CUYC活動報告 帆走日記

千葉大学体育会ヨット部ディンギー班公式ブログ

10月29日30日 活動報告

2022年10月31日 | 活動記録

3年の関根です。10月29日30日の活動報告をします。

両日ともに2m/s~5m/sの弱風、順風での練習でした。

29日の午前は明海大学・千葉大医学部と合同練習をしました。艇数の多い練習をしていく中で、他艇との位置関係やマークでの勝負が下手だなと感じています。今後も積極的に合同練習をして経験を積んでいきたいです。午後はスタート練・クルーのスキッパー練をしました。少しグダってしまったのが反省です。

30日は風が弱く、クルー・1年のスキッパー練と上下マークでの動作確認をしました。ジャイブをスキッパーがスピンを回すやり方に変えましたが、なかなかうまくいきませんでした。同期のアドバイスのおかげで午後には少し上達したと思います。1年女子コンビには初めて2人で船に乗ってもらいました。風が弱くて難しそうなコンディションでしたが、なんとかなってました。後ろから見ると佐野さん徳田さんペアにそっくりでなんだか懐かしい気持ちになりました。(もちろん佐野さん役は幸海ちゃん)

ここ最近、時間に対する意識が高まっていると感じます。今まで間に合わなかった9時出艇もいい感じです。このまま頑張っていきたいです。

30日のお昼に山下さんから焼きそばと唐揚げの差し入れをいただきました。ありがとうございます!


やる気MAX「前を向いてやろうぜ!」

2022年10月24日 | 活動記録

先週の3年伊東に引き続き、3年の畔柳が今回はお送りしていきます。

 

今回は、今週の土日の活動報告、インカレの振り返りの二本立てでいきたいと思います。

 

 

まずは、10/22,23の活動報告をしていきたいと思います。

 

10/223-4m/sほどの軽風域での練習となり、特に午前中は1-2m/sほどの風での練習でした。

主に、1年生の動作練習、スキッパー練習などを行いました。1年生自身がやる気に満ち溢れているおかげか、だいぶ動作が上達してきているのでないかと思います。

 

10/23も前日同様の風域の中での練習となりました。

この日は明海大学さん、医学部さんとの合同練習となりました。スタート練習多めのコース練習などに混ぜてもらい、とても経験になったのではないかと思います。特に2年の北井は、明海大学の田畑さんと乗艇し、様々な発見があったと部員の共有してくれるほどでした。葉山と同様に、他大学との練習を組むことによって、自分たちだけではセッティングしずらいコースなども分担でき、さらに交流を深めていくとができるのは、大きな利点だと思います。

 

さて、少しインカレについて振り返ってみようかと思います。

 

レベル差を突きつけられた、そんな大会でした。

 

合宿中に小岩井さんの檄が飛び、全日本出場校の合同練習に飛び込んで、何度かいい順位で回ることができてしまったせいか、予選はなんとかなる、問題は決勝でどう振る舞えるか、そればかりを自分は考えていました。

 

しかし、予選シリーズが始まれば、4レースのうちまともにいい順位で走れたのは、一回くらいでそれ以外は他2艇の足を引っ張っていました。間違いなく4507のせいです。1年の藤原をもっと引っ張っていかないといけなかった、もっとアドバイザーとして、スタート、コース選択などの情報を伝えるべきだったと思うばかりでした。なんとか決勝進出を決めた9/24APHが上がった時はとにかく嬉しかったです。しかし、何もできなかった。なら、決勝こそ、そう思い臨んだ決勝はもっと悲惨でした。

 

どこから説明すればいいのか分かりません。

ひとまずわかったことは、もっと乗りこなさないといけない。もっとコースの研究、目を養わないといけない、アドバイザーとしての役割を果たさないといけない。

わかりやすいくらいにボコボコにしてもらいました。

 

 

すでに次の秋に向けた自分たちの戦いは始まりました。

もう自分には次がありません。

だから、やれるだけのことは全部やります!

もう嫌というくらい後ろを走ることは味わったので、もういいです。前を走りたい。シングルを取りたい。ピンを取りたい。

学生生活史上最高の景色をこの目に焼き付けたい。

 

それは、もう自分には去年の秋インカレの時から心に誓った全日本出場しかありえないです。

 

なので、OBOGの皆さん!もっとヨットを教えてください!今年の部員は多少のことではめげない!(はずです!!!)

