた人にしか見られない景色、味わえない感情があると思うから
だから最後まで続けました。
気持ちの弱さというものは、ヨットの強さに直結すると私は思います。気弱はスタート前に損するし、気弱は無能から起因されます。
本当に本気で負けたくないという気持ちがあったら、隙間時間はひたすらヨットの調べ物をしていたはずだし、平日でも暇なら構わず自主練に行っていたはずだし、毎日欠かさずバーチャルレガッタをやっていたはず。それができなかったのは、私の気持ちが弱いから。自由な時間を犠牲にする覚悟がなかったから。自分に甘いから。
後輩たちに自由を犠牲にしろと言うつもりはありません。ただ、ヨットの更なる楽しさに早く気づいて、自然と調べたり練習したくなってしまう、そんなのが理想だろうなと思います。たくさん合同練をして、負けず嫌いの気持ちを絶やさないでほしいなと思います。気弱な無能からの遺言です。
ということで、これが本音です。続けてこられたけれど、このスポーツは辛い瞬間が多すぎます。合宿も、いつもの自由が根こそぎ ”ぶん取られる” ので常にきついです。次節では、そんな部活生活の中でも特に辛かったことをランキングにして紹介していきます。まだまだ続きますので、休憩挟んでくださいね。
- 辛かったことランキング
4位 大学2年生4月〜9月、オンライン新歓
私がヨット部に入った一番の理由に、「人の温かさ」があったのですが、そこには当時新歓隊長だった四方さんの影響は大きいです。
自分もヨットの魅力はもちろんのこと、こんな最高な人たちがいることをできる限り多くの新入生に教えてあげたい、そういう思いで新歓隊長には立候補しました。
最初は底知れぬモチベを発揮し、PVやビラ、会議など積極的に動きました。新歓関係にすごく時間を持っていかれるので、辛いなーとは思いながらも頑張れました。
ただ、オンラインの新歓となると話は別です。これまでの先輩がやってきた資料など全く関係なく、一から企画、運営、発信、その他諸々の重圧が新歓係に降り注ぎます。練習はできないのに仕事ばかりある、という状況もまあしんどかったですね。
4月5月はコロナに入ったばかりで大学側は情報の発信すら異様な制限をかけてくるし、
6月になってオンラインでのコミュニケーションが解禁され、毎週一本くらいのペースで新歓資料を作るも、7月にもなればやってくる新入生は限られていき、無駄な労力になっていないかと心配になる。ヨットに興味を持ってくれた人を引き止める策みたいなものも考えたが結果全然実らず、最終的に入ってくれたのはオンライン新歓にあまり出ていなかった人ばかりでした。人数としては例年くらい入れることができたのでそこはまだ耐えでしたが、やはりしんどかったなと思います。
私の2つ上の代まで、新歓隊長をやった人は職務を果たしたら辞めてしまうというジンクスがありました。私の代で、そのジンクスも無事無くすことができてホッとしてます。少なくとも、2年生の時の新歓だけは全力で頑張ったと胸を張って言えます。
3位 冬、練習
寒すぎます。1年生の時なんてお金もないからまともな防寒着も買えないし、2年生以降も普通に寒すぎるし。
友達に冬の寒さを例える時によくする話があります。世界の果てまでイッテQという番組で、芸人さんたちが真冬の氷の張っている海に落とされ、寒い寒いと言ってサウナに駆け込むシーンがあります。ヨットの冬は、あれのサウナがないアンドめっちゃ風が吹いてるバージョンだと。船に上がったところで地獄はそこからだ、という絶望はすごいですよね。
あまりに震えすぎて、たまに帰りの電車の中でも震えていたことがあります。それこそ、「冷たい目線」を浴びていたことでしょう。(うまい)
冬が一番「なんでこんなことせなあかんねん」を感じる場面が多い気がします。たまには部企画なんかも挟んで楽しいこともしてくださいね。
2位 大学4年生5月3日、春イン第1レース
あれは微風から中風域くらいの風でした。私がそこまで苦手としていない風域です。
スタートは上寄りの第2線。まあ即タックしないといけない位置取り。
当時、右海面の自由度に惚れて右ばかり攻めていた時期だったので、まあ問題ないかなと思っていました。
