BES大山(鳥取)

鳥取県大山周辺に関する日々の情報、お知らせなどを載せています

大山と水信仰2

2008-06-22 08:14:39 | 歴史・文化
以前、自然歴史館で、日本民族学会会員の川上氏による特別講演会がありました。
講演の内容は「赤松の池に龍がすむわけ」というものでした。

その話の中で大山寺は、理想的な風水図と重なり、その中で赤松の池が、
風水の中の「龍穴」と呼ばれる部分にあたるそうです。

鶴は千年、亀は万年…はあまり関係ありませんが、
蛇が龍へと変わるには長い年月が必要だと言われています。

山で千年、野で千年、海(水中)で千年、
誰にも見られることなく過ごす(修業する)と、
蛇から龍へと生まれ変わると言われています。
蛇から龍へと変わる年数は書物によって異なるようです。

蛇(へび)が蛟(みずち)になり、蛇に角が生え(キュウ)、
4本足で龍に近い形(チ)となり、4本足で角のある龍(りゅう)となり、
更に1000年経つと、翼が生え、応龍になるとも言われています。

蛇は、元々神聖な存在で、世界中で豊穣のシンボルとなったり、
脱皮して生まれ変わることから再生のシンボルとなっています。

西洋ではドラゴン、東洋では龍。竜神や竜王は龍を神格化したものとされます。

りゅう【竜】(大辞泉より一部引用)
想像上の動物。体は大きな蛇に似て、4本の足、2本の角、耳、髭をもち、
全身鱗(うろこ)に覆われている。
多く水中にすみ、天に昇り雲を起こして雨を降らすという。
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今日8時の気温は20度。天気は雨+濃霧。

大山と水信仰1

2008-06-21 10:15:41 | 歴史・文化
大山には弥山禅定と言うものがあります。
宗教行事の一種で、毎年二人の僧が旧暦5月1日に阿弥陀堂に入り、
そこに籠って法華経を書き写します。
稲の茎をもって筆を作り、赤土をもって墨の代わりとします。
(土は豪円山の後ろの谷の高滝からとったと言われている)

書写が終わって、6月14日の夕刻、先導者3名とともに弥山(大山頂上)へと登り、
かねてから設けてある銅の壷にその経を納め、
15日の朝に下山、供えられた経と、山頂のヨモギなどをもぎ取り、
以前より持ち上がっていた阿伽桶に池の水を汲んでおります。

その後、大神山神社から参道を通り、立小路へと歩んで行きます。
このとき、参道(立小路)の両脇には病気のあるものが、
横に寝て、痛む部分を僧に踏んでもらうと病が治ると言われています。

山頂の池から汲んできた水は神宝水(阿伽水)とも言い、
各寺院に霊水として配りました。

人のめったに行かない山奥や、地下から湧き出た水、
山頂に称えられている水は「天つ水」「月読の変若水」とも言われ、
老を養い、病人を癒す水、若返りの水としての霊水であるとされています。

立小路(たてしょうじ)とは現在の参道。
以前は豆腐屋が2,3件立ち並ぶだけだったそうです。
参拝に訪れた人々は豆腐屋を宿として利用していたそうです。
現在は、旅館や、料理屋、お土産などが立ち並んでいます。
参道が整備されて、当時あった杉並木も4,5本が残るだけとなりました。

ちなみに6月14日は旧暦なので、今のグレゴリオ暦に照らすと7月16日。
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今日8時の気温は22度。天気は雨+濃霧。
木々が鬱蒼と生い茂り、緑が強くなってきました。

豪円山

2008-06-17 10:29:53 | 歴史・文化
豪円山はもともと呼瀧山・呼滝山と呼ばれていた山ですが、
大山寺中興の祖である豪円僧正(西楽院)の墓所となったことから
豪円山と呼ばれるようになりました。

何故、この地に豪円僧正の墓所が作られたかと言うと・・・

本人が何処に眠っているかは不明。墓石のみ

米子城は若すぎる城主(若干12歳・中村一忠)の後見役として
徳川家康に任命された、家老の横田内膳正が政事を行なっていました。

その家老がまず行なったのが居城や城下町の整備に加え、
領内の検地(年貢の徴収と農民支配が目的)な訳ですが、
その範囲は徳川家康より三千石の寺領安堵のお墨付きを
受けていた大山寺領にも及び、豪円僧正の怒りを買います。

