BES大山(鳥取)

鳥取県大山周辺に関する日々の情報、お知らせなどを載せています

大ノ沢と零ノ沢

2009-05-14 09:22:02 | 歴史・文化
大ノ沢と零ノ沢。名前はよく聞きますが、
同じもなのか、それとも違うものなのか、
はっきりとした区別が無いような気がします。

紅葉シーズンはよく行くけど、新緑シーズンはあまり通らないなぁ…。

桝水の下から谷になっており、
そこの大きな谷だから、大谷になり、大きな谷の上に
ある大きな沢から大沢が大ノ沢になった。と言う説や。

一ノ沢の前にあるから1の前は0だから零ノ沢。

O(オー・英数字)と0(ゼロ・数字)が形が似ているから
0(ゼロ・数字)を漢字で書いて、Oの沢(英数字のオー)
大ノ沢になった。という説があったり。

名前の無い沢から、無名沢。などと言う言い方があったり。

それ以前に、大ノ沢と零ノ沢は全くの別物で位置が違う。
(大ノ沢、零ノ沢(横手口沢)、一ノ沢、二ノ沢、三ノ沢)
…など色々あり、

結局のところは、大ノ沢と零ノ沢の区別はよく分からない。
と言うのが一般的なところのようです。

大ノ沢(零ノ沢?)は俗称として、沢と呼んでいるけど、
そもそも沢という区分には入らない。などと言う話も。

湧水が出てきている場所を沢と言ったりすることが
あるようなので、その辺りから、大ノ沢と零ノ沢は
別物と言われるようなったのでは…?な雰囲気も。

また、大山イラスト概念図の作成に伴って、混乱しないよう
零ノ沢⇒横手口沢…と新たに名前が付けられていたり。

…と言うことで、大ノ沢と零ノ沢についてちょっと調べてみました。
他の由来も知っていると言うのがあれば、教えて下さい。
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今日8時の気温は12度。天気は曇。
下(麓)は明るいのに、上へ向かうにつれて天候が悪くなっています。

大山寺と檀家2

2009-05-04 10:46:44 | 歴史・文化
前回は寺と檀家。おもに、檀家についての説明でしたが、
今回はどうやって、寺を維持しているかについて。

江戸時代、3000石の所領を賜っていた大山寺は、

明治になると、一時は大山という寺号も剥奪され、
大神山神社が神仏習合から分離したのに比例するかのように
衰微の一途を辿って来ました。

よく言われる大山寺は3000石の領地があったと言うのも、

実際には政庁が半分を取っていたので、何十と寺院があると、
当然ながら一箇所の取り分は少なくなってしまう訳で、
実は結構カツカツな生活をしていた…とか?

ちなみに現在は、大山寺の山門にて拝観志納金(300円)を
納めて貰って、それらを寺の経営に当てているようです。

大山寺阿弥陀堂は普段、閉じていて年に数回しか
開きませんが、大山寺に頼むと堂内拝観(有料)が出来るとか。
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今日8時の気温は16度。10時現在17度。天気は晴~曇。
連休中日と言うこともあって、人が多いです。
登山も子ども連れが多め。

大山寺と檀家1

2009-04-26 08:25:34 | 歴史・文化
大山寺には檀家が無い…と言うの有名(?)ですが、
今回は檀家を置かない理由について。

そもそも檀家とは、ある寺の信徒となり、布施などの経済的援助を
持続して行い、葬式・法事などを行なってもらう家の事。

もともとの起源は江戸時代とも言われており、
幕府による戸籍管理の役割として檀家制度が確立されました。
ちなみに、何処かへ出掛ける時も寺の許可が必要だったり。

大寺院で国家の支配者の手で作られた寺や、奈良時代までに
建てられた所は檀家がおらず、信者だけの寺もあります。

檀家さんがいないという事は葬式をするという
習慣も無いため、寺内に墓石がありません

もし寺のお坊さんが亡くなった場合は、
他のお寺からお坊さんを招いてお葬式を行うとか、

寺の経費はべて檀家から集めた護持会費で支払い、
本堂や庫裏の建替え時などは別途、檀家に負担を求めることも。

とは言っても、ある程度の檀家があるところで無いと、
寺が成り立たないため、別に働きに出て居るところなんかも。
気のせいか公務員や教職などが多い…?
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今日8時の気温は3度。天気は雨+霧+風。
頂上はおそらく雪。下でも十分寒いです。