しかし、走れない。
下をいく学習院に艇速で負ける。慌てて下す。スピードが上がらない。焦る。焦ってトリムも悪くなる。結果、50艇ほどいるレースで下に2~3艇しかいない。
あ、無理だ、と思いました。
俺はこれ以上速くならない。練習したところで、予選メンバーの中でも上位で走るなんて無理だ、と。
着艇します。船の異変に気づく。
ガスケットが半分以上剥がれ、でろんでろんになっている。
これだ。走らなかったのは、と絶望します。
その時振り返って思いました。僕の人生ってずっとこうだったな、と
練習しても、これまで遭遇しなかった予期せぬアクシデントで負けていく
というか、そもそも無能なので吸収量も、こだわりも、知識も何もかも足りない。
そういう姿勢が、甘さが、今回の事件に繋がったのだと知らしめられ、辛かったなぁ。
1位 大学1年生8月2日、初めて伊東さんと乗った時のタック地獄で4回落水した日
堂々の一位です。圧倒的一位です。
この辛さは二種類あります。
一つ目は身体的辛さ。
始めたては、手トラができずタックで必ず減速します。それまでの先輩は、トラピーズに出るまでの時間待ってくれていたりしましたが、伊東さんは違いました。ガンガンメイン引きます。タックが苦手ならたくさん練習しようといい、一生タックしてきます。握力が底を尽き、落水しますが、470で何食わぬ顔で拾いに来てまたすぐに走り出します。当然、またすぐ落水します。また走ります。これの繰り返しです。これほどまでの地獄はありません。
二つ目は精神的辛さ。
タックで減速するのは、自分が手トラに出るのが遅いから。自分のせいで、この部活で一番上手な先輩の船を遅くしてしまっている。この状況に対してひどく悲しく、落ち込みました。帰りはもちろん一人で帰り、サンボマスターの「輝き出して走ってく」を聞き、道端でしたがもう号泣です。あ、辞めようこのスポーツと思いましたが、なんだかんだ1年生の底知れぬ気力を取り戻し耐えることができました。おかげで、初心者クルーを乗せるときにはこれでもかってくらいゆっくりタックを回します。おかげでかいせいのタックの成長は遅かったです(笑)
- 楽しかったこと・嬉しかったことランキング
1位 大学4年生 秋イン
やはり一番は直近の秋インです。何が嬉しかったかって、やはり千葉大の中でちゃんと一番点数低く抑えられたことです。
私は今年の一月くらいから4687に乗るようになって、そこからずっと有難いことに一番艇に乗せていただきました。船に不自由を感じることはすごく少なくなり、セールもいつも良いものを使わせてもらっていました。ただ、きついことが一点。「一番走らないと訳わからない」ということです。
秋インまで、ずっと4512や4507よりいい成績を取ることができず、せっかく46に乗っているのに勿体無い、不甲斐ない、いわば「1番走らない1番艇」というレッテルがついていました。これほどまでプレッシャーがかかることだとは思っていませんでしたが、結果が出ないということが、46に乗っているからこそ辛かった。
最後の大会くらいはと意気込んでいましたが、結果として春インの1R平均順位34/47位から、秋インで平均19/56位まで上げることができました。予選レベルでこれかよ、とはまだ思いますが、それでも成績を出すことができて、一番艇としての職務を果たすことができたことがとにかく嬉しかったです。(決勝では4507にボロ負けでしたが)
2位 大学1年生11月末 千葉県大学生選手権
夏合宿後、初めてスキッパーをやらせてもらい、2ヶ月もないまま臨んだスキッパーとしての初めての大会でした。新井さんと一緒に乗せていただき、これがヨットレースかという心の躍動と溢れ出るドーパミンを初めて経験した日でした。新井さんは、予告もなしに右も左もわからない一年生スキッパーと乗ることになって、ましてすごく沈するのに最後まで丁寧にご指導していただき、本当に嬉しかったです。次は、自分がOBとなって一年生クルーを乗せるようになる番なのかなと思うので、あの時感じた躍動感、ヨットレースの面白さを伝えられる側になれたらなと思います。
