実家から帰りました。
今回は台所を中心に掃除。
他の場所ははたきをかけ、掃除機をかけ、簡単に拭き掃除。
まずは床を何とかしたいんだけどすごく散らかっていてどうしようもない。
もう空いてるところを掃除機、拭いた。
間に合いません・・一人じゃ無理。
ホントに疲れがひどくて帰宅してそのまま眠ってしまった。
その分、朝4時に目が覚め、洗濯機を回す。
朝食の準備はしない。
お茶の準備だけした。
やってしまうと果てしない。
家族は昨日自分たちで作ったものを食べて出勤した。
ホントに疲れた。。。
友達が私が帰ったのを見計らって、電話をくれた。
大変だったでしょう・・と。
明日、仕事の予定がないから気晴らしに遊びにおいでと言ってくれたけど
そんな元気すらない。
少し休んだら行ってこよう。
兄の血圧が少し高いので今月通院しようと思ったけど
私の風邪がなかなかよくならないのと
三つ、四つの用事を済ませて実家の掃除と食事の支度などするのは
きついので来月予約することにした。
先月から一か月。
何故にこんなに散らかるのか汚れるのかわからない。
居間は足の踏み場がない。
昨日、介護保険の認定調査に来た調査員も驚いた。
これでも片づけたんですと話したら更に驚く。
とにかく、物が動くとわからなくなるからと言う。
それもわからないでもないけど
そのほとんどがゴミ。
お菓子の包み紙、みかんの皮、要らないチラシ、レシート、広告・・新聞紙
その中に必要なものがいくつかある。
私が父がいない時に明らかにゴミと思われるものを捨てる。
わからないように。
以前、本人に確認してもらいながら処分したのに後で叔父からの電話で
「あいつが全部捨てた、あれが来ると必要なものがなくなる」と
愚痴ったらしい。
もう諦めた。父が動けなくなったりこの世からいなくならない限り
何も手をつけられない。
それにしてもひどいのでミカンの皮やお菓子の空き袋、などはわからないように捨てた。
今回もテーブルの下に缶詰の空き缶4個。
ペットボトルなどのゴミ。
薬を飲めば、空き袋を一か月分、テーブルやテーブル下に捨ててある。
信じられない光景。
外も・・・。話したらきりがない。
もうクタクタ。
私の寝る部屋に掃除機をかけ、水拭き。
真っ黒。
お風呂まで掃除できなくて床を漂白してシャワーだけにした。
トイレも相変わらず小の時は流さないし
床もおしっこで汚れている。
毎回使う時は拭いてから使う。
本人は汚い、散らかってる・・意識はない。
兄も同じ。
思わず「実家 汚い」で検索してしまった。
けっこう困っている人がいるもんだと思った。
私もとても出産は実家に帰ってできなかった。
母も掃除しない人なので・・・。
近所の人も大変だねぇみーちゃんが来なかったらテレビに出ちゃうね・・と。
遠慮のない言葉だけどホントにそうなんだから何とも思わないです。
せめて近所に迷惑をかけないようにやってきます。
消臭ストロングと言う消臭剤が強力で今回も大活躍。
えらい出費だわ。。。
3本買って2本使った。
近所の人が私が掃除しているとちょっと足を止めて話をする。
そのたびに、「臭いが少なくなったね、あんたも大変だ」と何度も言う。
そうなのね、前は悪臭が漂っていたもの。
でも・・まだする。
減った・・だけだから。
二階でねていると変な臭いで目がさめるもんね。
・・・もう大変。
年末の掃除ももう諦めた。
今度行ったときに長女に付き合ってもらって
出来るところまでやって年末年始はここでキレイに新年を迎えることにした。
クリスマスリースを作っている。
長女も下駄箱の上にクリスマスデコレーションを飾り始めた。
クリスチャンじゃないけどきれいなクリスマスの雰囲気はすきです
クリスマス前にコストコでピザとか買ってこよう。
お正月もここでゆっくり過ごそう。
父と兄にはおせちの詰め合わせを送ろうと思ったけど
父に無駄使いと怒られそうなので鮭と何かおかずになるものと軽いお菓子でも送ろう。
いつも年末年始実家で過ごす時はいわれもないことで怒られる。
孫がいると少しゆるくなるけど
私はバカで能無しなのだから。
年末とお正月明けに行ってくるのでそれでいいとする。
心が体が悲鳴をあげてる。
昨日、母のところに行ってきた。
タイミングが悪く、入浴の時間だった。
でも順番がくるまで浴室前で15分くらい一緒に過ごした。
もう話すこともできないし、もう誰だかわからない。
朝は傾眠傾向で朝食は少ししか食べれれないけど昼、夕食はペースト状のものをしっかり
飲み込んで、栄養はとれているそうなので安心しました。
ホントに痩せ細ってしまいました。
でも幸せ。スタッフの皆さんがとてもよくお世話をしてくださって、感謝です。
私の方を見る。手で自分の顔を触ること数回。
動いた・・と思われたのはこれだけ。
後は目を閉じてしまうし一点を見ている。
寝たきりです。
悲しいけど・・現実。
「今までありがとうね、お父さんに虐められて私もお兄ちゃんもお母さんもよく耐えたよね、
側にいてあげれれないけど暖かいところで優しい人に囲まれて今は幸せかな」
心の中でそう話しかけた。
父の介護保険認定調査は40分程度。
今日は何月何日ですか?10分前は何をしていましたか?