 

 

 

最高学年になりますが、いつもと変わらずやる気マックスで、チーム全体で頑張っていくので、今後ともよろしくお願いします🤲


陽はまた昇るから

2022年10月17日 | 活動記録

お久しぶりです。3年クルーの伊東です。

9月中に留学へと行っていたこともあり、かなり久しぶりのブログ更新になります(前回いつ書いただろうと思って遡ったら春インの結果報告以来でした…)。留学のことも後ほどこのブログ内で軽く触れたいと思います。

 

まず初めに今週10月15・16日の活動報告を行いたいと思います。

とはいっても今週は海上練習を行わず、葉山から稲毛への陸送と整備の時間に充てました。

土曜日は午前中に葉山にて陸送の準備をし、お昼ごろ船を積んで稲毛へと向かい、夕方積み下ろしを行いました。先週までのレース中に事故もありましたが、無事に艇体を持ち帰り、葉山での活動を終了することができてよかったです。

日曜日は葉山での活動期間に傷めた箇所を整備したり、チューニングを確認したりして、来週からの海上練習に備えました。1年生には安全講習会にも参加してもらいました。

これからは11月末に行われる千葉県大学生選手権に向けて練習をしていきます。新体制となって初めての大会となります。もう1か月と少しでレースを迎えてしまいますが、残された練習期間を無駄にすることなく、全員が成長し納得して年内の活動を締めくくれるようにします。

 

 

 

さて、ここからは冒頭でも触れた留学について書こうと思います。

私が千葉大へ入学した2020年度から全員留学という制度が始まり、一部の学部生を除いて在学中の留学が必須となりました。ただ、コロナウイルスの感染拡大により、これまではオンラインによる留学プログラムしか用意されていませんでした。それがついにこの夏から渡航を伴う留学プログラムが設置され、今回参加することになりました。

そして8月30日から9月30日の約1か月間、カナダのエドモントンというところへ滞在しました。

 

まず結論からいうと、控えめに言って最高でした笑

現地ではホストファミリーの家で生活をし、平日の午前は学校で授業を受け、午後は現地の観光名所を訪れたり大学のアクティビティに参加したりしました。そして休日はフリーで、ホストファミリーにいろいろな所へ連れて行ってもらったり、友達と遊びに行ったりしました。

千葉大から同じプログラムに20人ほど参加していたこともあり、現地でも危険にさらされることもなく、そして寂しくなることもなかったです笑

 

カナダで一番印象的だったことは、現地の人がみんな親切だったことです。日本人は世界的に見ても礼儀正しいとか言われているみたいで、いままでこればっかりを聞いてきたので、逆に外国人はどれほどマナーが悪かったりするのかと思っていました笑

実際はそんなことはなく、めちゃくちゃ優しかったです笑

後ろの人のために扉を開けててくれたり、バスを降りるときはみんな運転手に向かって“Thank you!”と言ってたり。困っているときには話しかけてくれるし、こちらから話しかけても笑顔で対応してくれるしでとても気持ちよかったです

 

肝心の英語に関してですが、ほとんど成長がなかったです… 出発前にまともに準備をしてなかったし、現地でも“いま”、“ここ”を楽しもうって考えていたので後回しになりがちでした。出発前と到着直後は本当に不安でしたが、実際現地でのコミュニケーションは何とかなったし、英語が下手くそだからこそコミュニケーション能力に関しては多少の向上があったのでは?と勝手に思っています。

とりあえず帰国してから1週間以上も余韻に浸れるくらい最高でした。本当に行ってよかったです。

写真は世界遺産カナディアンロッキーの湖の一つである Lake Louise です(ちゃんと自分で撮りました)

部活のみんなには大会期間を含めて穴をあけてしまい、申し訳なく思っています。こんなわがままな自分を快く送り出し、そして迎えいれてくれて嬉しかったです。ありがとう。

これから行く人は申し込む前に期間などは部員と共有しといたほうがいいね。

ここには書ききれない思い出もたくさんあるので、なにか聞いてみたいことがあればぜひ。

 

 

そしてヨットについても少しだけ。

思っているまま書こうと思うので絶対文が変です。悪しからず。

自分は留学へ行っていたこともあり、夏合宿と秋イン予選には全く参加できず、決勝だけほたてに乗ったり学連の仕事をしたりしました。

全日本や決勝の常連校と合同練習をしているとか、予選では春インでなし得なかった決勝進出を5位で決めたことも聞いていたので(自分がカナダにいるとき、予選の結果速報がLINEに上がると即座に開いてリアクションつけるくらいには気になっていました笑)、きっとチーム状態もかなりいいのではと思っていました。決勝でいま千葉大がどこまでやれるかを見れるのが本当に楽しみだったのです。

しかし、ふたを開けてみると最下位でした。決勝2・3日目は学連のセーフティ艇に乗っていたので、レース中は470の最後尾について移動していたのですが、毎レースのように後方で千葉大が固まってしまっているのを見るのが本当に本当に悔しかったです。

練習もせずレースにも出ていない自分がそう思うくらいだから、みんなはもっと悔しかったのだろうと思います。ただ、決勝の期間中の合宿所を見ていてもどこか緊張感が感じられなかったし、技術面はもちろんそうだけど精神的な部分から負けているようでした。

OBなどのみなさんは頑張れば全日本にいけるって声をかけてくれたりするけど、全日本は思っていたよりもはるか遠くにありました。このままでは来年は決勝どころか予選落ちだって全然あると思います。

 