大山口駅

2009-04-11 09:12:02 | 歴史・文化
大山口駅は大正15年9月に開業し、
大山の登山口として発展するよう願いを込めて
大山口駅と命名されました。

しかし、開業当初は中筋平野のど真ん中にあったため、
駅はあるものの、そに周辺の道路は無い。
…と言った状態でした。

それを大山村と所子村が共同で大山口道路組合を立ち上げ、
周辺の村々が協力(寄付)して整備し、現在に至っています。

俗に言う佐摩大山口線。正式名所は…?

この当時の国内は国立公園設定の議があり、各候補地は
指定誘致の運動を繰り広げていました。

こう言った状況(背景)の中で大山口駅と大山を直結する道路を
新設した事は条件整備の一つとして誘致運動に役立ったと言われています。

昭和7年には運動が功を奏し、国立公園の仮指定を受けましたが、
本指定獲得のため、引き続いて運動や条件整備が行なわれました。

元は村道だった坊領大山寺間の道路も県道へ編入し、路線の変更や
拡幅などの改修を行い、面目の一新を図り、大山口登山道道路が完成。

昭和11年2月12日には大山国立公園が誕生しました。
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今日8時の気温は15度。9時現在17度。天気は晴天。
花はまだ白い花が多め。

大山の会色々。

2009-03-23 08:15:30 | 歴史・文化
今でも活動している会として有名(?)なのは、
頂上を保護する会、美化を推進する会などがありますが、

大山の自然を守る会、参道振興会、山栄会、四鈷の会
保勝会、山案内人組合、大山ガイドクラブなど
聞き覚えがあり、今でも活動している会や組合から、
新規・復活・解散・自然消滅…と様々な会があります。

大山国立公園協会、大山町観光協会、大山町商工会など公の機関から、

米子野鳥保護の会、日本野鳥の会鳥取県支部
鳥取県山岳協会、米子勤労者山岳会、岳獅会
らくらく山歩会、低い山を歩く会、大山憂撮会
大山横手道上ブナを守る会、育成する会
ほうき民話の会、溝口大山街道振興会

など、大山でも活動する会から大山を中心に活動する民間の会
を挙げていけばキリがありませんが、

大山寺だけに限って言えば昔は20近い団体があり、
それらはすべて大山(地元)で立ち上げたもので、

一般に広く活動を報告するものではなく、
地元の有志が中心となって行っていた会が主のようです。

例えば、現在は解散してしまいましたが、
保勝会などは歴史が古く、明治・大正に活動していたものが、
一度自然消滅し、昭和に入って復活し、
ある一定の活動を終えて解散しています。

山案内人組合は現在の大山ガイドクラブの前身となるもので、
頂上までは1円50銭~2円(戦前)で案内し、
その活動の中心となるのは地元の農家の人たちだったとか。

大山登山道の5合目に地蔵を設置したのは
今の大山ガイドクラブだそうで、こちらは現在も活動中。

山岳関係以外は後継者関係で色々と難しい面もあるようですが…
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今日8時の気温は0度。天気は曇。
微妙に白い影が舞っているような舞っていないような…。

大山の別名4

2009-03-06 09:46:37 | 歴史・文化
伯州大山略絵図をよく見てみると、

『大山』と言う表記ではなく『八葉峯』と表記されています。
絵図と実物。これは鈑戸のテニスコート付近から撮った写真。位置的にはこの付近が絵図に近そうですが、木が高くなっているため、下の方は・・・。と言うことで、リクエストのあった大山の別名(八葉峯とは?)についてはとりあえず今回で終了。
※比較のため縦横の比率を変更しています

