2月5日(金)
ストーブに乗せて作るものな~んだ
壺焼き というものがあった。
子どもの身の丈ほどもある壺の中に針金で刺したサツマイモを並べて作っていた焼き芋であって壺で作ることから壺焼きと言っていた。単純な構造なのでくくるとまだあるみたいだ。子どものアタシらはその店に立ち寄り壺の外側に貼られている紙を撫でて寒さをしのいでいた。たぶん登校前のひとときだったことだと思う。そり店は形は変えてもまだ健在しているが肝心の学校がどこにあったのか記憶にない。JR豊川駅の下り踏切だった。踏切も変えようがないからそのまま健在している。たまに通過すると懐かしさがよみがえる。
年末には盗まれた自転車を探しに駅裏へ行かねばならなくこの踏切を通った。懐かしき昭和の面影がほのみえる界隈である。
壺焼きの壺に手を温めていた少年は70歳を半ば超えた。
背中とか胴回りがカイイ。ヒルロイドを塗りたくる。在庫がなくなってきた皮膚科に行かねばならないようだ。ああめんどくさい。
少しは歩かねばと図書館を経由してスーパーMomへ出向く。
カツ丼が美味そうだった。2.3日ご飯がある。ご飯ご飯じゃダメでしょう。もっとも我が家のご飯は玄米。
起き抜けお腹が痛かった。15分の中抜けを挟んで1時間便器に座り続ける。低温火傷をしてはならぬと便座の温度を一番下にする。お腹の痛くなった心当たりがない。どうした。
パナソニックのこの便座この頃立ち上がり半ばでくたびれるのか下りてきてしまうそんな様を見ているとどうやらこいつも歳を取ってきているのかと感慨深い気持ちがわいてくるのだった。ちゃんと 立ってよ もう80だものな立たねえか。リモコンの電池を入れ替える。うらやましきは機材である。電池一つでよみがえる。
男にはその場において立つか立たないかという必死の命題が常に課せられて現在に至っている。つらいことばかりだった。
こころざし半ばで中折れる。そのたびに飲んだドリンクも数知れず。嗚呼、無念の過ぎた日々いずこ。
♬俺ら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って灯をかざす灯をかざす♪ 昭和32年。この年に石原裕次郎がデビューしている。狂った果実。アタシらたとえばカトキン サカグチは高校生だった。モリシゲルはどうした。
厨房メモ
浜松の競艇場の屋台で買った目覚まし時計。たぶん千円か500円。大事にしているのだ。むろんうごいている。バカなレトロが好きなのはずっと持続していている。娘よキッチンに置きなさい。父忍ぶ。バカだね、捨てる捨てる。あっさりしてるから。