去年の今頃書いたブログでもそうでしたが、秋インから得られるものはやはり毎年“危機感”です。でもほんとにやるしかないです。ついこの前まで、モチベーションの波が激しくて部活に身が入り切らないときが何度もありました。もうそんなこと言ってられないです。今年は部活だけじゃなくて就活もあるし卒論研究もあるしもちろんバイトもしなくちゃいけない。もう全日本に出ることだけがモチベーションです。これさえあればなんでもできると思います。全部やりきります。すべてはヨット部のために。千葉大ヨット部が再び全日本に出場するために。

 

 

 

 

 

どういう結果が待っていようとも

こんなに夢中になれることなんて

これからの私にあるだろうか

やるしかないね


引退ブログ 寺島【史上最低のキャプテン】

2022年10月13日 | 活動記録

 関根からも報告がありましたが、先日の秋インカレ決勝で4年生は引退となりました。4年生最後のブログは、一応主将だった4512クルーの寺島です。長くなる気しかしませんが、最後まで見てくださると嬉しいです。

 まずは、決勝の結果報告です。ご存じの通り、千葉大は15校中15位で大会を終えました。部としてあるべき姿を何も見せられなかったこと、本当に申し訳ありません。レースの中身はもちろん、それ以前のところで負けていました。いろんな人が感じていると思いますが、今回の秋合宿はチームとしてまともに機能しておらず、その結果がこの順位に表れたと感じます。それもこれも私が部の運営を間違えたからでしかないし、後輩には同じ過ちを繰り返してほしくないから、このブログを書きます。

目次

  • お礼
  • 主将として
  • 1人のヨット部員として

 

 はじめに、千葉大学ヨット部を応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。大会に出れないと言われるようなレベルの自分たちをそれでも指導してくださった監督やコーチ、OBOGの方々、予選校の自分たちと対等に話してくださった他大学の皆さん、合宿で差し入れをくださった皆様、リザルトを見てくださった皆様、応援ありがとうございました。皆様の支え無しに決勝進出なんてできませんでした。ありがとうございます。期待に応えることができずに申し訳ないです。また、コロナ禍でも練習や合宿をするために尽力してくださった大学の関係者の皆様にもお世話になりました。あまりにも窓口に通ったので、「まーたヨット部が来た」って思われていたことと思います。

 本当に多くの方のお世話になりました。ありがとうございました。


 ここからは、私がこのヨット部を運営していたときの考えと、その変化について書かせてください。後輩に向けて語るつもりで書くので、一人称や語尾がブレると思いますが、気にしないでほしいです。現役のみんなは、おまえの考えなんか知ったところで参考にするもんかって思うんだろうけど、反面教師ってやつだと思ってほしい。

 

主将として【最低なキャプテンの言い訳】 

 私の部活運営の根底にあったのは、「人が辞めない」部活でした。入部当初16人いた部員は、半年後のインカレを挟んで9人になりました(引退した4年生は2人なのに、です)。その原因は、負荷に耐えられなかったことが大きかったと思いましたし、だからこそ負荷をかけすぎないこと、メリハリつけることを意識していました。漫然とした練習はさせないという思いを持って主将になりました。

 主将になった際、千葉県選手権を今の2,3年生のデビュー戦として明確に位置づけ、そこに向けて練習する意識を共有しました。これもメリハリというか、短期的な目標が部活を活性化するのではないかという考えの結果です。俺が1、2年生の時の千葉県選手権は、そんなたいそうなレースじゃ無く、消化試合みたいな雰囲気が漂っていました。だから、今の後輩が「まずは千葉県選手権」って口にするのを見ると、少し嬉しくなります。それだけじゃなく、練習メニューも少し工夫しました。覚えてないと思うし意味も大して無かったんだろうけど、上寄せの練習したこともあるし、タッチ・ザ・ラインしたこともある。タックレースもやったっけ。確実に何かを学び、刺激のある練習にしたかったし、ある程度うまくいっていたんじゃないかな。

 でもそのあとの就活のブランクが大きすぎました。春イン直前に就活が終わって、レスキューに乗ってすべりを見たとき、埋まらない壁ができてしまったことを感じました。俺はあの南風では乗れないと思いました。それに加え、練習も一変していました。とにかく走り。俺が冬にやってきたことは跡形もなく消え去っていた。そうすると、別の不安が強くなってきた。

「俺が主将でいいんか?」

 ボートスピードを改善しようとして優生とばかり乗ったけど、やっぱり啓太の方が速かった。そうすると、俺が言うことに耳を傾ける人は当然減ってくる。自分が就活で部を空けたことが招いた結果であり、自業自得でしかない。合宿が始まってからも、俺は春合宿の雰囲気を知らないから、どういう立ち位置が良いのかずっと模索していました。初めに小岩井さんにも言われたとおり、ヨット以外のこと、例えば合宿所のことやコロナのことを気にかける役を目指したけど、約束事が少なすぎて全く機能しなかった。いつ、誰が何をやるのかが全く共有できていなくて、常に誰かに任せきりにしてしまった。