八葉と言うのは名前の通り、8枚の葉、または紙のことを言います。
…と説明しても、何のことだかサッパリ解らないという人しか
いないと思うので、補足(?)。

八葉(大辞泉より一部引用)
8枚の花弁。特に、ハスの花の8枚の花弁を放射状に並べた形。また、その文様。

八葉峯の名前の通り、八つの峯からなりたっており
剣ヶ峰、天狗ヶ峰、槍ヶ峰、弥山…と続きそうな雰囲気ですが、
今ある地図をいくら見てみてもこれらに続くそれらしい峰が
見つからなかったり、そもそも上に挙げた峰が八葉ではなく、
寂静山、船上山、甲山、豪円山、孝霊山、宝珠山、烏ヶ山、三鈷峰、

…など、幾つかの主(?)だった山を束ねる
総称・名称である可能性もあるわけですが、

絵図をよく見てみると、
阿弥陀山であったり、観音山、釈迦の嵩があったりするので、
恐らく、今はもう伝わっていない山の名前(通称?)が
幾つもあり、それらが八葉に入っていたのでは…?な雰囲気。

また、山の峯一つ一つにも神が存在していると考えられ、
信仰や畏怖の対象となっており、その一つが、
大日如来であったり、阿弥陀如来…etc.と、
今でもよく聞く名前の神(?)の呼び名が残っている可能性が。

もう一つ考えられる説としては、大山も富士山と同じように、
形容のみを取って八葉峯を芙蓉峯として例えた可能性も。

大山ではないですが、富士山の八葉についてはいくつかの由来があり
・頂上の峰々を蓮の花の八弁に例えた説。
・その姿が秀麗なところからきた説。
・八つの峰(八葉蓮花に見立てた山脈)がある事から芙蓉(蓮花)と称した説。
・芙蓉といわれることから「八朶」とつけた。
※芙蓉とはハスの花の別称・異名で美人の例え。
富士山の雅称として芙蓉峰と呼ばれた

ちなみに、剣ヶ峰という呼び名は土俵の最も外側をいい、
大山の外輪山の最高位を示す言葉。

と言うことで、大山の別名に関して、今ある資料で
調べれる範囲ではこれぐらいですが、

もし八葉峯はこの峰だ!…と分かる方が
いらっしゃいましたら教えて下さい。
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今日8時の気温は8度。天気は曇+濃霧。積雪0cm。

明日は観察会の最終下見に。博労座周辺は積雪0cmですが、
元谷方面はまだ雪が十分(?)あるので、コース変更も含めて要検討。
国際以外は全て終了。シャトルバスは7・8日は運行しないことが決定とのこと。

大山の別名3

2009-03-04 08:43:30 | 歴史・文化
大山と別名については前回出しましたが、今回は
それぞれの別名について詳(?)しく説明。

・火神岳(ほのかみだけ)、火神嶽
 大神山神社が火の神である、軻遇突智命
 (かぐつちのみこと)を祀っていることから

・大神山、大神岳、大神嶽
 大神(おおかみ)とは神を敬っていう語。
 その後ろに山(岳・嶽)をつけた呼び名

・角磐山
 大山寺の山号。山号とは寺院の所在を示すもので、
 兜率天(仏教世界観における天界の一つ)の第三院の巽(東南)の
 角より変化して、一つの磐石(重く大きな石)として落ちた。
 この石は三つに割れて、一つは熊野山に留まり、二つ目は金峰山に現れ、
 三つ目は大山へと出てきた。
 この山を角盤山と名づけて、日本の三大名峰と申すなり。
 …と言うのが大まかなところ。(大山寺縁起)

・伯耆富士
 郷土富士と呼ばれる山の一つで、富士と名の付く山は各地にある。
 同じ山でも伯耆国(ほうきのくに)から見れば伯耆富士。
 出雲国(いずものくに)から見れば出雲富士。
 ※大山ではなく、枕木山を出雲富士と言うことも
  伯耆国の別称は伯州ですが、伯州角磐山大山寺と言うのは
  地名を含めた言い方。境の方向から見て、伯州富士と言う事も。