そこで、城主が恨まれているのは、家老の横田のせいである
…と唆されて、一忠は家老を毒殺してしてしまいます。

その翌日に横田側は弔い合戦を挑みますが、
隣国の援軍を得た城方が勝利しました。
しかし、その後一忠は二十歳の若さで急死し、
跡継ぎのなかった中村家は断絶してしまいます。

聖域を侵された豪円僧正は、
「自分の墓は米子城を見下ろす高所に建ててくれ、米子城の没落を見届けたい」

と遺言し、大山寺に近い今の豪円山の頂上に葬られ、地蔵が建てられました。
こう言った事もあり、米子城に悲劇が続き滅びたのは
豪円僧正の恨み・呪いである…と、言うのが有名な説。

しかし、徳の高い僧でもある豪円僧正が
そのような些細な事で怒るのはおかしいのではないか。

豪円で西の方を向いているのは人々を導くため、神の住まう大山を背に、
城下を見下ろせる位置に佇み、豊穣の方角でもある西を向いている。
…と言うような説もあります。

米子(横田)騒動1603、中村一忠1590-1609、豪円僧正1536-1611
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今日8時の気温は20度。天気は晴れ。10時現在変わらず。
今日は米子市内の小学校さんが登山中。

Made in China

2008-06-14 09:48:54 | 歴史・文化
大山にある一風変わったお地蔵様。
石に彫られたお地蔵様。吉持地蔵。これは昔からあるもの

一見すると普通のお地蔵様ですが・・・
一見すると普通のお地蔵様。ちなみにお地蔵様がかぶっている帽子は、とやまのおばあちゃん作

良く見てみると・・・
靴を履いています。噂によれば靴の先が尖がったお地蔵様もあるらしいですが、現在捜索中。

足元色々。
座ったのもあれば、足元が衣で隠れているのもあれば…。新しく作られたものと、作ったのをもってきたものと、混在中。

大山寺周辺では、鳥取県から委託を受けた業者さんや、
県土整備局の方が路肩や斜面の草刈りをしていますが、

観光道路にある一丁地蔵の前の草刈りは
実は、ボランティアによるものだとか。

いつも中途半端に地蔵の前だけしてあるなぁ。
と、思いきやこういう裏事情が…
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今日8時の気温は16度。天気は晴れ。
これから暑くなりそうです。

大山そばの由来

2008-06-11 10:49:13 | 歴史・文化
最近は長寿食だったり、地元の食材をふんだんに使った
食事を大山で食べれるように…と言う動きが出てきています。

大山町は全国的にも珍しく、海抜-10~1709m ほどあり、
取れる食材はサザエ、ウニ、ワカメなどの海産物から、
白ネギ、ブロッコリー、二十世紀梨、ブルーベリー、ハーブ
大山地鶏、大山黒牛、乳牛、陣構紅茶などなど多岐に渡ります。

大山寺では大山おこわや大山そば等が名物になっていますが、
その由来は…と言うと、大山寺は信仰の地で精進料理が中心となっており、
生物は食べなかった為、栄養を確保するのに適した食材が、そばだったと言うこと。

また、大山寺周辺には広大な裾野が広がっており、それを利用して
牛馬の放牧や、そば作りが盛んになり奬励されていました。

こうして牛馬市が盛んになってくる訳ですが、
その場で出された甘皮までたっぷり挽き込んだ黒い色のそばは
素朴な味で人気となり、大山そばとして有名になります。

そば作りに適した地は、稲の生育には適さない痩せた土地、
日当たりと水はけのよい畑(火山灰土)、昼夜の温度差が激しい寒冷地(高地)
…と、言うことでまさに、大山周辺はそば作りにうってつけで、
香り高い独特の風味を持つ質の高いそばを作ることが出来ます。

ちなみに、種蒔きから75日、夏と秋、二回収穫できます。
含まれる栄養素は、たんぱく質・脂肪・ビタミンB・ルチン…etc.