 でも、俺だって何の考えも持たずに主将をやっていた訳ではないです。俺は、マニュアルや約束事が強すぎて思考停止に陥ることが嫌だった。例えば、一昔前の房総やほたては、先輩が作ってくれたマニュアルを踏襲し、自分たちがエンジンのことを詳しくなるという気概はあまりなかった。会計帳簿もなかった。何か違うよなって当時も思っていた人がいたと思います。でもそれが先輩から受け継いだものだからって理由だけで、疑問やモヤモヤが放置されて続いていくのが嫌だった。だからテンダー係に口酸っぱく「テンダーのことはテンダー係が一番詳しくなってほしいし、その文化を後輩に受け継いでほしい」って伝えたと思うし、啓太に会計帳簿(自分1人で作った)を引き継いだ際も「やりやすいようにアレンジしろよ」って言った。一つの係に最低2人おいたのも、議論が生まれるためのアイデアだった。

 この結果が今年のチームでした。簡単に言うと、全体としての約束の少なさが裏目に出てしまい、人任せで責任が分散したチームになってしまいました。特に3年生にはあまりにも多くのフラストレーションを溜めさせてしまった。言われるまでもないと思うけど、改めて俺が主将をしていた反省と、俺の経験からの忠告です。

1.約束事を増やす。決まり事がないチームは機能しなかった。これは俺のミスです。ごはんの前にみんなで合宿所を掃除をするとか、そういう類いのことまで、範囲は多岐に渡ります。

2.役割分担、仕事の割り振り。さっきのと似て非なること。「何時までに○○をやる」という約束があったとしても、そういう仕事が誰かに集中してしまうと、そこから部が歪んでいく。例えば、掃除するっていう約束があったとしても、誰がどこをやるのかまで決めないと始まらないよね。

3.成果の確認。ちゃんと掃除したのか確認する。これがないと、約束事は続いていかないと思ったし、続かなかった。ミスへの対処も含まれるかな。

 これが部の運営についての今年の、俺のチーム作りの反省です。最後は、みんなが部を変えていくうえでの忠告というか、アドバイスです。

 部を変えないといけない、変わらないといけないって強く決めてると思うんだけど、これがなかなか難しいんです。なんでかっていうと、「自分が決めて良いのか?」ってみんなが思ってしまって、萎縮しがちだから。俺も夏合宿にそう思った場面は何度もあるし、みんなもそう思って言い出せない場面があったと思います。それが続くと、チームは変わっていけない。この状態を脱するためのアドバイスとしては、仲間を見つけることです。うまくいっていないと思う部分があるのなら、それを先輩・後輩や同期に愚痴ってみる。そしたら、力になってくれるかもしれないし、何か意見をもらえるかもしれない。幸い、今のみんなは交流がすごい盛んで、この点については心配していません。だから、どうか、どうか不満をため込まないでください。夏合宿の時みたいに誰かが爆発する状況を、どうか未然に防いでください。悪くなった雰囲気を良くすることが難しいこと、今回の夏合宿を経験したみんななら分かると思います。1人を作らないでください。

 

 これが俺が部の運営についてみんなに伝えたいことの全てです。俺が主将としてやったことは、自滅によってほとんどがおじゃんになり、最後はほとんど裏目に出て大失敗に終わりました。後輩のみんなに気安く「ありがとう」なんてまだ言えないです。こんな何もできないキャプテンで、ひどい合宿とチームにしてしまって、本当にごめん。私の中でこの経験は苦いものとして残り続けるでしょうし、しばらく一切のリーダー的役職からも離れると思います。


【1人のヨット部員として】

 私もみんなと同じように、良い時期と悪い時期の繰り返しでここまで来ました。みんなが共感できることがあったら良いなと思って綴ります。

《良かった時期》

①2年生の夏にコロナの活動制限が解除されてから3年生の春休みまで

 初めての後輩ができる新歓から始まりました。とにかく、ヨットって楽しいんだよってことを伝えたくて新歓したし、自分が後輩と乗るときも楽しさを前面に出していました。技術の面でも、春インカレのレーメンを獲得するために毎回練習が楽しみで仕方なかった時期です。ほぼ毎日7時半に来て、4507の整備や準備をしていました。結局この春インは中止になったし、開催されても出られたかは分からなかったけど、啓太や珠稀ちゃんと乗ってたこの時期は本当に楽しかった。引退前の俺からは想像つかないと思うけど、俺にもこういう時期がありました。

②部内レースで優勝した3年の5月頃

①の続きに見えるけど、春休みの後半は俺1人がモチベーション高くて、みんながついてきてないことに薄々気づいていたから、少しやる気が低下していました。それが吹き飛んだのが部内レース。春休みに自分が強化してきたことは間違ってなかったってことが結果で表れたと感じました。