・伯耆大山
 伯耆国(ほうきのくに/鳥取県中西部の旧国名)の大山
 伯耆は砂鉄を溶かすふいごの古名「はふき」に由来(他にも説あり)

・大山さん
 大山を呼び捨てにするのは恐れおおいことから
 大山に敬称を付け、大山さんと呼ぶようになった。
 愛称を込めて、大山さんと呼ぶようになったなどの説が。

もっとも古い呼び名は火神岳とされ、
火神岳の別名として大神岳が呼ばれるうになり、
後に伯耆大山が大山へと変化したと言われています。

…と、こう言ったように、全国の他の多くの山が
大山(おおやま)であるのに対し、大山(だいせん)と
呼ばれるようになったのは歴史的な意味を持っています
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今日8時の気温は2度。天気は曇。新雪0cm。積雪2cm。

積雪状況は昨日は10cmあったのが、今日は2cm弱に。
天気は悪いですが、雪が降るには少し気温が高いです。
大山寺橋は2cmでも槇原は10cmの積雪だったりで、
測る場所によって積雪が変わっています。

大山の別名2

2009-03-01 09:10:59 | 歴史・文化
大山の別名(?)と言われるものを挙げると、
大山、大山さん、本山、角磐山、大神山、大神岳、
大神嶽、火神岳、火神嶽、伯耆富士(郷土富士)、伯耆大山

別名が色々ありますが、一般的に
大山(だいせん)と言うようになった由来はと言うと、

日本の弥山などの名をもつ霊山は須弥山信仰に基づくとされ、
大山(弥山)も須弥山信仰の霊山として多くの修験道に崇められています。
そう言ったこともあり、

神の在す山として、大神岳(おおかみのたけ)と
呼ばれていたものが、のちに大神岳が略されて大山(岳=山)に。

1)仏教用語の仙から通じて大山を大仙とし、
山(やま)と読まずに山(せん)と読む

2)大山寺は中国と交流が強くあったことから、
呉音である山(ざん・さん・やま)を山(せん)と発音

須弥山(しゅみせん)とは、仏教界において、
世界の中心にそびえる果てしなく高い山のこと
ちなみに、大神岳の神を略した大岳は大きい山。大山(たいざん)のこと

…と、上に挙げたのはよく聞くので知っている方も
多いかと思いますが、これらの別名以外にも八葉峯
と言う言い方も大山にはあるようです。

以前、大山と水信仰(赤松の池に龍がすむわけ)と言う項目で
少し書きましたが、大山寺は、理想的な風水図と重なっているそうで、

そう言った地形条件も合致した為か一大霊場とてして栄えていました。
その後の衰退については、一先ず置いておくとして、

古来より、いくつもの峯々が折り重なっている地形を
表現するのに、東西に龍が伏せ、南北には虎が
うずくまっていると形容され、

風水的にも最適な地形を持っており、一つの結界としての
機能も持ち合わせていたのかも知れません。
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今日8時の気温は55度。天気は晴。新雪0cm。
空気も軽めで比較的暖か。今日は歴史館と共催で横手の観察会。

