古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第二十章 乍恐奉申上返答口上覚控え 其の七十

2014年03月16日 22時20分03秒 | 古文書の初歩

 

 

⑤現代文訳

 

四の(二) 前に申したことは、串本浦幸右衛門が所有の昔の証書に「有田領奥地ヶ谷の奥、霞ヶ谷の口」と書き入れているとの事で、これが一つの谷の事であれば、滝より下(した)の奥地ヶ谷の内側は有田上村領であって、滝より上(うえ)霞ヶ谷の内側は当村(田並上村)領分であるので、上の様に書き入れたものである事は間違いありません。

 

前記の霞ヶ谷も有田上村領分であれば、前記の様に「奥地ヶ谷の奥で、霞ヶ谷の口」とややこしく書く必要は無く、「有田領・霞ヶ谷の口」と書き入れる筈だと、恐れながら存じ奉ります。

 

右に申し上げた通り、奥地ヶ谷の滝を両村の境界として、つまり滝の肩の幸右衛門山からが当村領分(田並)で、先年から支配してきたのでございます。この旨恐れながらお聞き入れ為されて、裁決の上御許可なされて下さいます様願い上げ奉ります。