《悪かった時期》

①引退前の夏

 みんなにはごめんなんだけど、圧倒的にこれ。信頼を失っていたこと、それなのに主将であることの辛さは今までに味わったことはなかった。自分が何を言っても部を変えるまでには至らないし、自分の提案よりも他の人のアイデアの方が良いものだった。でもそのいいアイデアが徹底されていないことにも気づいていながら、その不和を顕在化させるだけで解決することはできない自分は、行動することはできなかった。ただ俺がもっとヨットが上手で一目置かれていたら、話は違ったと思う。

②1年生の秋から冬

 16人だった部員が秋イン後に9人になった時期です。みんな疲れと人数低下から元気がなく、練習は1艇か2艇でやることがほとんどでした。3艇揃ったのは片手で数えるほどでした。授業ブッチして新木場からお台場まで歩いていろんなことを考えた日もあります。何を目指してヨットやっているのか、分からなかったです。

 誰にだって良い時期と悪い時期があると思います。ずっと意識高くできる人なんて、いる方が珍しいと思います。一応4年間続けた身としてみんなに言えることは一つだけです。

 意識を高く保つことは難しいです。でもそれ以上に、下がってしまった意識をもう一度上げることはもっと難しいと思います。だから、そんな人がいても見捨てないでほしい。誰だって、頑張れたらそうしたい(ちなみにこれはセカオワの『バードマン』って曲の歌詞です。興味あったら聞いてみて)。頑張ることが難しいのに足を運ぶって、本当にすごいことです。そういう時期が来たときにどう乗り越えるかは分からないけど、やる気がないからって辞めちゃうのはもったいないと思う。何かを始める決断は勇気が要るけど、それを続けるにはもっともっと強さが必要でした。だから、モチベが下がっても、そんなものだと思って受け入れちゃってほしいです。個人的な対処法としては、これも誰かに聞いてもらうのが一番なのかなって思います。


 自分は、ゼミと就活で3年生からはまともにヨットと向き合うことができませんでした。その結果、ヨット部の方は大きなガタが来てしまった。でも、大学時代に対してはなんの後悔もありません。文・武の両方で結果を出すことを目標にしてヨット部に入って、武の方は失敗した感が強いけど、その理由も、自分の弱さも知れた。この経験ができたんだから、ヨット部に入って、形だけでも続けて良かった。

 これで寺島の引退ブログを終わりにします。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。今後の千葉大ヨット部も、どうぞよろしくお願い致します。後輩のみんなに合わせる顔はないけど、ずっと応援しています。

 改めて、4年間本当にありがとうございました。そして、ごめんなさい。

 言い忘れてた。かっつー、一緒に乗ってくれてありがとう。下手っぴだったからストレスしかなかったと思うけど、最後まで付き合ってくれてありがとう。最後まで下手なままで、大事なところでミスばかりしてごめん。


引退ブログ 藤井 ー気弱な無能の備忘録ー

2022年10月12日 | 活動記録

はじめに

私がこの引退ブログにかける思いは強いです。

このブログを何年後かに見て「あんな楽しいことあったな、辛いことあったな」を見返して感傷に浸りたいです。し、私自身これまでしんどい時に先輩の引退ブログなどを見てまだ頑張ろうと思えたから、少しでも後輩たちに「辛いのは自分だけじゃない、それを乗り越えた人にしか見られない景色がある」ということを伝えられたら幸せだな、と思っています。

最近、オードリー若林著の小説、ナナメの夕暮れに感化されているのでここからの文章は短編エッセイ風で綴ります。

随分長いブログになりますが、私の備忘録が主なのでご了承あれです。

 

それから、先に言わなければいけないこと。

これまで、ヨット部としての活動を支えてくださった、監督、OB・OGの先輩方、現役の仲間たち、両親、元気をくれて相談に乗ってくれた学部の友達、マストを2本折っても保険を効かせてくださった学生支援課の皆様、合同練を引き受けてくれた他大学の皆様、その他関わってきた方々全員に対して両手に収まり切らないくらいの莫大な感謝をします。本当にありがとうございました。たくさんの迷惑をかけました。それでも許してくれて、励ましてくれて、人間としての成長につながりました。改めて、本当にありがとうございました。

 

本編に移ります。

 

目次

  1. 最後まで部活を続けられた理由
  2. 辛かったことランキング
  3. 楽しかったことランキング
  4. その他

  4-1. 各船に対するポケモンのイメージの話

  4-2. 絶対3年生に嫌われてただろって思う話

  4-3. かいせいがこの世で一番乗ってて楽しいクルーだろって思う話

  1. 最後に

 

 

  1. 最後まで部活を続けられた理由

最初にこれを入れるのは、これは一番部活動を通じて体に染み付いた感情で、現役一同に伝えたいことだから。忘れたくないから。結論から入ります。

 

・ここで辞めたらその時点で100%の負けが確定するが、辞めずに続けたらいつか勝ちを手にすることができる日が来るかもしれないから

・前を走る、後ろに数多の船が混戦している景色を見て溢れ出る脳汁が堪らないから

・今の千葉大ヨット部にとって人の数は財産で、一人でも欠いたらそれは損失だし、周りには悲しむ人がいると思うから

 