大山の別名1

2009-02-24 08:46:29 | 歴史・文化
と言うと、有名なの伯耆富士ですが、
これ以外にも大神山・大神岳などもあったり。

また、鳥取県の中・西部の小・中・高等学校の校歌には、
大山や伯耆富士が必ずと言って良いほど登場します。

下に挙げた以外にも、おおかみやまの~ 
…と続く歌詞がある小学校もあるようです。

大山町立大山小学校   朝もやはれて大山の
大山町立名和小学校   私が見上げる 大山は
伯耆町立日光小学校   雄々しくそびえる 大山の
伯耆町立八郷小学校   むらさきにおう 大山を
米子市立河崎小学校   遠くそびえる大山に
米子市立義方小学校   春俊爽の 伯耆富士
米子市立啓成小学校   雄々しくたてる 伯耆富士
米子市立住吉小学校   あしたにのぞむ 大山の
米子市立尚徳小学校   あさ日かがやく大山を
米子市立成実小学校   山よわれらの大山を
米子市立日新小学校   大山仰ぐ この丘に
米子市立彦名小学校   春がすみ夏雲の 東の空大山よ
米子市立福米西小学校  伯耆富士 理想と仰ぎ
米子市立箕蚊屋小学校  あおぐもはるか 大山の
米子市立淀江小学校   紫匂う大山を
米子市立和田小学校   雄々しくたてる大山の
南部町立会見小学校   雲おしひらく大山の
境港市立余子小学校   山は大山 白い雲
江府町立江尾小学校   雲晴れわたる 大山の
江府町立明倫小学校   もみじに映える大山に
倉吉市立関金小学校   気高き大山 仰ぎ見て
琴浦町立浦安小学校   大山の 峰にはじまる
出雲市立灘分小学校   ああ大山が 遠く見える
隠岐の島町立西郷小学校  白雲なびく大山を
米子市立福米中学校   朝日が昇る 大山の
米子市立尚徳中学校   大山の おおしい姿
米子市日吉津村組合立箕蚊屋中学校   久遠の影さし 大山そびゆ
米子市福生中学校     高き理想の 伯耆富士
南部町立南部中学校   聳ゆる大山 朝夕仰ぎ
伯耆町立岸本中学校   伯耆富士 匂う窓辺に輝くは
大山町立名和中学校   朝雲なびく大山を
松江市立第二中学校   姿気高き大山の
境港市立第二中学校   仰ぎ見る 大山晴れて
江府町立江府中学校   大山に雲湧きあがる
琴浦町立東伯中学校   雲に輝く 大山に
湯梨浜町立北溟中学校  青雲遥か 大山の
米子松蔭中学・高校    仰げばゆかし 大山の
松江工業高等学校     大山の空は広し
松江北高等学校      仰げば正し出雲富士
鳥取県立米子高等学校  これぞ山陰の象徴 われらの大山
鳥取県立米子西高等学校 神さびて 高き大山
鳥取県立米子中学校    五千幾尺 大山高く
鳥取県立米子東高等学校  率ゐて崇く 大山の
鳥取県立米子南高等学校  かの大山の肩を見よ
鳥取県立米子白鳳高等学校 大山はるか 仰ぎつつ
私立米子北高等学校      朝日に映える 大山の
鳥取県立米子工業高等学校 そびえて高き大山の
鳥取県立鳥取中央育英高校 大山の嶺 仰ぎつつ
鳥取県立境高等学校    紫深き 大山の
米子工業高等専門学校  雪をいただく大山の

他に有名なのは、角磐山(大山寺)、大山に敬称を付けて、大山さんなど。
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今日8時の気温は4度。天気は雨。積雪13cm。
大粒の雨が降って来ています。大山スキー場は雪を集めてあるので、
どうにか、滑走出来るかな(?)な雰囲気。桝水は今日もお休み。

下山神社

2008-09-25 08:50:13 | 歴史・文化
下山神社の元々の起こりは、一個人をまつった神社でもあります。

その昔、渡辺源五照政は大智明権現(地蔵菩薩)を崇信し、
毎月必ず参詣し数十年間一度も怠った事がありませんでした。
しかし、その帰路に同国の人鈴木某と争って破れ、
不慮の最後をとげたのを里の人々が憐れみ、
大山下山の地に小祠が建てられ、下山善神と呼んだ。

照政公が後に白狐となり、吾をまつれとの託宣を受け、
数々の霊験もあった事から霊をまつったとされるとも言われています。
(下山の地にあったものを大神山神社の脇に移動?)

