愛嶽山のダキニ天
先日の例会で訪れた愛嶽山頂には愛嶽神社がある。
明治以前には「飯綱大権現」社であったことが
残された鳥居の扁額からわかる。
また、『筑前国風土記』では伊豆奈権現を祭るとされ、
「天竺の神茶吉尼と称す。魔術を好む者この神を
たうとふといふ」とされる。
現在では、社は石の宝殿となっており、
その中に素焼き製?の牛に乗ったご神像が祀られ
その宝殿の左前に天狗の姿をした「飯縄権現」が、
右には「役行者」の小さな石像が置かれている。
この2体は花崗岩製の近年の作で古いものではない。
飯綱権現=茶吉尼天はある時期に稲荷神と結びつき、
国内では狐に跨った天女像などがスタンダードな形ようである。
だから愛嶽神社境内には赤い鳥居も建てられている。
現在の祭神(軻遇土神=火の神)のご神像はここが
牛馬信仰の霊場となっていたことから
(火の神としてはちょっと妙だが)
この像様で収められているものと考えられる。
もとの御祭神は宝殿の外に出されたといえ
飯縄権現が役行者とともに現存しており、
修験の山宝満山の一角らしい風景となっている。
なぜか・・・
飯縄権現は狐に乗った鳥の神像であらわされることが多く
本来は古い天狗像の形式であったらしい。
また、飯縄権現の霊場としては熊野本宮、大和布留、
信濃戸隠、日光、筥崎八幡など天台系修験の係わりの強い
場所が有名である。
(飯綱権現の由来は戸隠連峰の修験霊場の「飯綱山」)
ダキニ天はチベットにおいては烏や鷲、梟の
頭を持つ姿として表されることがあるという。
インドでは殺戮の女神カーリーの侍女といわれる悪鬼の一種で、
生きた人間の肝や肉を食べていたがブッタの教えにより
死んだ人間のものだけを食べるようになる。
そして同時に、誰がいつどこで死ぬかを
予言できる能力を身につけたとされている。
ジャッカルがそのモデルとされており、
日本における狐の姿がこの部分でつながる。
また、ダキニ天は式神として妖術的な側面を持ち、
四天女子、八大童子、二式神を眷属として
不思議をおこす神としても重宝されたという。
天台では三井寺園城寺の修法(ダキニ一字咒王経)が知られ、
邪教とされる真言立川流の祭神の一つともされ、
正邪両極端な扱いを受けた稀な祭神であることがわかる。
山深い霊場で獣の形に身を窶した神。
そしてマジカルな力で弱きも救う神。
まさに近世修験道が大衆に浸透して
命脈を保持した姿そのもののような神。
その妖しさはいかにも民衆の好みそうな神ではないか!
愛嶽神社も明治期の神社整理(統合)令により
祭神が変更されたのであろうが、
やはりその背景には修験道色の払拭が
命題とされていたのではなかろうか?
火の神である軻遇土神がなぜ選ばれたのか?
「かまどに対する火では?」(例会参加者の言)
うーん、なるほど!
参考
「太宰府市史民俗資料編」 太宰府市
「修験道修行入門」 羽田守快 原書房
http://chaichai.campur.com/index.html
写真
例会にご参加いただいた研究会会員様よりのご提供