宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山本谷礎石群の埋め戻し

2008-04-30 | Weblog

たくさんのご協力によりはじまった
宝満山本谷礎石群(宝満34次)での調査も
数々の発見があり、大勢の方々がご見学されました。
今日はとうとう埋め戻し作業がおこなわれました。
次に日の目を見るのはいつのことでしょうか?
これからこの遺跡について大勢の方の
ご意見をいただきながら会としてできることを
背伸びせずに考えてみたいと思います。



今日の西日本新聞(福岡県総合版)にちょっとショックな
宝満山に関係する記事が載せられていました。

「宝満山に無断で登山道
斜面崩落し随所に危険箇所
竈門神社禁止の看板設置」

個人の登山愛好家?が地権者の了承を得ることなく
勝手に新たな登山道を切り開いている記事です。
詳細は追って・・・・

宝満百景(初夏朝焼けの宝満山)

2008-04-29 | Weblog

(20080429早朝 太宰府市向佐野字日焼より
左から宝満山、愛嶽山、大根地山)

今日は宝満山も連休モード
竈門神社の駐車場といわず
山中は登山者の駐車車両で混雑。
良い日和で新緑も眩しく。
登山道周辺は夕方まで賑わいだ声が響いていました。
世はゴールデンウィークの最中です。

宝満山の登山客

2008-04-28 | Weblog

〈本谷礎石群に残された妙見祠の台座〉

休日に本谷礎石群にいると
いろいろなお客さんが来られます。
大半は下山途中の人。

「山頂で発掘の話を聞いたけん」
そうおっしゃる方がよくいらっしゃいます。
山の情報網おそるべし!
ありがたいことです。

団体さんでお元気な妙齢なご婦人方。
帰り道とは思えないとてもお元気で
矢継ぎ早にたくさんご質問されて
満足げに帰っていかれます。

昼前には「コンコンコン・・・」
高い梢から合図して
啄木鳥がやってきます。

夕方嬉しいお客さんがいらっしゃいました。
軽めのザックを背負ったご夫婦。
遺跡を見たいとおっしゃって
ポケットから六つ折りにされた
研究会の現地説明の資料を出されて、
ご主人が奥さんに解説されながら。
感激してしまいました。
当日おいでになれなかった奥様を
ここまでお連れになったのだとか。
「へー。最澄さん縁の塔の礎石ですか!」
しきりに感心される奥さん。
「このあとここはどうなるとですか?」
「埋め戻します」
「まぁーちょっともったいない!」
「でも、埋めないと傷むのですよ」
もっと沢山の人にお見せしたいのですが・・・
どうすることが良いのか
会でも論議を深めたいと思います。

今日も数名がおいでになることでしょう。

宝塔跡と妙見祠

2008-04-26 | Weblog


妙見祠
 現在は本谷礎石群の南西の谷側にある登山道脇に祭られる。
妙見原での池の築造により明治期に礎石群の中央に上げられ、
昭和56年頃に礎石群の土地が売買された際に
ふたたび池の畔の現在の場所に下ろされた。

森弘子著『宝満山歴史散歩』2000年葦書房によれば
池のある場所は本来「妙見原」と呼ばれる遺物の散布地で、
妙見大行事の祠もあるため『筑前国続風土記附録』のいう
「大行事原」にあたる推定地でもある。
山中での修験道の係わりでは、ここで
初初の行人等が補任を頂き法衣授受の儀式がおこなわれたという。
修験道では妙見は不動の北極星であり、
すなわちそれを不動明王になぞらえて崇め、
自己と一体化する観想をおこなう、のだとか。

御神体にはかつて蓮台の上に「宝塔」と彫ったものが
見られたとされているが・・・残念なことに
現在では石の表面は風化してしまい
読み取ることはできない。

礎石群では16あった礎石のうち7つの礎石が
掘り取られているが、そのうちの6つが
礎石群の中央に残る昭和56年頃まであった
妙見祠の台座の部材として残されている。

そうして現在下に下ろされた祠には
ちょうど礎石と同じくらいの大きさの
板状の花崗岩が台座として用いられており、
これで失われた礎石のすべての所在が知られた。

本谷礎石の階段

2008-04-24 | Weblog
今回太宰府市教育委員会が調査した
宝満34次調査地点は「本谷礎石群」
と呼ばれてきた建物が想定された場所ですが、
調査ではまさに3間方形の
礎石建物が発見されました。

今回の新知見はいろいろあるようですが、
中でもこの建物に三方向の
階段が付けられていたことは
重要な発見でした。

まずは正方位に制約される建物の
正面ともいえる南につけられた階段。
途中が欠落してしまっていますが、
ちゃんと大きな平たい石を選んで
ステップを順に造り出しています。
この階段の更に南には
広場を挟んで谷に下りるかのごとき
自然石を取り入れた階段が発見され、
南側からの長いアプローチが
設計上志向されていたことが知られました。


そして東側の階段。
この場所は基壇の東裾の南より、
南東のコーナーから曲がったすぐの
段差が若干低い場所にあり、
基壇を廻る列石にまぎれて
3段ほどが作りつけられています。


そして、西側の階段。
下約1/3が壊れて石がありませんでしたが、
正面の階段の石材とはあきらかに
比較にならないほどの小さな石を使い、
ステップも不ぞろいで少し
基壇のラインに対して斜めに取り付けられ、
いかにも便宜をはかって設置された、
そんな印象もある階段です。

顔の違う三つの階段。
建物の性格を考える上で
大変重要な情報を与えてくれています。


動画「宝満山山伏の峰入」

2008-04-21 | Weblog
会友の末永邦夫さんがJAPAN-GEOGRAPHICのHP上で
お得意の動画作品を公開されておられます。
テーマは「宝満山山伏の峰入」。
昨年2007年5月13日の宝満山修験会の方々による
峰入り業の一部始終を前後編の2部構成で、
入峰問答から山頂祈祷までの各行程を
網羅しての作品になっています。

今年も5月11日(日)午前9時に竈門神社を
出発する行程で峰入り業がおこなわれます。
(竈門神社→一の鳥居(入峰作法)中宮→女道→
キャンプセンター(昼食)→元宝満心蓮上人祠→上宮(解散))
一般の随伴登山ができますので、
山伏になった気持ちで登ってみるのも
山を知るきっかけになるのではないでしょうか?