何時に起きますか?何をして過ごしていますか?
寝返りや歩行、体の動きや薬のこと、病気のことなどなど聞かれたり動いたりした。
私もいろいろ聞かれた。
今回の調査員の人には何も情報はいってないらしく
1週間に一度くらいは来られますかとか
私の病気や兄が何の病気なのか・・何も知らなかった。
伝え忘れた事がいくつかあるけどもう遅い
結果は一か月後。
介護保険証は預けて結果とともに後日郵送される。
たぶん変わらないと思われる。
一年前より動けなくなっている気がする。
白河の夫の叔母が亡くなっていた。
喪中はがきをいただいて知ったのだけど
夫のいとこはたぶん、夫が亡くなっているので知らせるのを遠慮したんだと思います。
ご仏前を送ったら電話をくれた。
今年は母を亡くし、妹さんを癌で亡くし自身も癌だと話してくれた。
叔母さんも癌だったけど高齢で進行は遅く、食欲はあったらしい。
よくわからないけどおせんべいを詰まらせ救急へ。
3日後に亡くなったそうです。
妹さんは63歳で大腸がんだったそうです。
マリコさんといって、とてもきれい好きで昔3回くらいお宅に伺ったとき
小さな子がいるのに部屋の中はテーブルとソファ、クッションのみ。
他の部屋も必要以外のものは一切置かない。
装飾品は置かない。
そんな人でした。
キレイな女性でした。
訃報を知り驚きました。いとこさんは確か離婚して独身。
「とうとう一人になっちゃったよと・・・
おふくろさんは、足が悪く、癌だったけど
94歳まで誰にも世話にならず、あっとゆう間に逝ってしまった
俺も癌だから長く寝たきりになられても困ったし、よかったのかもしれないよ」
と言ってた。
夫が亡くなった時、足を引きずっていたけど来てくれた。
普通に話したし、耳も遠くないし、しっかりしていた。
何だか・・悲しい。
夫の父親の兄弟はみんな亡くなってしまった。
阿藤海さんが亡くなられた。
何だかまた昭和が遠くなる。
昨日、足柄SAで一人寂しく休憩。
スタバで抹茶ラテを飲んだ。一人だけど・・寂しいけど美味しかった。
買い物を楽しむ人達、旅行を楽しむ人達を見ていて思う。。。
その人生をどう生きるか。
小さくても少しでも楽しみを見つけたい。
広島のおみやげを父と兄に渡したら
俺は宮島に3回行ったと言ってた。
兄は厳島神社は広島じゃんね、と言った。
ホントは、兄をどこか遠くに連れていってあげたい。
今は人と接し始めていい状況なのでしばらく今の生活を崩さないように言われてる。
落ち着かないし、拘り強く今は無理だけど
私が動けて兄も動けるうちにいつか新幹線に乗せてあげたい。
兄は私のあとをついて、「広島はどんなところだった」とか
誰と行ったのか、何に乗った?船に乗った?とか
いろいろ聞く。
うるさいけど、興味があるのはいいことなので答えてあげて
おみやげの説明をした。
NHKで認知症の番組をずっとやっていて必ず見ろ!
立て続けにいろいろ言う。
はぁ・・・疲れた。。。
また来月、買い物と・・今度はたいやき食べに行こう。
寒くなって富士山もきれいに見えるはずだから。
お茶畑、お茶の花が咲いてた。
来年は不作なんだろうか。
足柄SA、行列ができる何とか・・のお店が出ていました。
ふなっしーも。
今日は塩ちゃんこ。
美味しくできるかわからないけど。