米子駅でも大山そばが出ていたり。若桜の平家そばも製法は同じ。
ちなみに場所によっては霧下そばと呼ばれることも?

霧下そば…山裾の標高500~700mの高原地帯で、昼夜の気温差が
大きく朝霧が発生しやすい場所(霧下地帯)で作られたそば

大山に限らず、色々なところで出ていますので、
食べ比べてみると、それぞれのお店に個性があって面白いかもしれません。
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今日8時の気温は20度。10時30分現在19度。天気は曇。
山は中腹部に霧。

鳥居

2008-05-30 10:32:11 | 歴史・文化
現在は、大神山神社へ移転していますが、
以前は博労座近くに銅の鳥居があり、大山へと入山するときは必ず、
この鳥居を舐めなければいけなかったとか。

その他にも、博労座近くにある番所地蔵は、牛馬市が盛んであった頃、
牛馬の鑑札を渡す番所がこの場所にあったことから、
信者の一人が寄進したものとされ、

また横手道から入る旧参道沿いにある山王堂の跡地付近には、
日野、備中、美作から牛馬の鑑札を渡していた「番所跡」の鳥居が現存するなど、
今なお、その繁栄の歴史を証拠づける史跡が数多く残されています。

銅鳥居。昔は参道の入口…ではなく、もうちょっと上にあったとか。上が切れてるのでそのうち撮り直しに。
石鳥居。此処に行くまでに一回道路に降りないといけないのが残念
金門。俗に言う神の通る道。西門だったり、豊穣の象徴だったり、その辺りは金門で検索を掛けるか、そのうち別のネタを作ったときにでも

今日8時の気温は17度。10時現在変わらず。日が照ってきました。
頂上が一部雲に掛かっています。

大神山神社が遠い訳

2008-04-24 09:01:38 | 歴史・文化
大山寺に来れば、大山寺、頑張る人は足を延ばして大神山神社

博労座駐車場からは大山寺山門まで徒歩15分(約800m 舗装された上り坂)
大神山神社はそこから更に20~30分(約700m 日本一長い自然石の参道)

大山寺に関しては、周囲が閑散としているのと、
勾配のきついため、平坦部を歩くよりも、長く感じる
…と、いったところでしょうが。

大山寺も大神山神社も、実際に歩いて行ってみると良く分かりますが、
距離が離れたところにあるのにも一応理由があります。

そもそもの大神山神社の始まりは、
修験者の道場として、簡単な礼拝所が設けられたことから始まります。

大山中腹、海抜998m の地点へ登り、そこから大山頂上を直接遥拝して、
大山そのものを御神体(神の宿る山)として崇めた場所が大山字中門院です。
今の形、神社らしくなったのは平安時代になってから。

大神山神社

ちなみに大山は夏宮、米子市福万にあったのは冬宮ですが、
冬宮は広大な土地の維持することが出来ず、荒廃していき、
ある氏子の神夢に従って承応二年(1653)に尾高に遷宮し、現在に到ります。

明治8年には廃仏毀釈により、中門院谷に鎮座する
大智明権現社、大山寺号は廃絶されました。

その後、大智明権現社から地蔵菩薩を取り除き、
大日堂(現在の角磐山大山寺、明治36年)に移したため、

大智明権現社は大己貴神を祀る大神山神社奥宮として復活を果します。
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今日8時の気温は10度。天気は雨~曇。少し霧が掛かっています。

大山神仏混淆

2008-04-23 11:23:16 | 歴史・文化
大山の仏は地蔵菩薩(俗に言う、お地蔵さん・お地蔵様)であり、
仏が化身として現れる(権現する)と大智明権現となるとされています。

廃仏毀釈は明治3年から4年に掛けてピークを迎え、その折に、
地蔵の多くは破壊され、首の無い地蔵、もしくは首だけ新しく作られて
今に残る物などがあります。(参道沿い・阿弥陀堂前 他)

廃仏毀釈

中には、廃仏毀釈によって故意に破壊されたものだけでなく、
廃仏毀釈を通して、寺院が衰退し、生活を維持するために、
売られて各地に散らばったり、燃料として巻物等が使われた、
…と、言うこともあったようです。