以上の三点です。大した成果も出していない無能が何を大口叩いているんだと客観的に見ると思いますが、これがリアルな感情です。

 

もし部活を辞めていたら、

友達からの旅行の誘いを「ごめん部活あるから、、」と断わらずにもっと色々な景色を見に行けたかもしれないし、

長期休みや土日の自由な時間を使ってもっと勉強したり企業訪問をしたりして大企業への就職につながったかもしれないし、

たくさんバイトをして今欲しいものが全部買えたかもしれないし、

夏の大型フェスに心置きなく参加してたくさん楽しい時間が過ごせたかもしれないし、

18歳から21歳の時代を一般的な大学生みたいに、ただ「楽しむ」に注力できたかもしれないけれど、ヨットを辞めたら、途中で簡単に諦めてしまうような中身が空っぽなしょうもない大人になってしまう気がして怖かった。

気弱で無能な僕には、みんなみたいな「ただ強くなりたい」というプラスの気持ちだけをエンジンに動き続けることはできなかったから、人に迷惑をかけない、嫌な気持ちにさせたくないことばかり考えて続けてきました。(それでも無能だから、迷惑をかけ続けた自覚はあります。)

結果、部活を続けて人間として強くなれたし、1年生の頃より多少なりともヨット以外の人間としての能力も向上したと思うから、後悔は一切ありません。

同期、後輩(もはや同期)たちの優秀な管理能力、仕事の速さ、前向きな気持ちにキャリーされながら、運営してこられたことに関しては皆さんに感謝してもしきれません。みんながいなかったら、部活は回らず私もきっと早々にリタイアしてました。この場を借りて感謝します。ありがとう。みんな大好き♡

 

部活をやっていて、よく思うことがあります。

「なんでこんなことせなアカンねん」

です。いやー、弱い。弱すぎる。こういう発想が生まれてしまうこと自体、人間として弱すぎる。

去年の冬ごろ、畔柳に聞かれました。

「藤井ちゃんはモチベがなくなったり、辞めたいと思った瞬間はないの?」

私は答えました。

「そんなの四六時中思ってる」と。(流石にちょっと盛ってます)

今ここで逃げ出せば、あらゆる責任、重荷、辛さから逃げ出して楽しいこと、やりたいことだけして生きていける。

それでも辞めなかったのは、

「辞めたらその時点で負けが確定するから」

どれだけ負け続けても、辞めない限り、いつかどこかで勝てるようになる可能性はあるから

最後まで続けたら、最後まで続けた人にしか見られない景色、味わえない感情があると思うから

だから最後まで続けました。

 

気持ちの弱さというものは、ヨットの強さに直結すると私は思います。気弱はスタート前に損するし、気弱は無能から起因されます。

本当に本気で負けたくないという気持ちがあったら、隙間時間はひたすらヨットの調べ物をしていたはずだし、平日でも暇なら構わず自主練に行っていたはずだし、毎日欠かさずバーチャルレガッタをやっていたはず。それができなかったのは、私の気持ちが弱いから。自由な時間を犠牲にする覚悟がなかったから。自分に甘いから。

後輩たちに自由を犠牲にしろと言うつもりはありません。ただ、ヨットの更なる楽しさに早く気づいて、自然と調べたり練習したくなってしまう、そんなのが理想だろうなと思います。たくさん合同練をして、負けず嫌いの気持ちを絶やさないでほしいなと思います。気弱な無能からの遺言です。

 

ということで、これが本音です。続けてこられたけれど、このスポーツは辛い瞬間が多すぎます。合宿も、いつもの自由が根こそぎ ”ぶん取られる” ので常にきついです。次節では、そんな部活生活の中でも特に辛かったことをランキングにして紹介していきます。まだまだ続きますので、休憩挟んでくださいね。

 

  1. 辛かったことランキング

4位 大学2年生4月〜9月、オンライン新歓

私がヨット部に入った一番の理由に、「人の温かさ」があったのですが、そこには当時新歓隊長だった四方さんの影響は大きいです。

自分もヨットの魅力はもちろんのこと、こんな最高な人たちがいることをできる限り多くの新入生に教えてあげたい、そういう思いで新歓隊長には立候補しました。

最初は底知れぬモチベを発揮し、PVやビラ、会議など積極的に動きました。新歓関係にすごく時間を持っていかれるので、辛いなーとは思いながらも頑張れました。

ただ、オンラインの新歓となると話は別です。これまでの先輩がやってきた資料など全く関係なく、一から企画、運営、発信、その他諸々の重圧が新歓係に降り注ぎます。練習はできないのに仕事ばかりある、という状況もまあしんどかったですね。

4月5月はコロナに入ったばかりで大学側は情報の発信すら異様な制限をかけてくるし、

6月になってオンラインでのコミュニケーションが解禁され、毎週一本くらいのペースで新歓資料を作るも、7月にもなればやってくる新入生は限られていき、無駄な労力になっていないかと心配になる。ヨットに興味を持ってくれた人を引き止める策みたいなものも考えたが結果全然実らず、最終的に入ってくれたのはオンライン新歓にあまり出ていなかった人ばかりでした。人数としては例年くらい入れることができたのでそこはまだ耐えでしたが、やはりしんどかったなと思います。