末永さんの作品は事前勉強にはもってこいの作品です。

末永さんの作品アドレス;
http://japan-geographic.tv/fukuoka/dazaifu-kamado-jinja.html

竈門神社のHPアドレス;
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/kamado/events.htm#nyuho

2007宝満山護摩供より

第15回例会

2008-04-19 | Weblog
平成20年4月19日土曜日午後
13:00に竈門神社に集合し、
内山集落を抜けて「キョウヤマ」、九電高圧鉄塔経由で
調査中の宝満34次現場である本谷礎石群に向かいました。
今回は35名の参加がありました。
現場ではケーブルステイション福岡の取材もあり、
盛況な現地見学会となりました。





本谷礎石群の見学後にいただいた感想やご意見には
「調査後もここを見学できるようにしてほしい」
「数十年前に案内されてきたが、別世界。
長い間気になっていたが、掘られた姿を見られて感無量です。」
「まだまだ、周辺に関連の施設がありそう・・・」
などなど。
今回の礎石群の調査については
当初から本会が下見から除草まで参加して
ここまでの成果を見ることができました。
下草刈からご参加いただいた会員のみなさまに
あらためて感謝申し上げます。

味わう宝満山(番外編)

2008-04-19 | Weblog

品名;「英彦山行者杉」
名称;焼き菓子

前回ご紹介したスティック菓子「宝満山の杖」には
強力なライバル商品があるようです。
それがこの「英彦山行者杉」。
表面にスライス・アーモンドが沢山着床しています。

ラベルには
「英彦山は日本有数の修験の山です。
鎌倉時代から山伏は入峰の際、
みそぎをすませ、杉を植林し奉納したと伝えられます。
いずれも樹齢二百年から五百年の大木に育ち
行者杉と呼ばれています。」とあります。

江戸時代には九州の修験道においては
英彦山を胎蔵界、宝満山を金剛界とし、
二つの山は金胎両部世界の両翼を担った
双璧の山として修験世界のメッカになっていました。
行者杉は宝満から英彦山、またその逆の
峰入りルートでの基点、終点になった
深仙宿のあった福岡県東峰村(旧小石原村)に
多くが残されています。

この二つの山を結節点として
東は求菩提山、八面山、国東両子山を通じて京師へ。
北は三郡山、若杉山、白山、犬鳴山を越え
宗像孔大寺山を通じ、沖ノ島、朝鮮半島へ。
西へは脊振山、彼杵半島を越え中国大陸へ。
南は阿蘇山、霧島山を通じて南東へと・・・
かつては国家の基軸ラインを仏教世界が守護し、
後にそのラインを修験道が引き継いだ形と
なっているようです。

そんな深い味わいのお菓子でした。
製造販売元;㈲マヌカンピス(福岡市南区)


※ 今日は第15回例会が13:00竈門神社駐車場集合
でおこなわれます。お忘れなきようにお願いします。

味わう宝満山2

2008-04-17 | Weblog


うれしいものをいただきました。
博多駅デイトスの店の棚いっぱいに
並んでいたのだとか。
「宝満山の杖」
「博多 明太チーズスティック」
(この博多のあとの一文字空けは意味ありげです・・・)

歯ごたえがあり濃厚なお味。
酒の肴向けのテイストでした。

ラベルの後ろ側には「宝満山の山頂に登ると、
博多の町や志賀島、能古島が浮かぶ博多湾が
一望できる。昔からこの山は博多の町を
見守ってきた。」と山と博多の関係を説く。

続いて
「*大宰府の北東にそびえる
標高八六九メートルの山で古くから
信仰の山として崇められ、
江戸時代には山伏たちが修行に励んだ。」
と注釈があります。
ちなみに宝満の山頂の標高は
多少資料によってまちまちですが、
829.6mが正解のようで、ここに書かれた高さは
宝満のピークのさらに北東にある仏頂山(元宝満)
のピーク868.7mのことのようです。

この文書からすれば商品名の「杖」は
山伏の金剛杖を連想してのことでしょうか?
いただいた方は宝満で開眼し宮本武蔵を破った
武術家夢想権之助の「杖道」の杖説だとか。

福岡市南区の㈲マヌカンピスさんの商品です。

※いつのまにか食はシリーズ化か?(笑)
ちなみに前回記事は2007-10-07の梅園さんの「宝満山」

4月19日の例会

2008-04-15 | Weblog
次期定例の例会を下記の内容でおこないます。

日時;平成20年4月19日土曜日 午後1時~4時頃まで
場所;太宰府市竈門神社駐車場
  (駐車は400円。西鉄太宰府駅より市のコミュニティー・バスあり。)
内容;本谷礎石群周辺の遺跡解説
※竈門神社駐車場より歩いて各所を見学。
 山歩きもしますので、それなりのご準備をお願いします。
参加費;200円


 見どころは、3月22日の太宰府市の現説で解説されなかった
麓から現場までのコースを遺跡を見ながら移動することと、
あれ以降に掘り進めて新たに発見された遺構について解説があります。
また、出土した金銅佛もご開陳の予定です。

※ 雨天でもおこないます。