ちなみに、大神山神社奥宮は、神仏混交様式。
具体的に言うと、神と仏の霊力を併せ備えた菩薩として崇められ、
農業を助け、牛馬を守護し、雨乞いの山として広く農民の信仰を集めています。

神仏混淆(神仏習合)…
 その土地に住む者の信仰(神道の神格)と仏教信仰(仏教の尊格)の
 良い部分をまとめて作られた信仰体

大智…いちだんとすぐれた知恵。また、それをもつ人。
権現…仏・菩薩が人々を救うため、仮の姿をとって現れること
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今日8時の気温は15度。11時現在変わらず。天気は晴→曇時々晴れ。

大山寺の掟

2008-04-16 10:37:59 | 歴史・文化
寺や神社、道端などで、よく見かけるお稲荷様や狛犬を見かけます。

お稲荷様と言えば、キツネ。
キツネ:哺乳綱 ネコ目イヌ科 キツネ亜科 キツネ属 に属する動物の総称

でも今回説明するのは、動物のキツネではなく、

通称(愛称)「お稲荷様・お稲荷さん」
正式(?)名称「稲荷神、稲荷大明神」について。

稲荷神は漢字の通り、穀物の神の総称です。
そして、狐は稲荷神の使い、あるいは眷属であるとされました。

古くから里山に棲息し、人と遭遇する機会が多かった
生物であったことも、神の使いとされた背景にあるようです。

他には、宇迦之御魂神((穀物の神)の別名、
御饌津神(みけつ)→三狐神から来た…などの説も

下山神社のお稲荷様

下山神社(大神山神社の境内)もキツネに関係しますが、
これについては犬と狐(2006.10/11)を参照。

大山寺独自(?)の掟の一つ、「犬を飼ってはならない」と言われたのは、
犬とキツネが仲が悪いため…とされていますが、
よく見てみれば何故か同じ境内の中や大山寺のすぐ下に居ます。

門のすぐ横と、大山寺下の御茶屋さん

そして以前、他の地域に比べれば少ない。と書いていますが、
ここ数年で更に犬が飼われて増えています。
神と動物は違う、もしくは些細な事…と、言うことでしょうか?

こういった掟は不殺生戒(殺生をしない。命を大事にする)から始まり、
不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒など、

約250種類ほどあり、僧はより厳しい戒律を
守る事を目標に修業に励んでいたそうです。
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今日8時の気温は16度。10時30分現在、15度。天気は晴れ。
風が少し強くなっており、実際の気温よりも若干低く感じます。

大山と禁伐令

2008-04-14 08:18:32 | 歴史・文化
大山には昔、禁伐令が出ていた…と言うのを以前少し書きましたが、
それについて少し詳しく。

寛永9年(1633)、大山三院執行探題大僧上天海が大山の衆徒に対して、
伯州大山年中行事諸法度事のお触れを出しました。

その中の、山林の取り扱いに際して、
山中権現はもちろん、坊舎近辺の山林竹木はみだりに伐採してはならない
3000石領内の山林竹木は伐ってはならない。
ただし、堂舎修理、修造の時は役者が相談して伐採すること

…と言うものがあったり、

安永9年(1780)には大山寺西楽院要用雑録の中の山里樹林之事で、
大山領内での樹木伐採に関する厳しい制限が掛けられています。
それによると、領内の立ち木は全て西楽院の物で
小さな木でも勝手に切ることは厳禁とされていました。

立ち木だけでなく、倒木や枯れ木などもその対象となり、
衆徒が利用するためにはまず、西楽院、山奉行の許可を取ってから
行なうようになっていました。

大山は極寒地で積雪量も多く、寺院や領内で薪が大量に必要となり、
厳しい掟があるにも関わらず盗伐や薪の盗難が相次いでいたと言われ、
場合によっては、打ち首もあった…とか。

薪の採取については毎春5日間だけ認められており、
寒中の焚き物として使い、普段は山林内で拾う枯れ木の枝などを
決められた場所があり、山奉行立会いのもと、そこから拾っていたようです。

