2月6日(土)
焼き芋をそっとふたつに割りにけり・これアタシ
焼芋屋出てゐる夜の神田駅・関口健太
tile という失せ物発見機を取り寄せたのだがこれがさっばりわからない。使い方もわからないようなものを売らないでいただきたい。ほんとにハラが立つ。
つまりはしっかり管理して失くさなければいいのだ。首から提げるわけにもいかないので鍵ホルダーにはフックを付けてポケットやバッグのとば口にくくりつけるようにした。この名称がわからない。親指でスライドすると口が開く?形の小物だ。部屋の鍵は良く紛失した。そのたびに運良く出てきてはいるがかなり焦る。そのウンもいつの日にかは尽きるかもしれない。そのため今での最善の方法としてスライドして開けたとば口をバックの端やらポケットのとば口に引っかけるようにした。よしんば滑り落ちても引っかかっているのでぶら下がるだけだ。昔のヒトはよく鈴を付けていた。しかし耳の悪いアタシにはその鈴の音が聞こえない。このあたりはかなりモンダイだ。音で知らせてくれるのも消防署のサイレンほどの音でないと気がつかない。しかしこれははなはだ近所迷惑だ。
一度は交番のおまわりさんが届けてくれたのだけれど今思うとなぜ部屋がわかったのだ。これだけは不思議だ。いろんな不思議の中の最たるものだった。時刻表示の出る万歩計が今はつけてある。ちなみに今日は8000歩。この側面に電話番号を書き込んだ。しかしこれなども書いたものはいつかかすれて判読不明になる。まいっか5年も保てば。セロハンテープを貼っておいた。とにもかくにも落とさないこと。財布とスマホは部屋の所定の場所に置いてある。あちこち置かないこと。緊急の用意にと合鍵は娘に渡し一つは物置に貼り付けた。これも時々確認しないと自分が忘れる。娘に渡したらすでに渡してあったようだった。そんなものだ。渡したことを忘れている。
面倒くさいので部屋には鍵を掛けないことと決めたらそれはあかんでしょうと忠告された。夏に入院したときベランダ側のガラス戸の鍵を開けておいたらしっかり掛けてあった。娘の所業だった。ベランダからはなかなか侵入しがたいでありましょうと思っていたのだけれどそういうものでも無いようだった。ヒトを疑わないというのが生を受けてこの方アタシの信条でもある。美しいなあ。
ストーブで焼けた焼き芋をほおばり芋焼酎に湯を注ぐ。焼けた焼き芋。季重ねだね。こんたらものは季重ねとは申しません。焼き芋は皮がおいしい。子どもの頃は焼いた芋に砂糖をつけて食べていた。あれ、美味かったなあ。芋と砂糖のほか何もなかった頃の時代だ。昭和もだんだん遠くなり今日もアタシは泳ぎけり。
厨房メモ
この小物なんというのでせふ。プラで使い勝手がいいのだけんど同じモノをさがすのだけれどなかなか見つからない。鍵ホルダーに付けてバッグやポケットの端に食いつかせるのでんな。食いついたら離れないすぐれもの。
ところで 藷・芋 の季語は秋だが焼き藷になると冬になる。