21世紀 脱原発 市民ウォーク in 滋賀

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未だに 終わらない 原爆症認定訴訟

2019-08-29 11:28:11 | 記事

《第80回・脱原発 市民ウォーク in 滋賀 のご案内》

まだ暑い日が続いていますが、
第80回の脱原発市民ウォークを8月31日(土)におこないます(JR膳所駅前広場集合、午後1時半出発)。
どなたでも自由に参加できます。ぜひ足をお運びください。


■戦後74年、未だに終わらない原爆症認定訴訟  司法は広く救済、国と溝■

去る8月7日の朝日新聞朝刊に「終わらない原爆症訴訟、早期救済確認『8・6合意』から10年、厳格認定 姿勢変えぬ政府」と題された、戦後74年を経たいまでも原爆症であることの認定を求める訴訟、原爆症認定訴訟が続いていることについての特集記事が掲載されていました。(https://www.asahi.com/articles/DA3S14130378.html)。福島原発事故に直接関連性がある訴訟ではありませんが、脱原発を願う市民にとって無関心ではいられない問題です。以下にこの記事の内容と補足説明などを記しておきます。

「原爆症」というのは広島と長崎に投下された原子爆弾の被災により生じた健康被害(爆風や熱線による火傷などの外傷や放射線の被ばくによる障害であり、放射線障害のなかでも現在もなお問題になっているのは癌、白血病、白内障、瘢痕性委縮などの晩発性の障害です)の総称であり、制度上は1995年に制定された「原爆被爆者援護法」(1957年施行の「原爆医療法」と1968年施行の「被曝者特別措置法」とを引き継いだ法律)に基づき、厚生労働大臣の認定が必要とされています。
 
原爆症認定制度では、被曝者援護法に基づく被曝者のうち(注参照)、一定の病気にかかっている人は放射能の影響の有無にかかわらず健康管理手当(月3万4770円)を受け取ることができ、原爆の放射線が原因で発病し治療が必要な原爆症であると厚労相が認定した場合は、医療特別手当(月14万1360円)に切り替わります(金額はいずれも2019年現在)。2019年3月現在、健康管理手当受給者は12万1841人、医療特別手当を受け取っている人は2019年3月末現在で7269人です。すなわち、現時点で厚労省により原爆症と認定されている人は被曝者全体(14万5844人)の5.0%に留まっています。

(注:原爆被爆者の定義:原爆投下時に広島・長崎市などの一定区域にいて直接被爆した人。原子爆弾が投下されてから2週間以内に、救援活動、医療活動、親族探し等のために、広島市内または長崎市内の爆心地から約2kmの区域内に立ち入った人。原子爆弾が投下された際、またはその後に、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった人。例えば、被災者の救護、死体の処理などをされた方。上記のいずれかの項目に該当した方の胎児であった方。
(厚労省のサイト:https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/genbaku09/01.htmlより)

被曝者援護法制定後の2000年、飛んできた瓦で負った頭部外傷が重くなったのは放射線の影響によるものとして原爆症であることを認定するよう求めた長崎の女性が提訴した裁判において、最高裁は爆心地からの距離などから放射線量を推定し機械的に線引きする認定方法を疑問視する判決を下しました。

この判決をきっかけに、被曝者たちはその後この最高裁判決の水準で認定されることを期待したのですが、国は依然として認定申請の多くを却下し続けました。その結果、かつての原爆症の認定率は全被曝者の1%足らずに留まっていました。2003年、このような認定の実態を不服として被爆者たちは各地で集団訴訟を起こし、2003年4月に札幌、名古屋、長崎の各地裁で原爆症認定集団訴訟が提起され、裁判は17の地方裁判所に広がりを見せました。

その結果、2006年に大阪地裁により集団訴訟初の判決が下され、原告の被曝者9名全員が勝訴。その後も国が敗訴する判決が続き、集団訴訟は原告の9割以上が勝訴しました。その後、現在に至るまで2回の大阪高裁判決、1回の仙台高裁判決を含む19カ所の裁判所において連続して勝訴を重ねています。