ちなみに、杉や檜、松などが建築材や橋(新築・修理・改築)などの工事使われ、
伐採することは赦されなかったそうです。
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今日8時の気温は7度。天気は曇。
今日は大山の美化パトロールがあります。

下山駐車場内の公衆トイレはポンプ不調のため、現在閉鎖中です。
ご迷惑をお掛けいたしますが、南光河原駐車場内のトイレをご利用下さい。

大山寺の繁栄と僧兵

2008-04-13 08:34:57 | 歴史・文化
まず、武士とは武装した私兵集団のことで、
社会的な公認のあるもの…と言うのが大まかなところ。

地主は私有地たる荘園(勢いに任せて拡げすぎた)を守るため、
配下に武力のあるものを蓄えて自分の荘園を守った。

寺院は不輸祖田(田税を納めなくても良い)があったため、
重税に苦しむ農民たちは、年貢を地主に納めるよりも、
寺に年貢を納めるほうがマシと考え、結果、寺領は増えていった。

治安が乱れると荘園を守るために、自衛力を蓄えたことが、
僧兵が誕生するきっかけとなったとされる。

御幸行幸の時の写真

時には、僧兵が動員され、武士として働くこともあった。
それにより、名を上げたものは大名と呼ばれるようになる。

大山寺と関係無い気がしないでもないですが…。
只今ネタ(?)作成中。
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今日8時の気温は6度。天気は曇。

松脂と燃料

2008-04-09 08:23:04 | 歴史・文化
松脂は子どもでも簡単に取ることが出来ることから、子どもの仕事として定着。これは、何かの目印…?

松脂とは少し異なりますが、太平洋戦争末期には
石油の供給を断たれため、そに代わる代替燃料として、

松の根を粉々に砕き、揮発させ、松根油を作ることが
国家レベルで推進され、実際に行なわれていました。

しかし、200本の松(樹齢10年以上)を使って、戦闘機を1時間飛ばす。
と言う実用には向かないものだったようです。

今で言う、バイオマスエネルギー(バイオ燃料、エコ燃料)の先駆け
…にはなっていませんが、当時としては画期的な技術だったのかも知れません。

バイオ燃料の原料と言うと、トウモロコシ、サトウギビなどがあり、
バイオ燃料に使用される作物への転作が行われたことにより、
世界的な食料穀物不足が起こっています。

実用化にはまだ到らず、研究段階ですが、米であったり、海にあるワカメ
などもバイオ燃料への転用にむけて研究が進められています。
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今日8時の気温は12度。天気は晴れ。

松脂と非常食

2008-04-08 08:48:26 | 歴史・文化
大山で松と言えば、豪円僧正が植えたとされる一丁松(並木松)が有名ですが、
松は燃料や非常食として昔から重宝されていました。

ほんの数十年前は大山でも松脂を照明や燃料として使っていたようで、
脇道へ入って行くと、杭が刺さったままの木や、
脂が滲み出ているところなど、その名残が見て取れます。

松脂を取った跡

今では非常食と、言うよりも変わった食べ物。
と言う扱いにあるのかも知れませんが。

ちなみに非常食になるのは、樹皮の下にある松の皮。
日本に普通にある松の実は食用にはならず、
中華材料などでよく見かける白い実は、食用に作られたもの。

つい、先日テレビでも出ていましたが、松の皮の食べ方は、
生皮を臼で付いた後に、水に浸してアクを抜き、
汁をこして乾かして粉末状にした後、米や麦の粉を加えて松皮餅に。
ちなみに、これは秋田の郷土菓子…とか。

目安としては、米一升に対して100g。それ以上は慣れ(?)た人向き。
非常食ではないですが、松葉(新芽)を使ったサイダーなどの変り種(?)も。

クロロフィル、ビタミン、ミネラル、カルシウム、
 フラバンジェノール(ポリフェノールの一種)………etc.
松には、20種類を越える成分が入っており、飢饉の時や、
戦中戦後の折、貴重な栄養源になっていたようです。

笹は抗菌作用が強いと言うことでよく知られていますが、
松(松葉)もそれに劣らず強い殺菌力をもっており、
松脂から精製された油は止血剤としても使用されています。
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今日8時の気温は6度。天気は雨+濃霧。