私の2つ上の代まで、新歓隊長をやった人は職務を果たしたら辞めてしまうというジンクスがありました。私の代で、そのジンクスも無事無くすことができてホッとしてます。少なくとも、2年生の時の新歓だけは全力で頑張ったと胸を張って言えます。

 

3位 冬、練習

寒すぎます。1年生の時なんてお金もないからまともな防寒着も買えないし、2年生以降も普通に寒すぎるし。

友達に冬の寒さを例える時によくする話があります。世界の果てまでイッテQという番組で、芸人さんたちが真冬の氷の張っている海に落とされ、寒い寒いと言ってサウナに駆け込むシーンがあります。ヨットの冬は、あれのサウナがないアンドめっちゃ風が吹いてるバージョンだと。船に上がったところで地獄はそこからだ、という絶望はすごいですよね。

あまりに震えすぎて、たまに帰りの電車の中でも震えていたことがあります。それこそ、「冷たい目線」を浴びていたことでしょう。(うまい)

冬が一番「なんでこんなことせなあかんねん」を感じる場面が多い気がします。たまには部企画なんかも挟んで楽しいこともしてくださいね。

 

2位 大学4年生5月3日、春イン第1レース

あれは微風から中風域くらいの風でした。私がそこまで苦手としていない風域です。

スタートは上寄りの第2線。まあ即タックしないといけない位置取り。

当時、右海面の自由度に惚れて右ばかり攻めていた時期だったので、まあ問題ないかなと思っていました。

しかし、走れない。

下をいく学習院に艇速で負ける。慌てて下す。スピードが上がらない。焦る。焦ってトリムも悪くなる。結果、50艇ほどいるレースで下に2~3艇しかいない。

あ、無理だ、と思いました。

俺はこれ以上速くならない。練習したところで、予選メンバーの中でも上位で走るなんて無理だ、と。

着艇します。船の異変に気づく。

ガスケットが半分以上剥がれ、でろんでろんになっている。

これだ。走らなかったのは、と絶望します。

 

その時振り返って思いました。僕の人生ってずっとこうだったな、と

練習しても、これまで遭遇しなかった予期せぬアクシデントで負けていく

というか、そもそも無能なので吸収量も、こだわりも、知識も何もかも足りない。

そういう姿勢が、甘さが、今回の事件に繋がったのだと知らしめられ、辛かったなぁ。

 

1位 大学1年生8月2日、初めて伊東さんと乗った時のタック地獄で4回落水した日

堂々の一位です。圧倒的一位です。

この辛さは二種類あります。

一つ目は身体的辛さ。

始めたては、手トラができずタックで必ず減速します。それまでの先輩は、トラピーズに出るまでの時間待ってくれていたりしましたが、伊東さんは違いました。ガンガンメイン引きます。タックが苦手ならたくさん練習しようといい、一生タックしてきます。握力が底を尽き、落水しますが、470で何食わぬ顔で拾いに来てまたすぐに走り出します。当然、またすぐ落水します。また走ります。これの繰り返しです。これほどまでの地獄はありません。

二つ目は精神的辛さ。

タックで減速するのは、自分が手トラに出るのが遅いから。自分のせいで、この部活で一番上手な先輩の船を遅くしてしまっている。この状況に対してひどく悲しく、落ち込みました。帰りはもちろん一人で帰り、サンボマスターの「輝き出して走ってく」を聞き、道端でしたがもう号泣です。あ、辞めようこのスポーツと思いましたが、なんだかんだ1年生の底知れぬ気力を取り戻し耐えることができました。おかげで、初心者クルーを乗せるときにはこれでもかってくらいゆっくりタックを回します。おかげでかいせいのタックの成長は遅かったです(笑)

 

  1. 楽しかったこと・嬉しかったことランキング

1位 大学4年生 秋イン

やはり一番は直近の秋インです。何が嬉しかったかって、やはり千葉大の中でちゃんと一番点数低く抑えられたことです。

私は今年の一月くらいから4687に乗るようになって、そこからずっと有難いことに一番艇に乗せていただきました。船に不自由を感じることはすごく少なくなり、セールもいつも良いものを使わせてもらっていました。ただ、きついことが一点。「一番走らないと訳わからない」ということです。

秋インまで、ずっと4512や4507よりいい成績を取ることができず、せっかく46に乗っているのに勿体無い、不甲斐ない、いわば「1番走らない1番艇」というレッテルがついていました。これほどまでプレッシャーがかかることだとは思っていませんでしたが、結果が出ないということが、46に乗っているからこそ辛かった。