下山=げざん、と間違われることもありますが。大神山神社の境内にあります。"

建てられるまでの言われはともかく、
下山の地に小祠を建てた下山善神が起源となっています。

下山信仰が盛んになるのは、江戸時代に入ってからですが、
その起源は古く、修験道の大山への浸透と同じであり、
それが仏道の隆盛に伴って一時衰退し、中世に至って
大智明権現の末社に組み込まれたものであるとされ、

下山と言うのは、本山(元山)に対する下山で、
中国地方の山伏のよく用いる語であるというから、
大智明権現を本山とし、山伏たちの持仏を祀った堂を
下山と呼んだのではないかとされています。
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今日8時の気温は20度。天気は晴れ。
海・山ともに雲で隠れて見えません。

阿弥陀川

2008-08-30 08:11:04 | 歴史・文化
大山寺阿弥陀堂は平安初期の承和14年(848年)に創建され、
戦国時代の享禄2年(1529年)の大水害の際に流失。

天文21年(1552年)に古材を利用して現在の位置に
移築再建されたと伝えられています。

当時の資料は洪水や火災などにより、その殆どが
無くなっているため詳しい事は解っていませんが、

一説によれば、今よりも西よりで寂静山の辺りに、
今の数十倍の規模であった…と言われています。

ちなみに阿弥陀川の由来はと言うと、
名前の通り阿弥陀仏がこの川より拾い上げられ、

その阿弥陀仏は大山に安置されています。
上流部には阿弥陀滝もあり、剣谷のあみだ岩(?)から水が発しています。

水量は少ないものの、しばしば大水が出たため河幅は広く
川は氾濫しその流路を変えたため、広大な広大な扇状地を作り、
大山町(旧)はその三角州の上に成り立っています。
今は治水工事の結果、昔のように大洪水が起こることは無くなりました。

ちなみに現在の阿弥陀堂のすぐ脇にある川は佐陀川(南光河原)。
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今日8時の気温は18度。天気は雨+濃霧。

大山寺と三院

2008-08-22 08:35:51 | 歴史・文化
大山寺は南光院(釈迦如来)、中門院(大日如来)、
西明院(阿弥陀如来)の三院で構成されていて、

中門院の起こりは
山頂の中池(地蔵ヶ池or梵字ヶ池)の底より金色の光明常に出て
大日如来が顕現し給う。即ち又金色裸質の不動明王と見え給う。
この三尊の姿を一道場にうつし奉り根本最初の本尊とす。中覚院(中門院)是なり

南光院と西明院については、
金蓮聖人が修業を重ねていると、谷の水に月の影が光雲南に覆い、
釈迦の像常をうつし、それを道場へかざり形像をうつしつつ、南光院と号す

法華経を唱え年月を重ねていると、
百毫が西にかがやき紫雲そらにたなびき、
月輪しばしば明らかになり弥陀の尊容をすえまつって西明院と名づけた

…と言うことで中門院は南光院、西明院と比べると一段上に位置づけられており、
修験道と結びついて大日如来を根本本尊とする気風があったようです。

近世に入って中門院がまつるところの大日堂が大山寺の本堂と
なったのもこの気風によるもので、

南光院の釈迦堂、西明院の阿弥陀堂が
脇堂として位置づけられるようになったとされています。

ちなみに大山寺領三千石と言われるようになったのは近世に入ってから。
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今日8時の気温は18度。天気は晴れ。山稜がはっきりとみえています。
秋晴れのすっきりとした天気模様。

阿弥陀堂と常行堂2

2008-08-21 08:32:12 | 歴史・文化
じょうご谷とは、
説1)液体を瓶などに注ぐときに使う道具
説2)常行堂院谷のつづまったもの

この2つの説からきていると言われています。
説1に関しては谷の形がじょうごに似ていたためで説明が出来ますが、
説2に関しては、常行堂が建っていたような広い平地は見当たりません。

そう言ったことも含め、もし、一つの堂だった場合、
今現在ある阿弥陀堂の阿弥陀如来は堂の大きさに比べ不釣合いなため、
平安初期の阿弥陀堂はもっと大きかったのではないか?と言われています。