このような国が敗訴する事態が続く状況を受けて2008年、政府は認定についての新基準の審査に着手し、一定条件で癌や白血病になった人を積極的に認定することとし、2009年には基準を改定、積極的認定の対象に慢性肝炎や肝硬変などを追加しました(その後、2013年に再改定されており、心筋梗塞などに関する距離要件を緩和しています)。この方針を踏まえて麻生太郎首相(当時)は、被曝者の高齢化や訴訟の長期化を踏まえて、「早期に救済する新たな方針を決断した」と表明、十年前の2009年8月6日、原爆ドーム近くのホテルで、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協、代表委員:坪井直)と合意に達しました。この合意は原爆症の認定を巡り国と被曝者側が訴訟の場で争う必要がないよう解決を図ることを目的とするものでした。

この合意に基づき2009年8月6日、国と被爆者団体は集団訴訟の終結を確認しました。この合意は後に「8・6合意」として知られることになります。その内容は「(集団訴訟の)一審で勝訴した原告の判決はそのまま確定させる」、「厚労相と被爆者の定期協議の場を設け、問題解決を図る」、「被曝者は集団訴訟を終結させる」というものでした。合意には法的拘束力はないものの被団協の坪井代表委員は「国が原爆被害の脅威を認めてくれた」と喜びの気持ちを表明しました。しかし、この合意の後も問題は解決しませんでした。

これまで国は「再審の科学的知見」に基づく厳格な判断にこだわってきました。これに対し、司法は「国の責任において被曝者に総合的な援護対策を講じる」とする被曝者援護法の趣旨に沿って広く救済を行う判決を下してきました。両者は8・6合意の後も原爆症認定に対する姿勢を大きく変えることはなく、未だに司法と国の溝は埋まっていません。

このため認定申請を退けられた被爆者が司法により救済されるというパターンが依然として繰り返されています。現在もなお裁判は続いており、国の敗訴が続くという異例の事態になっています。たとえば、8・6合意後の2010年に被爆者たちが大阪地裁に一斉に提訴していますが、2012年に勝訴しています。国は8・6合意後の2013年、認定基準を緩和しており、「科学的知見を超えて認めている」とする立場を取っていますが、司法は内部被曝の影響について「過小評価の疑いがある」などと指摘しており、その後も被曝者が勝訴する判決を相次いで出しています。全国原告団によれば、これまでに判決が確定した71人のうち勝訴したのは58人に達しており、8割を超えているとされています。

このような状況について、日本被団協の田中煕巳(てるみ)代表委員は「裁判を起こせば認定され、起こさなければ認定されないという差別を生んでいる」と批判しています。解決の糸口として、被団協は最近、被曝者全員に「被曝者手当」を支給し、特定の病気になれば病状の重さに応じて手当を増やす仕組みを提案しています。被団協の試算では国の負担はさほど変わらないとしています。

8・6合意に基づき、これまで7回、被団協は厚労省と定期協議を重ねてきましたが、具体的進展はありません。昨年12月の定期協議でもこうした提案とともに認定基準の改善を求めていますが、根元匠厚労相は「基準の見直しは難しい」と従来の主張を繰り返すにとどまっています。

今年の8月6日にも、平和祈念式典の後、十年前の「8・6合意」の場であったホテルと同じホテルで行われた安倍晋三首相らに被曝者の要望を伝える会において、広島県に二つある県原爆被害者団体協議会が認定制度を改めようとしないとしない政府をただし、「多くの裁判所で、現在の審査方針が被曝の実態に合わないことが繰り返し指摘されています。制度の改善を強く要望します」と迫りました。しかし、この要望に対して、根元厚労相は「被曝者に寄り添いながら原爆症認定制度を運営して参ります」と述べるにとどまり、宮崎雅則・健康局長は「さらに広げて基準を設けることは困難」と否定的に答えています。

日本被団協は今年の7月、原爆症と認められない苦しみや悔しさなどを手紙にしたため、最高裁に送る活動を始めています。被曝者の平均年齢は82.6歳。木戸季一事務局長(79)は「残り時間が少なくなった我々にとって最後の裁判。唯一の戦争被曝国ならば真摯に向き合ってほしい」と求めています。

2019年8月25日

《脱原発 市民ウォーク in 滋賀》呼びかけ人のひとり
 池田 進
 連絡先:〒520-0812 大津市木下町17-41 
           電話/FAX:077-522-5415


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