最後の大会くらいはと意気込んでいましたが、結果として春インの1R平均順位34/47位から、秋インで平均19/56位まで上げることができました。予選レベルでこれかよ、とはまだ思いますが、それでも成績を出すことができて、一番艇としての職務を果たすことができたことがとにかく嬉しかったです。(決勝では4507にボロ負けでしたが)

 

2位 大学1年生11月末 千葉県大学生選手権

夏合宿後、初めてスキッパーをやらせてもらい、2ヶ月もないまま臨んだスキッパーとしての初めての大会でした。新井さんと一緒に乗せていただき、これがヨットレースかという心の躍動と溢れ出るドーパミンを初めて経験した日でした。新井さんは、予告もなしに右も左もわからない一年生スキッパーと乗ることになって、ましてすごく沈するのに最後まで丁寧にご指導していただき、本当に嬉しかったです。次は、自分がOBとなって一年生クルーを乗せるようになる番なのかなと思うので、あの時感じた躍動感、ヨットレースの面白さを伝えられる側になれたらなと思います。

 

3位 大学1年生9月 合宿最終日の打ち上げ、丸尾氏との絵しりとり

追記することはありません。笑

 

 

  1. その他

4-1. 各船に対するポケモンのイメージの話

なぜか私はそれぞれの船に対してポケモンのイメージがあります。

4311:ドダイトス 

一番はじめに受け持った船で、一番愛着があります。すごく乗りやすい、というイメージがあります。ゼロからのスタートを、一緒に歩んでくれた最初の相棒です。zhikのシールが緑で、船台に巻いたシートの色的にも、ドダイトスのイメージの理由です。今でも、ゲームのIDには4311か4687を入れます。

4507:レントラー 

蛍光色多めの鮮やかなシート配色、船がちょっと軽くてブームが高い(レーキが低い)、そんな印象があって、電気タイプのレントラーの印象です。

4512:ムクホーク 

黒白のシートが多めで、大橋さん中田さんペアの印象が大きいです。船は重いけど、しっかりパワーが入る印象があり、そしてちょーかっこいい。まさにムクホークです。

4687:ディアルガ 

最初4687に乗る時、すごく怖かったです。触れてはいけない伝説、乗りこなすのは難しいけど、手をかければ物凄く速くなる。そんな印象があってディアルガです。

共感してくれる人はいないかな、いないですよね、余談過ぎましたすいません。笑

 

4-2. 絶対3年生に嫌われてただろって思う話

春合宿も秋合宿も、4年生がやらないといけない仕事や役割をほぼ全部3年生にやってもらってしまっていました。全体のスケジュール決め、合同練の取り決め、係割り振りなどです。申し訳ないと思いながらも、3年生とかてらしーの方が絶対優秀で、俺がそういうことをしたら逆に迷惑をかけるし二度手間になるなって思い、動き出すことができませんでした。おそらく、自分の時間を犠牲にする覚悟がないという気持ちの弱さにも起因しています。3年生がイライラしている時は、4年生が動いていない時。春合宿からそう感じていました。本当にごめんなさい。謝ることしかできません。その分は、これから取り返していきます。時間があって、気持ちが安定していれば現役のサポートに尽力していく所存です。大したアドバイスもできないかもしれないけど、これからもよろしくお願いします。そして、許してほしい。。汗

 

4-3. かいせいがこの世で一番乗ってて楽しいクルーだろって思う話

何より感謝しないといけないのはかいせいです。去年の選手権から、ずーーーーっとかいせいと乗っていた記憶しかありませんが、すごく楽しかった。大して上手でもないスキッパーの俺だけれど、そんな奴の意見をまっすぐ受け入れてくれるし、凄まじい勢いで成長していってめっちゃ乗りやすいし。何度も海に落としたし、寒い冬を乗り越えたし、いい景色も何度か見せてくれました。本当にありがとうかいせい!!!これからもよろしく!!!今後かいせいと乗る誰か、楽しみにしといてね。楽しいから!

 

 

  1. 最後に

物凄く長くなってしまったブログでしたが、私の4年間を頑張って文字に起こしました。ここまで読んでいる人はあまりいないかと思いますが、改めて、こんな気弱で無能な私の4年間の部活動生活を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

ここまで読んでくれている現役の誰か。辛いのは自分だけじゃない。逃げ出したいのは自分だけじゃない。必ず誰かが支えてくれて、手をとってくれるから。辛かったらなんでも相談し合いましょう。最後まで進んだ暁には、まだ見ぬ景色が待っているから。大事に作ってきた価値を、簡単に捨てないで。

いつかのブログで使った言葉。

「心の灯火を絶やすな」

結構いい言葉ですよね。

 

なぜか、いまだに引退という気がしません。高校の時のバスケは、「もう二度と、同じメンバーで戦うことはない」という絶望や悲しさがありましたが、ヨットはどうせまたみんなで乗るんだろうなと思うし、出たければレースも出られるし、終わらせようとしなければ、終わらなくてもいいから。

ということで、今後とも何卒よろしくお願いします。

第1章、終了!!

 

千葉大学体育会ヨット部4年 スキッパー

藤井伸太郎