寂静山と民話

2008-04-02 08:23:18 | 歴史・文化
大まかなストーリーは同じでも、人によって微妙に
細かい部分が違っていたりします。

よく聞くのは、猟師の依道が無駄に殺生を繰り返していたため、
そのことを悔い改め(?)させるために、狼に化け(?)た地蔵菩薩が
…と、言うのは以前(大山寺開山)出しましたが、
最終的には当事者の心持次第といったところでしょうが。

よく聞く民話(口語)の他に少し変わった話を見つけたのでそれを。

出雲国玉造の猟師依道が美保の浦の海から金色の狼が出てきたので
後を追った。狼は老尼に姿を変え、自分は登欖尼(とらんにorとらに)と言う
山の神(女神)であり、一緒に地蔵菩薩を祀るために狼に化身して依道を
この地に誘ったのだ、と告げた。

その後、依道は出家して金蓮と号して大山山中で修業し、
釈迦如来を感得して西明院を開いたという。

…で、この話によれば、登欖尼と言う山の神は

・海の外から来た「まれびと」と呼ばれる存在
・数百年生きた大和国の巫女的宗教者

麓の山(金峰山?)で仏教を修業して大山に登ろうとしたが、
その山は女人禁制であり、登ろうとしても雷が落ちてきて
登る事が出来なかったため、依道に開山を求めた。

…と、言うような話もあるとか。

ちなみに、大山で歴史や文化に関する書籍と言えば、
沼田頼輔氏の大山雑考、佐々木一雄氏の大山寺縁起
この辺りが基礎になっているぽいです。
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今日8時の気温は6度。天気は晴。久々に暖かいです。
参道沿いのトイレが昨日から利用可能になりました。
下山は現在も積雪があり、トイレも元栓が見つからない状態。
ご迷惑をお掛けいたしますが、もう暫くお待ち下さい。

赤松荒神祭

2008-03-03 14:11:53 | 歴史・文化
と、言うことで大山からは少し離れますが地元のお祭り。
赤松荒神祭(大山町赤松)が3月2日に行なわれました。

このお祭りは、承応3年(1654)に大干ばつが起き、雨乞いを氏神様にしたところ、
「閏年の2月2日(旧暦)に五穀豊穣と村の繁栄を願って大蛇を奉納せよ」
とのお告げを受け、現在に至ります。

恐らくは、赤松の池があったことから蛇=神…と言うのも関係するのでは?
竜と大蛇1(2007-09-12)竜と大蛇2(2007-09-13) 参照

大蛇の製作に使う藁は各家から30束づつ持ち寄ります。

藁を編む人、鱗を作る人、昼食の準備をする人、
後は30~90代まで多くの人が携わっています。
行って見たときには60名弱の方が作っておられました。
和気藹々とお話をしながら
伝承中。後ろが若手(30代)の一人
設計図。作られたのは2004年…のはず。

設計図はありますが、20m ~35m …と、
年によって長さが微妙に変わります。
ちなみに今回は28m で、太さも少々細め(?)。設計図は、
神主さんの代替わり(1992)から作られた…はず。

上には61本(?)の御幣が大蛇の頭に差してあり、
これは氏子(家)の数だけ本数が用意してあります。
完成!

気力が在れば大蛇の胴体が太く、体長も長くなります。
ちなみに、この余った藁は乗馬センターさんが引き取り。
し出しも乗馬センターさん。

その後、集落を練り歩き、神社へ奉納して神事が終了。
どれぐらい歩くかはその時の気分次第。
下まで行って上に戻って来る(約1km)時もあれば、
数回下へ上へと練り歩く(約3~5km)事もあったり。

担いでいる人に言わせると、疲れて動けなくなったら終り。
…とか言う結構大雑把なものらしいです。今回は2km(?)弱。
後ろに微妙に映るのは…
ちなみに、大山自然歴史館 館長の撮れたてアルバムにもお祭りの様子が。

8時の気温0度、14時4度。天気は雪→雨。積雪145cm。
3/3 頂上小屋利用可。

昨日のスキー場利用者数は国際で1100名、上の原・中の原で1200名。
10時と15時に怪我が集中して国際で12件、上の原・中の原で6件とか。