1936年2月1日、大山国立公園が指定。
1963年4月10日、蒜山、島根半島、三瓶山、隠岐地域が
編入され大山隠岐国立公園へ名称変更。
2002年3月26日、大山・蒜山地区において毛無山、宝仏山が編入。
昭和12年(1937)に牛馬市が閉幕となった理由について。
一つは取引の需要が減って来た…と、言うものもありますが、
国立公園に制定されたことが牛馬市閉幕の理由の一つのようです。
明治14年には九千近い頭数の牛馬が取引。
明治22年には六千…と来て、明治25年には六千台に戻りますが、
明治23年には一気に1400頭まで取引が落ち込みました。
これは、全体の需要が少なくなったこともありますが、
入場料・売買手数料の値上げが一因だったとされ、
他の場所へ取引が流れた…とされています。
また、明治23年10月には、陸軍による青野軍馬育成所
大山派出所(現:香取開拓本部)が設けられ、
放牧用の土地を接収され、牛馬の数が激変しました。
大正12年12月に朝鮮(日清戦争)へ移転になるまで、
大山には2000頭近くの軍馬が放牧されていました。
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今日8時の気温は10度。天気は晴~曇。
もう少しまとめた文章に変えたいなぁ…
1963年4月10日、蒜山、島根半島、三瓶山、隠岐地域が
編入され大山隠岐国立公園へ名称変更。
2002年3月26日、大山・蒜山地区において毛無山、宝仏山が編入。
昭和12年(1937)に牛馬市が閉幕となった理由について。
一つは取引の需要が減って来た…と、言うものもありますが、
国立公園に制定されたことが牛馬市閉幕の理由の一つのようです。
明治14年には九千近い頭数の牛馬が取引。
明治22年には六千…と来て、明治25年には六千台に戻りますが、
明治23年には一気に1400頭まで取引が落ち込みました。
これは、全体の需要が少なくなったこともありますが、
入場料・売買手数料の値上げが一因だったとされ、
他の場所へ取引が流れた…とされています。
また、明治23年10月には、陸軍による青野軍馬育成所
大山派出所(現:香取開拓本部)が設けられ、
放牧用の土地を接収され、牛馬の数が激変しました。
大正12年12月に朝鮮(日清戦争)へ移転になるまで、
大山には2000頭近くの軍馬が放牧されていました。
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