また、阿弥陀堂の柱は洪水の為、傷だらけですが、阿弥陀如来は傷が殆ど無く、
何故、流れ(壊れ)なかったのか?…と言うような疑問も出ています。

そのため、流れたのはあくまで常行堂であって、
その横に並んであった阿弥陀堂は被害が少なかったため、

流れてしまった常行堂と阿弥陀堂の二つを合わせて今の位置に
再建されたのではないか…?という様な説もあります。

ちなみに阿弥陀堂が手の届く箇所の金メッキが剥がれて下地が見えているのは
人々が参拝の折に、手を触れて祈願したためだと言われています。

歴史書のなかで、享禄の大洪水で南光院谷の諸院をも流し、
南光院は南光河原の左右に分かれ、西明院谷、中門院谷の下手の地続きに移転した

蓮浄院もこの時移転してきたものであり、もとは南光院谷にあった
(法雲院、理観院、金剛院も)と言うような記述もあることから、

洪水(山津波?)が起きて堂が流れてしまった。と言うのは間違いないようですが、
どの堂がどのように流れてしまったのかは正確には解っていません。

ちなみに昭和52年、消火設備に1000万ほど掛けているとか。
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今日8時の気温は16度。天気は雨。少し肌寒いです。
桝水~鍵掛間土砂流失のため、8/20、AM5:00~通行止め。
PM2:30 桝水~鍵掛通行止め解除

阿弥陀堂と常行堂1

2008-08-19 08:29:10 | 歴史・文化
阿弥陀堂と言えば大洪水で倒壊し、今の位置に再建した
…と言うのはよく知られていますが、

建築史上不明な点がまだ多く残っています。

阿弥陀堂
元々、阿弥陀堂と言うのは阿弥陀如来を祀って
済度救済の念仏の行(修業)をするところで、

天台宗第四座主慈覚大師が唐から帰朝し、密教が盛んとなり、
念仏の道場として常行三昧堂(阿弥陀堂と同一の性格のもの)が
建てられ、やがてこの風潮が全国に波及しました。

大山寺の阿弥陀堂もこの常行三昧堂の一つで、
平安初期は現在の阿弥陀堂から僧兵コースを辿り、
元南光院谷の方に行く途中に「じょうご谷」と言うところがあり、
そこに常行堂があったと言われています。

密教…大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持・祈祷を重んじる。
 7、8世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、
 日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、
 貴族などに広く信仰された。

  空海の真言宗系を東密(空海の伝えた密教。真言宗をさす)
  最澄の天台宗系を台密(日本の天台宗で伝える密教)
  深遠…奥深くて容易に理解が及ばないこと
  加持…神仏の加護を受けて、災いをはらうこと
  祈祷…神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること
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今日8時の気温は22度。天気は雨+濃霧。海も山も見えません。
涼しい…と言うよりも若干寒いぐらいです。

大山と水信仰3

2008-06-23 08:36:42 | 歴史・文化
大山信仰は、農業と大きく関わっています。

大山の歴史は、水の歴史でもあり、大山寺の起源が描かれている大山寺縁起にも、
大山は清らかな水が湧く場所であると表現されています。

大山は遥か昔から、この地にあり、人々を守っています。
その恩恵の一つが、台風などの強風被害。
(最近では異常気象のためか様々な影響が…)

赤松の池は風水の中の龍穴にあたり、昔から竜神の住む池と言われています。
大山信仰同様に竜神も水と深い係わりがあります。

水は農業にもっとも必要なものであり、
そのため、農業が竜神信仰とも深く係わっています。

長い日照りが続くと、樽に酒を入れて持って来て、雨乞いの祈りをし、
持ってきた酒を池に注いで竜神に供え、その代わりに池の水を樽に詰めて
日照りの場所へ帰るとその地に雨が降るといわれています。

しかし、その途中で樽を下へと降ろしてしまうと、
その地に雨が降ったと言われています。

人々は大山の雲行き、雲霧の掛かりを見て天気を予報しました。
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今日8時の気温は15度。天気は雨+濃霧。
湿気が多くなっています。