3位 大学1年生9月 合宿最終日の打ち上げ、丸尾氏との絵しりとり
追記することはありません。笑
- その他
4-1. 各船に対するポケモンのイメージの話
なぜか私はそれぞれの船に対してポケモンのイメージがあります。
4311:ドダイトス
一番はじめに受け持った船で、一番愛着があります。すごく乗りやすい、というイメージがあります。ゼロからのスタートを、一緒に歩んでくれた最初の相棒です。zhikのシールが緑で、船台に巻いたシートの色的にも、ドダイトスのイメージの理由です。今でも、ゲームのIDには4311か4687を入れます。
4507:レントラー
蛍光色多めの鮮やかなシート配色、船がちょっと軽くてブームが高い(レーキが低い)、そんな印象があって、電気タイプのレントラーの印象です。
4512:ムクホーク
黒白のシートが多めで、大橋さん中田さんペアの印象が大きいです。船は重いけど、しっかりパワーが入る印象があり、そしてちょーかっこいい。まさにムクホークです。
4687:ディアルガ
最初4687に乗る時、すごく怖かったです。触れてはいけない伝説、乗りこなすのは難しいけど、手をかければ物凄く速くなる。そんな印象があってディアルガです。
共感してくれる人はいないかな、いないですよね、余談過ぎましたすいません。笑
4-2. 絶対3年生に嫌われてただろって思う話
春合宿も秋合宿も、4年生がやらないといけない仕事や役割をほぼ全部3年生にやってもらってしまっていました。全体のスケジュール決め、合同練の取り決め、係割り振りなどです。申し訳ないと思いながらも、3年生とかてらしーの方が絶対優秀で、俺がそういうことをしたら逆に迷惑をかけるし二度手間になるなって思い、動き出すことができませんでした。おそらく、自分の時間を犠牲にする覚悟がないという気持ちの弱さにも起因しています。3年生がイライラしている時は、4年生が動いていない時。春合宿からそう感じていました。本当にごめんなさい。謝ることしかできません。その分は、これから取り返していきます。時間があって、気持ちが安定していれば現役のサポートに尽力していく所存です。大したアドバイスもできないかもしれないけど、これからもよろしくお願いします。そして、許してほしい。。汗
4-3. かいせいがこの世で一番乗ってて楽しいクルーだろって思う話
何より感謝しないといけないのはかいせいです。去年の選手権から、ずーーーーっとかいせいと乗っていた記憶しかありませんが、すごく楽しかった。大して上手でもないスキッパーの俺だけれど、そんな奴の意見をまっすぐ受け入れてくれるし、凄まじい勢いで成長していってめっちゃ乗りやすいし。何度も海に落としたし、寒い冬を乗り越えたし、いい景色も何度か見せてくれました。本当にありがとうかいせい!!!これからもよろしく!!!今後かいせいと乗る誰か、楽しみにしといてね。楽しいから!
- 最後に
物凄く長くなってしまったブログでしたが、私の4年間を頑張って文字に起こしました。ここまで読んでいる人はあまりいないかと思いますが、改めて、こんな気弱で無能な私の4年間の部活動生活を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
ここまで読んでくれている現役の誰か。辛いのは自分だけじゃない。逃げ出したいのは自分だけじゃない。必ず誰かが支えてくれて、手をとってくれるから。辛かったらなんでも相談し合いましょう。最後まで進んだ暁には、まだ見ぬ景色が待っているから。大事に作ってきた価値を、簡単に捨てないで。
いつかのブログで使った言葉。
「心の灯火を絶やすな」
結構いい言葉ですよね。
なぜか、いまだに引退という気がしません。高校の時のバスケは、「もう二度と、同じメンバーで戦うことはない」という絶望や悲しさがありましたが、ヨットはどうせまたみんなで乗るんだろうなと思うし、出たければレースも出られるし、終わらせようとしなければ、終わらなくてもいいから。
ということで、今後とも何卒よろしくお願いします。
第1章、終了!!
千葉大学体育会ヨット部4年 スキッパー
藤井伸太郎