海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

カンボジア出張

2010-04-24 | Weblog
青年海外協力隊へ行く前、国際部にいた頃、カンボジアへ出張した。
アンコール・ワットのあるシェムリアップで開催されるセールス・ミーティングに出席するためだった。

詳細は忘れてしまったが、ミーティングが終わって夜、現地代理店社長の息子と夕食会へ行ったとき、レストランにはビールを売る若いウエートレスさんがたくさんいた。彼女らは、ビールのキャップ(王冠)1つでいくら、というキャッシュバックをもらうのが報酬となっていた。仕事の少ない現地では仕事があること自体貴重なことで、さらに女性が、うまくいけば結構な収入を得られると、人気の職種だった。ビール会社ごとの契約のため、不必要なほどの人数がいた。(と思う。彼女たちの待遇等も詳細は忘れてしまった。)

きれいなウエートレスさん、かわいいウエートレスさん、愛嬌のあるウエートレスさん、明るいウエートレスさん、ちょっとはにかんだウエートレスさん、賢そうなウエートレスさん・・・。

みんな、18歳から20代前半。もし、この国の、ここに生まれていなかったら、どんなに将来の可能性を拓けたことか。逆もあり、はおいておき。

愛想をふりまいて、お金を稼いで、家族の幸せな顔を見て、それを「幸せ」と思う。否定しない。そして、それは、本当に幸せなのかもしれない。

でも、私にはそう見えなかった。もっと違う未来がある。その選択肢がない、考えたこともない、知らない。そしてそのまま一生終わってしまう。見ているだけで息が苦しくなった。代理店の社長の息子はいい人だったが、ウエートレスはウエートレスとしか見ていない。その国のその構造に、なにも疑問を持っていないように見えた。

そして彼女たちの兄弟や子供たちは、また同じ価値観の中で育ち、ウエートレスをするのだろうか。きれいな服を着て、にっこり笑って、ビールを売って稼いで。

協力隊に駆り立てられる、ほとんどいっぱいになっていたコップの水への最後の数滴のうちの1滴となった出張だった。

翌日追記:
にっこり笑ってビールを売って、を、どうして肯定できないのか、どうして正視できなかったのかを考えた。このとき、ジェンダーを問題にしているのではなかったにも拘わらず。
ジェンダーの問題を含んでいるかもしれないが、私は、女性がにっこり笑って人をハッピーな気持ちにすることには、実はそんなに異議を持っていない。
> みんな、18歳から20代前半。もし、この国の、ここに生まれていなかったら、どんなに将来の可能性を拓けたことか。
のあとに続く-「そして、その可能性は世界のために使えたかもしれない。」
明らかに聡明なウエートレスさんを見て、その聡明さの使い方が「間違っている」と思ってしまった。この考え方自体、間違っているのではないかとだんだん自信がなくなってくる。